北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】今宮神社,やすらい祭と御霊信仰は年中行事絵巻に記される意外な中世のすがた

2023-04-05 20:23:25 | 写真
■愉しむ他なかった当時
 御霊信仰は殿上人には祟られる対象だったのかもしれませんが庶民はまあ私ら関係ないし、という感覚だったもよう。

 紫野御霊会、船岡山に神輿二基を奉納したところから、元々平安遷都以前から在ります今宮神社は今宮社として現代にいたる歴史を歩み始めました。興味深いのはそのもととなりました祭事は正暦5年こと西暦994年に行われたのですが、創建は1001年という。

 長保3年こと西暦1001年の創建、気づかれるかもしれませんが994年に奉納されました神輿に再度出番が来まして、要するに1001年に疫病大流行があった、この為に再度紫野御霊会が祭事を招集したという構図で、これをもって今宮社が常設されることになりました。

 御霊信仰、祈るほかなかった、と書きますとなにかこう、暗い中世、日本史の闇、医学史の途上、非科学の蠢動、とまあ想像が膨らむのですが、ここをもう少し掘り下げてみますとそう暗くはなく日本史の、といいますか日本人の楽天さが少し垣間見えるようで面白い。

 祭事、いまわたしたちは、やすらい祭や祇園祭など、もともと疾病払いの伝統行事であり本来御霊を弔う厳粛な行事であるはず物のを物見遊山感覚で楽しんでいることは紛れもない事実ではあります、実際京都の観光業もこれで潤っている、これでいいのか、となる。

 年中行事絵巻、というような歴史書として機能する文化財に描かれた当時の様子を見ますと、良いんです、というのが日本史の結論でして、実は当時から疾病払いといわれても当時の町衆も貴族も、おそらく神官僧侶さえも楽しんでいた、とみえる記録が描かれている。

 やすらい祭、春の師団祭旅団祭連隊祭などが全国で幅広く執り行われる四月の第二日曜日に今宮神社で行われる祭事で、やはりこの由来は疾病払いの伝統行事なのですが、これは桜の散るころに疫病が流行り始めるという千年前の認識で始まった祭事なのですけれど。

 安楽祭、夜須礼祭、いろいろ書き方があるのですが、やすらい祭、今年も第12旅団祭や第33普通科連隊創設記念行事などと重なる四月の第二日曜日に行われまして、昔はチラ見していた祭事、最近は祭事よりも戦車を追っている日と重なるという神事でもあるのだ。

 鞍馬の火祭、太秦の牛祭、やすらい祭、これで京都三大奇祭を構成するという、実は北区の自慢の一つであったりするのだけれども、今宮神社では今年もこうした祭事が執り行われている、そしてコロナ禍下では非公開だけれども疾病払い行事を継続はしていました。

 インフルエンザやコロナウィルスなど呼吸器系感染症は冬の疾病ですので、今宮神社の祭事である、やすらい祭、これはおそらくウィルスよりは細菌による感染症、つまり腐食と不衛生が原因となる疾病払いの行事で、祭よりも煮沸のほうが大事と今は言えるのだが。

 奉幣使、という朝廷からの天皇の名代が派遣されて執り行われる祭礼は、要するにテレビもラジオも、この言い方自体が昭和的か、SNSもWeblogも動画サイトも無い時代においては、祭礼一つとって庶民の娯楽であったという、奉幣使は行列を組んで巡航するゆえ。

 御霊信仰は本来高位高官が謀殺など無念を残してこの世を去った場合に祟る怨霊というものですので、要するに庶民からしますと謀殺する立場にもない殿上人の世界、これが原因でこの疾病です、となりますれば要するに打つ手なしとなる、ならば愉しむほかない。

 COVID-19の際にも、まあ写真を出すのは相当先になりますが北大路機関はいろいろ写真を撮影しました、誰もいないあんな場所やこんな場所、公共交通機関も徒歩も自転車もなく自動車でね、つまり、非日常を愉しむ、という行動は実は日本人的といえるものです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】今宮神社,ここは隠れた桜の名所-千年を超える歴史ある佇まいの中に桜が確かにある風情

2023-04-05 20:00:25 | 写真
■さくら溢れる京都
 桜花の季節が早過ぎるというところではありますが今年も満開の桜をお伝えできる。

 御霊会、COVID-19感染がようやくひと段落しましたが2020年の四月、世界中に死者の行列という状況が現実となりました際には少々焦り、すると御霊信仰ではありませんが、ある種祈るほかなかった状況があるのですね。それを考えれば今情勢は落ち着きました。

 御霊信仰、中世まで疾病や災害には全く原因がわからず、これは怨念と怨霊の仕業ではないかという諦めのような信仰がありました、しかし災害は放置できない、その為に慰霊を行うことで鎮めようとした信仰であり京都ではいくつかの神社が祭事を受け持っています。

 今宮神社、ここは隠れた桜の名所、といいますか、歴史ある佇まいの中に桜が確かにある風情を感じつつ、しかしゆったりと時間を過ごしていても観光客は少なく参拝者の柏手だけが時折響く風情が、観桜の季節にはとても愛おしく感じましてここは、お勧めしたい。

