日本と世界

世界の中の日本

河野氏、外相会談で中国に反転攻勢の背景 苦しい外貨不足、『日本なら外貨を取りやすい』と歩み寄り

2018-01-30 18:31:21 | 日記
河野氏、外相会談で中国に反転攻勢の背景 苦しい外貨不足、『日本なら外貨を取りやすい』と歩み寄り

夕刊フジ

2018.1.30

安倍晋三政権が、中国への外交攻勢を強めている。

28日の日中外相会談では、中国の原子力潜水艦が今月中旬、沖縄県・尖閣諸島の接続水域を潜航したことに、河野太郎外相が強く抗議した。

いつもなら猛反発するはずの中国だが、逆に日中友好強化を進める方針を確認した。

中国の不可解な変化には、外交的に「八方塞がり」となっていることに加え、経済的に外貨不足に陥り、日本への接近を強めているとの見方が浮上している。

 「日中関係改善を阻害しかねない事態を引き起こすべきではない」

 河野氏は28日、北京の釣魚台迎賓館で中国の王毅外相と会談した際、中国潜水艦による暴挙について厳重抗議した。

 通常ならば、日本に猛反発してくる中国だが、この日は違った。

 王氏は、尖閣諸島が中国の領土だとする見解を示しながらも、両外相は、東シナ海での偶発的衝突を防ぐ「海空連絡メカニズム」の早期運用開始に向け努力することを確認したのだ。

 不自然だったのは王氏だけではない。

 チャイナセブン(共産党中央政治局常務委員)ナンバー2である李克強首相も「中日関係は改善の勢いが表れ始めているが、寒いところも残っている。

平和友好条約締約40周年を、真に中日関係が正常発展の軌道に向かうチャンスにしなければならない」と、河野氏との会談で語った。

 対日強硬路線を維持してきた「中華外交」は影を潜め、中国の融和姿勢が目立った。

背景には、米国やインド、北朝鮮など、中国外交が「見かけ以上に四苦八苦している」(北京の外交筋)現状があるとの見方がある。

 中国が最重要視する対米関係では、米国防総省が今月、「国家防衛戦略」を発表し、中国を「現状変更勢力」と位置づけた。

17日には、南シナ海のスカボロー礁(中国名・黄岩島)の近接海域で、ドナルド・トランプ米政権が「航行の自由」作戦を実施した。

米国が対中戦略を転換した一環として受け止められている。

 朝鮮半島でも、中国の優位性は失われつつある。

 金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長率いる北朝鮮は保護者的存在である中国を無視するかのように、「核・ミサイル開発」に邁進(まいしん)している。

 中国に接近しているかのように見える文在寅(ムン・ジェイン)大統領の韓国も、米国の顔色も伺う玉虫色の外交でどっちつかずだ。

 歴史的に国境をめぐって摩擦の続く大国・インドとの関係も好転していない。

インド、中国、ブータンの国境付近のドクラム地区では昨年6月、中国軍が道路建設に着手したことを契機に中印両軍のにらみ合いが発生し、1962年の国境紛争以来、「軍事衝突の恐れが最も高まった」とも指摘されている。


 中国が経済的苦境から、日本に接近してきたという見方もある。

 国際政治学者の藤井厳喜氏は「中国経済は現在、外貨不足に苦しんでおり、特に米ドルが厳しい。

このため、外国企業の中に共産党の支部を作って介入し、日本企業が中国でもうけても窓口規制で送金させないという現象も起きている。

『日本なら外貨を取りやすい』とみて、歩み寄りを見せているのではないか」と指摘する。

 前出の王氏は日中外相会談で、安倍首相の訪中、習近平国家主席の来日についても、「着実に進めていくことの重要性」を改めて確認したが、見せかけの友好ムード演出に過ぎない可能性もある。

 日本は今後、中国にだまされないため、何をしていくべきなのか。

 藤井氏は「中国に一時的なおべっかを使っても、真の友好関係は築けない。

自国の政治・外交方針を明確に示すべきだ。

(中国潜水艦や艦船の侵入を阻止するため)尖閣諸島に自衛隊を置いた方がいい。

それができないなら海上保安庁の常駐施設でもいい。世界に対して、『尖閣は日本の領土である』というアピールになる。

中国が反発してくるなら、それは日中友好ではない」と話している。



中国のチキンレース 公的債務がGDPの3倍存在する

2018-01-30 18:09:00 | 日記
世界のニュース トトメス5世

2018年01月30日07:00


中国のチキンレース 公的債務がGDPの3倍存在する

増え続ける公共投資と公的債務、下がり続ける成長率

AS20180119000362_comm

引用:朝日新聞https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180119000362_comm.jpg


中国支持者が避ける問題

中国を支持する人達は「中国は大国になった。もう現実を認めて中国が作った世界を受け入れよう」という主張を展開している。

尖閣や南シナ海問題でも日本は「わがまま」をやめて新しい指導者に従うべきだ、とのたまっている。

彼らが言いたがるのは経済成長率やGDP、周辺国との取引金額などで、逆に言いたがらないのは借金の事です。

お金には2種類あり、ひとつはプラスの資産でもうひとつがマイナスの資産、借金であり両方を見る必要があります。

中国のGDPは2016年で11.2兆ドル(約1200兆円)で成長率6.7%、2017年はさらに6.9%だったと発表されています。

世界最高の高度成長を続けているのだが、成長率の5倍の速さで借金が増えているとしたらどうだろうか。

中国の投資効率(国が使った金額に対する経済成長率)はオマケしても20%程度であり、国が使った金額の5分の1しか成長していません。

中国は2017年に1200兆円の6.9%(=約83兆円)成長したので、83兆円の5倍の414兆円もの投資を行ったとみられます。

因みに中国の投資の大半は国や地方政府のお金で民間投資は非常に少ないです。


政府による投資(公的固定資本形成)はほぼ公共事業、公共投資と考えてよく、日本では6兆円程度に過ぎません。

それが中国では400兆円あり、税金として返って来るのはおそらく、2割程度しかないでしょう。

こんなに投資効率が悪い理由は、中国はすでに土木工事で経済成長する経済段階を終え、消費型社会になっているからです。

成長と借金のチキンレース

にも関わらず政府は「土木工事と不動産開発で経済成長する」考えに凝り固まっていて、やめる事ができません。

日本でもバブル崩壊後の1990年代に大規模公共事業で経済成長しようとしたが、それが10倍の規模で長期間継続されています。

気になるのはこれだけの公共事業をした借金で、毎年200兆円とか300兆円のペースで増えているはずです。

欧米の経済メディアの推測では、2015年から2016年に中国の公的債務はGDP比250%程度、2500兆円から3000兆円だったと指摘されています。

どう考えても現在は3500兆円以上に増えている訳で、2018年はGDP比300%という答えが出てきます。

IMF国際通貨基金は中国からワイロを貰って20年以上も成長率などを誤魔化してきたが、2017年はついに、経済成長目標を廃止するよう警告しました。

経済成長の5倍の速度で債務が増え続けているのだから、債務の膨張を止めるには経済成長を止める必要があります。

中国経済は借金で支えられているので、実際には債務膨張を止めたらマイナス成長になるでしょう。

共産党幹部は経済崩壊につながる財政健全化を決してやらず、債務をひた隠ししています。


おかしいのは「日本の財政は破綻している」と言う『財政健全派』の日本人ほど中国の財政には無関心で、債務を見ないようにしている事です。

中国政府が発表している財政状況は常に健全で借金は存在しないのだが、それが本当なら年間数百兆円の公共事業費はどこから出てどこに消えたのでしょうか。

しかも中国の公的債務がGDP比300%というのは中国が発表するGDPが正しい場合で、実際には何割か「水増し」しているのは常識となっています。
.

