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「プロローグ」終演後の羽生結弦のインタビュー内容・次回「GIFT」へ込めた想いと羽生結弦のここまでの歩み

2022-12-15 | プロアスリート羽生結弦と日本の未来を応援する!

12月15日追記: ※ プロローグ八戸公演最終日は、羽生結弦はリクエストコーナーで「悲愴」と「Otonal」を演技しました!

2019年―2020年シーズンには、シーズン途中却下せざるを得なかった「Origin」と「Otonal」の2つのプログラムですが、2年連続わざわざやったくらい、羽生結弦本人にとっては、とてもとても大事なプログラム。

スーパースラムのかかる、4大陸選手権前に、却下した本当の理由は既に警察にも検察にも報告・刑事告訴してあります。あり得ないほど酷い首回りや腰回りを動けなくする「技術妨害衣装」「プログラム破壊衣装」にされて強要され、自分の思い通りの演技が決してできず、かえって誤解を与えて、観客に届くべきものが、本来の意味と全く変わってしまうからでしたので、「プロローグ」では カナダのデザイナー・キャロンさんが造られた「Change」用のかっこいい、動きやすい衣装で「Otonal」をも滑ることができ、堂々の披露となりました!

動きも大変スムーズで、怪我の心配もなく、見ていても本当に幸せそうな羽生結弦の姿は、素晴らしかったと思います!今後ともどうぞご期待ください♪

アスリートが、本来着るべき衣装を、堂々と着て堂々と技術を披露できるのは、本当にいいものですね♪  それができない事態というものこそが異常なのであり、犯罪であり、酷い人権侵害ですので、世界中の「本当の」ファンの方々や、真実を知っているマスコミ関係者の方々には、安心してみていられたと思いますし、とても嬉しいことだったと思います!

 

12月7日:インタビュー内容をさらに追加いたしました!(スポニチがさらに全文掲載をしてくださっていたので、リンクと共に追加いたしました!詳細掲載を感謝です! 東京ドーム開催になるまでの経緯なども語られていますので、ぜひご覧ください!)

 

 

「プロローグ」は無事終了いたしました! 「プロローグ」は、東和薬品の特別協賛、コーセー、西川、味の素 の協賛によるアイスショーでした。

 

それぞれのスポンサーの、現在のキャンペーンその他は、以下でご確認いただけます!

(東和薬品)東和薬品が特別協賛する、羽生結弦の新アイスショー「プロローグ」インタビューと公式特別動画と独自のインタビュー、技術と品質と信頼を大事にする強力なパートナーに心から感謝です!

(味の素)羽生結弦の栄養管理「味の素」が羽生結弦の手作り料理動画を公開!「おいしいねは笑顔の素」キャンペーン開催中!あなたも笑顔の花を咲かせよう!舞台裏のサポートと闘い!メニューは日々紹介中!!

(布団の西川)布団の西川とプロアスリート羽生結弦の「Winter Sleep2022キャンペーン」第2弾!オリジナルマスクケースがもらえる!

(コーセー KOSE)KOSEのクリスマス新コラボ・キャンペーンと「羽生結弦のみやびやかなひと刻(とき)」の真実・第九夜「新たな可能性」と長年の脅迫・第六夜「原点回帰」~第一夜「何ひとつ妥協しない」羽生結弦の信念!

 

 

12月6日は、羽生結弦の27歳の最後の日ですが、27歳の羽生結弦の一環した意思は、こちらのページ内容を自ら公表することでした。羽生結弦が「幸せでいるために」作った本当のSP「白鳥」と現役最後の特別演技「エスメラルダ」(ノートルダム・ド・パリより)の動画&歌詞と衣装に込めた想い・ファンタジーオンアイス2022静岡公演最終日 -

本人の口から語れず、演技も披露できずにいるのは、ただ単に脅迫者たちの脅迫が続いているせいなだけですので、ここに 27歳の最後の羽生結弦の強い意志として、改めて掲載いたします!どうぞご覧ください!(クリック)

民主主義国家において、他人の意志や選択や決断、また、他人の思想・信条を勝手に捏造したり、強要したり、虚偽を流布して名誉毀損・信用毀損させることは、決して許されることではありません。

(※ 当然に刑事責任も民事責任も負うことになると、よくご理解ください。)

 

「幸せ」への第一歩は、その人の選択権を保証し、誰もが脅迫や強要に屈しない、そのような社会であり、未来を築くことです!