 京都市北区紫野今宮町、北大路通の大徳寺から始まります上り坂が船岡山の山麓がみえてきましたあたりで視線をふと北に転じますと、つまり北大路の北、珈琲の豊かな香りとともに大きな鳥居が間近に、そしてやや曲がった参道の遥か先に赤い楼門がみえるのです。

 北大路からは、そう正直に表現しますと楼門ではなく今宮門というちょっとちいさな門のすぐ目の前に、炙り餅、というこれも老舗中の老舗という表現では甘くギネスに正式に載っています世界最古で現存する飲食店がありまして、実はここから参拝に入ったのです。

 長保3年、西暦にしますと1001年と、大変な昔の話に聞こえるのですけれども今宮神社は創建が1000年以上前という長大な歴史とともに当地にあります。周囲の風景は大きく変容していますが、楼門の先に見えます船岡山は当時と変わらず、峰々の壮大さも不変だ。

 大己貴命、事代主命、奇稲田姫命とを祀る、つまりこの国が豊作とともに安寧の国であり続けますように、という、現代では何とか実現できているものの創建当初には少々難しい国家的課題を神に祈っていました神社です。ただ、この地の信仰はもう少し遡るという。

 疫神社という、今では摂社として境内に祀られているのですけれども素戔嗚尊を祀る神社が、実は今宮神社創建よりも遥か先にあったと記録されていまして、この一帯には創建年不明なんていう神社が例えば上賀茂、数多くあるのですが、ここも実はその一つである。

 素戔嗚尊を祀る神社は平安遷都の頃には既にこの地に存在した、面白いもので京都を散策し、その上で古地図なんかを見比べますと、寺院の位置はかなり動いているものが多い、けれども神社については動くにしても区画整理の際位、ほぼ創建の地にあるものが多い。

 疫病を鎮めるための御霊会、数多く行われているうちの一つに正暦5年こと西暦994年の疫病を受けて祭事というものがありまして、この時は神泉苑、上御霊神社、下御霊神社、八坂神社、今も残る錚々たる社殿において祭事が行われました、神輿二つが奉納された。

 船岡山に、朝廷が奉納しました神輿二つは京都を巡幸しまして、その後にこの今宮神社の目の前にそびえます船岡山山頂に安置された。実はこの神輿から、今宮神社が始まったといえるものです。もっとも、山頂に社殿があった時代もありまして、何時しか山麓へと。

 御旅所がこの場合必要となる、そういう流れから疫神社の社殿が御旅所として用いられることになりまして、いまの今宮神社が創建されることとなった。考えれば疾病祓いの神事、そしてCOVID-19の時代に改めて、わたしも祈るのですね、安寧回帰への願いです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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中国偵察気球に情報収集能力-米軍撃墜残骸から判明,逆に浮上するJLENS早期警戒飛行船の有用性

2023-04-05 07:01:41 | 先端軍事テクノロジー
■臨時情報-中国偵察気球
 その昔JLENSという自衛隊も採用を検討しつつ壮大な事故を起こしアーミッシュ集落まで流れ着き嘲笑の的となった早期警戒飛行船が有りました。

 アメリカ本土を領空侵犯しF-22戦闘機により撃墜された中国偵察用気球ですが、アメリカ軍が洋上にて回収した残骸をFBIなどが調査した結果、情報収集能力と情報伝送能力を有する事が判明しました。過去に日本上空にも飛来していました気球は偵察用であり、人工衛星よりも極めて低い高度から電波傍受、周波数情報等を収集していたと考えられます。

 偵察衛星よりも低い高度を飛行し、情報収集を行う。太陽光パネルを装備している事から中国軍が多数を軌道上に展開させる軍事衛星網へ情報伝送が可能である、これは驚くべき事です。しかしなにより、飛行船が軍事的に利用可能であるということ、アメリカ議会が用途無として予算を打ち切った軍用飛行船という装備体系の実用性を証明した事は大きい。

 JLENS,アメリカが1990年代から開発し、2010年代に実験していました早期警戒飛行船です。これはレーダー器材を搭載した硬質飛行船で高度3000mに滞空し、地上と結んだ光ファイヴァーケーブルによりレーダー情報を地上に伝送するという一種の無人早期警戒機であり、大昔有人機として実験していましたN式軟式飛行船の現代版と云えるものでした。

 中国の気球による情報収集はJLENSが目指した警戒管制という運用を現実的に可能であると実証したものではないか。ただ、JLENSの実験失敗は無残なものでした。中国の偵察気球とJLENS,相違点は数多く、まず中国偵察気球は情報収集用でありJ-LENSのような即座の防空情報を収集するものではありません。そしてなにより固定式か移動式かが違う。

 JLENSは早期警戒機の代替として30日間滞空するというものですが、同時に地上と光ファイヴァーケーブルで結ばれており、3000mの高度から550km圏内を空中警戒するというものでしたそれが裏目に出ます、2015年10月28日に実験中、ケーブルが断線してしまい垂れ下がったケーブルを引きづったまま漂流、地上送電網などを破壊する事故起こした。

 早期警戒気球ですが、ケーブルではなくデータリンク装置により情報を伝送し、そして滞空高度を1万8000m規模のものとできたならば、もちろん漂流して他国を領空侵犯する事の無いように、ある程度の飛行管制能力を付与させる必要はありますし、その技術は簡単では無いのかもしれませんが、飛行船にも用途があると、中国が証明したかたちなのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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