秋晴れの今朝、実家で飼っていた猫の「シャム」が死にました。
真っ白い雌のペルシャ猫で今でもとても可愛い姿が脳裏に焼きついています。
「シャム」は私が16歳の春に近くに住む中学時代の友達からいただいた猫でしたが、最初の出会いは生まれて間もない、手の平に乗るほどの大きさと愛くるしい姿でした。
その猫を恐る恐る自転車のかごに服で包んで連れて帰った時の事が鮮明に蘇ります。
この「シャム」という名も母がこの猫を「シャムネコ」だと思い呼んでいたのが始まりで、いつの間にかみんなが「シャム」と呼ぶようになったのです。
「シャム」は我が家の一員となり毎日、同じ屋根の下で過ごし本当に愛情を注ぎ育てていましたが、まだその時は今日の事など思い描くこともなく・・・
「シャム」はいつも身近にいるマスコット的な存在でもあり、両親も弟も本当に可愛がってくれていました。
思えば21年間、私が学校を卒業した時も、私が大工を始めたその時も、常に毎日の家での生活のシーンに「シャム」の姿があったような・・・
同じ布団で寝た時の温もり、「シャム」が居なくなった時に家族で探し回った時、短く散髪されプードルのような姿になってみんなを笑わせた事も・・・
多くを書きませんが共に暮らした「シャム」との21年間は私を始め家族にとっても大きな意味があったようにも思います。
本当に長い間一緒に居てくれた「シャム」の安らかな冥福を祈り今日のブログとします。
「シャム、本当にありがとう。」
一本の木から始まる感動としあわせの家づくり物語 林建設 林俊文
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真っ白い雌のペルシャ猫で今でもとても可愛い姿が脳裏に焼きついています。
「シャム」は私が16歳の春に近くに住む中学時代の友達からいただいた猫でしたが、最初の出会いは生まれて間もない、手の平に乗るほどの大きさと愛くるしい姿でした。
その猫を恐る恐る自転車のかごに服で包んで連れて帰った時の事が鮮明に蘇ります。
この「シャム」という名も母がこの猫を「シャムネコ」だと思い呼んでいたのが始まりで、いつの間にかみんなが「シャム」と呼ぶようになったのです。
「シャム」は我が家の一員となり毎日、同じ屋根の下で過ごし本当に愛情を注ぎ育てていましたが、まだその時は今日の事など思い描くこともなく・・・
「シャム」はいつも身近にいるマスコット的な存在でもあり、両親も弟も本当に可愛がってくれていました。
思えば21年間、私が学校を卒業した時も、私が大工を始めたその時も、常に毎日の家での生活のシーンに「シャム」の姿があったような・・・
同じ布団で寝た時の温もり、「シャム」が居なくなった時に家族で探し回った時、短く散髪されプードルのような姿になってみんなを笑わせた事も・・・
多くを書きませんが共に暮らした「シャム」との21年間は私を始め家族にとっても大きな意味があったようにも思います。
本当に長い間一緒に居てくれた「シャム」の安らかな冥福を祈り今日のブログとします。
「シャム、本当にありがとう。」
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