第8回:羽生結弦と「幸せのかけら」~ 爆心地付近の奇跡の生存被爆者となって生き抜いた方が、私たちに託したものと真実の宝   

戦後77年目・羽生結弦の演技&プログラムの真実~ 第2回:日本人と中国、世界中の羽生ファンが絶対に知るべき、ヒロシマ・ナガサキの「勇気の真実」~羽生結弦が演技に込めた「宝」の世界27か国語・被爆証言集

第6回:羽生選手と「幸せのかけら」~ 1945年の8月15日・終戦の日に「死にそびれ」「奇跡的に生かされた」特攻隊員・元猛烈軍国青年の牧師が胸に抱き続けた、慟哭(どうこく)の記憶

 

プロローグ 横浜・八戸公演では、羽生結弦は、27歳の男性にして 見事なビールマン・スピンを何度も披露するという

前代未聞の偉業をも成し遂げています!

 

羽生結弦がビールマン・スピンをやる光景を見慣れてしまった人たちには、わからないかもしれませんが

これはもう、本当にすごいことであり、とてもハイリスクなことでもあります。

 

ぜひそう言った、本当に一つ一つの演技の一部とその背後にある大変な鍛錬の積み重ねにも、ご注目頂ければと思います!

最終日、アンコールの「パリの散歩道」を披露するために出てきた羽生結弦が最初に披露したのは、

「レッツゴー・クレイジー!」の途中でやる レイバック変形ランジ (通称・ズサー!)でしたが、

今までにないほどの柔軟性を発揮した、すごい態勢で前方にむけて滑ってきました!

背中がきれいにカーブして、頭が氷につくすれすれでしたけれども、すごいものを見せてくれました!

 

最終日の八戸公演は、いつも以上に、最初から気合が全く違っていましたね!(その前だって全力でしたけど)

最終公演での「SEIMEI」は、平昌五輪の時と同じように、すべてをやらせていただきました。(もちろん、一部カットしてあり、ジャンプもトリプルアクセルを増やす等の変更はしていますが。)

 

また、「Change」は今までで最も良かった回だったかと思います。

津軽三味線奏者の中村さんも、「最高のChangeを見せる!」と意気込んでいらっしゃいましたけど、実際にすごくかっこいい共演でしたね!

会場では、やや遠くて細部までが見えない方々もいらっしゃるかと思いますが、ぜひCSテレ朝1の録画で、再度、細部までご確認いただければと思います…!

 

以下、こちらのスポーツ報知のこちらの記事からです! 羽生結弦さん「僕の理想とするようなプロにちょっとなってきたかな」単独アイスショー「プロローグ」完走 : スポーツ報知 (hochi.news)

 

スポーツ報知のフォトグラファー矢口さんの、フェイバレットカレンダーは、あなた自身の選択により、すばらしいものができますので、ぜひご検討・購入ください!好きな写真が選べる!「羽生結弦フェイバレットカレンダー2023」が新発売!矢口亨さん(スポーツ報知)の素晴らしい写真群から選択できます!

(全日本選手権2021(最後の全日本選手権)と、北京五輪2022での、4回転アクセルの連続写真が どちらも選択できます…!)

 

―プロローグを完走されて、今の気持ちは?

 「何よりも大きな怪我なく、最後までこうやって完走しきれたことは、ほんとに大きな経験になったかなというふうに思うのと、過度な緊張だったり、プレッシャーだったり、いろんなことはありましたけども、それでもやっぱり、多くのスタッフの方々に支えていただきながら、こうやってプロとして活動していくんだなってことを改めて実感したので。またこれから、スポンサーの方々も含めて、二人三脚で、自分の力だけじゃなく、頼りながらも、これからもプロとして頑張っていこうと思っています」

 ―満員の会場。そういう光景を見て、感じたことは?

 「正直、例えば、2021年の全日本選手権でも思ったんですけど、これだけの歓声だったりとか、多くの視線を浴びながら滑ることってあとどれくらいあるんだろうっていうふうに思いながら、あの頃は滑っていました。ただ、実際こうやってプロになって、それでも、多くの方々に見ていただき、視線が届かない場所でも、ライブビューイングだったりとか、テレビだったりとか、そういったところでも、たくさんの方々に見ていただいて。ほんとに、スケーター冥利に尽きるというか、ほんとにスケートやっていて良かったなと思える瞬間がたくさんありました。これからも、みなさんがもし、必要としてくれるのであれば、必要とされたようなスケートを常に全力を尽くしてやっていきたいと思いますし、ふと目に入ったときに、『羽生結弦のスケートいいな』って、ほんのちょっと1秒でもいいんで、思ってもらえるような演技をこれからも頑張って続けていきたいと思います」

 ―アマチュア時代に比べてさらに技術が上がったのか、本番力みたいなのが上がったのでしょうか?

