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日米開戦(真珠湾攻撃)の日、近衛文麿は「悲惨な敗北」予期 終戦工作の末A級戦犯

2023-03-17 18:06:47 | 日記
日米開戦(真珠湾攻撃)の日、近衛文麿は「悲惨な敗北」予期 終戦工作の末A級戦犯


A級戦犯

揺れる世界 日本の針路更新日:2022.12.08 公開日:2021.12.08真珠湾で日本軍の攻撃を受けて沈むアメリカの戦艦アリゾナ(左)=米海軍提供=と近衛文麿


近衛文麿(1891~1945)。憲政史上、自ら命を絶った唯一の首相だ。

近衛は80年前の12月8日、真珠湾攻撃の戦果に酔う人々を横目に、「えらいことになった。

僕は悲惨な敗北を実感する。こんな有様はせいぜい2、3カ月だろう」と沈痛な表情で周囲に漏らしたという。

近衛は米国との戦争を望まなかったが、戦争に至らしめる様々な過ちを犯した人物でもあった。

なぜ、そうなったのか。近衛が命を絶った場所を訪ね、その人生に現代を生きる政治家の姿を重ね合わせてみた。(牧野愛博)

アメリカに抱いた幻想と読み誤り

11月下旬、近衛研究も手がけた防衛省防衛研究所の庄司潤一郎研究幹事とともに、JR荻窪駅近くにある荻外荘を訪れた。

荻外荘を背景にした防衛研究所の庄司潤一郎研究幹事=牧野愛博撮影

近衛は1937年から1945年までの間をここで過ごした。

日独伊三国同盟締結につながる荻窪会談(1940年7月)や、対米開戦の回避を模索した東条英機陸相らとの荻外荘会談(41年10月)など、日米開戦につながるさまざまな節目の舞台だ。

山本五十六連合艦隊司令長官が1940年9月、対米戦の見通しについて「それは是非やれと云はれれば、初め半歳か1年の間は随分暴れて御覧に入れる。

然しながら、2年3年となれば、全く確信は持てぬ」と近衛に語った場所でもある。

所有者の杉並区は戦後、豊島区に移築された客間と玄関部分を再び戻す準備を進めている。

3年後には全面公開される見通しだ。

私たちが訪れたのは居住棟と別棟の部分。

当時は池だった南側に面した位置に、「とのさまのへや」と呼ばれた書斎があった。

近衛は1945年12月16日早朝、青酸カリを飲んで自殺した。

GHQ(連合国最高司令官総司令部)がA級戦犯として逮捕指令を出した出頭期限の日だった。

近衛文麿が1945年12月16日に自殺した荻外荘の書斎=牧野愛博撮影

近衛は遺書のなかで米国について多くを割いた。

そのうえで、「所謂戦争犯罪人として、米国の法廷に於て、裁判を受けることは堪え難い」と明かした。

庄司氏は「近衛は、米国に多くの幻想を抱いていた。米国は大国だから、生存権に基づく日本の正当な行動を理解してくれるだろうという甘えがあった」と語る。

1941年7月、日本は南部仏印に進駐した。

近衛の楽観的な予想に反し、米国は在米日本資産の凍結と石油の対日全面禁輸で応じた。日米は一気に戦争という危機的状況を迎えた。

近衛文麿

近衛は中国についても見誤った。

1937年7月、第1次近衛内閣の組閣から1カ月後に盧溝橋事件が起きた。
内閣は当初、事態不拡大方針を取ったものの、結局は華北派兵を決定。

戦火が上海に及び、全面戦争へと広がった。

庄司氏は「近衛は、強烈な戦意を示せば、中国は譲歩するだろうという見通しの甘さがあった」と語る。

庄司氏によれば、当時の日本では、西安事件などを受けて、今日の中国は昔の中国とは違い、統一に向かって強化されつつあるといった「中国再認識論」も見られるようになっていた。

