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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

科学者

2014-07-31 10:17:12 | 
 今月号の『現代思想』の特集は、「科学者」、副題は「科学技術のポリティカルエコノミー」である。

 小保方氏に関わるSTAP細胞騒動に関わっての特集である。

 この中で、野家啓一氏の「既視感の行方」は、この問題がはらむまさに政治的経済的背景が記されている。

 まず研究不正はしばしば起きていることを示す。画像の切り貼り、実験条件が異なる画像の使い回し、実験ノートの不備など、今回の小保方騒動と同じような例を野家氏はみている。

 野家氏は「職業倫理」に言及するのだが、それが現在では顧慮されていない現実を示していく。研究費を入手しやすい研究テーマへの集中、「共著論文」により「責任をとれる著者」が見えなくなる(共著者の多さは、歴史研究の立場から見ると驚きである)こと、そしてカネと欲に論を進める。

 ボクの学生時代は、「産学協同」という路線に反対の姿勢を示していたが、今や「産学協同」は当たり前。それだけではなく、大学や研究機関が特許を持ち、起業して金儲けができるようになった。「アカデミック・キャピタリズム」というそうだ。大学の学問研究は、金儲けの手段になっているわけだ。

 さらに国立大学が法人化され、「規制緩和」もすすみ、大学運営交付金が削減されると共に、どこからかカネを調達することが当たり前となり、大学は企業経営のアナロジーで捉えられるようになった。

 そしてそのしわ寄せを最も受けているのが、若手研究者。非正規雇用、任期制などにより若手研究者の雇用が著しく不安定化しているというのだ。安定化させるためには、業績づくり、研究の評価獲得に邁進する。短期的成果が出る、社会的インパクトがある研究テーマにいきおい入り込んでいかざるをえない。

 「研究不正に手を染めた若手研究者は、現行の研究評価システムに押し潰された犠牲者にほかならない」ということばは、重要だと思う。

 いずれにしても、新自由主義の思考が学問研究の世界をも席巻し、そこで生きる人々の安定を奪っていると言えよう。

 小保方騒動をそれだけでみるのではなく、客観的に、構造的に考えることが必要なのである。

辺野古に強権の嵐が・・・

2014-07-30 21:31:03 | 政治
 胸が痛むことが続いている。ガザ、そして辺野古。安倍政権は何としてでも、辺野古に新しい米軍基地をつくろうと画策している。

 辺野古のことも知らなければならない。日本の平和を、安倍政権の集団的自衛権行使と沖縄をはじめとした在日米軍が一体となって壊そうとしているのだ。

http://www.magazine9.jp/article/mikami/13933/

http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/944d62072e3492acbb434cf04ea339d5

【本】中村一成『ルポ京都朝鮮学校襲撃事件』(岩波書店)

2014-07-30 20:33:58 | 
 本書は、京都の朝鮮学校が、在特会に襲撃された事件を記したものだ。

 京都第一初級学校に対して、彼らはいつものように、恥も外聞もなく、罵詈雑言を浴びせた。子どもが在校している時だ。

 近代日本において、朝鮮人はいつも差別のなかにあった。戦前の新聞にも「鮮人」という蔑称が平気でつかわれていた。ボクは、『静岡県史』に静岡県の「在日朝鮮人」がいかなる存在であったのかを歴史的に明らかにしてきた。労働力が足りないときは朝鮮人労働力を導入し、そうでないときは移入をしない。そして朝鮮人労働力は、低賃金労働力として位置づけられ、過酷な労働が強いられた。その極限が、戦時下の強制的な労務動員であった。日本国内の労働力が圧倒的に不足する中(日本人男子は戦場に行っているため)、多くの朝鮮人が強制的に連れてこられ、ダムなどの土木工事、炭鉱、鉱山などに従事させられた。
 1945年、日本の敗戦により、朝鮮に対する植民地支配は終わりを告げた。しかし、始まった冷戦は、朝鮮を分断する。日本にいた朝鮮人は、帰るに帰れない状況に追い込まれた。そして在留することとなった「在日」は、国家権力にとって、戦前戦中と同様に、監視の対象とされた。
 公的権力の差別政策は、国民の差別を肯定し、助長する。それが、在特会による襲撃事件にも現れている。

