熊本機関区には豊肥本線用の9600形 高森線用のC12形 それと入換え用にC11形が在籍していました。
1971年12月00日撮影 肥薩線 瀬田~立野
79653号機牽引の795レです 阿蘇外輪山の西の切れ目からスイッチバックの立野駅に向かう列車が国道をアンダークロスする位置からの撮影です この先の立野駅でスイッチバックし(列車の後煙の右側にスイッチバックの引き上げ線が見えています)日本一のスイッチバックを抜けて外輪山を越え火口原に向かう列車を二度・三度と写す事ができ 夕方には9600形重連の旅客列車も有り雄大な阿蘇の風景や変化に富んだ路線で人気の撮影地でした。
1971年12月00日撮影 豊肥本線 宮地~波野
同じく9600形が引く795レです 波野越えと呼ばれていた 25/1000の連続勾配が続く難所に向かう列車が眼前を通り過ぎ やがて大きく右にカーブし中岳の噴煙に負けない位の煙を上げて ゆっくりしっかりした足取りで波野越えに挑んでいきました。
1971年12月00日撮影 肥薩線 瀬田~立野
79653号機牽引の795レです 阿蘇外輪山の西の切れ目からスイッチバックの立野駅に向かう列車が国道をアンダークロスする位置からの撮影です この先の立野駅でスイッチバックし(列車の後煙の右側にスイッチバックの引き上げ線が見えています)日本一のスイッチバックを抜けて外輪山を越え火口原に向かう列車を二度・三度と写す事ができ 夕方には9600形重連の旅客列車も有り雄大な阿蘇の風景や変化に富んだ路線で人気の撮影地でした。
1971年12月00日撮影 豊肥本線 宮地~波野
同じく9600形が引く795レです 波野越えと呼ばれていた 25/1000の連続勾配が続く難所に向かう列車が眼前を通り過ぎ やがて大きく右にカーブし中岳の噴煙に負けない位の煙を上げて ゆっくりしっかりした足取りで波野越えに挑んでいきました。