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在韓米軍駐留経費、トランプ氏が韓国側負担の5倍増を要求

2020-01-30 16:53:53 | 日記


在韓米軍駐留経費、トランプ氏が韓国側負担の5倍増を要求

2019.11.15 Fri posted at 12:05 JST
在韓米軍駐留経費、トランプ氏が韓国側負担の5倍増を要求

トランプ米大統領が、韓国側の在韓米軍駐留経費の負担を約5倍に引き上げるよう求めていることがわかった/South Korean Air Force/South Korean Air Force

ワシントン(CNN) トランプ米大統領が2020年の在韓米軍駐留経費について、韓国側の負担を前年比約5倍の47億ドル(約5100億円)に増額するよう求めていることが分かった。議会スタッフと政権当局者がCNNに明らかにした。

トランプ氏の増額要求に、国防総省当局者の間ではいら立ちが広がり、与野党議員から深い懸念の声が上がっているという。

韓国政府でも憤りと動揺の声が噴出。指導者が米国の同盟への決意に疑問を投げかける事態となり、増額に応じない場合にトランプ氏が米軍撤収を進める可能性もささやかれている。

交渉状況に詳しい米国の議会スタッフや韓国関係の専門家によると、大統領の47億ドルの要求は突然降って湧いたもので、国務省や国防総省は対応に追われている。

交渉が続く中でも北朝鮮は兵器開発の加速を示唆しており、韓国政府の不安を増幅させる結果となっている。北朝鮮は14日、米韓軍事演習を非難して「怒り」を表明、「相応の武力」で対抗すると威嚇した。

交渉を主導する国務省の報道官は、米軍の世界展開のコストについて「米国の納税者のみが負担するべきではなく、我々のプレゼンスから恩恵を受ける同盟国やパートナーと公正に分担すべきだ」としている。

米国と韓国の間では数十年前から防衛費分担協定が存在しており、トランプ氏が登場するまでは5年ごとに再交渉を行っていた。トランプ氏は2016年の大統領選で、韓国側が駐留費を全額負担しない場合は米軍を撤収させると宣言した。

昨年行われた「防衛費分担特別協定(SMA)」の交渉では、トランプ氏が韓国側に50%の負担増を要求。最終的には韓国側の負担を前年比8%増としつつ、1年ごとに再交渉を行う方針で合意していた。

トランプ、米軍駐留経費を渋る文在寅に実力行使? 米軍基地の韓国人従業員を休職へ

2020-01-30 16:49:32 | 日記
トランプ、米軍駐留経費を渋る文在寅に実力行使? 米軍基地の韓国人従業員を休職へ


2020年1月29日(水)17時36分


駐留経費の引き上げに応じない文在寅にトランプはイライラ Carlos Barria - REUTERS


在韓米軍は、駐留経費の負担をめぐる米韓協議が決着しない場合、在韓米軍に勤務する韓国人労働者を4月から休職扱いとする方針を示した。

韓国人労働者への通知を開始したとしている。


米政府は韓国が負担する在韓米軍の駐留経費を大幅に引き上げることを求めているが、両国の協議は難航している。

在韓米軍は、60日前の事前通知を定めた米国の法律に従って、韓国人労働者への「一時帰休通知」の送付を28日から開始したと表明。

「韓国政府が在韓米軍の韓国人労働者の人件費を今後も共有することを確約しなければ、在韓米軍は韓国人労働者の給与・賃金を支払う予算が枯渇する」としている。

在韓米軍では、8700人の韓国人労働者が事務・技術などのサービスを提供している。人件費は通常、韓国側が約7割を負担している。

呉 善花(オ・ソンファ、1956年 - )は、韓国生まれの評論家、日本研究者。済州島出身。

2020-01-30 16:05:48 | 日記
呉善花

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



オ・ソンファ
呉 善花

生誕
大韓民国の旗 韓国・済州島

国籍
日本の旗 日本(1988年帰化)

職業
拓殖大学教員


呉善花


各種表記


ハングル:
오선화

漢字:
吳善花

発音:
オソナ

日本語読み:
お そんふぁ

ローマ字:
Oh Sonfa

英語表記:
Oh Sonfa
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呉 善花(オ・ソンファ、1956年 - )は、韓国生まれの評論家、日本研究者。済州島出身。

大東文化大学(英語学専攻)卒業後、東京外国語大学地域研究研究科修士課程(北米地域研究)修了。

拓殖大学国際学部教授。元韓国籍で日本に帰化[1]。


目次 [表示]