 しかし、彼らの暴力は凄まじい。物理的な暴力というより、心の奥底に迄達する心理的な暴力である。彼らの暴力が、子どもを含めて教員や保護者などを「痛めつけたのである」。彼らは大喜びだろうが、しかしこれは許されないことだ。人間の尊厳、民族の尊厳が、根底から「侮蔑」されたのである。読んでいて、ボクの胸が苦しくなるほどだ。

 だが、関係者は、彼らを刑事告訴し、そして民事訴訟で追及した。民事の判決は地裁、高裁で出されているが、当然のごとく原告が勝利している。当たり前だ、あのような暴力は許されるべきではないからだ。

 実を言うと、二一世紀にはいって、韓流が日本で多くのファンを獲得した頃から、日韓の交流は発展し、より隣国人として仲良くなっていくのだろうとボクは楽観視していた。しかし第一次安倍政権の頃から、排外主義的な、粗暴な街頭行動が各地で見られるようになった。その代表的な組織が在特会である。安田浩一が『ネットと愛国』(講談社、2012年)で在特会の姿を描いているが、彼らがアップする動画を見ても、反吐が出るようなことばが多用されている。なぜあのような者どもが出現したのか。

 日本の社会の一部でどういう事態が起きているか、知っておくべきだろう。決して楽しい本ではない。しかし日本の現実はこうなんだということを知るべきである。


 

愛知県・新城議会の珍問答

2014-07-29 20:14:59 | 政治
 地方議会は、「痴呆」議会と、名前を変えた方がよいという事例を、新城市議会で発見。国会も含めて、全国の議会で品性がない人が議員となっている。

 『朝日新聞』記事。
「穴開きコンドーム配っては」 愛知・新城市議が発言  2014年7月18日13時33分

 愛知県新城市の長田共永市議(49)=3期=が、6月定例会の一般質問の際、「婚姻届を出した人に穴の開いたコンドームを配っては」などと不適切な発言をしていたことが18日、わかった。夏目勝吾議長は、長田市議に口頭で厳重注意し、発言を議事録から削除することを決めた。

 議会事務局によると、発言は6月18日の一般質問。長田市議は、来年の合併10周年事業について、「こういうことを言うとおしかりを受けるんですが」と前置きしたうえで、「婚姻届を出した人に『10周年ベビーを望む』と言って、穴の開いたコンドームを配るとか、子どもを産んだ人には特産のジネンジョで、もういっちょだとか、市民がニヤッとしていただけるようなPR方法もある」と発言した。

 長田市議は「親しみやすい市役所になればと思い発言した。例えがよくなかったと反省している。市民に不快感を与え、申し訳ないと思っている」と話した。

 発言を問題視する市議の一人が今月14日、インターネットのブログで問題を取り上げたことで表面化した。議会事務局には「不愉快だ」などと、市民から抗議の電話があったという。


 しかしこれに対し、市当局が前向きな答弁をしている。その答弁は、下記のブログ。

http://asao.dosugoi.net/e661996.html

「戦争」と想像力

2014-07-29 16:03:05 | 日記
 小川未明という作家がいた。児童文学作家だ。

 ボクが学生の頃、児童文学が好きな女性がいた。その友人から、ボクはたくさんの児童文学を紹介され読んだ。
 そのなかに小川未明という人がいた。静かな筆致で、独特の雰囲気を描いていた。その頃読んでいた本が、書棚の奥深くにしまわれているはずだ。

 小川未明は、「戦争」という作品を書いている。1918年の作品。

 「私」はある疑問をもつ。戦争が行われていて、人々が死んでいるという話が「私」に伝えられる。しかし「私」は信じない。

 大戦争があるなんて、それは誰かの根もない作り話じゃないのか?

 みなが笑った目付をしているじゃありませんか。その眼がちゃんと嘘だということを語っています。これより確かな証拠がどこにあろう。それに実際、皆が大騒ぎをしていない。
 どう考えてみても、戦争があるなら、こんな史上未曾有の大戦争がこの地球の上で始まっているものなら、大騒ぎをしないという理由がない筈である。一日に五万人も、十万人も死んだり、殺されるという新聞の報道が事実であるなら、誰でもこうしてじっとしてはいられない筈である。


 交通事故で一人でも亡くなると、大騒ぎをするのに、戦争で多くの人が、女性や子どもが殺されても騒がない。なぜ?と問う。

 一体真理とはどんなものか?人道とはどんなものなのか?そして、戦争という名目で為した殺人だけがどうして正しいのか?どうしてその罪が罰せられないのか?戦争に行って死んだ人間の死と、電車や自動車や、汽車で死んだ人間の死と、どこが異なったところがあるのか?

