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【日曜特集】第33普通科連隊-久居駐屯地創設61周年祭(2)33普連観閲行進(2013-04-21)

2020-06-28 20:20:30 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■平成の普通科連隊の観閲行進
 記念式典が完了し行事は静から動へ、観閲行進か開始されました。現代の普通科連隊は高度に機械化され各種重装備等を装備しており次々と行進進入点へ入ります。

 観閲行進、連隊旗掲げた82式指揮通信車が観閲行進の先頭をつとめます。82式装甲車は1970年代に全国高速道路網整備にあわせ軽装甲車として研究された四輪駆動軽装甲車を源流とする車両で、もともと軽装甲車は普通科部隊全般へ広く配備される計画だったという。

 82式指揮通信車の敬礼、箱型車体でしかし車体後部の車高が高いこの設計は、軽装甲車構想が1973年石油危機の狂乱物価と景気後退により潰えた後、設計を活かして全国の普通科連隊本部や特科中隊本部車両として採用された為の設計変更の名残でもあるのですね。

 82式指揮通信車、角度がつけられたM-2重機関銃が勇ましい。82式指揮通信車は232両が生産、また車体を共通とした87式偵察警戒車が90両、そして車体設計を流用した化学防護車が37両生産されていまして、装甲車体系におけるファミリーを構成しています。

 第1中隊が徒歩により観閲行進を行う。1995年までに陸上自衛隊は普通科部隊の全車両化を達成しまして、2008年の青森第9師団即応近代化師団改編をもって普通科部隊へ高機動車配備を完了しまして、第1中隊も平素には高機動車を部隊の機動力として活用している。

 第1中隊の観閲行進とともに式典会場外縁を自衛官候補生たちが進む。久居訓練場の面白いところは観閲行進待機車両と待機列もこうして一望できるところでして、徒歩行進のながいれつをそのまま訓練場の外縁まで長くながく延びている様子も見える、ということ。

 89式小銃には着剣しての観閲行進だ。64式小銃よりは軽量となった事は前述の通りですが、1990年代から小銃が軽量化された分、戦闘防弾チョッキという重い装備品が個人装備に加わりました。長距離の徒歩行軍では、戦闘防弾チョッキは骨身に堪える負担になると言う。

 第2中隊の徒歩行進へ連隊長が敬礼を行う。第2中隊も高機動車を基本装備としています。昭和の時代までは普通科中隊の無反動砲小隊と迫撃砲小隊、そして連隊本部の通信小隊や施設作業小隊と重迫撃砲中隊のみが車両化され、あとは徒歩、という時代が長く続いた。

 敬礼する第3中隊の隊員たち。アメリカ陸軍でも在韓米軍第2歩兵師団は冷戦時代に完全な歩兵師団であったといいますので、峻険地形の続く朝鮮半島や日本列島では一つの最適解だったのか、自衛隊では長距離機動の場合、師団輸送隊からトラック20両を借り受けた。

 自衛官候補生たちの観閲行進を連隊長とともに構図に収める。時代は終身雇用の終焉を迎えているのですが、人件費の問題があるとはいえ、若者の使い捨てとも言いうる曹候補学生制度は、そろそろまた曹候補士制度に戻し、人材を育てる組織へ回帰すべき、とも思う。

 64式小銃にも着剣されている。さて、この着剣した64式小銃、なんとこの銃剣は41cmもある代物でして、刺されたらば実に痛そうなもの。64式小銃は遠距離の歩兵戦闘を志向しつつ、しかし近接戦闘では銃剣の威力を相応に重視、昭和価値観が設計に反映されている。

 軽装甲機動車の観閲行進が。軽装甲機動車は第4中隊に配備されています。もともとは小銃班11名を3両の車両に分乗させ、集合と分散を迅速化させるという自衛隊独自の装甲車観に基づき開発されたもの。前述しましたが、中部方面隊最初の軽装甲機動車部隊がここ。