韓国、「危機リスク」先行指数低下が暗示「家計債務に時限爆弾」

2018-01-29 13:36:27 | 日記
勝又壽良の経済時評

日々、内外のニュースに接していると、いろいろの感想や疑問が湧きます。それらについて、私なりの答えを探すべく、このブログを開きます。私は経済記者を30年、大学教授を16年勤めました。第一線記者と研究者の経験を生かし、内外の経済情報を立体的に分析します。



2018-01-29 05:00:00

韓国、「危機リスク」先行指数低下が暗示「家計債務に時限爆弾」

消え去った景気の上昇力

3回目の経済危機接近?


韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、平昌五輪で南北合同チームが編成できると得意満面である。

一方、国内では南北合同入場へ反発が大きい。文氏の浮ついたムードに、冷水を浴びせかねない、「景気の暗雲」が近づいている。

韓国景気に関する景気のOECD先行指数と、韓国統計庁が独自に算出している景気先行指数が、いずれも低下し始めているからだ。

この両先行指数の低下は、韓国景気が18年後半から落ち込むシグナルである。


平昌五輪で国民の不信を買い、さらに景気が落ち込む事態になると、文政権の支持率に悪影響の出るのは不可避。6月には地方選挙が行なわれる。文氏にとって、これから神経の休まらない季節が始まる。

私は、昨年12月8日のブログで、「韓国経済、『屋台骨揺らぐ』半導体市況に異変『来年前半が岐路』」と題する記事を書いた。どうやら、韓国景気はその方向に歩んでいるようだ。この記事では、半導体市況の下落と韓国企業の業況判断が悪化している事実を挙げておいた。要点は、以下の3点である。



① 景気の先行指数の循環変動値が、8月以降、101.8、101.6、101.3と下落。

② 製造業の平均稼働率が、8月から3カ月連続で低下。

③ 建設受注が、9月から2カ月連続で減少している。

これらデータの悪化は、韓国経済の先行きを占う上で、極めて無視できない悪材料になってきたと、指摘したのだ。


韓国景気の現状は、前記のような下降線上に接近しつつあることを確認させるものだ。


消え去った景気上昇力

『韓国経済新聞』(1月22日付)は、「OECD景気先行指数、38カ月ぶり100を下回る」と題する記事を掲載した。


景気循環では、先行・一致・遅行の3指標がシグナル役を果たしてくれる。経済は、必ず「山あり谷あり」で循環を繰り返えすものだから、いち早く「先行指数」の動きに注意を払えば、その6ヶ月後くらいに「一致指数」(景気の現状)へ反映することを把握可能だ。

その後、時間を置いて「遅行指数」に影響が出るというサイクルを描く。この、景気変動の循環性に着目すれば、景気予測が外れることは減るはずだ。


この記事では、OECDの観測している「一致指数」と韓国統計庁が発表する「一致指数」の二つが、同時にピークをつけて下降状態にあると指摘している。

この状態になれば、韓国景気が今年上半期中にピークをつけることは不可避と見られる。文大統領の願望を無視して、景気の実態はダウンするのだ。

韓国政府が、この状況を正しく理解すれば、まだ対策を打てる時間はある。労働市場の改革など行い、労働市場の流動化を促進する。あるいは、最低賃金の引上げ幅を圧縮するなどの緊急対応も俎上に上がろう。問題は、韓国政府にそれを行なう勇気があるかいなかである。


(1)「今年の韓国経済に対して楽観的な展望が相次ぐ中で、経済協力開発機構(OECD)で景気下降が予想される指標が発表された。

韓国統計庁が発表した景気先行指数も3カ月連続で下落し、景気回復に『警告』の信号が灯ったのではないかという懸念の声が出ている。

OECDによると、韓国の昨年11月基準の景気先行指数(CLI)は99.9となった。OECD景気先行指数は6~9カ月後の景気の流れを予測する指標だ。100を基準としてそれを上回ると景気拡大局面、下回ると景気後退局面と解釈する」


今年の韓国経済について、楽観論を流してきたのは文政権である。私は、逆に警戒論に立ってきた。文政権の経済政策が、全てあべこべであるからだ。企業への規制を強め、大企業への法人税を引上げるという中で、経済活動が活発化するなど期待できるはずがない。


OECD先行指数は、昨年11月に基準値の100を割った。韓国統計庁の先行指数は、昨年9月から連続して低下している。こうなると、韓国景気がタイムラグを置いて、一致指数の下降は不可避となった。二つの先行指数が同時に下降状態にあることは、指数特有の「ダマシ現象」とは言えない。


前述の通り、韓国ではこの先行指数の下降を重視していない。驚くほど鈍感である。警戒警報のサイレンが鳴っていることに気づかないとすれば、韓国政府は相当の「景気音痴」と酷評されても致し方ない。

(2)「韓国のOECD景気先行指数は、2011年7月(99.7)から2014年10月(100.0)まで3年以上100を超えていない。

そうするうちに2014年11月100.2で100を上回った後、着実に100以上を維持してきた。特に、昨年2月から3カ月間100.8となり、最も高い水準を維持したが、その後下降して昨年11月100を下回った」


先行指数は、景気の方向性を示すだけである。景気の厚み(成長率の高さ)を表示するものではないことに留意したい。

この前提で、OECDの景気先行指数を見ると、2014年11月から昨年10月まで100(基準値、好不況の分岐点)を上回っていた。

確かに、現実のGDPもそれを示唆している。だが、昨年11月に100を割った。一方、後のパラグラフで示されているように、韓国統計庁の景気先行指数は、昨年9月から100を割っているのだ。景気の一致指数が下降局面に入るのは時間の問題であろう。


(3)「韓国統計庁の先行指数は、昨年9月以降3カ月連続で下落した。統計庁は景気後退局面を予告すると解釈するのは時期尚早の判断だと明らかにした。

だが、専門家たちは半導体など一部業種の輸出好調に力づけられた景気好転がいつまで続くか確信することが難しい中で、内需消費増加が本格化しなければ今年上半期を頂点に景気が下り坂に入る可能性もあるという懸念の声も出ている」

昨年9月以降、韓国統計庁の先行指数が100を割っている事実を軽視してはならない。これは、「ダマシ現象」とは言えず、景気の下降は確定的と見るほかない。景気の楽観論は、政府が無策の言い訳に使っているとしか思えない。景気は「勢い」である。

いったん、「勢い」を失ってしまうと、後はダラダラと下落するものである。最近の韓国の失業率増加は、景気に「勢い」を失い始めている兆候と見るべきだろう。


すでに、韓国景気は「失速」を予測させる局面にさしかかっている。これに、駄目押しをするのが、各国での金利上昇である。これが、韓国へ波及すれば、家計債務の重圧に悩む韓国経済へのショックは相当なものになろう。


3回目の経済危機接近?

『韓国経済新聞』(1月22日付)は、「各国の国債金利が急騰、韓国の家計負債が爆弾になるか」と題するコラムを掲載した。筆者は、ハン・サンチュン客員論説委員である。


この記事は、かなり専門的である。私のコメントだけでも読んでいただきたい。

要約すると、韓国は、世界の「家計負債7大脆弱国」に分類されていること。また、韓国の負債返済能力を示す元利金償還負担率は7大脆弱国で最も高い、という事実である。

これは、韓国経済が重大な欠陥を抱えていることを示している。「3回目の経済危機」に陥る危険性が極めて高いと言い換えても良い。
(4)「各国の国債金利が急騰している。今年に入り米国債10年物金利は25bp(1bp=0.01ポイント)急騰した。

同じ期間にドイツと日本の国債金利もそれぞれ8bpと3bp上がった。各国は慌てている。

世界の負債が、開いた口が塞がらないほど途轍もなく増えたためだ。今年初めに国際金融協会(IIF)が発表した『グローバル負債観察報告書』によると、昨年9月末基準で世界の負債は233兆ドルに達することが明らかになった。世界の人口を76億人と仮定するならば1人当たり3万ドルに達する大きい規模だ」


長いこと、長期金利が低迷していたが、最近にわかに急騰に転じている。

米国の法人税率が、今年から21%に引下げられた結果、当面の財政赤字拡大によって国債増発が見込まれるためである。

昨年9月末で世界の負債は233兆ドルにも上がっている。世界人口1人当たり、3万ドルにも達する計算だ。世界経済は、危険な状態に入りかけていることを忘れてはならない。