来歴・人物[編集]

子供時代を済州島で過ごす。1980年に韓国軍に入隊しながら大邱保健専門大学を卒業。1983年に訪日、日本で働く韓国人ホステスを題材とした『スカートの風』を出版。後にシリーズ化し、『続 スカートの風』『新 スカートの風』が出版されている。他の著作に、『「日帝」だけで歴史は語れない』、『攘夷の韓国 開国の日本』(山本七平賞受賞)などがある。

両親は戦前の日本に住んだ経験があった[2]。幼少時は母親からの影響もあり、片言の日本語を披露しては島民に喜ばれていた[2]。学校教育の影響で一時は反日に傾倒していた[2]が、訪日後にさまざまな葛藤を経て知日派になった。

韓国併合を全否定しないことや日本の自虐史観の改善を求めていることから、韓国では親日派、「韓国を卑下する書籍を出版してきた」[3]という否定的評価を受けている。また、韓国における漢字復活論支持者でもあり、自著でもたびたびハングル専用教育の弊害について言及している[4][5]。

1988年に日本へ帰化している[6]。日本語読みではなく朝鮮語読みのまま「オ・ソンファ」と名乗っている理由について、朝鮮語にはない「濁音」が苦手で、自分の名前の日本語読みの「ご・ぜんか(呉善花)」を上手く発音できないためと説明している[7]。

韓国による入国拒否[編集]

2007年10月1日、済州島在住の母の葬儀で韓国へ入国しようとしたところ、日本での「反韓的な活動」が理由で韓国当局から入国禁止措置が取られていたため、済州国際空港で一時入国を拒否された[8]。これに対し、呉の要請により在済州日本国総領事館から、日本人への人権侵害に当たるとの申し出があり、韓国入管は呉の入国を認めた[9]。

2013年7月27日には、親戚の結婚式への出席のために韓国へ入国しようとしたが、仁川国際空港で完全入国拒否(本国送還命令 Repatriation Order、韓国入国法76条)となった[10]。歴史問題などをめぐって韓国に厳しい評論活動で知られ、韓国側の対日感情の悪化などが入国拒否の一因である可能性もあるとされたが[10][11]、大韓民国当局は拒否の理由を明らかにしていない[12]。