しかし、近衛はそのような中国の現状を理解しておらず、蔣介石らの実力を過小評価していたという。

また、盧溝橋事件当時、近衛の取った政策は「近衛の先手論」と呼ばれた。

近衛は「軍人に先手を打って強硬な政策を唱えれば、陸軍の信頼を得ることができる。

そうすれば、政治の主導権は政治家の手に戻り、陸軍を抑えることができる」と考えていたとされる。

近衛は1941年10月の荻外荘会談で、東条英機陸相の説得に失敗し、内閣総辞職に追い込まれた。

庄司氏は、近衛について「その場の空気に流されて、最後まで信念を貫き通せない。思想家や評論家としては、ある程度評価できても、政治家には向いていなかった」と語る。

日本は情勢を読めているか

「国際情勢を見誤る」「決断できない」という当時の日本の過ちは、近衛だけの問題ではなかった。

当時、日本が開戦に傾いた理由の一つに、欧州でのナチス・ドイツの進撃があった。

1941年6月には独ソ戦が始まり、ソ連を仮想敵と考えてきた日本のなかで、開戦論が強まった。

ただ、米政府は1941年11月には、ソ連への武器貸与などの物資援助を決めていた。ソ連が大規模な反攻作戦を始めたのは、真珠湾攻撃の直前だった。

近衛は、行き詰まった日米交渉を打開するために、ルーズベルト米大統領との首脳会談に期待を寄せて尽力したが、結局、米国側が消極的な姿勢に終始して実現しなかった。

庄司氏は、もし日米首脳会談が実現していれば、仮に合意に至らなかったとしても時間稼ぎになり、日米開戦の時期が遅れ、独ソ戦の情勢変化もあって、日本は簡単に開戦できない状況になっていた可能性があると指摘する。

日本外務省の元高官は「陸続きで戦争を繰り返してきた国と比べ、日本はどうしても国際情勢を把握する力が劣る。

中国との間で緊張が高まっている現代に置き換えてみても、グローバリゼーションが進んだ世の中で経済制裁を加えることの限界や、中国自身が持つ巨大な経済力への洞察がきちんとできているだろうか」と語る。

日本の安全保障政策は憲法問題や財政の問題からなかなか進まない。同時に中国との外交も、中国を猛烈に批判する強硬論者の声に押され、こちらも進展がみられない。

「この戦争は負ける。どう負けるかだ」

12月8日午前6時、米英との戦争開始を告げる大本営発表が行われた。

午前7時、ラジオの臨時ニュースで放送されたが「大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。

帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」と告げるだけで、具体的な場所も戦果も伝えられていなかった。

1941年12月7日(日本時間8日)、真珠湾(パールハーバー)で日本軍の攻撃を受け、黒煙を上げて沈む戦艦アリゾナ=米海軍提供

庄司氏によれば、この時点では市民は戦争を告げる報道に緊張し、状態を見極めようとする空気が強かった。

むしろ、知識人は歓喜して迎えた。

例えば、同年詩集「智恵子抄」を刊行した詩人の高村光太郎は12月8日、「頭の中が透きとおるような気がした。世界は一新せられた。時代はたった今大きく区切られた新しい時代の到来だ」と記していた。

庄司氏は「泥沼に陥っていた同じアジア民族の中国との戦争の意味について苦悩していただけに、英米との戦争には大義があるという考え方だった」と語る。

その後、8日昼前後から、ハワイやマレー半島、香港、グアムという地名が伝えられ始め、午後には「大戦果」という報道が流れる。国民は狂喜した。

朝日新聞は12月9日付夕刊(12月8日夕発行)の1面に「帝国の対米英宣戦」と題した社説を掲載し、「宣戦とともに、早くも刻々として戦捷を聞く。まことに快心の極みである。――いまや皇国の隆替を決する秋、一億国民が一切を国家の難に捧ぐべき日は来たのである」と述べていた。

近衛は望まなかった対米戦争が始まったことから、真珠湾攻撃を冷めた目で眺めていた。

開戦直前に首相職を辞した自分を「臆病者」「卑怯者」と呼ぶ政界やメディアに対し、「やはりこのまま勝つと信じているのですかな。来年(1943年)の年賀式には何と僕に挨拶することだろう」と反論した。