(5)「世界の負債はさらに増えると予想される。各国の景気が回復しても負債償還能力が大きく改善されないためだ。

特に韓国のように銀行の利己主義まで重なり、政策金利と市場金利よりも貸出金利が速く上がる国では、国債金利上昇を契機に負債がまた別の負債を呼ぶ

『らせん形悪循環局面』に陥る可能性が高い。

世界の負債が過度に多くなれば最も懸念される逆効果は『通貨政策伝達経路(通貨供給→金利下落→総需要増加→景気浮揚)』がまともに作動しなくなることだ。その結果、金融と実体が別々に動く『二分法経済』に置かれ金融緩和をしても金融圏だけで回る現象が発生する」

世界の負債は、今後も増える見込みである。韓国の銀行は、利ざや確保が最優先の経営スタイルを貫いている。

これは政府が、銀行経営に規制を加えて、手数料を得られるビジネスを縛っていることにほかならない。

韓国の経済システム評価で、銀行が70位台にある理由は、政府の規制が厳しいことの反映である。

こうして、韓国は国債金利=長期金利の上昇が、貸出金利全般に波及する時間が極めて短い特質を与えられている。このパラグラフでは、これを「らせん形悪循環局面」と呼んでいる。貸出金利上昇が、新たな債務をつくるという意味でもある。


世界の負債が過度に多くなれば、逆に金融緩和効果が損なわれる事態になる。

金融緩和が実体経済を刺激しなくなり、金融だけが空回りする局面に移行する。世界経済は、こういうリスクに直面している。

このリスクを防ぐには、どこかで負債増加を断ち切る政策が求められる。

その意味で、米欧の通貨当局が金融引締めを旗印にすることは合理的判断である。よって、金利引き上げは避けられない。こうした前提に立って、韓国の家計負債問題を捉えなければならない。


(6)「韓国のような新興国の国債金利も上昇している。上昇速度で見るならば金融危機以降で最も速い。

韓国は家計負債7大脆弱国に分類されている。国際決済銀行(BIS)が家計負債の健全性を評価する信用ギャップ(GDP比家計負債比率がホドリック・プレスコット・フィルターで求めた長期傾向から抜け出した程度)が3.1ポイントで注意(2ポイント未満が普通、2~10ポイントが注意、10ポイント以上が警告)段階だ」


韓国は、世界の「家計負債7大脆弱国」に数えられている。これは、家計債務の対GDP比の高さが尺度になっている。問題は、その家計債務の対GDP比が、一定期間に急速に上がっていることだ。実は、韓国が急速に上がっている最大国である。家計債務の圧力が大きくなれば、家計破産が起こるのだ。

(7)「韓国の負債返済能力を示す元利金償還負担率は7大脆弱国で最も高い。低所得層であるほど深刻だ。

家計負債が多く低所得層であるほど負債償還能力が落ちる環境で国債金利上昇を契機に貸出金利がさらに上がれば貧富の格差が拡大する。相対所得仮説によると低所得層は高所得層より消費性向が高いので景気まで鈍化する懸念が高い」

韓国の可処分所得に対する元利金償還負担率は、7大脆弱国で最も高いという不名誉な事実がある。これは、低所得層であるほど深刻な事態になる。

今後に予想される長期金利上昇が、低所得層に与える影響は大きい。こうして家計債務の対GDP比の増加は、金利上昇によって一段と家計を圧迫し、消費を切り詰めさせるはずだ。韓国の経済成長率は鈍化必至である。


韓国景気の先行指数が、すでに反転している現実から逃れられない。その上、世界の長期金利上昇基調がもたらす影響によって、韓国が「家計負債7大脆弱国」のトップゆえに、浅からぬ傷を受けるであろう。本日のブログは、こういう結論になった。



(2018年1月29日)

<帝国の慰安婦ー植民地支配と記憶の闘い>要約

2018-01-28 18:14:26 | 日記
<帝国の慰安婦ー植民地支配と記憶の闘い>要約

日本版の慰安婦問題をどのように考えるべきなのかー秦郁彦・吉見議論(2013・6)を踏まえて(2013・7・15、明治学院大学)慰安婦問題はどのように考えるべきなのだろうか。

昨今大きな混乱を呼んでいるこの問題について、とりあえず日本で「慰安婦問題の第一人者」とみなされている二人の歴史家のお話に議論を添わせる形で話したい。

ここで議論の土台にするのは、去る6月にラジオで放送された「秦郁彦 吉見義昭 第一人者と考える慰安婦問題の論点」である。

安倍首相は「歴史家に任せたい」としていたが、歴史家の「第一人者」の議論がなかなか接点を見いだせていないことから分かるように、慰安婦問題はもはや単に「歴史家」の考えだけでは日韓の合意どころか「日本内」の合意さえ見いだせない状況となっている。

日本内、あるいは日韓間の「合意」を導き出すのが難しくなっているのは、この問題がすでに長い間解決されないまま長引き、両国民の多くがこの問題に関してかなり詳しい「情報」を持った結果として政治問題となってしまったからである。

それには、「慰安婦」そのものをめぐる情報や考え方の食い違い自体よりも、現在身を置いている政治的立場やそれに伴う感情までが入り込んでしまったという背景がある。

さらに、この問題に直接・間接にかかわってきている人の数が多く、そのほとんどの人たちが間接的な「当事者」にもなっていて、かかわった期間が長かっただけにそれぞれの主張が自らの価値観や政治的立場を示すものにさえなっていることも、既存の考え方や立場をなかなか崩せない大きな原因となっている。

この問題について考える時もっとも必要と思われるのは次のことである。

1、できるだけ早い解決
2、そのためにこの問題を「慰安婦」という存在自体をめぐる状況はむろんのこと、ここ20年の運動や葛藤の様相についても知る。
3、この問題にかかわることが自分の生活や政治的立場と関係のない識者や市民もこの問題にかかわり、「解決」をもたらす方法を「関係者とともに」考える。

1、「慰安婦」とは誰か
近代以降、交通の発達や国家の勢力拡張の欲望を内面化する形で、海外へ単身で移動する男性たちは多かった。そしてそのような男たちを支えるために女性たちの「移動」も多くなった。

日本の場合、最初は日本に入ってきた外国軍人のためにそういう女性たちが提供されていたが、同じ頃から海外へもでかけるようになっていた。いわゆる「からゆきさん」がそれで、彼女たちの殆どは貧しい家庭出身で親に売られたり家のために自分を犠牲にした女性たちだった。

そして彼女たちは朝鮮に駐屯した軍隊や国家の移住奨励政策に従って移住していった男たちのために朝鮮にも移住して行った。やがて朝鮮半島にも公娼制がしかれ、朝鮮人女性もそこで働くようになる。

すでに日露戦争の時から軍人たちを「慰める」女性たちはいたのであり,軍隊を支える役割をしているという意味で彼女たちは「娘子軍」と言われていた。

つまり、「慰安婦」とは基本的には<国家の政治的・経済的勢力拡張政策に伴って戦場・占領地・植民地となった地域に「移動」していった女性たち>のことである。商人や軍人が利用した「慰安所」のようなものは早くから存在していた。

「慰安所」や「慰安婦」という名前は1930年代に定着したようだが、その機能は近代以降の西洋を含む帝国主義とともに始ったと見るべきである。

2、「慰安婦」と「朝鮮人慰安婦」

当然ながら、日本の場合は遠い海外へ「国家のために」でかけている男性のために「慰安婦」が用意されるのでその対象は「日本人女性」だった。

ところが、朝鮮が植民地となったがために「朝鮮人女性」や台湾女性もその仕組みに組み込まれることになる。

1920年代にはすでに中国や台湾には朝鮮人女性も海外にいる「日本人」や「日本人となった朝鮮人」を相手するためにでかけていった。のちの「朝鮮人慰安婦」の前身と見るべき存在である。