 「正直、毎日フリーやるより、もっと大変な気持ちでやっていて。もちろん4回転の数っていうことを考えたら、普通のフリーよりも全然少ないですけど。でも、トリプルアクセルの回数とか、またビールマンとかも復活させたりとか、結構体を酷使してやっているので、なんかそういう意味では、単純に体力がついたっていう感じはしました。ただもちろん、ちょっとでも気を抜いてしまえば、いくらでもボロボロになってしまう可能性がある演目たちだったので、ちゃんと気を張ったまま、そして1時間半、まあもっと言うと、練習から本番までの間も含めて、ずっと緊張したまま、最後までやり切れた精神的な成長もあったのかもしれないなって、自分では評価しています」

 ―7日は28歳の誕生日。27歳を振り返って思うこと、28歳はどんな1年にしたい?

 「僕にとって27歳はほんとに、大きな節目を迎える年になりました。27歳の途中で、プロに転向するという決意をして、今ここで、プロ初のツアーをとりあえず、まあ2カ所ですけどね。でも、すごく内容の濃いものを完走し切れて、ちょっとプロに、僕の理想とするようなプロに、ちょっとなってきたかなって。1歩踏み出せたかなっていう気持ちで、とりあえず27歳を終えることができると思います。

28歳は、プロだけの自分になると思うので、その大きな節目を超えた自分が、アマチュア時代の自分とかを見たときに、『ああ、今の方がうまいな』って胸を張って言えるように、これからもどんどん成長していきたいですし。あとは、自分の演技が見たいなって思った時に、アマチュア時代の演技を探すんじゃなくて、今の自分で、すっと刺さるような演技をこれからも目指して頑張っていきたいなと思います」

 

こちらは、日刊スポーツのこちらの記事による、インタビュー内容の公開です。

【フィギュア】羽生結弦さん「このまま続けていっていいんだな、という自信に」/一問一答 (msn.com)

 

-27歳がどのよう1年で、28歳はどのような1年にしていきたいか

27歳はまだ終わっていないので、何とも言えないんですけど(笑い)。僕にとって27歳は、本当に大きな節目を迎えた年になりました。27歳の途中でプロに転向するという決意をして、今ここでプロ初のツアーを…とりあえず2カ所ですけど、すごく内容の濃いものを完走し切れて、ちょっと僕の理想とするようなプロにちょっとなってきたかなと。足を1歩、踏み出せたかなという気持ちで、とりあえず27歳を終えることができると思います。

28歳は本当にプロだけの自分になると思うので、その大きな節目を越えた自分が、またアマチュア時代の自分を見た時に「今の方がうまいな」と胸を張って言えるように、これからもどんどん成長していきたいですし。あとは自分の演技が見たいなって思った時に、アマチュア時代の演技を探すのではなくて、今の自分でスッと刺さるような演技をこれからも目指して、頑張っていきたいなと思います。

-横浜公演の時、プロとしての目標は「まだまだフワフワしている」と話していた。「プロローグ」全体を通してヒントになるものは見つかったか

何か、このまま続けていっていいんだな、という自信にはなりました。正直、この「プロローグ」を構成している段階で、やっぱりフィギュアスケーターとして衣装を変えないでずっと滑り続けるということが物理的に、体力的に不可能だということは既に分かっていたので。そこをどういう風に皆さんに感じていただけるか、どういう風に皆さんがそこを含めて最後まで楽しんでいただけるか、見ていただけるか、ということがすごく不安でした。なので、自分1人でやるショー自体が皆さんに受け入れていただけるか、という不安の中でのプロのスタートだったので、そういう意味ではかなりフワフワしていました。

この「プロローグ」を実際に終えてみて、このスタイルでも皆さんに喜んでいただけるんだ、ということがちょっと自信にもなったので。またこれから先、自分の半生を描いてショーをやるということはそんなに頻繁にはないと思いますけど、またいろいろなことを考えて、またいろんな構想を練って自分のプログラムが皆さんに届くように。また楽しんでいただけるような、自分の理想のプロとしての形を、ショーを、これから続けていけたらいいなと思いました。

