気紛れ貴婦人願望バーバの徒然草~カムイミンタラに憧れ、悠々自適人になりたい

ご訪問いただきありがとうございます。安政の探検家松浦武四郎足跡を訪ね、音楽と自然、いにしえのロマンを愛する旅人です。

北見市内の松浦武四郎踏査地を訪ねて

2012-11-19 09:51:46 | 旅行
2011年9月10日、北見市のピアソン記念館やハッか記念館を見学した後、松浦武四郎の顕彰碑などを探した。
松浦武四郎踏査跡地の顕彰碑
 
この碑は北見市の新興住宅街の常呂川の土手近くにあった。平成八年に建立されている。説明には『私たちの郷土北見は松浦武四郎の探検記録「戊午登古呂日誌により初めて歴史に登場した。安政五年(一八五八年)二月、幕府より山川地理取調方を命ぜられた武四郎は弟六回最後の蝦夷地探査のため凾館を出発、道東地域を踏査した。日誌によると、同年六月二十三日、斜里から陸路常呂に到着した武四郎は、翌日土地のアイヌの人々に案内役を依頼し、丸木舟で常呂川を遡上した。工程はクトイチャンナイ(常呂町福山)ムイコツネ(東八号線)で書く一泊、六月二十六日にヘテウコヒ(北見市中之島、北光)を経てクッタルヘシベ(訓子府町日の出)に至り、往復四泊五日の内陸探査の旅を終えた。』北海道及び北見国の命名者である探検家の偉大なる業績を後世に伝えるため、北見市開基百年の意義ある年に当たり、踏査のち常呂川の岸辺に記念碑を建立する・・・と書かれている。北見市民の方にとっても郷土の歴史を知る貴重な記念碑と私は思う。北見市には知人はおりませんでしたが、今は医療系の大学の教授になられて平成24年度から赴任された方や、高校時代を北見で過ごしたという知人がおります。北見が身近に感じられた。
 次は常呂川の中ノ島公園内の武四郎の説明版を探すのであるが、以前、音更町の鈴蘭公園内にある武四郎の碑を探す際、公園に着いたはいいが、広大な公園内のどこにあるのか探すのに苦労したことがある。今回も無加川と常呂川に挟まれたような公園を探すのは大変と思い、土手をウオーキングされていた方に「松浦武四郎の碑を見たことがありますか?」と聞いたが・・・中ノ島へはあの橋を渡って行けばいいのだが・・・」と言いながら、案内をして下さった。ご親切な方に感謝です。
 公園は森林であまり人が見えなかったが木々の間に看板らしきものを発見!案内をしてくださった方もご一緒に見た。彼は帰りまでお付き合いをしてくださったのです。お陰様で北見市の方との温かい触れ合いも嬉しい旅になりました。
 案内の方と橋を渡る

松浦武四郎 当地方初踏査の利用河川

北見の常呂はカーリングが有名ですが、市内のピアソン記念館や蝦夷地探検の松浦武四郎の貴重な歴史遺産も忘れてはならないことかと・・・それぞれの郷土を思う。
説明版には
『幕末の探検家、松浦武四郎は弘化二年(一八四五年)から安政五年の間にいまだ未開の蝦夷地を六回探検して膨大な日記類と地図を残した。この中の「戊午登古呂誌」に常呂川流域を詳しく記録した。(中略)常呂川探索は旧暦五月十四日に出発して、クトイチャンナイ(常呂町福山辺り)泊~ノヤサンヲマナイ(端野町二区辺り泊~ヘテウコヒ(北見市中ノ島辺り)を経て相内辺りから無加川・訓子府川を渡って常呂川のクッタルシベ(訓子府町日の出辺り)泊。探索はここまで。(中略)翌日は仁頃川全域、無加川の相内より上流、常呂川のクッタルシベからの上流は同行したアイヌの案内人からの聞き取りを記録している。』

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