3、「からゆきさん」の「娘子軍」化

からゆきさんの中には、たとえ売られてきていわゆる「売春」施設で働いても、拠点を築いた女性たちは「国家のために」来ている「壮士」たちのためにお金や密談のために場所を貸すような立場の女性たちもいた。

彼女たちが「娘子軍」と呼ばれるようになったのはそのためで、そのようにして彼女たちは蔑まれる一方で「格上げ」されることになる。

一方彼女たちも、間接的に「国家のために」働く男たちを支え、郷愁を満たしてあげることでそれなりの誇りを見いだすこと(もちろんそれは戦争に突き進む国家の帝国主義の言説にだまされたことでもある)もあった。「慰安婦」とはそのような仕組みが支える名称である。

4、様々な「慰安所」

したがって、日本軍が1930年代に入って突然「慰安婦制度」を発想して<「慰安所」を作った>のではなく、それまでにあったことをシステム化したと見るべきである。他国の場合と違うのは、‘愛国心がその仕組みに利用されたことである。

日本軍は、満州国と日中戦争のために駐屯軍のために、それまで衛生など(内地なら警察が管理していた)の「管理」をしてきた売春施設のうち(料理屋、カフェなどにはその役割をしたところもあった)、基準を満たすところを「指定」して「軍専用の慰安所」にした。

しかしやがて軍隊の数が増えたことや、便宜性などを考えシステム化するにいたったのである。そして業者を使って「募集」するにいたったが、その形はさまざまであった。

つまり今日「慰安所」と考えられているところには、必ずしも軍が新たに作ったところだけではない。

日清・日露戦争以降の既存の施設も含まれ、すでに個別に働いていた人たちに軍が接受した場所を提供し、「収容」する場合もあった。「業者」を、移動や経営に関する便宜を与えるために「軍属」(あるいは軍属扱い)にする場合もあった。

しかし、それはあくまでも「軍が作った」慰安所に限る。したがって「慰安所」の形が様々であるだけに、「業者」のあり方も様々だった。

島などの場合、業者自ら、自分で粗末な「慰安所」を作り、「臨時営業」(一種の派遣業務)を始める場合もあった。

しかしいずれにしても戦場の場合、移動に関して軍の許可が必要だったため、基本的にはその多くの動きを軍が知り、統括していたのは間違いない。しかし、将校などは指定慰安所を使わずに、普通の料理屋を慰安所として利用する事も多かった。

軍が慰安所を作った(指定した)理由は、言われているように性病防止やスパイ防止以外にも、利用軍人が多くなるにつれて、部隊から近いところにおく便宜性や「安く」利用できるようにするため、の理由もあったとようである。

その場合の料金は<公>と言われた。
「慰安所」は、ひとつの形ではなく時期や場所によって様々な形があったことを念頭におく必要がある。

5、様々な「慰安婦」

したがって、本来の意味でなら、日本が戦争した地域にあった性欲処理施設を全て本来の意味での「慰安所」と呼ぶことはできない。

たとえば「現地の女性」がほとんどだった売春施設は本来の意味でなら「慰安所」と呼ぶべきではない。

つまり、そのような場所にいた女性たちは単に性的はけ口でしかなく、「自国の軍人を支える」「郷愁を満たす」という意味での「娘子軍」とは言えないのである。

戦場で提供されて、半分継続強姦の形で働かされた女性たちや、戦場での一回性の強姦の被害者は、厳密な意味では「慰安婦」とはいえない。

したがって、アジア太平洋戦争で日本軍の性の相手をした全ての女性を「慰安婦」と呼ぶべきではなく、本来の「慰安婦」の名前にふさわしいのは、「日本人」や「日本人」にさせられた「朝鮮人」「台湾人」「沖縄人」だけと考えるべきである。

しかし、普通の売春施設にいた女性たちも「慰安婦」と同じように軍を対象にした性労働に従事し、「愛国食堂」のような看板を掲げて軍人を受け入れてもいたので(もちろん指定業所になっていたはずだ)、事態はややこしい。

しかし、すくなくとも、戦場での一回、あるいは継続的強姦をさせられた女性たちと、日本人を含む「慰安婦」たちの、軍人との関係の違いは歴然としている。

「慰安婦」は、このように国籍や時期、そして場所(最前線か後方か)によって、その体験は異なっている。

にもかかわらず、そのすべてを「「慰安婦」と考えて、問題の対応に当たったことから、大きな混乱が始まったのである。

しかし、そのどのケースであっても性的労働に従事させられるのは、社会における弱者であり、彼女たちの多くが病気にかかりやすく、死が隣り合わせの悲惨な境遇にいたことを認識することは、慰安婦問題を考えるための大前提とならなければならない。

6、「強制連行」について

したがって、軍人を相手に性労働をするまでになった経緯も当然ながら一つではない。中には本格的な募集が始まる前から現地にいた女性もいた。

韓国で最初にこの問題を提起した人は、自分が経験した「挺身隊」のことを「慰安婦」のことと勘違いした。

彼女が経験した「挺身隊」は「学校」で「判子」を押すような形だったので彼女はその募集を「強制」と思ったのである。

しかし「挺身隊」の募集が「学校」単位での「国民動員令」によるものだったことから分かるように「教育」のある人が対象だったのに対して「慰安婦」はほとんど低いレベルの教育か教育を受けていない人がその対象だった。

韓国で慰安婦が「強制連行」されていったと考えるようになったのは、日本の否定者たちが言うように慰安婦が「嘘」を言ったからではなく、まずはこの90年代の勘違いによる。

しかしさかのぼれば植民地時代にすでに「挺身隊に行くと慰安婦になる」との風聞はあった。
「慰安婦」は「挺身」して「兵隊さんのためのこと」をすると言われたのであり実際のところ看護補助や洗濯など「性的慰安」以外のことをさせられる場合もあったので、まったくの誤解とも言えない

(兵士の墓の掃除や洗濯なども、朝鮮人慰安婦たちはやらされていた)。
「軍人」がつれていったと証言する慰安婦の割合はすくなくとも証言集を見る限りむしろ小さい。
そしてその場合も、「軍属」扱いを受けた業者が「軍服」を着て現れた可能性が大きい。

また、業者自らが、集めやすいように、当時始まっていた国民動員としての「挺身隊」へ行くのだと言った可能性も排除できない。業者は、日本人と朝鮮人がペアで現れたことが多かったようである。

しかし、慰安婦の募集は、一人や少人数でいるところを「工場」へ行くなどの言葉でだまして連れて行かれたことが、証言では圧倒的に多い。

そういう意味では、「軍につれていかれた」という意味での「強制連行」はなかったか、たとえあったとしても「例外的」なこと—つまり「個人」の逸脱行為と見るべきであって、「軍が組織として(立案と一貫した指示体系を通して)だましや強制動員をした」と見るのは間違いと考える。

オランダや中国の場合、軍が直接集めたり隔離して性労働に従事させたのでそれはより「強制性」が強い。

ただその場合は上記の意味での「慰安婦」とは言いにくい。

日本人・朝鮮人・台湾人が「日本帝国内の女性」として軍を支え励ます役割をしたのとは違って、彼女たちへの日本軍の行為は、「征服」した「敵の女」に対する「継続的強姦」の意味を持つからである。

このような日本軍との「関係の違い」が無視されて同じ「被害者」としてのみ理解されたために、「強制連行」や「慰安婦」に対する理解が、否定者と支援者間に接点を見いだせずに慰安婦問題をめぐる混乱が深まったのである。

大まかに分ければ、問題発生以来、「慰安婦」としてみなされてきた人の中には,もとの意味での「慰安婦」(これは挺身隊よりゆるやかな「国民動員」の一種と見るべきである)、民間運営の施設(占領地や戦地に早くから存在した場所を含む)を軍が「指定」し衛生などを「管理」した所で働いた人たち、戦場で捕まって継続的強姦の対象になっていた「敵の女」の三種類の女性たちが混在している。