呉善花 恨と火病と疑似イノセンスと― 異常な反日行為と心の病

2020-01-30 16:01:11 | 日記
呉善花 恨と火病と疑似イノセンスと― 異常な反日行為と心の病


自分を無罪とする責任回避

 恨の多い人がそのまま恨を抱え続けていくと、一種の怒り症侯群である火病にまで至ることが少なくない。「怒りや悔しさをまともに発散できなくて、無理矢理に我慢するうちに火病になる」のだが、多くの人はそこまで我慢することなく、四方に怒りを爆発させていくことになる。韓国人がしばしば激しやすいといわれる理由もそこにある。
 いずれにしても、なぜ韓国人は一方的に自らを純化し、無実の者として自己責任を回避し、恨を抱えて生きようとするのだろうか。アメリカの精神医学者ロロ・メイの「疑似イノセンス」論は、この疑問に明快な答えを与えているように思う。
 イノセンス(innocence)とは、「無罪・無実、無害の・悪意のない、純粋・無邪気」などを意味する言葉である。イノセンスそのものを生きているのが子供だが、大人になってもイノセンスの見かけをもって生きているような人がいる。つまり自分を擬似的にイノセンスで装うのだ。これがロロ・メイのいう疑似イノセンス(Pseudo-innocence)である。心の内のイノセンスではなく、外から見たときだけのイノセンスである。
 ロロ・メイは「それは決して大きくなりすぎることのない子供らしさやある種の過去への固着から成っている。それは、無邪気というよりむしろ幼稚だ」として次のようにいう。
 「これは神経症に見られるイノセンスと平行関係にある。このイノセンスは、決して生き抜いてこられたものではなく、幼児のままに固着してしまうイノセンスで、ただ敵対的で冷たいあるいは支配的な親に対して身を守るだけのために、その幼児性にしがみつくのである」(小野泰博訳「わが内なる暴力」)
 なぜ世間の荒波を生き抜こうとせず幼児性にしがみつくのか。それは外部の権力から自らを守る防御のためで、疑似イノセンスは「外的な力の形態とかあるいは地位および威信といった内的な力の形態を含む、権力の現実に直面しなければならないときの防御壁」(同書)なのである。
 ここは多くの日本人には容易に理解できないところかもしれないが、韓国社会に生まれて大人になった私にはとてもよくわかる。韓国の社会には、地位や威信などを含む権力のまことに不条理な働きが、排ガスのように充満しているからだ。子供からすれば、大人になることは不条理な人間になることに等しいとすら思えてくる。
 疑似イノセンスは「自分を無罪とする責任回避」で大きく特徴づけられる。韓国の旅客船セウォル号沈没事故の犠牲者を追悼するポストイット・ボードに、青少年らによる無数のメモが貼り出された。新聞報道されたものからいくつか拾ってみる。
 「姉さん、そして兄さん、もう二度とこんな国に生まれないでください」「さようなら。兄さんが、必ず悪い大人たちと最後まで戦って、二度とこんな悲しみが無いようにするから」「冷たい海中に恐ろしさで真っ青になって泣いた私たちの後輩を考えなさい。こんな権力に耳をふさいで目をとじる人々ならば、本当に嫌いだ」「道徳を学ぶ理由は何ですか? どうか大人たちは非道徳的に生きないでください。花のように美しい私たちの命を安全にして欲しい」「互いに利益だけ考える社会だ。大人たちの欲望のために姉さん兄さんの命が一日で消えた」(ハンギョレ新聞日本語電子版2014年4月25日)
 韓国各地のポストイット・ボードは、こうした国家、権力、社会、大人の罪・責任を問う子供たちの悲痛な声に満ち溢れていた。
 社会の制度・秩序・慣習を受け入れていくことで、子供はイノセンスを脱して大人になる。大人としての自覚と責任をもって生きていこうとする。これがまっとうな社会でのあり方だ。しかし韓国のような不条理が大手を振ってまかり通る社会では、大人になりたくない子供たちをたくさん生み出すことになる。
 「幼児のままに固着してしまうイノセンス」をもって、「花のように美しい自分、責任がない自分、無罪である自分」を守ろうとする。こうして疑似イノセンスで自らを装う大人になっていく。
 そうした人たちは、人間ならば誰もが内部に抱えている不道徳性とか反秩序性といった破壊的な力を、自分のなかには認めようとしない。そして、自らを潔癖であり無罪であるとする一方で、他者に対しては道徳的な完全性を求めて強く批判する。
 この態度がロロ・メイのいう疑似イノセンスである。そしてロロ・メイがいうように、自己内部の破壊的な力が抑圧されると、極めて暴力的な形で噴出するのである。
 「責任回避の防御物としてのイノセンスは、また成長を妨げる防御物である。こうしたイノセンスは、われわれの新しい認識を妨げ、人類の苦悩とともによろこびをわがこととして感じとることをできなくしてしまう。この苦悩とよろこびは、擬似的なイノセンスの人間には閉ざされているものである」(同書)
 多くの恨を抱えさせているのが擬似イノセンスである。恨はキム・ジョンウ氏がいうように「弱くて善なる人間が強い人間に感じる劣等意識、葛藤として見える」面をもつことは確かだが、その主体は自分を「無罪、無責任、純粋」と装う疑似イノセンスにある。自分には責任がないのだから、自分にふりかかる火の粉はすべて他者によるものである。こうした「他人のせい」へのうらみが恨として溜め込まれるのである。

妄想による偶像への崇拝を選挙投票と引き換えに押し売りする姿は滑稽ですらある=米グレンデール
 擬似イノセンスでは、自分をイノセンスと装うことが、自分が生きるための戦略として利用される。民族レベルでいえば、韓国が無罪であることが、韓国が(民族の誇りを失うことなく)生きるための戦略として利用される。そこで日本は韓国にとって、どこまでも有罪でなくてはならない、責任が追及されなくてはならない、この世になくてはならない対象なのである。
 彼らの関心は、自分(韓国)が善であり道徳的に正しいという聖なるイメージを維持することに向けられる。他者(日本)が自分の純粋さにどれほど応えてくれるかを期待し、自分自身の汚れのないイノセンスを再確認し続けようとするのである。

