北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

自衛隊ヘリコプター事故原因は予算不足による急激な機数削減!政治主導,6機種460機から8機種250機へ急減

2023-04-08 20:22:08 | 防衛・安全保障
■緊急特集:陸自ヘリ墜落
 宮古島陸自ヘリコプター墜落事故、現在も登場していた第8師団長含め行方不明のままとなっていますが将官の事故死となれば自衛隊で初ですし中将の事故死は世界的に見て少ない。

 自衛隊ヘリコプター事故、特に陸上自衛隊のヘリコプター事故は過去20年間に及ぶ予算不足の放置という政治の怠慢が招いた事故であり、残念ながら現場が出来る再発防止策には限度があります、それは防衛予算をそのままにミサイル防衛という巨額の費用を要する防衛事業を20年間続けた結果であり、再発防止策をどう講じても短期的には是正不能です。

 観測ヘリコプター170機、対戦車ヘリコプター90機、多用途ヘリコプター150機、輸送ヘリコプター50機、北大路機関が創設された当時は460機のヘリコプターが陸上自衛隊に装備されていました、多用途ヘリコプターには旧式のUH-1Hが残り、戦闘ヘリコプターAH-64Dはまだ配備開始前でしたが、これだけの数がそろっていたのです、しかし現在は。

 観測ヘリコプター30機、対戦車ヘリコプター/戦闘ヘリコプター35機、多用途ヘリコプター100機、輸送ヘリコプター65機、練習ヘリコプター28機。現在のヘリコプターは250機程度と実質半減しています、そしてこれが重要なことなのですが、ヘリコプター部隊は減っていません、いや実際には第15ヘリコプター隊などいくつかの飛行隊が増えたほどだ。

 航空機予算はそれほど減っていない、という反論があるのかも知れませんが、AH-1Sを倍の費用を投じてAH-64Dに置き換え、OH-6も五倍以上の費用のOH-1に置き換え、UH-1HとUH-60JAも製造費用は四倍近く高くなっている、しかも費用が高くなったので年間調達数を削減するという方策により、製造ライン維持費が嵩み、結果製造単価も高くなる。

 V-22オスプレイ可動翼機の17機導入も、あれは政治主導により導入されたものですが、導入決定こそ、アルジェリアガスプラント邦人企業襲撃事件という当時の事件に、自衛隊には対処出来る邦人救出用航空機が無かった事を受け、急遽導入したものですが、政治主導であっても補正予算ではなく防衛予算で調達、結果的に他の航空機予算を圧迫しました。

 部隊が増大しているのだから航空機調達数は減らすのではなく増やすべきだった、機種が高性能機種に置き換わるのだから航空機予算もそれなりに増やすべきだった、予算と機数を削り続けたことで残る航空機に負担が増し、予備部品は少なく、整備予算さえも削られる、しかし任務は増えているのだから当然ながら必要な分を飛ばさないわけには行かない。

 半減したが任務は増大、民間企業で同様のことを考えてください。トラックを半減させ人員を大きく削った物流会社が半減させるよりも前の貨物量を輸送しようとするならば、現場の任務時間が延々時間外労働を強いて車両整備も限界が生じる、しかし、今年だけがんばってほしいと社員をだまし続け20年を過ぎる、破綻しない方がおかしいようにおもう。

 民間企業ならば非正規労働力により人数を補填することは出来ますが、自衛隊に非正規部隊はありません、そして当たり前ですが、人間に定年退職があるように航空機には耐用年数があり、これも延命改修により機体寿命を延ばすことは可能なのですが、退役する航空機の機数を新規調達する航空機により同じ機数を補填しなければそれだけ数が減るのです。

 AH-1SもUH-1Jも、要するに1995年に調達した航空機は2015年から2020年に退役、2000年に調達した航空機は2020年から2025年には退役、自衛隊が本格的にミサイル防衛に着手したのは2003年です、その前はバブル崩壊野影響から橋本内閣時代の行政改革一環として防衛費縮小が始まっており、こうしたなかで後継機が調達されなければ当然響く。

