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前略、ハイドン先生

没後200年を迎えたハイドン先生にお便りしています。
皆様からのお便り、コメントもお待ちしています。
(一服ざる)

N響アワー 「新世界より」

2011-10-03 20:53:50 | クラシック音楽
昨夜のN響アワーではドヴォルザークの交響曲第9番ホ短調『新世界より』が
取り上げられていました。

何気なく聴いていて、というか見ていて、ふとあることを思い出しました。
(別に大した話じゃないんですけど)

友人の奥さんが大学でオーケストラに入っていたのですが、
そこで、クラシックの有名な旋律に「歌詞」をつけるのが流行って?いたとの話でした。

いくつか聞いた中での最高傑作?が
『新世界より』第1楽章の第3主題(解説によっては第2主題)
フルートで奏でられるト長調の穏やかな旋律です。




この旋律に「あ~らやだ~、ま~たやっちゃった~」
という歌詞?を誰かがつけたとのこと。

まあ、ただそれだけの話なんですけど、曲を聴いていて急に思い出してしまいました。


他にもこの手の例をご存知の方がいましたら是非教えて下さい。

ドヴォルザーク 『スターバト・マーテル(Stabat Mater)』

2011-08-03 21:32:44 | クラシック音楽
ドヴォルザークは多数の美しい旋律を残した稀代のメロディ・メーカーですが、
私達に馴染み深い旋律の多くは、明るく牧歌的なものではないでしょうか。

ドヴォルザークの『スターバト・マーテル』は80分を超える大曲ですので
正直、全曲通して聴くことはありませんが、
第1曲「悲しみに沈める聖母は (Stabat Mater dolorosa)」はその嘆きが胸に迫る、大変美しい曲です。

ドヴォルザークは相次いでこの世を去った子供達の追悼のために、この曲を書かれたとされています。


芸術家が、愛する人を失った悲しみや辛さを作品に「昇華」させる例は多数あります。
芸術家でなくとも、例えば事故や犯罪などで家族を失った方々が、
事故や犯罪の撲滅のために社会的運動を起こすのも、同じく「昇華」だと思います。


その時「"愛する人の死"を利用している」という罪悪感が一瞬でも頭をよぎることはないのでしょうか?


私はあるのだと思います。
でもその「死」を何かに昇華させなければ、立ち上がることも前に進むこともできないほど、
愛する人を失った悲しみは深く大きいのでしょう。


  死を嘆き悲しみ佇んでいても、亡くなった人は決して喜ばない
  残された人達が力強く生きてくれることを、亡くなった人も望んでいる


それが本当かどうかは私にはわかりません。

でも、悲しみの中から立ち上がり歩き出す、歩き続けるために、その死を「昇華」させるのであれば
それは絶対的に正しい、そう思います。

メンデルスゾーン 交響曲第4番イ長調『イタリア』 を解説して戴く

2011-06-29 00:26:14 | クラシック音楽
先日、私が所属するサークルで「勉強会」がありました。
といっても決して堅苦しいものではありませんが、内容は大変充実していました。

なにしろ"講師"の方は、
在京有名オーケストラに在籍される現役バリバリの一流演奏家ですから。


メンデルスゾーンの交響曲第4番イ長調『イタリア』の第1楽章を題材に、
ソナタ形式についての解説をして戴きました。

ソナタ形式は、長年クラシック音楽を聴いている者にとってはよく目にする馴染みのある言葉ですし
その意味するところも何となくわかっています(のつもりでした)。
ただそれは「まず提示部があって、次に展開部がきて、また提示部が再現する」
という程度のものですが・・・。


提示部で示された第一主題および第二主題を再現部で如何に展開させるかが作曲家の腕の見せ所であり、
そのためベートーヴェン以降、再現部がどんどん複雑になっていったこと、
マーラーやブルックナーなど再現部を拡大して曲が更に長大になっていったことなどなど
「なるほど。なるほど。」と頷くばかり。
逆にモーツァルトは非常に展開部が短いなど、普段あまり気に留めていない点も・・・。


