浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

消費税増税

2012-06-27 07:18:14 | 日記
 昨日、民主党、自民党、公明党の3党によって、消費税増税法案が衆議院で可決された。

 まず小選挙区制による選挙は、マニフェスト選挙であること、政権交代を可能にする・・・とか。小選挙区制に焦点が絞られた「政治改革」の問題が議論されていたとき、たとえば今では小選挙区制は失敗であったという山口二郎北海道大学教授をはじめ学者たち、政治家、そしてその宣伝を積極的に担ったテレビ、新聞などは、小選挙区制こそ政治を活性化させるまさに打ち出の小槌であるかのような論陣をはった。

 私たちは、そうではないことを主張したが、彼らによってつくられた「時流」は、そういう声を押し流してしまった。

 今回の消費税の増税は、それ自体大問題であるが、手続き的にまったくおかしい。彼らが主張していた小選挙区制の「利点」なるものを、まったく反故にしてしまった。まず民主党は、消費税の増税などしない、とマニフェストで公約して、先の衆議院議員選挙戦に臨んだ。そして勝利した。その後、突然菅直人が首相であったときの参議院議員選挙のときには消費税の増税を訴えて敗北している。民意は明らかに、消費税の増税に反対しているのである。

 みずからの公約を守らず、民意を無視しての暴挙である。民主党は、許せない政党である。

 また、小選挙区制の選挙による政権交代も今ではまったくその意味を失っている。政権与党と野党が、民意を無視して、国会の場ではなく密室で議論して野合し、その結果できあがった法案を通したのである。

 しかし、こういう事態は、実は予想されていた。小選挙区制では、その選挙区から一人しか選出できないのであるから、どの候補が立候補しようと保守的な思考をもった者が当選する。つまり選挙区で、民主党と自民党が立候補しても、その政策はほとんど同じになる(であるがゆえにマニフェストが重要なのだ)。実際自民党、民主党の候補者は、とにかく議員になりたいという名誉欲に凝り固まった者が多く、いずれの政党でも関係ないのである。小選挙区制は、同じような内実を持った二つの保守政党をつくりあげることは、当初から予想されていたのである。

 しかし、こういう民意と離れたことを自民党、公明党、民主党が強行しても、残念ながら現在の選挙制度では、変革の志向をもった議員を当選させることは、ほとんどできない。

 小選挙区制は、とりわけ日本における民主主義を窒息させる制度だったのである。
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【映画】11・25自決の日

2012-06-26 21:08:33 | 日記
 悪税である消費税の増税が衆議院で可決されたとき、ボクは若松孝二監督の「11・25 自決の日」をみていた。

 副題には、「三島由紀夫と若者たち」とある。作家三島由紀夫は、1970年11月25日、市ヶ谷の防衛庁内で、自衛隊員に演説した後、自らを決した。

 私は三島の文学は、晩年といってよいかどうかはわからないが、死に近付くにつれて、彼の美学が急速に主観性を強めていったと考えている。彼の文学作品は、美しいのだ。どういう美しさかというと、なかなか難しいのだが、三島はおそらく美というものに強い関心を抱いていたのだろうと思う。

 強烈な主観に基づく美は、もちろん現実には存在し得ない。存在し得ないからこそ、現実ではなく、彼岸の世界に求めていく。彼岸の世界に入るためには、死を迎えなければならない。いかなる死を通して、彼岸に到達するのか。彼は、割腹自殺と介錯による死こそ、みずからの美への「凱旋門」であると考えていたのではないか、と思っていた。つまり私は、三島の死はみずからの主観的な美の希求の帰結であると考えていた。

 そして若松監督の映画を観ると、三島の自決は、その背景として、1960年代末の激しい学生運動があったこと、これがつくり出したものであるということを示唆していた。右も左も、激しい運動の内外では、個々の生き方が問われていた。

 生き方を問うということは、死に方を問うことでもあった。

 三島と森田の2人が自決したのだが、若松は最後に「何か残ったものはあるか」と三島の夫人に問わせている。三島の「決起」に参加した一人は、その問いに何も語らず、両手を広げた。そうなのだ、何もない、何も残さなかったのだ。