 今日も又、この日本では猛暑の中でおきた様々なニュースが飛び交う。そのニュースには、戦場のそれはない。

 だが、ガザでは、周囲をイスラエルの軍隊に取り囲まれ、そしてその頭上から砲弾が落下する。そして突然の「死」が訪れる。

 「戦争」は身近にはない。だが戦場で人が死に、傷ついている。想像力をもって「戦争」を見つめよう。その戦場に、今後自衛隊が行き、日本製の武器が人々の頭上に襲いかかる、かもしれない。




本が届いた

2014-07-28 10:40:22 | 
 今、本が三冊届いた。熊谷奈緒子『慰安婦問題』(ちくま新書)、野間易通『「在日特権」の虚構』(河出書房新社)、中村一成『ルポ京都朝鮮学校襲撃事件』(岩波書店)である。熊谷の本を除き、新刊ではない。

 後二者の本は、知っていた。中村のルポは雑誌『世界』に連載されていたもので、事件が起きたときから怒りをもち、日本の排外主義的な動きが今後どうなるかを不安に思った記憶がある。「在特会」という団体が日本の社会で、それも街頭で堂々と自らの主張(「朝鮮人を殺せ」とか)を行うことができるということ、そういう人間があんがいたくさんいるようであること、知性も恥じらいもない日本人が街頭に出てきたことに驚いたのだ。

 さてボクは『芸術新潮』を購読している。今月号の特集は「女と男のヌード」である。その8月号をぱらぱらとめくっていたら、佐々木中氏の「そのとき、あなたは何者として路上に立つのか」という文を目にした。佐々木中氏ははじめて知る人であるが、佐々木氏は4冊の本を紹介している。上記の2冊と、加藤直樹『9月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(ころから)、安田浩一『ネットと愛国』(講談社)である。この2冊はすでに読んでいる。

 佐々木氏は、1923年の関東大震災時の国家権力やそれに同調した庶民による朝鮮人虐殺を前提にして論を進める。そしてそれと相似形の京都朝鮮人学校に対する襲撃事件をとりあげる。そしてこう結ぶのだ。

 われわれは戦うときに来ている。何と、何のために、どうやって。それを知るために、この4冊を読もうというのだ。それともあなたは繰り返させるつもりなのか。そのとき、あなたは何者として路上に立つのか。虐殺者としてか、扇動者としてか、傍観者としてか、それとも-。この一文から目をあけた次の瞬間が、「そのとき」なのかもしれないというのに。

 この一文を読み、もういちどしっかりと「在特会」などの排外主義的団体についてきちんと理解しておこうと思ったのだ。

 ボクたちは、漠然と生きていける時代に生きているのではない、ということを知るべきなのだ。

 「豊かな戦後」という与えられた社会状況のなかで、安穏と暮らせるような、そういう時代はすでに過ぎ去ったという自覚をもたなければならない。今は、疾風怒濤の時代なのだ。

ガザの状況

2014-07-27 09:34:04 | 国際
NGOパレスチナ子どものキャンペーンから。

ガザでは国境から3キロ内側までの地域を、
イスラエル軍が「立ち入り禁止地域」にしています。 

それはガザ面積全体の44%以上におよんでいて、
この地域の住民は強制排除されていて、
数十万人が少しでも安全な場所を求めて逃げ惑っています。
避難所は人で溢れ、道路に寝ている人たちがたくさんいます。
避難所にさえ爆撃があり昨日はたくさんの人が死傷しました。


https://www.facebook.com/pages/%E3%83%91%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%8A%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%AE%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%83%B3new/611300718891286#!/pages/%E3%83%91%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%8A%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%AE%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%83%B3new/611300718891286

平和と戦争

2014-07-27 09:30:49 | 日記
 昼間は冷房の中で本を読む。夕方になったら、日差しを避けながら農作業に励む。

 まず収穫。とうもろこし、トマト、インゲン豆、にんじん、メロン、キュウリ、なす。今年はトマトがよくできる。雨が降らないからだろうか。そういえば昨年もあまり降らなかった。 
 そして水遣り。キュウリやナスなどに水を遣る。しかしおそらくこれは気休め。土の表面だけが濡れる。土の中までは、よほどやらないと水ははいっていかない。雨が求められるゆえんである。
 草取り。これはいたちごっこである。草の伸びるスピードは早い。伸びてしまうと、手で抜くことは難しくなる。桑やスコップを使う。だから農家の人々は、草が生長するまえにとってしまう。多くは、早朝畑にくるそうだ。ボクにはそれは無理。