韓国人と人格障害

 外部の権力から自分を守る防御として、イノセンスで自らを装う。その装いが強固であればあるほど、対人関係にさまざまな障害が生じてくることは疑いない。
 十年ほど前のことだが、韓国の新聞で「二十歳の男性の45%が対人関係障害の可能性」という記事を読んだ。韓国の研究チームによる人格障害の調査だが、「この数値は、米国やヨーロッパなど先進国の平均11~18%に比べて、2・5~4倍に達する」という(東亜日報日本語電子版2003年2月10日)。
 記事には「今回の研究結果は国内学術誌『精神病理』と米国の学術誌『精神医学と臨床神経科学』に掲載される予定」とあったから、学術的な研究であるのは間違いない。
 人格障害(パーソナリティー障害)とは通常、「偏った考え方や行動パターンのため、家庭生活や社会生活、職業生活に支障をきたした状態」とされている。関係する書物(岡田尊司著「パーソナリティー障害がわかる本―『障害』を『個性』に変えるために」)を何冊か読んで深く考えさせられたのは、その偏り方が韓国人一般に見られる精神的な傾向ときわめて酷似していることだった。
 それら書物から私なりに整理してみたところでは、人格障害の人には次のような性格の偏向が強く見られる。(一)善悪、白黒、敵味方など、中間のない両極端の考えに陥りやすい。(二)「私とあなた」(自分と他者)の区別があいまいで自分本位。(三)容易に他人を信じることができない。(四)自分は理想的・完璧だという思いと、自分は劣等で価値がないという思いが同居している。(五)物事を受け止める心が弱くて狭く、処理できなくなると暴発的な行動を起こしやすい。
 いずれについても、韓国人の精神的な特徴と、とてもよく合致していると思わずにはいられない。疑似イノセンスがそうであるように、考え方が極端なので、広い視野をもって物事を判断することができない。自己本位で自分を絶対視しやすいので、自分が善い(正しい)と思うことは他人もそうだと思い込む、何かまずい事態が起きても自分ではなく他人に問題があると考える、といったことが生じやすい。
 他人が信じられないので、表面的にしか親しい振る舞いができず、本当に他人に心を許すことができない。プライドが高いので、自信過剰とも見えるが、実際には自信がなく劣等感に苛まれている。受け止める力が弱いので、すぐに感情的となり、冷静に物事に対処することが難しくなる。

ありのままの自分を愛すること

 人格障害は自己愛の障害、つまり「ありのままの自分を愛すること」のできない障害だといわれる。自己愛が傷ついたり損なわれたりしているために起きるもので、幼い自己愛に支配されている一種の幼児性とも見られている。
 「ありのままの自分を愛すること」ができないと自分が嫌になってくる。引っ込み思案から、ひきこもりにもなりがちである。しかし、そういう嫌な自分に我慢がならず、逆に「自己愛」を過剰に膨れ上がらせていく人がいる。このタイプの人が陥る人格障害が自己愛性人格障害といわれるものだ。
 自己愛性人格障害(Narcissistic Personality Disorder)とは、ありのままの自分を愛することができず、自分は優れていて素晴らしく特別で偉大な存在でなければならないと思い込む人格障害の一類型である(米精神医学界「精神障害の診断と統計マニュアル」)。両親・家族が社会同様に「ありのままの自分を愛してくれる」体験に乏しいため、「ありのままの自分を愛すること」ができず、自己愛性人格障害になりやすいと考えられている。

セウォル号沈没事故で高校生ら乗客を置き去りにして身分を隠し、
われ先に逃げ出した船長

 何種類もある人格障害のなかでも、自己愛性人格障害の病像はとくに、韓民族の性格的な特徴をそのまま極端化したものであるかのようだ。以下が診断基準となっている。
 【診断基準】誇大性(空想または行動における)、賞賛されたい欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち五つ(またはそれ以上)によって示される。
 (一)自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待)(二)限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。(三)自分が〝特別〟であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人たちに(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。(四)過剰な賞賛を求める。(五)特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。(六)対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。(七)共感性の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。(八)しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。(九)尊大で傲慢な行動、態度
 (高橋三郎・大野裕・染矢俊幸訳「DSM‐IV‐TR 精神疾患の診断・統計マニュアル新訂版」)。
 自分をイノセンスで装い、いつしかそれが本当の自分だと思い込んでいく先に、こうした病理的な心的現象が出てくるように思われる。人格障害に関連する精神医学・心理学の書物が記すところを私なりに整理・解釈してみると、自己愛性人格障害の人の対人関係には次のような特徴が見られる。
 ▽「ありのままの自分を愛すること」ができないので、優越的な存在だという自分で作った幻想の自分を愛そうとする。▽自分より優れたものを認めたくないので、他人の優れた能力や才能を無視する。▽他人を見下し・軽蔑・侮辱することが快感となる。▽自分の優越幻想がなかなか示せないとなると、過ぎたことであろうとも他人の欠点・難点を探し出してはなんくせをつけていく。▽人をバカにしているので、自分もいつバカにされるかわからないと疑心暗鬼になる。▽閉じられた自己幻想から出ようとせず、他人に心を開くことがなくなる。
 韓国人がしばしば示す自民族優越主義、反日民族主義、反日行為には、こうした心的傾向との同質性を強く感じさせられる。