メンデルスゾーンの作品はかなり古典派的な色合いが強いようです。
以下は私が覚えている(理解できた)範囲での解説?です。
(もっと細かい指摘も多数ありましたが・・・)

 <提示部>
  ヴァイオリンで生き生きとしたイ長調の第一主題が現れます。
  第二主題は木管を中心に奏でられますが、第一主題と対比させるためにホ長調で現れます。

 <展開部>
  展開部では通常、提示部で登場した第一主題と第二主題を使用しますが、
  ここでメンデルスゾーンにとっての誤算?が。
  第一主題と第二主題は"表情"はかなり違いますが、音型が若干似ているため、
  この二つでは展開させ辛いのです。

  そこで第二主題に代えて新たな旋律を登場させ、この旋律でフーガを展開させます。
  そこに第一主題の冒頭部分(断片)も顔を出し、最後ではフーガ主題と第一主題断片が連なります。   

  ※第一主題断片も転調しながら繰り返し出てきますので「二重フーガになるのですか」
   と質問しましたが、第一主題はあくまでも"断片"なので「二重フーガとまでは言えない」
   とのことでした。なるほど、納得。
   (二つの主題が"同時"に出てくるわけではないので、そもそも「二重」ではありませんが)

  そしてオーボエのロングトーンに導かれて転調しながら再現部へと移行します。
  (この転調を導くオーボエが絶妙とのこと)

 <再現部>
  イ長調の第一主題は同じですが、第二主題はここではホ長調ではなく同じイ長調で現れます。
  曲を終わりへと導くためです。
  そしてコーダでは第一主題と展開部のフーガ主題が組み合わされます。

講師の方は、曲に合わせて「第一主題」、「フーガ主題」など"字幕"が出るよう
ご自分で編集したDVDを用意されており、至れり尽くせりです。


メンデルスゾーンはマタイ受難曲をはじめバッハ大先生の作品の発掘に力を注ぎました。
(それがバッハ大先生の再評価へと繋がります)
もともとバロック、古典派など過去の偉大な作曲家に影響を受けていた人です。

私も昨年N響でメンデルスゾーンを聴いたとき、
それまではもっとロマン派的な作曲家という印象を持っていましたが
楽器編成も含めて、意外と古典派的だなあと感じました。
今回、改めてこのように解説してもらいその理由がわかりました。

メンデルスゾーンは幼少期から音楽の才能を発揮し夭折しましたが、
モーツァルトがいなければ、真っ先に「天才作曲家」として名前があがったのでは、
とおっしゃっていました。

正直、今まであまり好きではない作曲家でしたが、俄然興味が湧いてきました。


ソナタ形式の解説以外にも、
スメタナが交響詩『モルダウ』の楽譜に書いた注釈(情景描写)を字幕付きで聴いたり、
(川辺の風景が過ぎ去って行く様子を音量で表現している・・・などの説明も)
ベルリオーズの幻想交響曲の「イデー・フィクス(固定観念)」の変化や
第5楽章での情景描写を管弦楽でどう表現しているか等々、興味深い話ばかりです。

特にグレゴリオ聖歌の「怒りの日」を初めて引用したのが幻想交響曲らしく、
フランス人作曲家ならでは、ともおっしゃっていました。
(キリスト教が盛んな国では軽々しく引用などできなかったかも・・・)


大変参考になる、そしてなにより極めて贅沢な「勉強会」でした。

ストラヴィンスキー 『兵士の物語』(組曲版)

2011-04-16 22:21:39 | クラシック音楽
ストラヴィンスキーの『兵士の物語』は1918年の舞台作品です。

原曲?は登場人物3人(語り、兵士、悪魔)が登場する1時間の大作です。
ポリスのスティングが兵士役をやった録音などもありますが、
私が聴いているのは、25分程度に縮小された組曲版(1920年)です。

編成は、ヴァイオリン、コントラバス、ファゴット、クラリネット、
トランペット、トロンボーン、それに打楽器の7人。
第一次大戦直後の人手不足の中でも演奏できるように考えられたらしいです。