 ある意味で平和な落ち着いた日々である。

 しかし、ひとたび眼を中東に向けると。そこには悲惨な日常が続いている。檻のなかに住む170万人の人々の上に、爆弾や砲弾が落とされる。イスラエルの蛮行である。

 パレスチナ問題の歴史を調べればすぐわかることだが、「悪人」はイスラエルであり、それをバックアップしているアメリカである。すでに1000人以上の人々が殺されたという。国連が運営している学校も破壊され、たくさんの子どもたちも殺された。

 イスラエルはユダヤ人の国家である。第二次大戦中、ナチスドイツにより数百万人が殺された。いやそれ以前から、欧米のキリスト教徒はユダヤ人を迫害してきた。確かにユダヤ人は悲惨な歴史を生き抜いてきた。

 しかしイスラム教徒や仏教徒などとは、何の宗教的迫害もなく平和共存してきた。ところが、第二次大戦後、強引に国際社会は、イスラエルという国家をつくりあげた。昔からそこに住むイスラムの人々の気持や考えを無視しての「建国」であった。迫害され続けたユダヤ人は、世界各地からイスラエルへと移住してきた。その人数が増える度に、イスラエルは周辺をみずからの版図として拡張した、そこに住む人々を暴力的に追い出して・・・・

 檻の中に住むことを強制されたパレスチナ人は、逃げることもできない。檻の中で、おそらく逃げ惑っている。生か死か、それはだれもわからない、偶然だ。ただし、その生か死か、それを分ける砲弾や爆弾は、イスラエルが放ったものである。イスラエルは、檻の中の人間たちを殺し続けている。

 日本は、戦争(戦闘)とは無縁のなかにある。日々、ボクのように晴耕雨読もできるし、若者たちはスマホの画面を見続けることができる。

 だが、今というこの時、ボクらはこの地球に、人間として生きている。その人間のなかには、生と死の境界のなかに存在しているものがいる、そのことを想起しよう。

 何ができるか、即効的なものはないかもしれない。しかし、関心を抱き続けること、ガザの現実に怒りと悲しみをもつことはできるはずだ。

http://palestine-heiwa.org/
 

http://ccp-ngo.jp/


【本】古関彰一・豊下楢彦『集団的自衛権と安全保障』(岩波新書)

2014-07-26 22:00:43 | 
 「支離滅裂」、「架空のシナリオ」、「奇々怪々の議論立て」、「為にする議論」・・・安倍政権の「集団的自衛権」についての議論を表すことばだ。

 豊下氏の第一部「「集団的自衛権」症候群」は、相手の土俵にあがって、見事に安倍政権と自民党に土をつかせている。

 安倍政権の政治は、安倍という男の妄想と周辺にいる知性のかけらもない者たちによって行われているということがよくわかる。しかしいくらそうであっても、政治権力を掌握しているがゆえに、ボクたちに向けてその妄想が力をもってぐいぐいと押しかけてきている。

 古関さんの第二部「憲法と安全保障」は、名著『日本国憲法の誕生』の著者として、学問研究の成果が人口に膾炙せず、逆に無知蒙昧な「虚偽」が、権力的な背景をもとに、広汎に流布している状態に、怒りを通り越してあきれながら記しているという感じである。

 ボクたちは、安倍政権が提示してきた「事例」などと四つに組んで闘うというかたちも必要だが、もっと巨視的にこの問題を見ることも必要だと思う。

 本書は、そうした視点を持って著されているが、ボクたちもマクロ的にみる視線が必要だと思う。

 本書は、万人が読むべきである。ボクは、すぐに再読するつもりだ。

【本】宮田光雄『われ反抗す、ゆえにわれら在り カミユ『ペスト』を読む』(岩波ブックレット)

2014-07-25 10:10:31 | 
 宮田光雄は、ヨーロッパ思想の研究者にして、キリスト者である。ボクは若い頃から、宮田の本をたくさん読んでいて、大いに刺激を受けてきた。一番最初に読んだのは『非武装国民抵抗の思想』(岩波新書)だろうか。憲法9条の平和主義を、思想の深みから捉えようとしたものだ。書棚のどこかにあるが、今は不明である。  
 最近は『ナチ・ドイツと言語  ヒトラー演説から民衆の悪夢まで』(岩波新書)が出版され、それも読んだが、これは思想の深みにまで達したものではなかった。
 またボクは古書店から分厚い『ナチ・ドイツの精神構造』(岩波書店)を購入した。現在の政治状況が、1930年代のドイツに似ていると思い、読んでみようと思ったからだ。