 
こちらのスポニチの記事からも、インタビュー内容が詳細に掲載されています。
 

(テレビカメラの準備中)「疲れて死んじゃいそう、本当に。今日6時起きなんですよ(笑い)」

 ――「プロローグ」を完走して涙も見えたが。

 「とりあえずプロとしての最初のアイスショーというのもあったので、まあとにかくプロとして特に一番気をつけないといけないことはケガをするっていうことだと思っていたので。何よりも大きなケガなく、最後までこうやって完走しきれたことは本当に大きな経験になったかなと思うのと。あと、こうやって体調をちょっとずつ崩したりとか、もちろんありましたし、過度の緊張だったり、プレッシャーだったり、いろんなことありましたけど。それでもやっぱり多くのスタッフの方に支えていただきながら、こうやってプロとして活動していくんだなと改めて実感したので。またこれからスポンサーの方々も含めて二人三脚で自分の力だけじゃなく頼りながらもこれからもプロとして頑張っていこうと思っています」

 ――今日も満員で、その光景を見てどんな感情だったか。

 「正直、例えば2021年の全日本選手権でも思ったんですけど。これだけの歓声だったりとか、多くの視線を浴びながら滑ることって、あとどれくらいあるんだろうっていうふうに正直思いながらあの頃は滑っていました。ただ実際こうやって今プロになって、それでも多くの方々に見ていただき、また視線が届かない場所でもライブビューイングだったりとか、テレビだったりとか、そういったところでもたくさんの方々に見ていただいて、本当になんて言うんですかね。スケート、スケーター冥利に尽きるというか。本当にスケートをやっていて良かったなと思える瞬間がたくさんありました。これからも、何て言うんですかね。皆さんがもし必要としてくれるなら、必要とされたようなスケートを常に全力を尽くしてやっていきたいと思いますし。また心が別に離れたとしても、ふと目に入ったときにやっぱり羽生結弦のスケートって良いなって、ほんのちょっと1秒でもいいんで。思ってもらえるような演技をこれからも頑張って続けていきたいと思います」

 ――プロローグが終わり、これから本編と言っていたが、2月にアイスショーがある。

 「初めてスケーターとして東京ドームでの公演ということで、正直、凄い緊張しています。ここまで来るに当たって、まずたくさんのスタッフの方々が構成を練って。また自分でもいろんな構成を考えて。そしてその中に物語をつけて、自分で書いて、ナレーションをつけて、みたいな作業をこれからもやっていくつもりなんで。あの、普通のアイスショーとはまた違って物語が主体としてあって、その中に僕のプログラムたちがいろんな意味を持ってそこに存在しているっていう絵本のような、うん。物語を鑑賞しに来ているような、そんな感覚で見ていただけるスケートになっていると思うので。ぜひ期待していただければと思います」

 ――今日は「ロミオ+ジュリエット」あたりからもの凄く気合が入っていた。

 「全部、気合が入っていましたよ(笑い)」

 ――千秋楽で開放感もあったのか。

 「いやもう、最初から最後まで全力でした。あの、やっぱり自分の中でも最後だ、ということがもちろんありましたし。ただ最後だからこそ、余計、最後まで体力を残しながら全力を残しきることをやっていかないといけないので。そのバランスは僕にしか分からないと思うんですけど。凄い大変なショーではありました。ただ大きな崩れもなく、やっぱり最後までジャンプをしっかり決めきれて、演技できたことは、これは競技的な観点かもしれないですけど、やっぱりちゃんとジャンプ決めて全部ノーミスしてやれたのは自分にとっても自信になりますし、良い演技を届けられたという達成感にもなってます」

 ――1時間半、プログラムを演じた感覚になるのか。

 「そうですね(笑い)。常に休む暇もなく、ずっと滑り続けなきゃいけないですし。あとはプログラムによっていろんな気持ちの整え方だったりとか、届けたいメッセージだったりとか。いろんなことがあるので、そういう切り替えもいろいろ大変だったは大変だったと思います」