反日が常軌を逸すると思える根拠

 多くの韓国人が示す反日行為が「常軌を逸している」と感じられるのは、これまで見てきたように、火病に現われる複合的な怒り症候、人格障害に現れる各種の性格的な偏向ときわめて近似しているからである。しかし彼らは病者なのではない。彼らは、他者に依存したり他者や社会を攻撃することによって、火病や人格障害に陥ることを回避している「代償的擬似健常者」なのである。
 自分には罪がないのに(イノセンス)、なにゆえに自分はこれだけの苦労を背負わされるのかと、コンプレックス(恨)が心の凝りとして固まっていく。これが高じると火病にまで至る。外部の権力から自らを守ろうとする疑似イノセンスが、ありのままの自分ではなく誇大にピュアーな幻想的自分を愛するようになっていく。それが高じると人格障害にまで至る。
 韓国人の反日行為が「常軌を逸している」と感じられる根拠は、火病や人格障害と近似する心性を内部に抱えた「代償的擬似健常者」が、韓国社会に多数生み出されていることにあるのではないか。そこには、儒教・朱子学に特有な潔癖主義、厳正主義を重んじる、伝統的な制度文化が、諸個人に対する外部の権力として強く作用していると思う。
 儒教的な制度文化に覆われた社会では、制度規範としての絶対的な勧善懲悪(善を勧め悪を懲らしめる)が人々の心の内面を圧迫する。そこでは、人々は自分の表面を勧善懲悪の構えで飾り立てて生きるしかなくなっていく。
 しかし現実はまことに不条理なものとしてある。疑似イノセンスが入り込む余地がそこにある。固まっていくコンプレックス=恨を抱え続け、「アリラン」の歌のようにそれが解けていく先に希望をもとうとする。現実には他者より抜きん出て俗世間で成功することが一途に目指されていく。
 朝鮮半島の伝統的な社会では、そうした人々の恨をバネとする上昇志向が社会を活性化させる原動力となっていた。良くも悪くも、排他的な自己愛と自己繁栄のエネルギーが、自分の一族や自分が所属する小集団の繁栄へと一途に向けられてきた。

 こうした「集団利己主義」の社会が根本的な解体を経ずして近代へ突入した。日本統治下での近代化推進で解体への道がつけられたとはいえ、戦後はその道を遮断し、反日を繁栄へのエネルギーとする国策が根を下ろした。「集団利己主義」の民族規模での強化が推進されたのである。



本稿は、拙著『「反日韓国」の自壊が始まった』(悟空出版)「第五章」前半を要点中心に圧縮し、新たな観点を加えて書き改めた。


日本を沈没させる「見えない戦争」から生き残るための心得

2020-01-29 12:16:57 | 日記

田中 均

2020/01/29 06:00

日本を沈没させる「見えない戦争」から生き残るための心得


「トランプ、習近平、文在寅、金正恩――。一国・大国主義や過激な主張外交を展開する為政者がポピュリズムに乗じて勢いを増す中、戦火を交えるわけではない「見えない戦争」が、世界のそこかしこで起きている。日本外の最重要課題の交渉に携わってきた外務省きっての戦略家・田中 均氏の新著『見えない戦争(インビジブルウォー)』(中公新書ラクレ)から、世界に静かに迫りくる「有事」に対処するための“正確な眼"とメソッドを伝授する。(日本総合研究所 国際戦略研究所 理事長 田中 均)


トランプ大統領の登場と

“見えない戦争”の進行

 一国・大国主義(トランプ、習近平)、過激な主張外交(金正恩、文在寅)がポピュリズムに乗じて勢いを増す中、国内の趨勢が国際関係に飛び火し、いつ火花を散らす紛争に変わってもおかしくない“見えない戦争”が、世界のそこかしこで起きている。