軍属扱いをされ、「軍服」のような制服を着ることもあったと見られる「業者」が集めた朝鮮の場合、業者が「挺身隊」(強制的、しかし「法律を作っての」国民動員。

しかし「志願」の形となる)に行くとだましたがために、「強制連行」だったと当事者たちが認識した可能性も高い。つまりもと慰安婦たちが「嘘」をついているというより(まったくないとは言い切れないにしても)、今はいないはずの「業者」たちが嘘をついた可能性も大きい。

7.日本軍と朝鮮人慰安婦

朝鮮人慰安婦は、場所によっては着物を着て日本名をつけられて働いた。つまり「日本人」女性に代わる存在だった。

慰安婦たちには料金の区別がつけられていて、「日本人」が一番高く,その次が朝鮮人だった。

本来なら巻き込まれないでいいはずの(日本を対象とした)「愛国」に朝鮮人も動員されたのである。

その意味では朝鮮人慰安婦は日本の「植民地支配」が生んだ存在であり,その点で日本の「植民地支配」の責任が生じる。

そして、慰安所に着くと最初に将校や軍医による強姦も多く、部隊移動中にも朝鮮人たちは「朝鮮人」であるゆえに、決まった性労働以外にも強姦されやすかった。

同時に、「国家のために」集められた「軍慰安所」に居た場合は、構図的には敵を相手に「ともに闘う同志」の関係にあった。兵士の暴行などを上官が取りしまり、業者の搾取を軍が介入して管理する場合も多かったようだ。

地域や時期にもよるが、慰安婦が、圧倒的多数を相手しなければならない過酷な体験をしたのは間違いない。

同時に、基本的には兵士や業者の横暴から慰安婦たちを守るような規範もできていた。

もちろんその規範が必ずしも厳しく守られたわけではなく、兵士たちはよく朝鮮人慰安婦によく暴行をふるい、注意程度の処罰しか受けなかったことも多かった。

朝鮮人慰安婦はそのように総体的な民族差別の中にいた。朝鮮人慰安婦と日本軍人は恋愛も可能だったが、そのことを見ることが、宗主国・植民地出身という構図のなかの差別や搾取を無化することになってはならない。

朝鮮人慰安婦の一部は、最前線においても行動を共にしながら、銃弾の飛び交うような戦場の中で兵士のあくなき欲望の対象になり、銃撃や爆弾の犠牲になるような過酷な体験をした。

つまり、たとえ契約を経てお金を稼いだとしても、朝鮮の女性たちをそのような境遇においたのは「植民地化」であった。したがって、朝鮮人慰安婦に対する日本の責任は、「戦争」責任以前に「植民地支配」責任として問われるべきである。

8、業者

軍が必要として集められたのは確かだが、拉致や嘘を軍が公式に許可したとする証言や資料は今のところみつかっていない。

そして、嘘までついて強制的につれていったり、病気などの時も「強制的に」働かせたり、逃げないように監視したり、中絶させたのは、ほとんどの場合日本人や朝鮮人の「業者」だった。日本人業者の方が規模が大きく、朝鮮人業者の方が規模が小さかったように見える。

慰安婦たちの多くはは借金状態を抜け出せず、自由廃業ができなかったがその直接の原因はこうした業者たちの搾取構造にある。

吉見教授は慰安婦に「居住」「廃業」などの自由がなかったというが、それは基本的には「業者」による拘束と戦場であるがための拘束であり、「軍人」に移動の自由がなかったのと同じケースと考えるべきであろう。

そしてもと慰安婦たちの身体に残っている傷跡も業者によってつけられた場合が多い。軍が暴行する場合ももちろん多かったが、少なくとも公式には禁じられていた。

つまり、「慰安婦」を巡っての「犯罪」——当時の法律に抵触する行為は、拉致・誘拐や人身売買であって、「慰安所利用」を「道徳的に」問題のある「罪」と捉えることは可能でも,当時の(法律に抵触する)「法的犯罪」と捕らえるのは難しい。

9.20万の少女

「20万」という数字は、日韓を合わせた、「国民動員」された「挺身隊」の数だったことが、1970年頃の韓国の新聞記事から推測可能だ。
新聞は、日本人女性が15万,朝鮮人が5—6万、と言及している。

こうした誤解も手伝ってその後そのまま「慰安婦」の数と理解されてきたものと考えられる。しかもその「慰安婦」の全てが必ずしも「軍が作った」「軍慰安所」にいたわけではないことはこれまで述べてきた通りである.

慰安婦になった人には「少女」がいなかったわけではないが、1960年代の韓国映画には朝鮮人学徒兵たちにおける慰安婦が成人だったことが分かる。

実際に証言を見ると十代前半のケースはむしろ少なく、当時の軍人たちにも「例外」な状況として受け止められていた。

「慰安婦」と名乗り出た人の多くがまだ幼かった「少女」であったことを強調するのは、彼女たちがその「例外」のケースにいた人々と見るべきだろう。

実際には、証言者の多くが、「他の人は自分より年上だった」と語ってもいる。売春業界に少女が連れ込まれるのは世界中にあることであり、そういう意味で少女が多かったことはありうるが、それは日本軍の意思というより、業者の意思によるものと考えるべきである。慰安婦の都市は一概に推定できないが、証言集や資料による限り、その平均年齢は、20才以上と考えられる。

10、敗戦後の帰還

慰安婦が敗戦後に帰国できなかったのは、戦場での爆撃の犠牲になった場合や玉砕に巻き込まれた場合が多かった故のことと考えられる。

中国にいた慰安婦たちは、いわゆる「引揚げ者」たちの受難を同じく経験していて,場所によっては帰ること自体が難しく、その道のりで犠牲になった場合もあると考えられる。

そのほかは帰ってきたかその地に残ったものと見られる。敗戦後に「置き去り」にしたことに、動員した軍に責任があるのは言うまでもないが、それでも慰安婦たちの「おきざり」に対するうらみは、日本軍より「業者」に向かう場合が多い。

軍と行動を共にした場合、負ける戦闘のさなかでのことであって、その状況は様々で、軍が帰国を助けた場合もあった。

11、1990年代の謝罪と補償

1990年代に日本が「慰安婦」と名乗り出た人々に「謝罪と補償」をすべく作った「アジア女性基金」は、被害者たちが要求した「国会立法」を経たものではなかったが、当時の閣僚たちの合意に基づいて作られたものだった。

国会では立法を進めた議員たちもいたが、韓国の場合、1965年の日韓条約で国家間賠償が終わったことと「強制連行」の有無が議論の焦点となって法案を通すにはいたらなかった。

「基金」は「国会」は通さなかったが、「政府」閣僚たちが合意してやった「謝罪と補償」である。

それは「国会立法」を主張する人たちに「責任回避」の手段と非難されたが、1965年の国家間条約で個人補償は終わっているので国家賠償はできないと思った日本政府が、「法的責任」は存在しないと考えながらもなお、「道義的責任」を取るとして行った、いわば「責任を取るための手段」だった。

国民の募金でまかなうと言われていたが、300万円に当たる医療福祉補助費も出されていて、名前こそ「補償金」でないが、実際に慰安婦たちにわたった補償金の半分以上が国庫金から出されている。

最終的には事業費の89パーセントが国庫金からまかなわれていた。そういう意味では「基金」は、単なる「 民間基金」ではなく、日本政府と国民が心を合わせて行った「謝罪と補償」の試みであった。

もちろんこのとき、日本政府は、基金への関与をより明確に言えばよかったであろう。

12、1965年の過去清算について1965年の日韓条約は1952年のサンフランシスコ講和条約に基づいての条約だったので、「戦争」の事後処理をめぐる条約だった。

「植民地支配」という過去清算に関する条約ではなかったのである。条約の文面にひとことも「植民地支配」に対する謝罪の言葉が入ってないのはそのためである。実際徴用などに関しての「補償」も、中日戦争後のことに限っていた。

しかし朝鮮は日本の戦争相手国ではなく、むしろいっしょに闘った立場だったので、この補償は、恩給などに当たる、いわばもと「日本国民」としてのものだった。突然両国が引き離されることになったための、貯金やその他を含む金銭的事後処理が中心だったのである。

