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前略、ハイドン先生

没後200年を迎えたハイドン先生にお便りしています。
皆様からのお便り、コメントもお待ちしています。
(一服ざる)

ブルックナー 交響曲第7番ホ長調 のつづき?

2010-05-18 22:13:40 | クラシック音楽
随分前に、音楽雑誌(「レコード芸術」だったと思います)で
「好きな作曲家ランキング」みたいなものをやってました。
(この手のものは今でもよくやってるのかな?)

もう10年以上も前の"データ"ですが、
ブルックナーを好きと答えた人の9割が男性、との結果でした。


クラシックファンの"男女比"は半々くらいだとしても、
「あの指揮者がああだこうだ」とマニアックに語るのは
おそらく男性の方が多いのでは、と思います。
ですから、この手のアンケートに答えた"母集団"も
男性の割合がもともと多いと思いますが、それにしても9割とは・・・。



色々な名曲解説本にも書かれていることですが、
ブルックナーの作品は、他の作品と一線を画する「不思議な曲」だと思います。

前回も書きましたが、私自身は熱狂的なブルックナー信者ではありません。
それでも"演奏の好み"や"版"へのこだわりは多少あります。
(例えば交響曲第3番は初稿が好き、とか・・)


でも、「ブルックナーのどこがいいの?」と尋ねられても、
ブルックナーの交響曲の魅力を言葉で伝えることができません。
「同じような曲ばかり・・」とか「長くて退屈だ・・」という批判的な"感想"に対しても、
「その気持ちもわかる」と思ってしまうのです。


誰かに"魅力"を教えてもらうのではなく、自分で"魅力"を発見しない限り、
ブルックナーを好きにはならないのではないか、
と感じています。

だからこそ、その"魅力"を発見した人は、ブルックナーにのめり込み、
やがて「信者」へとなっていくのではないでしょうか。


一口にクラシックファンといっても、様々なジャンル、膨大な作品がありますので、
どの曲も多かれ少なかれ同じだとは思います。
でも、ほかの(好きな)曲ならば、その"魅力"を熱く語れるのに
ブルックナーだけは「自分で(その魅力を)掴み取るのだ!」
と言いたくなってしまいます。



本当に「不思議な曲」だと思います。

広瀬悦子 plays アルカン in ラ・フォル・ジュルネ

2010-05-04 22:09:12 | クラシック音楽
「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」で
ピアニスト・広瀬悦子さんの演奏を聴いてきました。

今年のラ・フォル・ジュルネはショパン中心ですが、
アルカンの曲が聴きたくて、このプログラムを選びました。
(広瀬さんのことは正直知りませんでした)


 広瀬悦子さんは、1999年のアルゲリッチ国際コンクールで優勝。
 日本人(というか女性)としては珍しい、ヴィルトゥオーゾだそうです。


いやはや、驚きました。何って曲と演奏に。
ショパンの作品3曲、フィールドが2曲、
そしてアルカンの作品は以下の3曲です。

 ・練習曲ニ短調『鉄道』
 ・風(「悲愴趣味の3つの小品」第2曲)
 ・イソップの饗宴(「すべての短調による12の練習曲」第12番)

練習曲『鉄道』はCDを持っているので知っています。
機関車が疾走する様を描いた、超絶技巧曲です。

広瀬さんは見た目とても綺麗な方で、どんな演奏をするのかな
と思っていると、この曲をいとも簡単?に弾きこなします。
(私の席からは手の動きは見えませんでしたが、表情はよく見えました。
 必死に、というより楽しげに弾いているように思えました。)


アルカンの他2曲は初めて聴く曲でしたが、これもまあ、とんでもない曲でした。
特に「イソップの饗宴」!!
ちょっと言葉では説明できない曲ですね。
超絶技巧といっても、アルカンのそれはリストとはちょっと違います。
(ちょっと狂っている感じ・・・?)

こういう作品を演奏会で取り上げるところが、
ヴィルトゥオーゾ・ピアニストたる所以でしょうか。


ヴィルトゥオーゾ・ピアニストといえば、
私の大好きなピアニスト、ホルヘ・ボレットもそうですが、
"正統派"からすると"ゲテモノ"扱いされるような曲を取り上げています。
リスト編曲の「タンホイザー序曲」など、その最たるものでしょうか。
でも、極限まで技巧と美音を追求したような演奏が私はとても好きです。


広瀬さんにも同じような"凄さ""妖しさ"を感じました(ドゥエンデが宿った?ような)。
(ショパンの演奏についてはどうなのか-正統派か否か-わかりませんが)
私にとっては「大ホームラン」、大当たりの演奏会でした。



滅多にしないのですがCDを買ってサインを貰ってしまいました。

フォーレ ピアノ五重奏曲第2番のつづき

2010-04-15 12:08:13 | クラシック音楽
前回に引き続き、フォーレのピアノ五重奏曲第2番です。


今回、第1楽章冒頭の楽譜を見て、
初めてこの楽章が「4分の3拍子」であることを知ったと書きましたが、
わかって聴いても、この冒頭部分はどうしても4拍子に聴こえます。
(冒頭部分以降はだんだんと、3拍子だなとわかってくるのですが)