 ドナルド・トランプは、間違いなく“見えない戦争”の時代の主役だ。むしろ彼の登場こそ“見えない戦争”の象徴であり、先が見えない時代の幕開けだったと言っても過言ではないだろう。

「アメリカ・ファースト」を唱え、移民などへの高圧的かつ傲慢な発言を繰り返し、「世界のためにアメリカが負担を続けるのはもうごめんだ」「アメリカの金はアメリカのために使う。アメリカの兵はアメリカのためだけに戦う」と一部の支持者に向けた発言をし、彼らが喜ぶようなツイートをおこなう。トランプは国民の不満を巧みに利用したパフォーマンスを繰り広げ、支持率が不気味なほど安定している。


アメリカはなぜ復活できるのか

差をつけられる日本の「弱さ」

 アメリカが民主主義先進国として世界秩序のリーダーであることをやめた世界で中国の脅威が増し、他方でナショナリズムが台頭してきた日本は、今後排他的になっていく可能性がある。それが訪れるのが5年後なのか、10年後なのか、あるいはもっと先なのかはわからない。だが、このまま“見えない戦争”が進めば、誰にとっても幸福だとは思えない未来が訪れるだろう。

 これまでも何度も「アメリカは終わった」「もう駄目だ」と思う時代があった。しかし、鉄鋼が下火になれば自動車産業が、自動車が衰退すればITや金融産業が成長し、いまはAI(人工知能)の時代だと言われている。こういったイノベーションで危機を乗り越えてきたのがアメリカだ。アメリカには競争を勝ち抜く教育があり、そこからイノベーションが生まれる。この“見えない戦争”の時代を変え得る突破口は、イノベーションにある。

 インターネットは、世界を変えた。それまで壁となっていた国境を越えて、情報や知識が流通するようになり、多大な変革を世界にもたらした。それは、ある意味で“見えない戦争(インビジブル・ウォー)”を生み出す発端となったとも言える。ポジティブであれ、ネガティブであれ、技術革新は世界を変える力を持っている。これからの社会では、AIや電気自動車などがその役割を担うことが予想されるし、だからこそアメリカや中国はその分野に力を入れ、世界の覇権を争っている。

 しかし残念なことに日本は、時代を変えるような新しい技術を生み出せていないし、生み出すだけの環境も整っていない。これまで日本は、強い平等意識のなかで国が成長していった。戦後日本にやってきたアメリカの経済学者のカール・シャウプは、「世界でもっとも優れた税制を日本に構築する」として、所得格差を是正し富を社会に分配するというシステムをつくり上げたが、これは自国であるアメリカの貧富の格差を反面教師として生まれたものだと推察される。

 税制、そして教育における日本の平等意識は、敗戦から立ち直って、新しい民主主義国家をつくるという意味では、極めて有効に働いた。抜きん出た才能を生み出すより、平均的に優秀な労働力を育成する。その結果、日本は優れたモノづくりの技術を持つ産業大国に成長した。

 だが、新興国がモノづくりの技術を培い、より低コストで生産できるようになると、日本は苦境に陥るようになった。そこに必要だったのは、時代を変え得るアイデア、テクノロジーを生み出す人材だったのだが、そういう人材を日本はつくってこなかった。平均的な人材をつくる教育制度を良しとし、突出する人材を生み出すことができない。

 アメリカでは、教育でもビジネスでも未来に対しての投資が盛んだ。「いま何ができるか、どれだけ利益をあげられるか」ではなく、「将来的に何を生み出す可能性があるか」に対して積極的に投資するから、アメリカという国は既得権益を壊すことができ、新しい技術が生まれる。そこには当然リスクがあるが、彼らはそれを恐れない。


未来をつくる力に乏しい日本人が

「誇り」を持つためには

 日本はどうしてもリスクを先に考えてしまう傾向があり、そのためダイナミックな変革ができない。これはテクノロジーの分野だけではない。政治家にしろ、官僚にしろ、現状に対処する能力は優れているのかもしれないが、既得権益を壊し、未来をダイナミックにつくっていく力が欠けているように思う。

 2050年の日本のベストシナリオを考えると、第一に、今後も一定の経済成長を続けて、自由民主主義体制や自由貿易体制が壊されないことだろう。中国の強大化を止めることはできないが、良好な関係を築くことはできる。もちろん、アメリカとの同盟関係はこのまま維持・強化すべきだし、アジア諸国ともより緊密な関係を築いていかなければならない。