そして日本は「個人の請求権」は個別に請求できるようにしたほうがいいと言っていた。

しかし韓国側は、北朝鮮を意識して、韓半島唯一の「国家」としての韓国が代わりにもらおうとしてその提案を拒否した。

つまり「韓国」だけが補償を請求できる正統性を認めてもらおうとしたのには(チャン・バクチン)、厳しい冷戦時代のさ中にいたという歴史的経緯がある。

当初韓国側は「植民地支配」による被害について(人命損失など)も請求しようとした。最終的にそれが削除された理由は明らかでないが,おそらく今でも続いている論争——「植民地支配は合法」、つまり韓国の意志でやったことだというような議論があってのことかもしれない。

確かに当時においてはほかの元帝国も「植民地支配」に関して謝罪したことはなく、それは時代的思考の限界だった。

つまり、1965年の条約は植民地支配についての謝罪にはなっていないが、それは冷戦下にあって元帝国諸国がそのような事に関して謝罪するような発想をするような時代に至っていなかったこと、そして元植民地側も冷戦時代のあおりを受けて、自ら「過去清算」を急いでしまったためのことだった。

13、1910年の合併条約について

さらにさかのぼって1910年の合併条約自体が「強制的」なもので「不法」だったとする議論もある。

そしてこの時の条約が「不法」だとすると当然日本に「植民地支配」についての「法的責任」が生じることになる。

しかし、たとえ少数が率いてやった事が明らかでも、それが「条約」という(当時における)「法的手続き」を通してのものだった以上、このことを「不法」とするのは倫理的には正しくても現実的には無理がある。

それはアメリカやイギリスなどやはり植民地を作った大国の承認を得てやったことであって、彼らだけの「法」に基づくものだったという意味でなら「不法」と言えても、ともかくも「合併」を韓が承認した文面が存在する限り、残念ながらそのことを「不法」とは言えなくなるという現実もある。

もっとも、国民のほとんどに意見が聞かれたわけでも知らされていたわけでもない「合併」は、「ほとんどの朝鮮人」の了解や承認を得ていないという点ではほんとうの意味では「了承」したとは言えない。

しかし国の代表がそうしてしまった時点で、不服でも、「不法」といえないことは、政治的・時代的限界と考えるべきであろう。そのような「法」に問題があったことを後世の人々が認めるのなら(すでに90年代の日本の謝罪はそれを間接的に認めたことにはなる)、たとえ「不法」でなくても、道義的に問題があったとみなすことは可能である。「法」にかかわらず、日本に植民地支配の責任があることは間違いない。

14,「法」の問題
韓国政府や支援団体が求めているのは慰安婦募集と慰安所使用に関わることを「不法」と認めて「賠償」せよとするものである(日本の支援者の多くもそれを主張している)。

しかし、当時において日本内で「売春」が「不法」と認められていなかった以上、そのことを「不法」とみなすことは無理がある。

たとえ国際的に不法と見なし始めていた時期だったとしても、である。当時は性暴力さえもまだ「法」で処罰することはしていなかった時代だったのであり、だからこそ男たちは罪の意識もなく強姦を繰り返したのである。

しかし「人身売買」は当時においても「不法」と認められていた。問題は、その人身売買を日本軍が指示したかどうかにある。実際に人身売買であることを知りながらも黙認したふしはある。

しかし、日本軍は詐欺や誘拐によって連れてこられた場合返したり、別の就職先を斡旋するように業者に指示したケースがあり、軍として詐欺や誘拐を組織として容認したとは言いがたい。

それでも、日本が宗主国として、植民地の女性を差別と強姦と搾取の対象にしたのは間違いない。

15、再び「アジア女性基金」について

そういう意味では90年代の「道義的責任」は、そうは意識しなかったにしても、まさにそこを突いての「謝罪と補償」だった。

最初に声をあげた朝鮮人慰安婦が「植民地支配」による存在ということも認識されていて、それに対する補償だったからである。

すでにイタリアやイギリスも植民地支配に関して謝罪をしたことがある。

もっとも、日本も,細川首相や村山首相が行った。しかし、最初は「慰安婦問題」を「植民地支配」と捉えていたのが、のちに別の国の人たちが現れることになったことが影響して、普遍的な「女性の問題」と捉えられることになったために、そのような捉え方はやがて消えてしまった。

しかし、現在この問題で、ほかの国・地域は「アジア女性基金」を受け入れて一応解決されたことになっている。そして現在慰安婦問題を「不法」だったとして「賠償」を求めているのは「韓国人慰安婦」だけなので、「日韓問題」として捉え直す必要がある。

そして、あらためてそうした状況を念頭におきながらしかるべき解決を考えるべきであろう。オランダや中国などほかの国といっしょに考える「女性の人権」問題との捉え方だけでは、朝鮮人慰安婦の特殊性が見えてこない。

そして、家父長制の中の犠牲者と捉える時、真なる「女性人権」の問題として向き合いなおすことができるだろう。

日本の一部の人はほかの国々もやったとして責任を回避しようとするのではなく、オランダを始め世界の「元帝国」に、「植民地支配」が起こした問題としての自覚と反省を呼びかけるべきだ。

そうして始めて、アメリカもイギリスもオランダもこの問題を「自国」の問題として向き合うことができるだろう。

それらの国の欲望のためにも、自国や他国の女性たちは動員されていた。

16、「性奴隷」について

朝鮮人慰安婦たちは「準軍人」のような役割もさせられていた。彼女たちの境遇が悲惨だったのはまぎれもない事実であるが、監禁し、強制にちかい労働をさせた主体は、軍のみならず業者でもある。

自由がなかったという意味での彼女たちの「奴隷性」まずは「主人」と呼ばれた業者との関係で成立しすると考えるべきだ。

同時に、彼女たちは、国家の必要によって過酷な労働を強いられ、命さえも(戦場、病気、過労働)担保にしたという意味では「国家の奴隷」でもある。

移動の自由も廃業の自由もさらに命を守る自由もないという意味で、軍人と変わらない。朝鮮人軍人には少ないながら一定の補償金が支払われた。

それは彼らを守る法が存在したからである。そして、女性たちにはそのような『法』によって守られなかったのは近代国家システムが男性中心主義的だったからである。

17、河野談話

河野談話は「自分の意志に反して」慰安婦になったことを認めているのであって物理的な「強制連行」を認めているわけではない。

つまり,連れていった過程が自分の意志ではなかったことと慰安所での性労働が彼女たちの選択ではなかったことに触れていて、物理的ではなく構造的な強制性を認めている。

それは、朝鮮人の場合、たとえ自発的に行ったように見えてもそれが植民地支配によってもたらされたことであることを正確に認めている言葉でもあった。

つまり、河野談話見直し派が主張しているような、いわゆる「強制性」を認めたものではない。しかも管理をしたという意味では「官憲が関与」したのは事実なので、そうである限り河野談話を見直す必要はない。

18、解決をめぐる葛藤

日本政府が作った「基金」が「民間」のものと認識されたのは、まずは、マスコミなどの報道にもよるが、新たな補償が1965年の条約に抵触することを気にした政府が、基金に深く関与していることを十分に説明しなかったことに第一の原因がある。

しかし、「仕方のない次善策」として受け止める人たちもいる中で「責任を回避するもの」と強く非難し,以後今日に至るまでこの問題で日本政府を非難している人たちの一部は、国会立法だけが「日本社会の改革」につながると考えていた。

それは、歴史認識をめぐる対立がポスト冷戦時代を迎えて行なわれ、過去の歴史に対する考え方でもって現在のアイデンティティを問われる形になったからである。

そして、正義のためのはずだったその主張は、慰安婦像と「強制連行」をめぐる理解において反対派と接点を見いだす努力を怠ったがために、結果として 、慰安婦問題に反発するひとたちが日本内にたくさん増えてしまった。