ピアノのアルペジオが4拍奏でられた後、
第2小節の2拍目からヴィオラが出てきますので。
それにヴィオラの旋律そのものが、4拍子というか・・・。

試しに冒頭部分を4拍ごとに区切ってみると(譜例の赤線)、
ヴィオラ旋律のフレージングも違和感なくきれいにはまります。





4拍ごとに区切った時の「4小節目」の最後(青○の部分)のみ
付点音符のため、ちょっとズレが生じます。
まさにこの部分が、聴いていて二つの旋律を無理やり結合させたような
違和感というか不安感を感じるところです。

今まで感じていたこの旋律の不安定さ(の魅力)の理由が
わかったような気がしました。

調性もはっきりしないような感じで、
なんか短調から長調に移っていくように聴こえます。



最近はスコアを見ながら曲を聴くことはあまりないのですが、
たまに楽譜を見ると新たな発見がありますね。
(この曲を好きな人には周知のことだったかもしれませんが)


まだまだいろいろな"仕掛け"があるようですが、
改めて凄い曲だなあと感じました。
まさに「不滅の旋律」です。


2018/6/3追記
上記のような、本来の拍子とずらした拍子を用いることも
「ヘミオラ」というそうですね。
昨日買ったNAXOSのCDに書いてありました。
勉強になります。

フォーレ ピアノ五重奏曲第2番ハ短調

2010-04-13 19:00:33 | クラシック音楽
フォーレのピアノ五重奏曲第2番ハ短調を聴きました。


クラシック音楽は、多楽章形式の器楽曲の場合、
全部聴くと大体30~50分位になります。

平日に1曲まるまる聴くということは私の場合あまりありません。
(通勤中にipodで聴くことはありますが)
好きな楽章だけとか、もっと極端な場合は好きな部分(旋律)だけ
とかを「つまみ聴き」することが多いです。


たまに無性に聴きたくなる旋律や、この部分の展開がたまらない、
ここの楽器の使い方が天才的、という好みは誰でもあると思いますが、
特に旋律については、自分にとって「不滅の旋律」ともいうべきものが
いくつかあります。

フォーレのピアノ五重奏曲第2番第1楽章の旋律もまさに「不滅の旋律」です。
ピアノのアルペジオの後、2小節目からヴィオラで演奏されます。



(恥ずかしながら楽譜を見て知ったのですが3拍子なんですね)


表現が難しいのですが、中途半端というか割り切れない不安定さというか・・・。
二つの旋律を無理に結合させて、前の旋律が「解決」しないまま
次の旋律に移ってしまうような感じがするのです。
(旋律が始まって5小節目で、前半後半がわかれるような)

その"不安定さ"がなんともたまらない魅力です。
ヴィオラで奏でられた後は、少しずつ形を変えたり、
途中で転調したりして展開しますが、
冒頭と同じ形ではっきり現れるのは再現部1回のみだと思います。
なかなか出てこないところもグッとくる要因です。



私が普段聴いているのは、ヴィア・ノヴァ四重奏団とユボーの演奏です。
録音は1970年で、正直あまりクリアーな音質(録音)ではありません。
ちょっと"もや"がかかったような音ですが、
それが逆にこの曲の雰囲気にあっているような気がします。
(最近はリマスター盤も出ているようですが)

ヴィオラを弾いているのは、ジェラール・コーセです。
そういえば気に入っている演奏の中で、
彼がヴィオラを弾いているものがいくつかあります。
パレナン四重奏団でのフランクの弦楽四重奏曲や、
ゴールドベルグ変奏曲の弦楽三重奏版など・・・。


ヴィオラは弦楽器の中ではちょっと地味な存在ですし、
室内楽というジャンルそのものが地味といえば地味ですが、
そんな中でコーセは、存在感が光る「名脇役」(かつ名優)ですね。



余談ですが・・・
コーセという名前を聞いて「チャーリー・コーセー」を思い出す人は
40代以上だと思います。

Messe solennelle des Morts

2010-04-02 21:46:43 | クラシック音楽
かなり前に買ってちょこっと聴いたきり、ほったらかしにしていたCDです。

「死者のためのミサ曲」って訳すんでしょうか。




CDのジャケットには、
『Plain-chant et Faux-bourdons du XIXème siècle』(Cambrai,1840)
とあります。

どうやら「4声のための19世紀の単声音楽とフォー・ブルドン」
というようなもののようです。

『Cambrai』は「カンブレ写本(カンブリア写本)」のことのようです。


つまるところ、どういうことかよくわからないのですが、
「カンブレ写本」に基づく「グレゴリオ聖歌」の演奏(歌唱)と理解しました。



最近、菊池成孔さんの本を再読したり、
マイルス・デイヴィスのCD(特に『Kind of Blue』以降)ばかり聴いて
旋法(モード)のことなどを考えたりしていたので、
バッハ大先生以前(という言い方は不正確ですが)の
長調短調ではない曲を聴きたいと思って、改めて聴き直しました。
(というかほとんど初聴)


第1曲「De Profundis」から、割り切れなさ全開?です。
不協和音なのかどうかもよくわかりませんが、
なんとも微妙な(どっちつかずの)響きに、背骨がぞくぞくします。

そんな中、第8曲「Séquence」でいきなり「怒りの日」の旋律がでてきて
びっくりしました。


様々な作曲家の作品に引用されている「怒りの日」の旋律。
有名なのは、ラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲」や
ベルリオーズ「幻想交響曲」などでしょうか。
(一番好きなのはイザイ「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番」です)
いずれにしても、とても印象に残る旋律です。



原曲がグレゴリオ聖歌だということは知っていましたが、
初めて聴いたのでちょっと感動です。