 さてこの本であるが、宮田の深い深い思索が書き込まれている。宮田は、思索のプロセスをただ単純に書いているのではない。常に、時代状況と切り結びながら思索を深めていく。その手段となっているのが、カミユの『ペスト』である。
 ボクはこれを読んでいて、この本を読もうとする者たちを、静かに鼓舞しようと思って書いたのではないかと思った。

 多くの人々を死に追いやるペストという病が、ある街を席巻するのだが、そこに宮田は「象徴的意味」を見出す。猖獗をきわめるその街では、「不条理」が大きな力を持ち、人々は苦難を強いられる。しかしそういう場であるが故に、そこに人間の真実の姿、あるいは思索が生み出される。

 そうした現実のなかで、医師と聖職者、ジャーナリストらが活躍するのだが、聖職者は、そのペスト禍を、そこに住む人々によって積み重ねられてきた罪責に対する神による「懲戒」として捉える。だがしかし罪なき子どもが苦悶の中に死んでいく姿をみて、聖職者は「壁際に追い詰められる」。聖職者はその苦難を説明できないのだ。

 「神の沈黙」!(ボクはここで遠藤周作の『沈黙』を想起する。ここにも「神の沈黙」が描かれていた)。

 そして聖職者も、ペスト禍のなかで昇天する。

 ジャーナリストも、ペスト禍と闘う。「だからさ。人は神によらずして聖者になりうるかーこれが、今日僕の知っている唯一の具体的な問題だ」。

 う~む、ボクは学生の頃、ドフトエフスキーを読んでいて、同じことを考えたことを思い出す。『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャ。彼のような生き方は可能か。あるいは『白痴』のムイシュキン公爵。
 ボクの結論は、「人は神によらずして聖者に」はなり得ない、であった。
 
 この本に「不断に《実存の中に生きる存在》ー不断に倫理的決断の下に生きる人間」ということばがあった。実存主義。これも学生時代に学んだもののひとつである。しかし、この生き方もきわめて難しいことを、ボクは悟らざるを得なかったことを思い出す。だが、人間はいつも、そうした決断をしながら、あるいはそうした決断を強いられながら、生の軌跡を描いていくことなのだという自覚は、今も持ち続けている。「オマエは、この問題を見逃すのか・・」などという問い。そうした問いに、ボクらはいつもさらされている。

 第4章は、素晴らしい。

 「他者のための存在」。これについて考えはじめてから、もうかなりの歳月が経過した。人間が一人では生きていけない以上、自分自身の生の軌跡は他者のそれと絡み合いながら描かれていく。

 「反抗においては、人間は他人のなかへ、自己を超越させる」というカミユのことば。「反抗という行動は、許し難いと判断される侵害に対する絶対的拒否と、同時に、正当な権利に対する漠然とした確信」にもとづく。

 許し難い現実、それに対する人間的怒り、そして反抗。

 「われ反抗す、ゆえにわれら在り」。「われ反抗す、ゆえにわれ在り」ではなく、「われら」なのである。

 何に反抗するのか、この世の「不条理」に対してである。

   

庶民が無視される時代

2014-07-25 09:57:47 | 政治
 消費者物価が前年同月比で、3・3%上昇したそうだ。

6月の全国消費者物価3.3%上昇 13カ月連続プラス
2014/7/25 8:32

 総務省が25日発表した6月の全国の消費者物価指数(CPI、2010年=100)は、生鮮食品を除く総合が103.4と、前年同月比3.3%上昇した。上昇は13カ月連続。QUICKが発表前にまとめた市場予想の中央値は3.3%上昇だった。前月は3.4%上昇だった。

 生鮮食品を含む総合は103.4と、3.6%上昇した。
 同時に発表した7月の東京都区部のCPI(中旬の速報値、2010年=100)は、生鮮食品を除く総合が102.0と2.8%上昇した。
 生鮮食品を含む総合は101.8と2.8%上昇した。