 ――「SEIMEI」はノーミスだった。5公演ミスなくいけるのはアマチュア時代より技術が上がったのか、本番力があがったのか。

 「あー。そうですね。正直、毎日フリーやるより、もっと大変な気持ちでやってて。もちろん4回転の数っていうことを考えたら、普通のフリーよりも全然少ないんですけど…ちょっと待って、頭がスってなっちゃった今(苦笑い)。えっと。トリプルアクセルの回数とか、ビールマンを復活させたりとか、結構体を酷使してやっているので。そういう意味では単純に体力がついたっていう感じはしました。ただもちろん、ちょっとでも気を抜いてしまえば、いくらでもボロボロになってしまう演目たちだったので、ちゃんと気を張ったまま、そして1時間半、もっと言うと、練習から本番までの間も含めて、ずっと緊張したまま最後までやりきれた精神的な成長もあったのかもしれないなって、自分では評価しています」

 

続きはこちらのスポニチ記事からです 【羽生結弦さん、語る プロローグ千秋楽(2)】東京D公演「GIFT」へ抱負「物語は恩返しから」― スポニチ Sponichi Annex スポーツ

――東京ドームも一人でやり切るのか。27歳はどんな1年だったか。28歳はどんな1年にしていきたいか。
 「えっと、まず東京ドームも一人でやるつもりです。もちろん演出とかは、もうちょっと凝った、こういう凝ったものではなくて、もっともっといろんなテクノロジーを使ったりとか、そこの間自体もビデオとかではなくて、もっと何か演出として楽しめるような、物語を楽しめるようなものも、また新しい感覚で楽しんでいただけるようなショーというよりスケート、物語にしていきたいなというふうに思っています。今後も、こういうプロローグのような形のアイスショーだったりとか。いろんなアイスショーにも参加させていただく予定ですし。何だろ、こういう既存のショーからちょっと進化したようなショーたちもどんどんますます進化させていきたいと思いますし。もっとやっていきたいんですけど、それとは本当にまた全く違ったスケートの見方、みたいなものを東京ドームではやりたいかなと思っております。で、27歳はまだ終わっていないので(笑い)。何とも言えないんですけど、僕にとって27歳は本当に大きな節目を迎える年になりました。えー、27歳の途中でプロに転向するという決意をして、今ここでプロ初のツアーを。とりあえず2カ所ですけど、凄く内容の濃いものを完走し切れて、ちょっとプロに…僕の理想とするようなプロにちょっとなってきたかなって、足を一歩踏み出せたかなっていう気持ちでとりあえず27歳を終えることができると思います。28歳は本当にプロだけの自分になると思うので、その大きな節目を超えた自分がまた、アマチュア時代の自分とかを見た時に、今の方がうまいなと胸を張って言えるようにこれからもどんどん成長していきたいですし。あとは自分の演技が見たいなって思った時にアマチュア時代の演技を探すのじゃなくて、今の自分でスッと刺さるような演技をこれからも目指して頑張っていきたいなと思います」

 ――「悲愴」の演技の説明にもあったが、千秋楽を八戸でやる意味は。
 「たまたま会場が空いていなくて千秋楽が八戸になってしまったというのはあるんですけど。でも、やっぱり自分としては東北で何とかやりたいという気持ちはもちろんありましたし。で、東北の地でやるのであれば、自分のこのプロローグの、自分の半生みたいなものを描いている中に3・11があるように。きっと、このショーを見にきてくださっている方々の中に3・11っていう傷が残っていると思うので。少しでも何か自分の演技を見て消化したり、逆にそれを思い出して悼んだり。それが良いことなのか悪いことなのかはちょっと分からないですけど。少しでも何かしらの気持ちが灯るきっかけとしての演技をしたいなと思いました」

 ――東京ドームという日本を代表する箱を選んだ理由、構想を始まった時期は。タイトルのGIFTに込めた思いは。
 「えっとー。プロローグよりも先に東京ドームのお話はスタートしました。ただ、(会場を)実際に取れる取れないという話がかなり難航して。結局最終的にどうなるか分からない状況の中でプロローグをとりあえずやろうという話になって、箱が取れて、みたいな感じでプロローグの構成を先に進めながら、またGIFTも考えながらみたいなことをやっていました。まあ東京ドームを選んだ理由というのは…うーん。正直な話を言うと、東京ドームでやらないかっていういうお話をいただけたからというのが一番ですかね。正直、僕はそこまでの実力があると思っていないし、そこまでうぬぼれてないですし、そこまで自信があるわけではないんですけど。ただ、東京ドームでやらないかというお話をいただいて、それからいろいろな方のお力を借りたり、また自分で構成を考えたり、いろんな方と構成を考えていく中で東京ドームでしかできないスケートって何だろうというものをいろいろ考えました。それを東京ドームで見せたいなという気持ちで今はGIFTに向けていろいろ進んでいます。で、何だっけ。GIFTに込めた思いは、今までこうやってアマチュア時代をやっていくにあたって、やっぱりいろんな支え方を皆さんにしていただけたなと思っていて。やっぱりそういう方々への恩返しじゃないですけど。自分の物語は最初、恩返しから始まるかなと思って贈り物としてのGIFTというタイトルをつけました。物語自体が皆さんへの贈り物になってほしいですし。またその物語に含まれている自分のプログラムたちが、また皆さんへのギフトになればなと思います」