 1960年代末の学生運動をはじめとした大きな「時流」は、結局何も残さなかった、日本では。

 三島の、とくに「晩年」の作品には、豊かな日本的色彩が描かれている。しかしその色彩は、最期には、三島の血の色で染め上げられてしまった。

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情報

2012-06-24 21:27:27 | 日記
 昨日、20代前半の人たちに、現在の社会情勢などを話した。最初に情報をどこから得ているか、ということについて尋ねた。

 テレビはあまりみない、雑誌も購読しているものはない、本もほとんど読まない・・・という状況であった。

 最初私は、テレビや新聞から流される情報は、今や信用できないものであること、本来テレビや新聞には、国家権力など権力を保持している勢力に関して「監視」という重大な役割を果たすべき使命が課せられていたのだが、今やテレビなどのマスメディアは、一方で批判的精神を失った情報を垂れ流し、他方で人々を「愚民」にするような番組を垂れ流していることを指摘し、ではどこから情報を得るのか、ということを話したのだった。

 だがそもそも、若い人々は、政治や経済、社会に関して様々な情報を集めて、分析的に考える志向がないのだということを、知ってしまった。マスメディアからの歪められた情報すら得ていないのだから、それと対抗的な情報を得ることなんかするわけがない。

 だとすると、それ以降の私の話なんて、頭の上を声が素通りしていくだけになる。

 知らなくても生きていける、その通りだろう。確かに生きていける。だが私は、今を面白おかしくただ生きているという生き方ではなく、先を見通した生き方、今こういう政治がおこなわれているとその後にはどういう事態が出来するのか、そういう予想を立てられるような生き方が求められているのではないかと思うのである。

 多くの人々は、事態に直面したときにのみ、気付く。

 たとえば郵政民営化。ある山村に生活する女性。郵便局員が配達の時に、簡易保険の集金をしてくれていた。ところが分社化されて、集金をしてくれなくなった。保険料を納めなくなり、そして亡くなった。「未納部分」がありますね・・・・・といわれて、どれほど受け取れたのかは聞かなかったが、そういう事態が出現している。

 事態は、一定程度は予測できる。そのためには、有益な情報を集めなければならない。

 今や、若者の間を情報がすり抜けていくだけだ。これでは、情報と権力を持つ人々は、安心して自らの私益のための政治を行うことが出来る。

 そういう時代になっている。
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【映画】ルート・アイリッシュ

2012-06-18 21:03:34 | 日記
 今日、シネマ・イーラに行き、「ルート・アイリッシュ」をみた。

 イギリス・リバプールとイラクの戦場を結びながら、いわゆる「戦争請負会社」に関わる者たちの人間性の破壊されたさまを明瞭に表現するという映画で、ポジティブな内容は一つもなかった。

 http://www.route-irish.jp/

 ルート・アイリッシュは、まさに道路だ。「イラクのバグダッド空港と市内の米軍管轄区域グリーンゾーンを結ぶ12キロに及ぶ道路」、侵略者である英米軍に対するテロは、この路上で行われた。

 主人公の友人が、その道路で亡くなる。主人公は、彼がどのようにして死に至ったのかを探る中で、その死が意図されたものであることを知る。主人公は、その原因を探る中で、死に至らしめた者たちに復讐していく。

 その主人公も、イラク帰りであった。

 イラクでは、名もなき庶民が大量に殺され、その無数の死をつくりだした英米人の人間性も破壊されていく。破壊された者たちの末路は、肉体の破壊で終わる。

 最近はほとんど報道されなくなったイラク、今も破壊と殺戮が続けられているのだろう。

 決して楽しい映画ではないが、ケン・ローチ監督の人間性が、この戦争を告発する。

 
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文部科学省という役所

2012-06-12 00:03:50 | 日記
 文科省という役所の本質がどういうものであるかは、福島原発事故で判明している。SPEEDIの拡散予測を公表すべき時にしなかったこと、そしてさらに以下の事実が明らかになった。こういう役所が教育に関する業務を行っているのであるから、日本は不幸な国だ。


 以下はNHKの記事。

SPEEDIで実測も非公表

6月11日 18時31分 K10057546111_1206111925_1206111930

 文部科学省が福島第一原子力発電所の事故対応を検証した報告書をまとめ、事故の直後に原発の北西部に職員を派遣し、高い放射線量を測定したのは、SPEEDIという放射性物質の拡散予測を基に調査地点を選んだ結果だったことが分かりました。
専門家は、SPEEDIの予測が実際の放射線量に結びつくことに早くから気付いていたにもかかわらず、データを直ちに公表しなかったのは大きな問題だと指摘しています。

