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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

令和五年度四月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2023.04.08-2023.04.09)

2023-04-07 20:00:19 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 自衛隊関連行事、今週末は陸上自衛隊関連行事が多数予定されていますが、沖縄県で発生しましたヘリコプター遭難事案により大幅な予定変更が行われます行事がありますので、この点をご留意ください。

 今週末の自衛隊関連行事は四つ行われまして北から順番に挙げてゆきますと、第2施設団創設62周年船岡駐屯地祭は4月8日土曜日、第12旅団創設22周年記念相馬原駐屯地祭は4月8日土曜日、第1師団創設61周年練馬駐屯地祭は4月9日日曜日、久居駐屯地創設71周年記念行事は4月9日日曜日、師団祭旅団祭施設団祭連隊行事と久々の開催もならぶ。

 第1師団、首都防衛を任務とする頭号師団の愛称で知られる陸上自衛隊の師団です。師団は冷戦時代には9000名規模の甲師団として、平成時代には政経中枢師団として市街戦能力を重視し、21世紀初頭には即応近代化師団として、全国に先駆けて10式戦車を導入した師団の一つとなりましたが、この数年間で地域配備師団へ縮小改編されました後初の行事だ。

 地域配備師団は、有事の際にはそれほど動かないということで戦車大隊は廃止され一個中隊だけ16式機動戦闘車を装備する偵察戦闘大隊で我慢するという、ある種ここまで来たか的な編成となっていますが2022年安保関連三文書改訂により、地域配備師団も機動運用することとなり、これは何か太平洋戦争を反省してないな的な編成となってしまいました。

 第2施設団は東北方面隊直轄施設部隊であり、元々方面施設部隊は建設工兵部隊という位置づけとなっていましたが、自衛隊改編により戦闘工兵装備を第一線師団より包括管理し、有事の際に戦闘加入させる編成をとっているため、装甲ドーザーを筆頭に師団施設や旅団施設ではほぼみられなくなりました装備も運用、当然の事ですが建設工兵装備も数多い。

 東北方面隊は陸上自衛隊において特殊な位置づけにあり、冷戦時代には青函地区防衛という重要任務を受け持つべく本州では重装備を集約させていました師団などがおかれ、重砲なども装備されていましたが、冷戦後も2011年東日本大震災までは位置づけが浮動的となっていました、この為、編成も師団高射廃止と方面高射が隊編成をとるなど個性的です。

 第12旅団は東部方面隊隷下の旅団であり、2000年に戦車大隊を廃止しヘリコプター隊をおく改編を行っており空中機動旅団の愛称で親しまれています。このころの陸上自衛隊は戦車を廃止してもヘリコプター隊として数十機のヘリコプターを集中させるとともに対戦車隊を対戦車中隊をして存続させる、予算難を言い訳にしない合理性がありました。

 北関東信越地方を防衛警備管区とする第12旅団は、旅団祭を相馬原飛行場において実施しています、この飛行場地区は駐屯地榛名門をでましてそこからさらに上るという、ちょっと歩く駐屯地となっていますが舗装された飛行場地区での行事は自衛隊では希有な事例です。ただ、行事予定は急遽変更される事となり、観閲行進と訓練展示はおこなわれません。

 久居駐屯地は、ここまで駅に近い駐屯地は珍しいのではないか、と思えるほどの好立地で、いまは津市ですが前は久居市、久居市の玄関口である近鉄久居駅にほぼ隣接している駐屯地となっています。ここに駐屯していますのは第10師団隷下の第33普通科連隊で、旧陸軍が久居に駐屯した時代も歩兵33連隊の衛戍地であったという不思議な縁と歴史を持つ。

 第33普通科連隊は、現在では自衛隊の標準装備となりました軽装甲機動車を中部方面隊で最初に受領した連隊で、当時新品の14両が配備された当時はまだ62式機関銃が残っておりどうするの的な改編であったと、20年以上前の話題ですが当時はちょっとした祭りとなりました。式典は隣接の久居訓練場で実施、会場が広くよゆうがあることでも有名です。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・4月8日:第2施設団創設62周年船岡駐屯地祭
・4月8日:第12旅団創設22周年記念相馬原駐屯地祭
・4月9日:第1師団創設61周年練馬駐屯地祭
・4月9日:久居駐屯地創設71周年記念行事