また12月8日、真珠湾攻撃の当日、「この戦争は負ける。

どうやって負けるか、お前はこれから研究しろ、それを研究するのが政治家の務めだ」と、側近に語っていた。

翌1942年1月、近衛は木戸幸一内大臣に、戦争終結の時期を早急に検討すべきであると強調した。

木戸は、2月5日天皇に拝謁、「大東亜戦争は容易に終結せざるべく、一日も早く機会を捉へて平和を招来することが必要」と上奏している。

近衛は1943年夏ごろから、積極的に終戦工作に乗り出す。1945年2月には天皇に宛てた近衛上奏文で、一日も早い戦争終結を訴えた。

庄司氏は「五摂家の筆頭として、天皇制を守りたい意識が働いたのだろう。東条内閣の打倒や終戦に、近衛が果たした役割は大きい」と語る。

そして、近衛は終戦後の1945年9、10の両月、マッカーサー連合国最高司令官と面会した。

マッカーサーは近衛に対し、憲法改正の必要性に言及。近衛は天皇の了承を得て、憲法改正作業に着手した。

だが、同年10月ごろから、近衛の戦争責任を問う論調が新聞報道で散見されるようになり、近衛に対する批判は国内外に波及していった。

GHQもこうした流れを受け、近衛をA級戦犯として逮捕する方針に変わった。

庄司氏は「近衛は、最後の瞬間まで米国に一縷の望みを抱いていた。戦犯指名は信じていた米国に裏切られたという思いも大きかっただろう」と話す。

検視のために荻外荘を訪れた米軍将校が、近衛の遺体を睥睨した写真が残されている。

近衛は遺書にこう書き残していた。

「僕の志は知る人ぞ知る。僕は米国に於てさへ、そこに多少の知己が存することを確信する」

近衛文麿の自殺後、荻外荘に土足で上がり込んで警戒する米兵=1945年12月16日

先の戦争をどう呼ぶか

庄司氏によれば、日本の学界では戦後80年近く経った今も、先の戦争をどう呼ぶかについて論争が続いている。

一部の専門家は、近代以降の日本の大陸政策の帰結として米国との戦争に至ったとその連続性・一貫性を強調する立場から、一連の戦争を「アジア太平洋戦争」と呼び、近年、「太平洋戦争」という名前に代わって普及しつつある。

一方、近衛文麿のように、中国での戦争を支持する一方、対米戦争の回避に動いた政治家らもいた。

対米戦までにはいくつかの岐路・選択肢があり、そのいずれかを選ぶことによって開戦に至ったとして、連続性を批判する見方もある。

また、「アジア・太平洋戦争」とする場合、戦争がいつ始まったかについて、満州事変、盧溝橋事件、真珠湾攻撃など諸説がある。

表記もアジアと太平洋の間に・を挿入するか否か統一されていないなど、歴史用語として問題点を抱えているという。

庄司氏は「戦争の実態など総合的に勘案して、1941年12月8日に始まった戦争を、原点に戻って『大東亜戦争』と称することも、戦争肯定という意味合いではなく、一定の妥当性を有しているのではないだろうか。

いずれにしても第2次世界大戦中の戦争の名称が決着していないのは日本くらいだ。戦争をどのように認識するのか、依然、論争が続いているという証拠だろう」と語った。

牧野愛博朝日新聞記者、広島大学客員教授

メールがないテレックスの時代、外航海運の会社で働いていました。記者になってからも、世界をのぞく仕事ができて幸せです。

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「民間企業」と「公務員」の平均年収はどれくらい違う?

2023-03-17 17:42:37 | 日記
「民間企業」と「公務員」の平均年収はどれくらい違う?

1/12(木) 8:40配信

「民間企業」と「公務員」の平均年収はどれくらい違う?

就職・転職の志願者の中には「民間企業に勤めるか、それとも公務員になるべきか」という二択で悩んでいる人もいるでしょう。

どうせなら「年収が多い方に勤めたい」と考えることもあるかもしれません。 

本記事では、民間の平均年収と公務員の平均年収がどれぐらい違うのか、公的な統計資料などを基礎にして比較してみました。

国家公務員の平均年収


国家公務員には、中央省庁に勤務している一般行政職員の他、自衛官、海上保安官、入国警備官、刑務官、航空管制官、国立施設の職員などを含んでいて、2022年4月時点で25万3401人がいます。 