支援者たちは、天皇を犯罪者にするような国際裁判も開いたが、理念としてはいいとしても、「運動」としては広く「日本国民の合意」を得るのではない逆の方向へ行くものだったと言う点で、効果的だったとはいいにくい。

2000年代以降、日本で「嫌韓流」に始まったへイトスピーチの根っこには左翼や慰安婦問題への嫌悪があった。

19、世界の意見

運動家たちは2000年代以降に日本政府を説得することよりも世界に訴えて日本を圧迫するやり方に出た。そしてKumarawasumi報告書をはじめ、数々の国連報告書のほとんどは 「20万の少女が強制的に連れて行かれ性奴隷として働かされ、敗戦後もほとんど虐殺された」と考えている。

欧米の議会の決議もそれらの報告書を参考にしているが、これまで見てきたように、世界の慰安婦問題への理解は、必ずしも正しいわけではない。

国連ではオランダの女性も証言していて、オランダのケースは確かに「レイプセンター」の言葉に近いものだった。

しかしオランダの女性は朝鮮人や日本人慰安婦とはその立ち位置が根本的に異なる。

オランダの女性が被害を受けたのは、彼女たちがオランダが植民地にしたインドネシアに暮らしていたためで、植民地をアジアに多く持っていた、オランダをはじめとする欧米諸国が、日本だけを非難するのも必ずしも公平とは言えない。

20、帝国と慰安婦

韓国や沖縄基地をはじめ米軍が基地をおいているところでは今でも遠い地に送られた兵士たちを「慰安」すべきとされている女性たちがいる。

つまり、戦後直後の日本や韓国戦争での朝鮮戦争当時やその後の韓国がそうだったように、「軍隊」は今でも「慰安婦」を作り続けている。

日本軍の慰安婦と違うのは、「国家のため」と意識させられているかどうか、そして平時(しかし戦争に待機している)か戦時かの違いだけである。

それらの「基地」は、かつて戦争や冷戦のためにおかれ、その状態を維持し続けた。そして今やアメリカこそが日本や韓国に慰安婦を作り続けているのである。もちろん日本や韓国はそれを提供し黙認している。

かつて国家が政治経済的に勢力範囲を広げるべく「帝国」を作ったように、現在でも特定国家の世界掌握勢力は存在する。

その中心にあるアメリカが、慰安婦問題に関して日本を非難する決議を出し続けているのは、アイロニーと言うほかない。

弱者のために闘ってきたはずのリベラル勢力は、そうは意図しなかったはずだが、日韓の葛藤を維持することで韓国の軍事化や保守化を進めた。

韓国が北朝鮮や中国と連携して日本を批判するのも、現実には冷戦構造の持続に加担することになる。
したがって、支援者たちは冷戦的思考にとらわれずこの問題を考え、否定者は慰安婦の悲惨さに気づくべきである。

そして日本内の国民的「合意」を見いだすべきである。
まずはそれに向けて、意見が対立する人たちで議論し、接点を作れるように日韓協議体を政府主導で作るのが望ましい。

「合意」を前提にし、支援団体のほかに慰安婦本人や第三の識者を入れるのは必須である。密室議論ではなくメディアなどに公開し、この問題に関する知識を多く持つようになった両国国民に考えてもらい、納得してもらう必要がある。

最終的には、その結果に基づいて、植民地氏支配の結果としての認識を盛り込んだ<国会決議>ができるのが望ましい。
それには、

1、1990年代の基金の試みのやり直し、つまり国民を代表する国会が主体的に解決
2、欧米の決議を受け止めつつの批判的応答
3、「戦後日本」との自己認識を「帝国後日本」と捉えなおす
この三つの意味がある。

<秦・吉見議論について>——秦郁彦教授の意見について
1)
売春婦としてのみ見なしているー愛国した存在、特に軍が運営した場合は「準軍人」として支えたことが看過されている。

たとえ売春婦としても悲惨さは変わらない。お金を稼ぎ、楽しかったとすれば、「軍のために働く存在だったから」ための強制された誇りゆえ。

お金を稼いだ人だけに注目する傾向が強い。慰安婦たちが楽しかったとすれば、それはそれだけつらい生活をしのぐための自己欺瞞的誇りの結果と見るべきだ。

2)
業者を朝鮮人だけと考えているが、日本人も多かったと見える。
3)
朝鮮人だけの責任にしたがっている—需要を作った日本国家の責任を考えない。
4)
業者が軍に働きかけた境遇だけではない。業者は軍属の地位を与えられることもあった。
5)
女性たちをチェックしたのはそういう「商品」を利用しないようにしたことと考えられるが、契約書があれば問題がないという主張になる。本人が認知せずに軍を手伝うことと考えた場合もあるのだから、契約書があれば問題がないとはいえない。
6)
運動が政治活動になった動きがないわけではないが、それは参加者の一部。ほとんどは単に善意で動いたと考えるべきだ。
——吉見義昭教授の意見について

1)
`強制連行`を、構造的な強制性と捉えるのは正しいが、それを官憲がつれていったことと理解する人が多い以上、その違いは正確に語るべき。
2)
性奴隷的側面があるのは確かだが、直接に自由を拘束したのは業者であり国家。売春婦にも奴隷性があることを看過している。
3)
世界が慰安婦問題で韓国の主張を認めたことは、必ずしも支援団体の主張が正しいことを証明しない。
4)
慰安婦の生活困難は業者の搾取によるもの。インフレだけではない。
5)
オランダとの関係における違いを看過。
6)
業者には純粋に民間も存在。軍属のみではない。前線に行くひとのみ。様々な慰安所があるのに軍運営のものに限定して語っている。
7)
責任—人身売買の主体は業者なのに業者の責任は語られない。国家が加担したのは事実だが、知っていて指示し、助けた(船を使っただけで人身売買を助けたと言っていいかどうか)のと、知って黙認したのと知らずに利用したのは違う。時期によって場所によって違っていたはず。それを全て軍の責任としている。
8)

構造的強制性の中にある自発性を看過。人身売買だから性奴隷というが,そうでないケースもあるし、何よりも慰安婦の「主人」は業者だった。

*どちらも慰安婦の一面だけど見ていて結論が先だっているようだ。そうである限り「歴史学者」の議論であっても接点を見いだせないだろう。

*「被害」かそうでないかだけを強調しているが、「植民地」はその両方を持つ存在だった。

*考えるべきは、国家(帝国)欲望に動員された人々の不幸を誰が償うかのこと。兵士もその一人。慰安婦も。そこに加担した民間の責任(定住者たち、大人たち)もまた大きい。