 第4中隊の軽装甲機動車、第33普通科連隊に軽装甲機動車が配備されたのは2002年、まだMINIMIは配備前、先ず17両が配備され田舎の連隊にピカピカの装甲車が来たために隊員が見学に並び土足厳禁、MINIMIが無く仕方なく銃座に64式小銃を据えたという。

 日章旗と軽装甲機動車とそして背景には後方支援部隊の車両部隊が。軽装甲機動車は車両としてはもう少し車内容積がほしいとか、重心が高すぎて不整地錯綜地形では転覆しやすい、という難点も聞くのですが、運用次第では軽騎兵的な、戦車駆逐車として機能しうる。

 軽装甲機動車を6両広角で。この軽装甲機動車は設計当時、フランスのVBL軽野戦車とドイツのウィーゼル空挺装甲車を参考としたもので、実は装軌式のウィーゼル方式を不整地の多い我が国では推す声も少なくなかったといいますが、戦略機動性はVBL方式が有利だ。

 軽装甲機動車を8両背後から。結局は安価なVBL方式、そして4扉方式が採用、大量生産されたことで一両は2700万円まで下がり破格の安さで大量生産を行うことができました。派生型で車体延長型や、軽偵察車という研究もありましたが、こちらは実現していません。

 重迫撃砲中隊の観閲行進が始まる。フランスのトムソン社製120mmRTが採用し豊和工業によりライセンス生産したもの。フランスは当初、日本は数十門程度の調達にとどまると想定していたようですが結局463門も調達、即応機動連隊所要含めまだ量産は続いている。

 120mm重迫撃砲の車列、先頭を中隊長が敬礼します。120mmRT重迫撃砲の強さは前型のM-2/107mm重迫撃砲の射程が5kmにたいし、新型は通常榴弾で8.1km、射程延伸弾を用いた場合は13kmと軽砲なみの射程を有する点で実際フランスでは砲兵隊の装備という。

 連隊長へ敬礼する重迫撃砲中隊の各車両、ちなみに自衛隊のアシとして定着した高機動車はもともと、この120mmRT重迫撃砲の牽引車として開発されたものです。そして牽引しているのは厳密には高機動車ではなく重迫牽引車、これ、重迫撃砲の備品扱いなのですね。

 2門の120mm重迫撃砲を真横から。トムソン社からライセンス生産を開始したのは1994年でして、このころから自衛隊は定数1000門、特科火砲の削減を検討し始めます。すると対迫撃砲制圧と直掩用の105mm野砲は削減対象となり、そこで重迫撃砲の強化が行われた。

 2門の重迫撃砲は続き行進してゆく。この装備は普通科に不可欠であり、師団普通科連隊では重迫撃砲中隊、旅団普通科連隊には本部管理中隊重迫撃砲小隊、水陸機動団では各中隊に、第1空挺団では空挺特科大隊に、即応機動連隊では火力支援中隊に配備されています。

 対戦車中隊の観閲行進は始まりました。対戦車中隊は第10師団の乙師団から戦略機動師団への改編に際し師団対戦車隊に16セット配備されているのみであった対舟艇対戦車誘導弾を各12セット、普通科連隊の対戦車中隊へ配備し、即応近代化師団改編後も維持される。

 1/2tトラックに搭載される79式対舟艇対戦車誘導弾。HE弾頭とHEAT弾頭を切り替えることで戦車へも上陸用舟艇へも対処できるもので、大物をねらうとあって弾頭重量は33kg、これはBGM-71-TOWミサイルが16kgですから、ものすごい破壊力を付与されているとも。

 重MATを正面から。TOWなどはM-151ジープの車上から射撃できますが、重い重MATは基本的に地上に設置し射撃を行う。一説には緊急時には車上から10発や20発撃っても問題ない、とも聞くのですけれども真偽のほどは定かではありません。真似しないよう。

 重MATは懐かしい106mm無反動砲のような強面が親しめるのですね。昔、普通科中隊の対戦車小隊には106mm無反動砲が4門ありました、現在小隊に87式対戦車誘導弾が装備される、中MATは射程2km、重MATは射程4km、ほかに射程1.6kmの軽MATもある。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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