 響くのはそれだけではない、規模の縮小は教育に影響する、考えてほしいのは民間企業の企業内教育の場合、中小企業よりも大企業の方が教育の余裕があります、学校教育では少人数教育の方が効果はあるといわれていますが、それは児童がクラスあたりの少人数の場合であって、教員を手薄に少人数にした方が教育効果が高まるという研究はありません。

 政治が抜本的な対策をとらない限り影響は続きます、抜本的な対策とは部隊数を大幅に減らしてヘリコプター数に見合った数、たとえば九州南部と北海道以外では自衛隊ヘリコプター部隊は教育部隊以外配備しないとか、もしくは1990年代は年間35機から40機程度はヘリコプターを調達していましたので、処方箋は当面50機を毎年導入する、ということ。

 点検の強化や操縦訓練の改善、恐らく事故対策として幾つかの対応はなされるでしょう、しかし、機数の減少と部隊の増加、この根本要因を解決しない事には事故は形を変えて表面化します、ただ、その所掌は政治の領分であり、政治は現場の現在すでに問題化している状況を認識していません、事故は問題の表面化だからこそ連続する、してしまうのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】今宮神社,災厄の日本史-天変地異に疫病流行下でも日本人は楽しんでいたのですね

2023-04-08 14:41:25 | 写真
■ある意味凄い日本史
 観桜の大団円を飾る御室桜さえ四月一日に満開と云われますと異常気象というものを感じずには、と考えるのですがそれも一興なのだろうか。

 今宮神社、今年は桜の季節が速かった、早かったというのではなく速かったのです、けれども早すぎたことで開花と満開は、異常気象や気候変動やテンペンチイという表現で報道され、防衛省のSDFよりもSDGsだと、騒がれたものですが開花期間は、長かった。

 桜の季節、考えれば、今週末は雨だとか桜を散らす悪天候となるでしょう、というような予報が順調に外れまして、一方で開花時期と三分咲きの時機に雨天があり、満開になった後は低温が続いたことで、ほぼ、二週間は桜の季節が続いて散策を愉しめましたのは幸い。

 やすらい祭は、さくらの散る季節に執り行われるといいますので、四月第二日曜日はほぼその見立て通りとなり、なんだ異常気象というもののそれほどではないじゃあないか、といえるところです。そして祭事は昔から、執行者である朝廷と町衆の間で温度差があった。

 町衆は楽しめた、ということなのです。もっとも逆に現代となれば、疾病の原因は怨霊ではなく単なる細菌かウィルスの感染が原因という事で、疾病は祟られる高位高官の問題で町衆は単なる巻き添え、ではなく感染対策こそが肝要とされ空気が変わるのですけれど。

 朝廷の奉幣使を派遣する立場といえば、文字通り祟られる当事者ですので手抜かりはありません、すると壮麗創大な祭事行列となりますので、日常では見ることのできない風景を見られるという。すると、これは平安時代からなのですが、桟敷席などが用意されていた。

 桟敷席は有料ですが、祭事は春から秋にかけ行われます、これは中世の時代には冬は五穀実らぬ死の季節、飢餓が蔓延する時節です、ただ当たり前なのですが悲しいことに殿上人たちは飢餓の心配はなかったので、この季節には朝廷祭事はほぼほぼ行われませんでした。

 冬の祭事は寺院がかかわるものが多く、これは衆民救済という意味合いを有していたものが含まれます、要するに祭事とともに粥や大根炊きのふるまい、というように。もっともこれは寺院が国家宗教から大衆の信仰へ展開した、もう少し後の話なのですけれどもね。

 春から秋にかけ行われます祭事というのは、要するに庶民からしますと飢餓の季節である冬が終わりましたので、余暇にちょっと見物に、という事が出来てしまうのですね。行事よりも煮沸しろよ、と思われるかもしれないが、当時はまだ今のような衛生観念がない。