 韓国、北朝鮮、ロシア、さらにはブレグジットの行方が不透明なヨーロッパ、中東、アフリカ……すべての国々と良好な関係をつくりながら、日本としてのアイデンティティを世界に示していくのは、もちろん決して簡単なことではない。だが、それを実現する“新しい絵”を描けなければ、日本はどんどん沈んでいき、20世紀の後半に輝いた“元・先進国”ということになりかねない。

 1945年に無条件降伏をしてから、二十数年で世界第2位の経済大国になったことは奇跡だと言える。それだけのことをやり遂げた日本人は、極めて稀有な資質を持っている。条件さえ整えば、日本はまことにダイナミックな国になり、世界に範を示すことができるはずだと私は信じている。


前例に囚われず孤立を恐れない

「尖った人間」が必要に

 今の日本に必要なのは、単に優秀なだけでなく、尖った人間だ。前例に従わず、孤立することも恐れない、個としての強さを持った人間。明治維新のときに活躍した人たちはみんな尖った人間だった。ところが、いつの間にか日本には「みんなで渡れば怖くない」といった平均主義、前例主義がはびこり、尖った人間が出ると、それを抑えようとするようになってしまった。それでは未来は生まれない。尖った人間を積極的につくらない限り、日本人の資質を復活させることはできないのではないだろうか。

 私自身、外務省時代にさまざまな仕事を手がけたが、「みんなで渡ろう」と思ったことは1回もなかった。外務省や政治家から見れば、扱いにくい官僚だったかもしれない。でも、だからこそ成し遂げられたこと、得られた結果は少なくなかったのではないかと思う。

 今、世界で日本人が活躍している分野はスポーツだ。メジャーリーグでは引退したイチロー選手が「世界最高の打者」と呼ばれ、今また大谷翔平選手がスターの道を進んでいる。テニスでは錦織圭選手や大坂なおみ選手がトッププレーヤーとして活躍し、本場ヨーロッパのサッカーリーグにも多くの日本人が在籍している。

 彼らのインタビューなどを見る限り、彼らは類稀なる個人主義者だ。だからこそ世界の舞台でも恐れることなく、自分の力を発揮することができる。最近の例では、ゴルフで全英オープンを制した渋野日向子選手だ。結果を恐れず、リスクを承知で世界に挑み、そして世界に出て、競争をすることでさらに自分を高める。スポーツ界以外でもこういう人材がどんどん出てきてほしい。
 
 私は、2006年から12年間、東京大学の公共政策大学院で教鞭をとってきた。最初の5年間は日本語で授業をし、あとの7年間は英語での授業。学生は日本人と外国人が半々だったが、積極的に議論して、授業のなかでも建設的な形で議論をしようという意図、意欲を持った日本人はかなり少なかった。中国や韓国からの留学生が積極的に発言するなかで、日本人学生はおとなしくしていたのが印象に残っている。


教育を変え、若者を変え、未来を変えよ

「見えない戦争」に生き残れるか

 未来を変えるには、若者を変えなければならない。若者を変えるには教育を変えなければならない。教育を変えるには、社会が変わらなければならない。

 私は、日本の教育システム自体を見直すべき時期に来ていると思う。日本が競争力を持つ国になるためには、若者を外で勉強させる。海外から人を入れて日本の国内で日本人と競争させる。そういったことをシステムとして取り入れていかないと、なかなか変わっていかないだろう。

 誰もが薄々感じているだろうが、今この国は危機に瀕している。いたずらに煽る気はないが、企業も政治も経済もいつ破綻・瓦解してもおかしくないような状況だと言っていいだろう。これまで日本を守ってきてくれたアメリカも、自国のことで手一杯。10メートル先にあると思っていた落とし穴が、実はすぐ目の前にあるということも考えておくべきだ。

“見えない戦争”を生き抜くためには、危機感を持って、個を磨いていくしかない。周りがどうするか、どう生きるかを見ている場合ではない。自分で判断し、自分の力で前に進むという意識が大切だ。1人ひとりがプロフェッショナルとして個を磨いていけば、日本全体の力が底上げされることになる。それができれば、今この国を覆う漠然とした閉塞感も消えるだろう。

 繰り返しになるが、日本人には世界が羨むだけの能力がある。日本人が、日本人であることを誇りに思える時代が長く続くことを願ってやまない。