人事院給与局が取りまとめた「国家公務員給与等実態調査」によれば、2022年4月時点で全体の平均月収は約41万3000円です。

この平均給与には、基本給(俸給)と地域手当、扶養手当、住居手当などの諸手当の他、俸給の特別調整額も含まれています。

 また、2022年夏のボーナス(期末・勤勉手当)は平均で約58万4800円、同じく冬のボーナスは約65万1100円との報道があります。

これらを足して平均月収を12倍した額を加えた平均年収の概算は約619万1900円となります。

地方公務員の平均年収


地方公務員には、都道府県庁や市区役所・町村役場に勤務している一般行政職員の他、公立学校の教師、警視庁・道府県警の警察官、各地方の税務署職員、地域の公立施設の医師、看護師、保健所職員、公営のバス運転手などが含まれます。 

総務省が取りまとめた「地方公務員給与実態調査結果」によれば、2021年4月時点において全国に280万2762人います。

そして、平均月間給与は約41万3400円です。この平均給与には、基本給と地域手当、扶養手当、住居手当などの諸手当も含まれています。

 もっとも、地方公務員の給与は地域ごとの条例で定められているため、地域差が大きく、職種によっても大きく異なる点には注意してください。

 ボーナス(期末・勤勉手当)に関しては2020年のデータが最新となっています。


「総務省令和2年地方公共団体別給与等の比較」によれば、全国年間平均で約171万3300円でした。

こちらもあくまで目安ですが、平均月間給与を12倍してボーナス額を加えると、地方公務員の平均年収は約667万4100円が概算値です。

民間企業の平均年収

民間企業の平均年収について算出するには、国税庁がまとめている「令和3年分民間給与実態統計調査」が、まず参考になります。 

対象となっている給与所得者は2021年時点で約5269万9000人です。

そのうち、正社員以外(いわゆる非正規雇用者)は約1271万5000人です。

2021年の平均年間給与は約376万7000円で、平均賞与は約66万6000円であるため、平均年収は約443万3000円となります。

 ただし、女性に限った場合の平均年収は約302万円で、一般にボーナスが出ない非正規雇用者に限定した平均年収は約197万6000円にとどまるなど、民間企業内での格差も無視できないほど広がっています。

公務員の待遇は一般にいいといえるが、民間企業との単純比較は難しい

民間企業と比較しても、公務員の年収は一般に高く、平均値を取れば国家公務員より地方公務員の方が年収は上回るとの結果になりました。

とはいえ、地方公務員の中でも地域ごと、職種ごとの差が大きいですし、民間でも大企業の中には、公務員の平均を大きく上回る年収を得られるところもあります。

 よって「公務員対民間」という単純比較だけでは実態が見えにくいでしょう。

民間企業では特に、女性社員や非正規雇用者に対する待遇が低水準にとどまっている点にも注目しなければなりません。 

出典 人事院給与局 令和4年 国家公務員給与等実態調査 総務省 令和3年4月1日地方公務員給与実態調査結果 総務省 令和2年地方公共団体別給与等の比較 国税庁 令和3年分民間給与実態統計調査 執

筆者:FINANCIAL FIELD編集部
ファイナンシャルフィールド編集部

韓国のGDPが「20年で約4倍」になったワケを探ると見えてくる!日本経済停滞の理由と復活のカギ

2023-03-17 12:07:39 | 日記
韓国のGDPが「20年で約4倍」になったワケを探ると見えてくる!日本経済停滞の理由と復活のカギ

3/17(金) 11:16配信


高校での投資教育が必須になるなど、経済に対する教育への関心が高まっています。

そこで本連載では、専門的な知見を生かし、経済に関するニュースをわかりやすく解説することで人気を博している経済キャスターのDJ Nobby氏が、著書である『実は大人も知らないことだらけ 経済がわかれば最強!』(KADOKAWA)から、日本と世界の経済について解説します。