 祭事は、そもそも当時の日本の統治機構が定着する前であったゆえの、自由さというか無法が許された時代、桟敷席なんかは安全基準がなくかなり無茶苦茶な建てられ方がしていたようで、傾いたり倒れたり、それを逆に見物したりはやし立てたり、出店もでていた。

 今昔物語集をよみますと、爬虫類を魚類と偽って売り歩く怪しげな行商人、レンジャーじゃああるまいし山ウナギさんを売っていた訳ですか、こうしたものが横行していたという。しかし、騙しだまされ、中世の社会保障という概念そのものがない時代を人々は謳歌した。

 祭事があれば、スリや喧嘩や食い逃げなども横行していて、度が過ぎますと検非違使という、いまの警察機構に捕縛され、見世物のように棒で打たれたりもう少し厳しい仕置きがあったりしたようですが、逆に貧しい生活基盤を持たない人たちが生きてゆく道でもある。

 日本史の暗い中世、という確かに現代社会の生活環境とまともな統治機構に法執行制度、経済制度や雇用法体系に社会保障基盤というものをみますと、あんなその日暮らし時代によく生きてゆけたものと解釈してしまうところなのだけれども、日本人は楽しんでいたのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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宮古島自衛隊ヘリ遭難事件-UH-60JA搭乗の第8師団長依然行方不明,航空救難体制拡充の必要性

2023-04-08 07:00:17 | 防衛・安全保障
■航空救難の遅れを懸念
 不明ヘリコプターは依然発見されませんが、不明者の中に師団長の他に1佐が搭乗しており第8師団の幕僚長なのではと心配しているところです。

 航空機が墜落した場合でもビーコンにより墜落した位置が即座に特定できる為に高速の救難機は不要になったことで順次U-125救難機は廃止される。こう政府が決定したと報じられた際に、それならば何故小松基地で発生したF-15DJ戦闘機墜落事故、飛行教導群司令搭乗のF-15DJが小松基地を離陸直後に墜落した際、使わなかったのかと思ったものです。

 ビーコン、航空機は異常が無ければ情報が発信されたのでしょうが、異常の無い航空機はそもそも墜落しません、そして日本航空や全日空は捜索救難機を有していませんが、自衛隊が救難機を運用するのは、航空戦闘という通常の航空機運用の枠外に備える為であり、防衛という任務領域は当たり前でしょうが、危険を認識しなければならない位置にある。

 航空救難、今回のヘリコプター事故とともに、縮小する方針を政府は示していますが、逆に拡大しなければならないのではないか、と考えます。U-125救難機は老朽化が問題であれば、例えば同じU-125を飛行点検機に運用していた飛行点検隊が後継機にU-680Aを選定していますので、航空救難団もU-680Aを採用するという選択肢があるかもしれません。

 UH-60J救難ヘリコプターだけで機種統合するならば、例えば九州沖縄では、宮古島や大東島、奄美大島や対馬と五島列島に救難隊を新設するなど、高速のU-125を廃止するならば、その分は事故想定海域の近くに航空救難部隊を増強するという選択肢が考えられますし、UH-60Jの一部をV-22可動翼機のような速度の速い機体に置換える選択肢も必要でしょう。

 UH-60JAについて。これは場を改めて考えるべきなのでしょうが、UH-60Jと異なりUH-60JAの墜落事案は今回が初です。一方でVIP輸送などにも用いる航空機である為、間違いが在ってはならない航空機でもあります。その一方で気になるのは、この10年間で陸上自衛隊ヘリコプター保有数が劇的に縮小しており、大半の部隊が定数割れの状況です。

 ヘリコプター数激減の原因は、云うまでもなく深刻な予算不足であり、東日本大震災の頃に酷使した機体を補填せず、観測ヘリコプターは全廃、UH-60JAに統合する計画が在った多用途ヘリコプターは安価なUH-1JとUH-2とで混成運用となり、対戦車ヘリコプターと戦闘ヘリコプターも全廃方針です。この泥縄的な縮小が、運用に影響していないのか、精査が必要です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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