浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】菱山南帆子『嵐を呼ぶ少女とよばれて』(はるか書房)

2024-08-01 10:39:24 | 

 Arc Times をみたときに、菱山南帆子という人間がどのような成長過程をへて現在のような運動家になったのかを興味を持って読んでみた。前半はおもしろかった。後半は、彼女が運動のなかでどのようなことを知り学んだのかが書かれているが、これも面白かったのだが、東京の運動のことをあまり知らないわたしにとってはさっと読み進むだけであった。

 彼女は小学生からなかなかの反骨精神をもって生きていたところ、中学校からは和光学園に行った。和光学園は自由な校風で知られていて、この本にもその一端が書かれている。

 菱山さんは運動で忙しく、学校は休みがちとなり、成績も芳しくなかった。成績表には「無評定」とあったり、提出したノートはたった二頁しか書かなかったので、そのノートの評価は、通常AからEまでだが、先生は「Z」の評価とした。先生が和光学園でいかに自由に振る舞っているかがわかる。そういう雰囲気の学園こそがユニークな人材を育てるのだ。

 大学に進学し、和光学園とは異なる校風の中で、政治や社会のことを話す友人がほとんどいなくなる。和光学園を振り返って、「友だちと政治や社会のことを話し合ったり、先生を交えて熱く議論した学園生活が、とても懐かしく思い出された。人と議論したりする時に感じる、頭のなかが言葉であふれてくるようなアカデミックハイな感覚が遠ざかり、忘れていきそうだった。」と書いている。

 たしかにいろいろな人と議論するのは、みずからの頭の活性化には不可欠である。わたしもよく「知的砂漠に身を置くな」と語っていたが、齢を重ねていまは知的砂漠にいる。それを救ってくれるのは、書物である。つねに様々な知をインプットしていないと、アウトプットはできない。

 菱山さんは、憲法9条は「「安心」そのもの」だと書いている。わたしもそう思う。日本は絶対に戦争をしないということほど、「安心」なことはない。しかしアベ、スガ、キシダと、戦争をしたい人が首相となっている。「安心」を堅持しなければならない。

 菱山さんは、「日本の政治風土における特徴の一つは、政治に対するタブー視。さらに個人としての主体的な意見を持とうとしないこと。そして怒り下手、表現下手。」だと指摘している。その通りである。政治的意見を話す人は、日常生活でほとんどいない。となりの畑でがんばっているHさんとは政治の話をよくするが、これのみである。

 菱山さんは、「弱い者の弱い者による弱い者のための運動こそが求められている」と記す。

 社会の底辺から社会全体を見ることを、わたしは語ってきたが、それは弱者の目からみたほうが社会の全体や本質がよくわかるからだ。菱山さんの主張と通底するところがある。

 本書は、昨日図書館から借りてきて一日で読み終えた。厚い本ではなく、すらすら読める。

 わたしは、彼女に敬意を表している。

 

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