■自衛隊関連行事
自衛隊関連行事、今週末は陸上自衛隊関連行事が多数予定されていますが、沖縄県で発生しましたヘリコプター遭難事案により大幅な予定変更が行われます行事がありますので、この点をご留意ください。

今週末の自衛隊関連行事は四つ行われまして北から順番に挙げてゆきますと、第2施設団創設62周年船岡駐屯地祭は4月8日土曜日、第12旅団創設22周年記念相馬原駐屯地祭は4月8日土曜日、第1師団創設61周年練馬駐屯地祭は4月9日日曜日、久居駐屯地創設71周年記念行事は4月9日日曜日、師団祭旅団祭施設団祭連隊行事と久々の開催もならぶ。

第1師団、首都防衛を任務とする頭号師団の愛称で知られる陸上自衛隊の師団です。師団は冷戦時代には9000名規模の甲師団として、平成時代には政経中枢師団として市街戦能力を重視し、21世紀初頭には即応近代化師団として、全国に先駆けて10式戦車を導入した師団の一つとなりましたが、この数年間で地域配備師団へ縮小改編されました後初の行事だ。

地域配備師団は、有事の際にはそれほど動かないということで戦車大隊は廃止され一個中隊だけ16式機動戦闘車を装備する偵察戦闘大隊で我慢するという、ある種ここまで来たか的な編成となっていますが2022年安保関連三文書改訂により、地域配備師団も機動運用することとなり、これは何か太平洋戦争を反省してないな的な編成となってしまいました。

第2施設団は東北方面隊直轄施設部隊であり、元々方面施設部隊は建設工兵部隊という位置づけとなっていましたが、自衛隊改編により戦闘工兵装備を第一線師団より包括管理し、有事の際に戦闘加入させる編成をとっているため、装甲ドーザーを筆頭に師団施設や旅団施設ではほぼみられなくなりました装備も運用、当然の事ですが建設工兵装備も数多い。

東北方面隊は陸上自衛隊において特殊な位置づけにあり、冷戦時代には青函地区防衛という重要任務を受け持つべく本州では重装備を集約させていました師団などがおかれ、重砲なども装備されていましたが、冷戦後も2011年東日本大震災までは位置づけが浮動的となっていました、この為、編成も師団高射廃止と方面高射が隊編成をとるなど個性的です。

第12旅団は東部方面隊隷下の旅団であり、2000年に戦車大隊を廃止しヘリコプター隊をおく改編を行っており空中機動旅団の愛称で親しまれています。このころの陸上自衛隊は戦車を廃止してもヘリコプター隊として数十機のヘリコプターを集中させるとともに対戦車隊を対戦車中隊をして存続させる、予算難を言い訳にしない合理性がありました。

北関東信越地方を防衛警備管区とする第12旅団は、旅団祭を相馬原飛行場において実施しています、この飛行場地区は駐屯地榛名門をでましてそこからさらに上るという、ちょっと歩く駐屯地となっていますが舗装された飛行場地区での行事は自衛隊では希有な事例です。ただ、行事予定は急遽変更される事となり、観閲行進と訓練展示はおこなわれません。

久居駐屯地は、ここまで駅に近い駐屯地は珍しいのではないか、と思えるほどの好立地で、いまは津市ですが前は久居市、久居市の玄関口である近鉄久居駅にほぼ隣接している駐屯地となっています。ここに駐屯していますのは第10師団隷下の第33普通科連隊で、旧陸軍が久居に駐屯した時代も歩兵33連隊の衛戍地であったという不思議な縁と歴史を持つ。

第33普通科連隊は、現在では自衛隊の標準装備となりました軽装甲機動車を中部方面隊で最初に受領した連隊で、当時新品の14両が配備された当時はまだ62式機関銃が残っておりどうするの的な改編であったと、20年以上前の話題ですが当時はちょっとした祭りとなりました。式典は隣接の久居訓練場で実施、会場が広くよゆうがあることでも有名です。
■駐屯地祭・基地祭・航空祭
・4月8日:第2施設団創設62周年船岡駐屯地祭
・4月8日:第12旅団創設22周年記念相馬原駐屯地祭
・4月9日:第1師団創設61周年練馬駐屯地祭
・4月9日:久居駐屯地創設71周年記念行事
■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
自衛隊関連行事、今週末は陸上自衛隊関連行事が多数予定されていますが、沖縄県で発生しましたヘリコプター遭難事案により大幅な予定変更が行われます行事がありますので、この点をご留意ください。