高校時代、部活が終わった後、毎日のように中野の「クラシック」という名曲喫茶に行きました。
入口付近にリクエストを書く小さな黒板があります。
知らない曲がかかるとその黒板を見て何という曲か調べることができます。

ある時、とても奇妙な曲がかかりました。
唐突に管楽器の旋律で始まり、響きは古典的で難しくはないですがリズムなどが独特です。


リクエスト黒板には、いつもは現在かかっている曲に矢印が貼ってあるのですが、
その曲とも違うようです。

先輩に「この曲なんですか?」と聴くと「ストラヴィンスキーの『兵士の物語』だ」
と教えてくれました。
リクエストにはないのですが、どうも喫茶店のマスターが好きな曲のようで
たまに勝手にかけていたそうです。
(喫茶店にある曲目リストには「兵士の話」とありました)


実はストラヴィンスキーの作品で初めて聴いたのが、この『兵士の物語』です。
「火の鳥」や「春の祭典」を知ったのはそのあとです。

いかにもストラヴィンスキーらしい(と後々感じました)旋律が、何度か出てきます。
勝手に「悪魔の旋律」と呼んでいましたが、この旋律が耳から離れませんでした。
(最終曲<悪魔の勝利の行進曲>の冒頭にも出てきます)


私が当時買ったCDは
演奏がロサンジェルス室内管弦楽団の首席奏者、指揮がジェラード・シュワルツです。
『兵士の物語』組曲版の録音は、買う際にあまり選択の余地がなかった記憶がありますが、
今でも最高の演奏だと思います。

好きな曲は色々な演奏で聴き比べたりしますが、この曲に関してはこのCDしか持っていません。
自分にとって、当時の思い出とともに唯一無二の演奏になっています。

加えてこのCDには、
ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番と、プロコフィエフの古典交響曲が収められています。
こちらも素晴らしい演奏で、私にとっての"お宝CD"の1枚です。



ストラヴィンスキー 『春の祭典』 (小澤征爾&バイエルン放送交響楽団)

2011-03-27 21:33:43 | クラシック音楽
少し間が空いてしまいましたが、3月9日のエントリー、
ストラヴィンスキー『春の祭典』(マリインスキー・バレエ)からの続きです。


『春の祭典』は一時期ほんとによく聴いていました。
音楽理論には疎いので、スコアを見ながら分析的にというのではなく普通に聴くだけでしたが。


"常識破り"な曲なので、
演奏の解釈も他の曲(例えば交響曲など)よりも自由度が大きいからでしょうか。
指揮者の個性が出しやすく、大胆な演奏が多いので面白いです。

多いときには30枚以上の「ハルサイ」のCDを持っていました。
中古ショップで持っていない指揮者のを見つけたら即買いする、という感じで。

まあ、ほとんどは一度聴いてピンとこなかったらそれっきりだったのですが。


DVDでは、ハイティンク&ベルリン・フィル盤と、小澤征爾&バイエルン放送響
の2種類を持っていますが、小澤盤が断然面白い!です。

小澤征爾指揮のCDではボストン交響楽団との録音があり、
こちらも非常に丹精で"見通し"が良い演奏で大変好きなのですが、ライブは一味違います。

バイエルン放送交響楽団とのコンビというのも珍しいと思いますが、
47歳(1983年録音)、若々しい小澤の切れ味鋭い指揮ぶりが堪能できます。


髪の毛もまだ黒い・・・


激しくリズムが複雑な部分は、指揮棒できっちり拍を刻み、
各パートに的確に指示を出す様子がよくわかります。

華麗な、というか、"かっこいいバトンテクニック"というべきでしょうか?
隅から隅までこの曲を熟知し完全に手中に収め、これほど正確無比に棒を振る様は、
他の映像では観たことがありません。

それでいて決して醒めた演奏にはならず、演奏者を盛り上げていきます。


小澤征爾さんの"世界的"な活躍のほどは今更説明する必要はないでしょう。

生演奏を聴いたのは高校時代に一度あるだけです。
ですから、その凄さというのはなかなかわかりませんでした。

この演奏を観て(聴いて)、納得です。