〔日経QUICKニュース(NQN)〕


 確かに一部企業の従業員の賃金は上昇しただろう。しかし税金その他もあがっているので、可処分所得は増えていない、減った人もいるだろう。

 年金生活者にとってみれば、年金は減らされ、物価が上昇すれば、生活のレベルを下げて行かざるを得ない。

 その一方、経営者など役員報酬は大幅にアップ。法人税が減税されるという。

 かくて、庶民の生活は見棄てられ、企業やその役員だけにカネが集まる。

 格差社会は、拡大するだけである。


NHKの問題

2014-07-25 06:19:33 | 日記
 NHKはいらない、という意見を強く主張する時期が来たようだ。大本営発表のNHKニュース、政府の広報機関と化したNHKに関する議論が始まっている。

 まず「NHKは日本に必要なのか」。

http://www.huffingtonpost.jp/iwao-yamaguchi/nhk_b_4785742.html

 NHKの収入は「受信料」。「受信料」に関しては、政治の介入を受容せざるを得ない。「受信料」を確保するために政権に迎合し、政権はそれをてこに政府の広報機関としてNHKを利用する、という関係がより強化されている。

 政府の広報機関としての役割を維持強化しながら、NHK受信料のより広汎な徴収をめざしているNHK。

http://www.huffingtonpost.jp/2014/07/23/nhk_n_5615693.html?utm_hp_ref=japan

 日本政府とアメリカの関係と相似形である。アメリカへの従属度を高めれば高めるほど、政府が勝手な施策を進めるように、NHKは政府に貢献すればするほどこうした受信料徴収の拡大を図ることができる。

 NHKはいらない!!という声を大きくしていくことが求められていると思う。

オスプレイが飛ぶ

2014-07-24 23:20:06 | 政治
 アメリカ軍のオスプレイが、日本国中を飛んでいる。そして日本もオスプレイを導入し、その基地として佐賀空港を予定しているという。

 日本の自衛隊と在日米軍、「米軍再編」という名で、すでに一体化している。安倍政権の集団的自衛権の閣議決定は、日本の支配層の既定の方針であって、オスプレイの飛行は、それに慣れさせるためだろう。

 今、日本の政治は、支配層の意思がどんどん実現しているといってよいだろう。

 今日の新聞報道でも、経営者と労働者の年収格差が広がっているとの報道があった。支配層は、みずからの利益を最大限に追求できるような社会編成を完成させようとしている。労働組合も支配体制のなかに組み込まれているから、抵抗する人々はほとんどいない。支配層のやりたい放題、それが現在の日本。

トップと年収格差44倍 伸びない社員給与 役員報酬上位100社調査

2014年7月24日 朝刊

 国内企業で二〇一四年三月期の個別の役員報酬が高かった上位百社を調べた本紙の調査で、役員と一般社員の平均年収の格差が平均四十四倍に達したことが分かった。年収格差が百倍を超えた企業は九社あることも判明。一億円以上の役員報酬の個別開示が義務付けられた四年前より格差は広がり、経営者に比べ一般社員の給与が増えにくい実態が鮮明になった。 (桐山純平)

 国内企業が提出した一四年三月期の決算資料から集計した。個別役員に高額報酬を出した上位百社を抽出。金額が最も多かった役員の報酬を従業員が年間で受け取る平均給与で割った。

 その結果、役員報酬の個別開示が始まった一〇年三月期に三十五倍だった年収格差は一四年三月期は四十四倍に広がった。百倍以上の格差がある企業数も三社から増加。日産自動車、カシオ計算機、武田薬品工業、日本調剤などが名を連ねた。

 カルロス・ゴーン氏がトップを務める日産は毎年のように収入格差が百倍を超え、ライバルのトヨタ自動車(二十九倍)と比べても格差の大きさは突出している。日産の広報担当者は「国際的な経営者トップの報酬と比較し役員報酬を決めている。従業員との比較についてはコメントできない」と話している。

 中には経営トップでなくても創業者らが退職慰労金を支給され、格差が広がったケースもあった。東証二部上場で電子回路基板の製造を手掛けるキョウデン(長野県箕輪町)は創業者の橋本浩元会長の役員報酬が十二億九千二百万円に上り、格差が上場企業で最大の二百六十六倍に広がった。キョウデンの担当者は「従業員の給与は同業者などと比べても遜色ない。今は(役員の)退職慰労金を廃止し格差は是正されつつある」と説明している。