 ――横浜公演でプロとしての目標はまだまだフワフワしていると言っていたが、プロローグを通してヒントは見つかったか。
 「なんか、このまま続けていっていいんだなという自信にはなりました。正直、このプロローグを構成している段階で、やっぱりフィギュアスケーターとして衣装を変えないでずっと滑り続けるということが物理的に、体力的に不可能だということは既に分かっていたので。そこをどういうふうに皆さんに感じていただけるか。どういうふうに皆さんがそこも含めて最後まで楽しんでいただけるか、見ていただけるかということが凄く不安でした。なので、自分一人でやるショー自体が、皆さんに受け入れていただけるかという不安の中でのプロのスタートだったので、そういう意味ではかなりフワフワしていました。このプロローグを実際に終えてみて、このスタイルでも皆さんに喜んでいただけるんだということがちょっと自信にもなったので。またこれから先自分の半生を描いてショーをやるということはそんなに頻繁にはないと思いますけど、またいろいろなことを考えて、またいろんな構想を練って自分のプログラムが皆さんに届くように、また楽しんでいただけるような自分の理想のプロとしての形を、ショーをこれからも続けていけたらいいなと思いました」

――八戸はゆかりの深い場所で、八戸公演や八戸市に秘めた思いは。
 「えっと。うーん。僕が3月に被災をして、アイスリンク仙台が使えなくなってしまった後に東神奈川のリンクでまず自分の恩師である都築先生っていう方にお世話になった後に八戸の方でも電気とかは使えないけど滑っていいよと言っていただいて、何とかそういう中で滑らせていただきました。実際に節電の状態でしたし、電気もつけないで。日中だったので換気用にたぶん天井をちょっと開けることができるんですけど、その明かりだけでプログラムをつくったりとか、体力トレーニングをさせていただいたりとか。そういう意味でも八戸にはお世話になりました。そういう地で、またつくっていただけたプログラムを、この地でできたのは凄く自分にとっても感慨深いものがありましたし。実際に震災があって、すぐにつくったプログラムたちだったので。震災と同い年になるのかな。だからこそ、月日がどれだけ経ったのかということと、また改めて自分自身もこのプログラムに触れることによって、皆さんに触れてもらうことによって、少しでも震災を思い出したり…。思い出して苦しんでいただくのはちょっと申し訳ないなと思いつつも、でも、それがあるからこそ今があるんだってまた思っていただけるように。そういう演技ができたらな思って滑らせていただきました。ありがとうございました」


 「何かすみません。僕なんかのためにこうやって集まってくださって。ありがとうございます。頑張ります。本当にうれしいです。皆さんにこうやって集まっていただいて。これからもよろしくお願いします。ありがとうございました。良いお年を!(笑い)」

 

 

 

脳科学者の茂木健一郎先生が、羽生結弦の演技を、人類史でも最高の芸術家の一人と、これ以上ないほど絶賛してくださっています! 彼の本当の黄金時代はこれからだ、と数日前に書かれていました。

そして、その情熱の背後にある困難を乗り越えているがゆえの本当の情熱をも。

passion は、英語だと「情熱」と「受難」(イエス=キリストの十字架のことをも指します)という、2つの意味があるのです。

英語で語られていますけど、わかる方は、ぜひご覧ください。

 

以下は、khb東日本放送で放送された、プロローグ八戸公演初日のインタビュー内容です。

「東日本大震災含め、色んな災害だったりとか、色んな不幸だったりとか、

そういったものにやっぱり僕自身、すごく、寄り添うような活動を、これからもしていきたいなって思っているので

今回は、皆さんの心の中に、訴えかけるようなことが、少しでもできたらなと思っています。」

 

 

 



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