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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自衛隊ヘリ宮古島沖で行方不明!第8師団長坂本雄一陸将遭難,深刻さ増す予算不足下のヘリ部隊激減中での事案

2023-04-07 07:00:24 | 防衛・安全保障
■臨時情報-自衛隊ヘリ事故
 師団長遭難という驚くべき報道が昨日舞い込み真偽確認が難航しましたが2100時過ぎに陸幕が師団長遭難を発表しました。

 第8師団長坂本雄一陸将らが搭乗したUH-60JA多用途ヘリコプターが昨日、宮古島沖の東シナ海海上で行方不明となり、防衛省自衛隊は航空事故と認定し捜索を実施しています。事故は昨日、1546時に航空自衛隊宮古島分屯基地を離陸し、周辺地形を確認する飛行を実施中、行方不明となりました。当初予定では1705時宮古島分屯基地に帰投予定でした。

 宮古島には陸上自衛隊宮古島駐屯地が開庁していますが、1973年にアメリカ軍から移管された航空自衛隊の宮古島分屯基地があり、第53警戒隊のレーダーサイトが置かれています、この分屯基地は作戦情報隊第4収集隊や、過去に北朝鮮ミサイル脅威の際には沖縄救援隊が展開するなど規模が大きく、予備部品など、物資輸送用にヘリパットもおかれている。

 1556時、陸上自衛隊の発表によれば離陸から10分後に航空自衛隊の宮古島分屯基地レーダーから機影が消えたとされています。海上保安庁の巡視船などが出動し、現場海域を捜索していますが、6日の段階で無人の膨張式救命筏や回転翼などが発見されるも、生存者はなく全員が行方不明という状況、飛行中に空中分解した可能性が考えられます。

 目達原AH-64D戦闘ヘリコプター墜落事故、メーカーは違いますが過去にはローター部分が破断し墜落する事故が実際に発生しています。回転翼の動力系統が全停止した状態ではオートローテーションという残る翼の揚力により不時着する性能はあるのですが、仮にローターそのものが破断しますと打つ手なし、自由落下しかない状況となります。

 UH-60JA多用途ヘリコプター、事故による喪失は今回が初めてです。相馬原の第12ヘリコプター隊、木更津の第102飛行隊、高遊原の第8飛行隊、那覇の第15ヘリコプター隊などに配備されている多用途ヘリコプターで、航空自衛隊のUH-60J救難ヘリコプターと同系統、気象レーダーに前方赤外線監視装置など優れた飛行性能を有するヘリコプターだ。

 木更津にてその昔、UH-1J操縦士の方に、UH-1系統の信頼性は高く操縦ミスさえなければ機体由来の欠陥による事故は皆無だ、とお教えいただき、直ぐとなりのUH-60JA操縦士の方にそのお話を伝えますと、いやいやUH-60JAは事故そのものが皆無です、と安全性を強調されました。しかし運用開始から20年以上、今回の事故となってしまいました。

 ヘリコプターは自衛隊では長年の予算難から激減しており、2011年東日本大震災のころと比較した場合はもちろん、2005年のWeblog北大路機関創設当時と比較しますと半数以下に激減、この結果、整備体系や補給体系と教育体系に大きな歪みが生まれています、現場はがんばっています、しかし気合いがんばりだけでは部品と機材不足どうにもなりません。

 第8師団長坂本雄一陸将、少し前に中部方面隊幕僚副長に補職、第12旅団長などを経て先週第8師団長に補職されたばかりです。南九州及び南西諸島北部の防衛を担任する第8師団ですが、当面は副師団長の濱田剛陸将補が師団の指揮を執り、後任の師団長補職を待つこととなります。現職師団長の遭難となれば、自衛隊史上初となるのかもしれません。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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