 サラリーマン世帯の給与をめぐっては厚生労働省の毎月勤労統計調査で、物価上昇分を差し引いた五月の実質賃金指数が前年同月比3・8%の下落となり十一カ月連続のマイナスになった。消費税増税分や物価の上昇率に比べ伸びない賃金が、消費を冷え込ませる懸念材料になるとの指摘もある。



今宿

2014-07-23 20:49:50 | 日記
 唐津から筑肥線に乗って今宿に向かった。筑肥線は海岸に沿ってはしる。天候は晴れ。海は穏やかだ。ただ木々の葉が風に揺れ、光を乱反射する。

 途中海岸から離れるが、ふたたび海が現れる。その海は今津湾だ。この海にも波は見えない。

 ボクは今宿という駅で下車した。駅から今津湾へ向かう。唐津街道を渡り、交番の脇の道に入る。そのまま海に向かう。波の音がそっと聞こえる。海の向こうに、島が見える。

 この湾も、あの島もずっと昔からあった。この近くに生まれた野枝も、この海を見、そして泳いだはずだ。

 そう、ボクは伊藤野枝の生家を訪ねようとしている。その前に、野枝が泳いだ海を見たいと思った。おそらく大杉栄もこの海を見ているはずだ。

 ボクは、海を凝視する。大きく息を吸う。そして野枝が幼い頃泳いで渡ったという島影に目を凝らす。小さな小さな波の音に耳を澄ます。

 そしてボクは、伊藤家を継いでいる野枝の甥、伊藤義行さんの家に電話する。伊藤さんの家のすぐウラが海だ。
 伊藤さんといろいろな話をした。
 昔は、波打ち際から松林があったそうだ。だから野枝の時代は、別の所に家があったというが、やはり海に近いところだった。
 伊藤家は、伊藤義行さんの代で終わるという。すでに野枝の子どもたちも亡くなった。

 あの虐殺事件から90年以上が経つ。歴史は確実に事件を過去のものとしていく。しかし、その事件は消えることはなく、歴史として記録され続ける。ボクも、この事件を語り続けていこうと思う。

 野枝は、学生時代のボクの理想の女性像であった。瀬戸内寂聴さんにその話をしたら、「野枝みたいな女性と結婚したらたいへんよ」などといわれたことがある。

 ボクはやっと野枝が生まれ育った今宿に行くことができた。九州でもっとも行きたかったところ、今宿。

 ボクは、今津湾の海の音を録音した。今日の、強い強い太陽の光線と、頬をそっと撫でる風も、そこに録音されているだろうか。

 伊藤さんから、野枝は母として、この世にいっぱいの未練を残していったということばを反芻しながら、再び筑肥線に。

 5泊6日の旅は、終わった。

名護屋城

2014-07-23 05:27:44 | 日記
 今回の旅の最大の目的は、肥前・名護屋城に行くことであった。秀吉が、文禄・慶長の役(壬辰倭乱」、「丁酉倭乱」)で、朝鮮侵略を行ったことは周知の事実であろう。

 ボクはすでに韓国に何度も行っているが、静岡県への強制連行を調べるために訪問したとき、16世紀のこの事件が今もなお朝鮮半島の人々の記憶に強く残されていることに驚いたことがある。釜山には、忠烈祠(チョンヨルサ?)があり、また朝鮮水軍の李 舜臣の像が各所にある。また朝鮮半島のあちこちには、この侵略時に建設された「倭城」(石垣だけ)が残されている。ボクは、「倭城」にも行った。

 さて肥前・名護屋城は、朝鮮侵略時に秀吉が建設した侵略の拠点である。

 行ってみて驚いたのは、とにかく巨大な城跡だということだ。ここには博物館もある。

http://www.pref.saga.lg.jp/web/nagoya.html

 ただ昨日は休館日。しかし城跡は見学することができた。壮大な規模の城郭であった。侵略する側の城であるから、「敵」が襲撃してくることを考えなくてもよい造りであった。

 撮影した1枚をアップしよう。



 周辺には、大名たちの陣が散らばり、その跡も発掘調査などが行われている。

 朝鮮侵略の壮大なスケールが偲ばれる。しかし、ボクが韓国を訪れたときの衝撃を、ここで書き記さなければならない。

 日本には、法隆寺をはじめ古い木造建築が残されている。しかし韓国にはない。なぜか。侵略軍が燃やしてしまったのだ。日本より古いものがあって当然なのに、それがない。日本人はそういうことも知っておくべきだ。