福島の原発事故は、多くの人の命を奪った。樽川和也さんの父親は、福島県須賀川市で有機農業を営んでいた。しかし原発事故により、樽川さんの畑には多量の放射能が運ばれてきた。
人間が作ったものはいつかは壊れる、と言っていた父親。先祖代々農業を営み、農地を守ってきた。しかし放射能は、長い間の営々と積み上げてきた努力が消された。たとえば土。農業は土作りが命だ。とりわけ農薬や化学肥料を使わない農業をしている場合、土つくりがもっとも肝心だ。その土が破壊された。
樽川さんの父親の絶望は、とてつもなく大きなものだった。その絶望が、自死を招いた。
和也さんは、朝、父親がいないので探す。キャベツ畑に立っているような父親を見つける。しかし、父の足は、大地を踏みしめていなかった。
生前父親は、「おまえに農業を勧めたのは、間違っていたかもしれない」と語っていたという。しかし、和也さんはそれでも農業を続ける。もうこの地で200年近くも農業を営んでいた樽川家。そう簡単に和也さんの代で終わらせるわけにはいかない。
汚染された農地で、野菜や米をつくる。そしてそれを販売する。どうしても罪の意識を覚える。それでも、売らなければ生きていけない。福島産の米や野菜は、ものすごく安くなってしまっている。東電は12万円のカネを渡しただけだ。農地の除染も自分でやった。
「風評被害」ということばに、怒りを覚えると樽川さんは言う。根も葉もないことが理由となって野菜が売れない、というのなら、それは「風評被害」だ。しかし放射能が降ってきた、そして土を汚した。根も葉もあるんだから、これは「風評被害」ではない。現実なのだ。
東京から来た若者の前で、みずからの体験や考えることを、ときに言葉を詰まらせながら語る。
ボクも農業をしているから、有機農業をしているから、樽川さんの言っていることが心の底に響く。
福島原発の事故。誰も責任をとらず、樽川さんのような人々、ひとりひとり苦しみを抱えている人々を、なぎ倒しながら、現実が動いていく。何なんだ、これは。
東電や政府は、そうした人々の苦しみを顧慮せず、原発の再稼働に邁進する。
この映画、福島の苦しみ、福島の現実を知るために、見つめなければならない映画だ。はままつ「政経・文化」フォーラム主催の映画会であった。
「大地を受け継ぐ」のは、樽川さんだけではない。すべての人が、この大地を未来の世代へと受け継いでいくのである。
人間が作ったものはいつかは壊れる、と言っていた父親。先祖代々農業を営み、農地を守ってきた。しかし放射能は、長い間の営々と積み上げてきた努力が消された。たとえば土。農業は土作りが命だ。とりわけ農薬や化学肥料を使わない農業をしている場合、土つくりがもっとも肝心だ。その土が破壊された。
樽川さんの父親の絶望は、とてつもなく大きなものだった。その絶望が、自死を招いた。
和也さんは、朝、父親がいないので探す。キャベツ畑に立っているような父親を見つける。しかし、父の足は、大地を踏みしめていなかった。
生前父親は、「おまえに農業を勧めたのは、間違っていたかもしれない」と語っていたという。しかし、和也さんはそれでも農業を続ける。もうこの地で200年近くも農業を営んでいた樽川家。そう簡単に和也さんの代で終わらせるわけにはいかない。
汚染された農地で、野菜や米をつくる。そしてそれを販売する。どうしても罪の意識を覚える。それでも、売らなければ生きていけない。福島産の米や野菜は、ものすごく安くなってしまっている。東電は12万円のカネを渡しただけだ。農地の除染も自分でやった。
「風評被害」ということばに、怒りを覚えると樽川さんは言う。根も葉もないことが理由となって野菜が売れない、というのなら、それは「風評被害」だ。しかし放射能が降ってきた、そして土を汚した。根も葉もあるんだから、これは「風評被害」ではない。現実なのだ。
東京から来た若者の前で、みずからの体験や考えることを、ときに言葉を詰まらせながら語る。
ボクも農業をしているから、有機農業をしているから、樽川さんの言っていることが心の底に響く。
福島原発の事故。誰も責任をとらず、樽川さんのような人々、ひとりひとり苦しみを抱えている人々を、なぎ倒しながら、現実が動いていく。何なんだ、これは。
東電や政府は、そうした人々の苦しみを顧慮せず、原発の再稼働に邁進する。
この映画、福島の苦しみ、福島の現実を知るために、見つめなければならない映画だ。はままつ「政経・文化」フォーラム主催の映画会であった。
「大地を受け継ぐ」のは、樽川さんだけではない。すべての人が、この大地を未来の世代へと受け継いでいくのである。