実は中国より成長している⁉韓国経済の歴史と現状



中国の急激な経済成長の影に隠れがちですが、実は韓国も急激な成長を遂げた国のひとつです。

GDPだけでなく、賃金も順調に上昇。着実に経済成長を進めています。

 近年はK-POPなどの文化芸術分野でもめざましい世界進出を遂げています。

読者の皆様にも韓国のアイドルやドラマ、映画などのファンが多くいらっしゃると思います。

 私の世代の日本人から見ると、韓国文化の受け入れられ方がこの20年ほどで大きく変化しており、韓国の発展には驚かされます。

日韓を比較して見えてくる、過去20年の経済成長



韓国は、この20年ほどで一人当たりGDPがおよそ4倍になっています。

2000年と2020年を比べると、3.85倍に成長。

その間、日本はわずか3%しか成長していません。 ただ、これは名目GDPであり、物価上昇率は加味されていない数字です。

 そのため、「4倍モノを買えるようになった」わけではありません。それでもこの成長率は凄いと言わざるを得ないでしょう。

知っておきたい、韓国と日本の経済政策の違い


日本と韓国の経済政策にどんな違いがあるのでしょうか。

 ◆日本の政策 2000年以降日本は、「円安誘導」を行いました。

円安が進むと、ドル建てでは同じ売上げだったとしても日本円に換算すると利益が増えます。

輸出企業の利益が増えたことで株価も上昇、良い循環が生まれたかに見えました。

 ただ、円安になるということは原材料の価格が上がるということ。

だからといって、日本国内の景気は悪いため、価格を上げることはできません。

 利益が圧迫され、新たな投資が行いにくくなったことで、技術革新が停滞する羽目になりました。

また、企業が円安効果に依存してしまったことでも、日本の競争力を低下させることになりました。

 ◆韓国の政策 一方の韓国政府はもともと輸出に依存する割合が高かったことから、韓国は技術革新を進めることを選びます。

 2000年ごろには日本の半分ほどしかなかった輸出額は2008年ごろに日本とほぼ同じにまで拡大、同時に貿易黒字も増大、これがGDPの成長に大きく寄与したと考えられます。

韓国の経済成長は、戦後から始まった
韓国の経済成長を示す「漢江(ハンガン)の奇跡」という言葉があります。

これは、朝鮮戦争で壊滅的被害を被った韓国が急速に復興し、経済成長と民主化を達成させた現象を示す言葉。

漢江とは、ソウルに流れている川のことです。 1960年代まで、韓国は世界最貧国の1つでした。

隣国である北朝鮮よりも貧しかったと言われています。

GDPベースで見ても、北朝鮮を追い抜いたのは1960年代後半でした。

 戦後、韓国が成長した背景にあるのが、朴正煕大統領による経済政策。

朴正煕大統領は「五か年計画」をつくり、外貨を積極的に獲得する方針を取ります。

 キーになるのが、1955年に起きたベトナム戦争。

アメリカとともに戦うことで、韓国にはアメリカのドル資金が大量に流入しました。 

アメリカと良好な関係を築き、国内に米軍基地を置き、文化を受け入れ、援助を受けるなど韓国発展の裏に、アメリカの存在は大きいと考えられます。

 また、日本も1960年代から日韓基本条約を契機として「円借款」(低い金利で長期に資金を貸付けること)と技術援助を行いました。

 アメリカや日本など他国から提供された資金や技術を基に韓国企業は発展、サムスン、ヒュンダイ、LG、ロッテなどの巨大財閥に成長しました。

同時に社会インフラの充実も図られ、1998年のアジア通貨危機に至るまで、極めて高い経済成長を遂げました。

 韓国は、たった30年ほどで世界最貧国からオリンピックが開催される国にまで成長できたのです。

 実は韓国も、1990年代末のアジア通貨危機で一時的な落ち込みを経験しました。

しかし、その後はリーマン・ショックにも負けずに成長を継続。

そして2021年7月には国連貿易開発会議が韓国の地位を発展途上国から変更する案を可決。

韓国はついに先進国入りを果たしました。

 【Nobby‘s point】アジア最先端の技術国はもはや韓国? 製品の品質が上がったことで、韓国製品を“見る目”は大きく変化しました。

 1990年代までは日本のハイテク製品は世界最先端で、次々と革新的な商品を世に送り出していました。

ただ、円安誘導が行われ始めると安売りで輸出を増やして利益を上げる構造に変化。 

その間にサムスンをはじめとした韓国企業は技術開発に取り組んで、アジアの最先端国の座を手に入れるまでになりました。

 成長著しい半導体や液晶パネルなどの分野で着実に利益を出し、その利益をさらに投資に回すという好循環ができあがっているのです。

韓国経済が抱える課題とは?