 福島第一原発の事故を受けて、文部科学省は、所管するSPEEDIなどの対応について検証していて、NHKはその報告書の案を入手しました。
この中で文部科学省は、全体的な対応について「内外におけるコミュニケーションで不十分な面があった」と対応の不備を認めています。
 このうち、原発から最も多くの放射性物質が放出された去年3月15日の対応について、文部科学省は原発から北西およそ20キロの福島県浪江町に職員を派遣し、午後9時前に最大で1時間当たり330マイクロシーベルトの高い放射線量を測定したとしています。
そのうえで、この調査地点は15日夕方のSPEEDIの予測を基に選んだことを明らかにしています。
 測定結果は官邸に報告するとともに報道機関に資料を配付し、インターネットで公開したものの、現地の対策本部には報告せず、自治体にも伝わらなかったとして「関係機関との連携に反省すべき点が見られた」と記しています。
 しかし、当時、文部科学省は調査地点をSPEEDIの予測を基に選んだことや、測定した放射線量の評価について説明しておらず、こうした点は検証されていません。
また、SPEEDIのデータについては事故直後から報道機関に公表を求められていたにもかかわらず、試算データの一部を除いて4月25日まで公表されませんでした。
 これについて、事故のあと、関係機関で繰り返し協議したものの「関係者は予測は現実をシミュレーションしたものとは言い難いと認識しており、当時の状況では適当であった」としています。
福島第一原発の事故を検証した民間の事故調査委員会の北澤宏一委員長は「予測が実際の放射線量に結びつくことが分かった段階で、SPEEDIは不確かとは言えず、直ちに公表して住民の被ばくを深刻なものにさせないよう必死に努力するのが責任だ。この検証ではSPEEDIを生かすにはどうすればよかったのか、住民の立場からの検証が決定的に欠けている」と指摘しています。

SPEEDIを巡る問題

 SPEEDI=緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステムは、原発から放射性物質が漏れた場合に、各地で観測される放射線の値や被ばく量を気象や地形などの情報と合わせてコンピューターを使って予測するシステムです。
昭和54年に起きたアメリカのスリーマイル島の原発事故を受けて研究開発され、昭和61年から運用が始まりました。
 運用は文部科学省が所管する原子力安全技術センターが担当し、研究や運用にこれまで120億円余りの費用が投じられています。 福島第一原発の事故では、SPEEDIの計算の前提になる原発からの放射性物質の放出源の情報が、地震に伴う停電によって得られなかったため、原子力安全技術センターは、震災当日から放出量を仮定して入力した得られた予測データを文部科学省に報告してきました。
 一方、報道機関などは、事故の直後からSPEEDIの予測データを公表するよう求めてきましたが、文部科学省は「放出源の情報が得られていないため実態を正確に反映していない予測データの公表は無用の混乱を招きかねない」として、3月23日に公表された一部の試算データを除いて、事故から1か月以上たった4月25日まで公表を見送りました。
 この結果、SPEEDIの情報は、住民の避難や範囲などの決定に役立てられることはなく、原発事故の際の国の情報公開の在り方を巡って大きな問題となりました。
SPEEDIの活用に関して、原発事故について検証する政府の事故調査・検証委員会は「仮に予測データが提供されていれば、自治体や住民は、より適切な避難経路や避難の方向を選ぶことができたと思われる」と指摘しているほか、民間の事故調査委員会も「住民の被ばくの可能性を低減するため、最大限活用する姿勢が必要だった」と述べています。

浪江町長“非常に悔しいし残念”
 原発事故への対応を巡る文部科学省の報告書の案について、事故のあと、放射線量が高い地域に多くの住民が避難した福島県浪江町の馬場有町長は「SPEEDIはあくまで予測だと説明してきた文部科学省が、当時、SPEEDIに基づいて実際に町で放射線量の測定をしていたとは驚きだ。当時、われわれは避難を自主的に判断せざるをえず、原発から遠くに離れようとした結果、不要な被ばくを招いてしまった。住民の安全を守るべき国が出すべき情報を出さずに、その責任を果たさなかったのは非常に悔しいし残念だ」と話しています。
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