*この問題が難しいのは体験が異なるのに、「補償」は一つの形にするほかないということ。

*慰安婦は「売春婦」も無垢な「少女」の面も併せ持っていて、そのような矛盾こそが「植民地の矛盾」だった。

今では変わって来ている側面もあるが、慰安婦の役割は基本的に社会の弱者に担わされるという点で階級問題であり、家父長制や性をまで戦争に利用する国家の問題である。

彼女たちは自分の身体と命の「主人」ではありえなかった。そのことを知ることこそが、慰安婦問題を考えることの意味にならなければならない。

中国から逃げるお金 封じ込め躍起、香港ドルの教訓も

2018-01-28 17:08:34 | 日記
中国から逃げるお金 封じ込め躍起、香港ドルの教訓も

香港=福田直之

2017年7月23日00時11分


 中国からお金が逃げ、人民元の下落が進んでいる。

経済の変調を恐れ、中国の当局はなりふり構わず封じ込める構えだ。

20年前、返還されたばかりの香港の通貨危機で知った国境を飛び越えるお金の流れの怖さ。

それは「富強の大国」になった今も中国を悩ませている。

アジア通貨危機から20年 関志雄氏と余永定氏に聞く

中国悩ます「自由なマネー」

 7月1日、香港が中国に返還されて20周年の記念式典が、香港島の会議場で開かれた。

「中央の権力への挑戦は絶対に許さない」。中国の習近平(シーチンピン)国家主席はそう訴えた。

 中国からの独立をめざす一部の動きを、強く牽制(けんせい)した形だ。

体制を守るために力で押さえつける姿勢は、通貨防衛でも変わらない。

中国が、国境を越えて動き回るマネーに対抗するすべを学んだのは、20年前の通貨危機だった。

 返還翌日の1997年7月2日、投機筋の攻撃によるタイの通貨バーツの暴落をきっかけにアジア通貨危機が始まった。

 香港は英国植民地の時代から、金融センターと位置づけられ、中国と外国を結ぶ貿易の中継地だった。

取引を円滑に進めるため対ドル相場を安定させようと、1米ドルを7・8香港ドルに固定していた。

 アジア各国が相次いで通貨の対米ドル相場を切り下げたことから、その固定相場が「高い」と見られて狙われる。

97年10月、投機筋が先物市場で本格的に香港ドルを売り浴びせたのだ。

通貨当局の香港金融管理局(HKMA)は、豊富な外貨準備の米ドルを売って、香港ドルが安くなるのを食い止めようとした。

投機筋が市場で売るための香港ドルを調達しにくくしようと、銀行間でお金を貸し借りする金利を引き上げた。

 ただ、金利上昇の副作用で景気が冷え込み、香港株は暴落した。それを見据えて投機筋は株の先物も売り浴びせ、香港ドルと株の両方で利益をあげる戦術をとった。

 HKMAは98年8月、外貨準備で香港株式市場のハンセン指数構成株の現物と先物を買い支える「前代未聞」の対策に出る。

HKMAの任志剛(ジョセフ・ヤム)総裁(当時)は「投機筋が完璧に香港市場から去るまで措置を続ける」と表明。結果、投機筋は撤退に追い込まれた。

 この「香港ドル防衛戦」を中国は見守った。中央銀行、中国人民銀行の戴相龍(タイシアンロン)総裁は97年10月、香港紙の取材に対し、「必要があれば、あるいは香港からの要請があれば、中国政府は香港ドルを支える用意がある」と口先介入している。

 当時、中国は投資目的で流入するお金を厳しく制限していたため、危機に陥った他の国のように逃げ出すお金がそもそもなく、通貨危機の波及を免れた。

 アジア各国が相次いで通貨を切り下げており、中国の輸出にとって不利な状況だったが、98年3月の全国人民代表大会の記者会見で、朱鎔基(チューロンチー)首相は「元は切り下げない」と強調した。こらえる決断をしたことで、人民元の評価は高まった。

 中国が通貨危機で得た教訓は、資本規制の重要性だった。中国の金融機関幹部によると、人民銀行は90年代半ば、2000年までに国内外のお金の移動を完全自由化する構想を持っていた。

外国からの資金流入や海外への持ち出しに制限を設けない状態だ。

 そんな構想は、アジア通貨危機で吹き飛んだ。

 10年後の08年12月、中国政府が貿易決済に人民元を使えるようにする方針を決め、人民元の「国際化」に乗り出す。リーマン・ショックで米ドル一極体制が揺らいだ隙に、人民元を世界通貨に押し上げる「野望」だった。

 それでも香港の経験は重く、お金の自由な流入は制限を続けた。

困難極める「人民元防衛戦」

 20年前の「教訓」は、今も中国に影を落とす。

 今年6月中旬、中国の保険大手安邦保険集団の呉小暉(ウーシアオホイ)会長を当局が連行したと報道された。

米ニューヨークにある高級ホテルのウォルドルフ・アストリアを約20億ドル(約2200億円)で買収した会社だ。

 呉は元最高指導者鄧小平(トンシアオピン)氏の孫と結婚歴があるとされ、同社幹部には昔の指導者の子がいる。

反腐敗で政敵をたたく習指導部が「幹部の親族の調査に踏み切った」とみられている。

同時に、安邦の外国への投資を封じ、中国からの資金流出を牽制する意図も透ける。

 中国の銀行監督当局は6月中旬、ドイツ銀行の筆頭株主になった航空大手の海航集団や、欧米の映画館を手に入れた不動産の大連万達集団など積極的に外国で投資する企業の負債を調べるよう銀行に指示した、との報道も出た。

 当局が躍起になっているのは、国内に蓄積されてきたお金が外国に逃げ始めているからだ。

 人民元は16年10月、国際通貨基金(IMF)の特別引き出し権(SDR)を構成する通貨になり、米ドルやユーロ、円などと並ぶ国際通貨の仲間入りを果たした。

だが、他の通貨と違って完全変動相場ではない。

SDR通貨となるのを控え、人民銀行は15年夏、人民元相場の基準値を算出する方法を変えた。

できるだけ市場の相場に合わせようとした結果とみられるが、突然の変更だったため、人民元の対ドル相場は3日で5%近く下落、市場に衝撃を与えた。

 それを境に、中国の安定成長への懸念が噴出した。一部の企業は巨額のお金を使って海外資産を買収し、中国から意図的にお金を持ち出していたともいわれる。

人民銀行の通貨政策委員を務めた余永定(ユイヨンティン)氏は「資本逃避の状況は厳しい。政府は可能な限り監督を強める必要がある」と見る。

 20年前と異なり「内なる敵」と戦う「人民元防衛戦」は困難を極めている。

ピーク時は4兆ドルあった外貨準備で元を買い支えたが、外貨準備はどんどん減り、17年1月には3兆ドルを割った。

外貨準備の底が見えれば、市場で「これ以上、買い支えられない」と見られ、通貨危機につながりかねない。


 人民銀行の周小川(チョウシアオチョワン)総裁は3月、「執行が不十分だった政策を改善する必要がある」と述べ、資本流出の封じ込めを表明した。

 年初からは銀行の窓口規制で海外送金を規制する対策をとっていたが、外資から猛反発を受けて4月に撤回。

5月半ばからは、元安になりにくいように元の基準値の算出方法に新たに変更を加えた。

17年上半期の金融を除く対外直接投資は前年同期から半減。相場は一頃より安定を取り戻したが、当局は警戒を解いていない。

 金融市場が未発達な中国では、行き場のないお金が不動産と株に流れ込み、相場の過熱を招いてきた。

不動産開発投資は当局が規制を強めているのにもかかわらず、上半期は前年同期比8・5%増と高い伸びを保った。

15年に大暴落を起こした上海総合指数もじりじりと上昇を続けている。

 習国家主席は7月15日の全国金融工作会議で、「着実に資本の出入りを自由化する」と述べた。だが、完全自由化の時期は示さなかった。

香港を襲った危機の前に描いていた、お金の出入りが完全に自由になる経済は、いまだその道筋さえ見えていない。(香港=福田直之)

     ◇

「元」の国際化、中国の国内改革次第 野村資本市場研究所シニアフェロー・関志雄氏]

 中国はアジア通貨危機で、東南アジア各国を尻目に人民元を切り下げず、成長率を維持し、地域の経済大国に躍り出た。

約10年後の米国発金融危機や欧州の債務危機時には、大規模な景気対策を通じて成長を素早く回復させ、グローバルな経済大国になった。

 中国の人民元を含めてアジア各国の通貨は、基本的に通貨危機以降もドルに連動してきた。

ただ、近年は香港ドルを除くアジア通貨が、人民元に連動する傾向が見られる。

 とりわけ2015年夏以降、人民元がドルに対して値下がりするようになると、韓国、台湾、インドネシア、タイ、マレーシア、シンガポール、フィリピンなどの通貨も一緒に下がった。

市場で売られたことに加えて、中国製品との輸出競争力を意識した各地の当局が、現地通貨を売ってドルを買う介入をした可能性もある。

 危機のたびに存在感を高めてきた中国だが、通貨危機に翻弄(ほんろう)されたアジアの国々の姿を見て、資本の移動の自由化は遅れた。その条件となる国内の金融機関の改革はいまだ道半ばだ。



 景気対策のツケで国有企業や「影の銀行」といわれる不透明な融資機関などの借金が膨らんでいる。中国の人民元が国際化していくかどうかは、国内の金融改革の進展にかかっている。

(聞き手=編集委員・吉岡桂子)