順調に見える韓国経済ですが、もちろん課題も抱えています。「貿易」・「少子高齢化」・「非正規労働者」・「産業」という4つのキーワードから見てみましょう。 

◆貿易 韓国は、中国との経済的な繋がりが深い国です。

輸出ランキングを見ると、中国のシェアが全体の24%。

輸出の4分の1を中国に依存しています。

 一方、アメリカは12%、日本は4.7%。経済の大きな部分を輸出に頼っている韓国にとっては、中国の浮沈が経済の命運を握っていると言えます。 

中国に輸出している品目として多いのは、化学工業製品・機械類。輸出の4割が半導体や電子部品です。

一方資源の輸出は少ないので、ハイテク製品に支えられているという現状があります。

 ◆少子高齢化 中国や日本と同様、韓国でも少子高齢化により人口バランスの崩れが起きています。

韓国の高齢者の割合は2024年頃に19.2%とOECDの平均を上回り、2045年には37%と日本を上回るという予想もあります。

 特に問題視されているのが、高齢層の所得格差が大きいこと。

韓国で国民年金制度が本格導入されたのは、1988年以降。

 そのため、実際に年金給付を受けられる人が少ない現状があるのです。

現在65歳以上で老齢年金を受給している人の割合は65%ほどにとどまり、さらに平均額は月6~7万円程度。

年金のみで生活を維持することは困難です。

 公的年金の給付が行きわたらない現状において、多くの高齢者が就労を続けています。

また物価や教育コストの上昇などで現役世代の生活も楽ではなく、親類からの援助を得ることも難しくなりつつあります。

 日本以上に高齢化が進行すると見込まれている韓国。社会保障政策について、大きな転換を迫られていると言えるでしょう。

 ◆非正規労働者 韓国は、非正規労働者が多い国です。

世界的に見ても高い比率で、全体の約33%が非正規労働者。 

韓国映画などでもよく描かれる通り、国内の格差問題は深刻で、収入の少ない非正規労働者が多いことは社会の不安定要因になりかねません。

また、収入の少ない層は結婚や出産にも消極的であることが多く、少子高齢化が加速する要因になると考えられます。

 ◆産業 韓国はハイテク産業が世界レベルに達している一方、重工業の技術レベルはまだ弱いと言われています。

 特に自動車産業が弱く、国外への輸出も少ない現状。

現代(ヒュンダイ)や起亜(キア)といったメーカーはありますが、日本やアメリカのメーカーに比べると存在感は薄いと言えます。

 今後電気自動車へのシフトが進むなかで立ち位置が変わってくる可能性もあり、一大成長分野と捉えることもできそうです。

 【Nobby‘s point】少子高齢化で、韓国の防衛が危ない!?

 韓国は徴兵制度のある国です。 しかし少子高齢化により、戦闘要員の確保が難しくなる可能性が取り沙汰されています。

北朝鮮との戦闘が行われたとしても、アメリカ軍の援助を前提としなければ防衛がままならない可能性もあります。

 経済発展するということは、より高度な防衛体制が求められるということ。

これからの政権にはハイレベルな国際協調の手腕も求められます

日本が学ぶべき韓国経済発展


韓国が飛躍的に経済成長を遂げる一方で、日本は停滞が続いています。

我々は韓国からなにを学べるでしょうか。

技術革新のあり方という視点で、考えてみたいと思います。

 これは私個人の考えですが、日本メーカーの目指す品質が高過ぎることが日本の課題ではないかと思います。

日本のメーカーが作る製品が高品質であることは疑いようのない事実で、それは非常に大きな付加価値であると言えます。

 一方で、高い品質を目指し過ぎると、開発期間が長くなってしまったり、製造コストが高止まりしてしまうという弱点にも繋がってしまいます。

 韓国や中国のメーカーは開発スピードを優先して、どんどん新しい技術を投入し、現金化するというサイクルを確立しています。

 まだ未熟な段階の製品でも市場に投入し、次の製品を作るための研究開発費を調達する。

これを繰り返すことが高品質で低価格な製品をつくることに繋がります。

 韓国のようなアジャイル(素早い)開発でサイクルを回し、開発・回収・投資・開発などを短期的に行うことが、結果、長期的な成長に繋がるのではと思っています。

 DJ Nobby 経済キャスター、金融コメンテーター、ラジオDJ