今週末の自衛隊関連行事は四つ行われまして北から順番に挙げてゆきますと、第2施設団創設62周年船岡駐屯地祭は4月8日土曜日、第12旅団創設22周年記念相馬原駐屯地祭は4月8日土曜日、第1師団創設61周年練馬駐屯地祭は4月9日日曜日、久居駐屯地創設71周年記念行事は4月9日日曜日、師団祭旅団祭施設団祭連隊行事と久々の開催もならぶ。

第1師団、首都防衛を任務とする頭号師団の愛称で知られる陸上自衛隊の師団です。師団は冷戦時代には9000名規模の甲師団として、平成時代には政経中枢師団として市街戦能力を重視し、21世紀初頭には即応近代化師団として、全国に先駆けて10式戦車を導入した師団の一つとなりましたが、この数年間で地域配備師団へ縮小改編されました後初の行事だ。

地域配備師団は、有事の際にはそれほど動かないということで戦車大隊は廃止され一個中隊だけ16式機動戦闘車を装備する偵察戦闘大隊で我慢するという、ある種ここまで来たか的な編成となっていますが2022年安保関連三文書改訂により、地域配備師団も機動運用することとなり、これは何か太平洋戦争を反省してないな的な編成となってしまいました。

第2施設団は東北方面隊直轄施設部隊であり、元々方面施設部隊は建設工兵部隊という位置づけとなっていましたが、自衛隊改編により戦闘工兵装備を第一線師団より包括管理し、有事の際に戦闘加入させる編成をとっているため、装甲ドーザーを筆頭に師団施設や旅団施設ではほぼみられなくなりました装備も運用、当然の事ですが建設工兵装備も数多い。

東北方面隊は陸上自衛隊において特殊な位置づけにあり、冷戦時代には青函地区防衛という重要任務を受け持つべく本州では重装備を集約させていました師団などがおかれ、重砲なども装備されていましたが、冷戦後も2011年東日本大震災までは位置づけが浮動的となっていました、この為、編成も師団高射廃止と方面高射が隊編成をとるなど個性的です。

第12旅団は東部方面隊隷下の旅団であり、2000年に戦車大隊を廃止しヘリコプター隊をおく改編を行っており空中機動旅団の愛称で親しまれています。このころの陸上自衛隊は戦車を廃止してもヘリコプター隊として数十機のヘリコプターを集中させるとともに対戦車隊を対戦車中隊をして存続させる、予算難を言い訳にしない合理性がありました。

北関東信越地方を防衛警備管区とする第12旅団は、旅団祭を相馬原飛行場において実施しています、この飛行場地区は駐屯地榛名門をでましてそこからさらに上るという、ちょっと歩く駐屯地となっていますが舗装された飛行場地区での行事は自衛隊では希有な事例です。ただ、行事予定は急遽変更される事となり、観閲行進と訓練展示はおこなわれません。

久居駐屯地は、ここまで駅に近い駐屯地は珍しいのではないか、と思えるほどの好立地で、いまは津市ですが前は久居市、久居市の玄関口である近鉄久居駅にほぼ隣接している駐屯地となっています。ここに駐屯していますのは第10師団隷下の第33普通科連隊で、旧陸軍が久居に駐屯した時代も歩兵33連隊の衛戍地であったという不思議な縁と歴史を持つ。

第33普通科連隊は、現在では自衛隊の標準装備となりました軽装甲機動車を中部方面隊で最初に受領した連隊で、当時新品の14両が配備された当時はまだ62式機関銃が残っておりどうするの的な改編であったと、20年以上前の話題ですが当時はちょっとした祭りとなりました。式典は隣接の久居訓練場で実施、会場が広くよゆうがあることでも有名です。
■駐屯地祭・基地祭・航空祭
・4月8日:第2施設団創設62周年船岡駐屯地祭
・4月8日:第12旅団創設22周年記念相馬原駐屯地祭
・4月9日:第1師団創設61周年練馬駐屯地祭
・4月9日:久居駐屯地創設71周年記念行事
■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関