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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】鎌田遵『「辺境」の誇り アメリカ先住民と日本人』(集英社新書)

2025-04-13 11:06:17 | 

 2015年刊行の本である。出版されたときに知って買っておいたものだ。アメリカ・インディアンに関する本を読むなかで、書庫の中から見つけ出したものである。

 「この国は建国前からなにも変わっていません。先住民を弾圧したときの精神を受け継いだまま、国家を肥大化させてきたのです」(248)

 現代に生きる日本人ならアメリカの姿をみつめないではいられない、というのが、アメリカの政治経済その他の強い影響を受け続けている日本のありさまである。まったく、アメリカの本質は変わらない。独善的、その一言で終わる。

 本書には、「白人男性症候群」ということばが紹介されている。その症状は、「自分の知識が常に他人よりも圧倒的にすぐれていると確信するあまり、人の話をきけなくなる」(205)

 バージニア大学のデイヴィッド・エドモンズはこう語る。

 「白人が多民族社会において、いかに優遇されているのか、白人男性による特権が社会構造の隅々にまで根を張っていることを、みずからにいいきかせながら生活しています。白人の男性が中心の白人男性症候群は、アメリカに根深く存在する不平等や差別の元凶で、多民族社会の共生を妨げています。この病には罹りたくありません。」(205)

 彼はおそらく白人だろう。多くの白人男性は、white man syndrome に罹り、彼らがトランプを「推し」ているのだろう。

 本書は、アメリカ・インディアンのことだけを記しているのではない。アメリカで先住民が抑圧され、差別されている、彼らと同じ状況に置かれている、東日本大震災に伴って起きた福島原発の爆発、それに伴い故郷を追い出された人びと、被差別部落民、映画「ザ・コーヴ」で非難の対象にされた太地町の人びと。

 アメリカ先住民のひとりはこういう。「アフリカで飢えている人たちを救うことよりも、イルカを救うことに必死になるところが白人らしい」(196)と。

 太地町では多くの人がアメリカに渡ったり、早くからアメリカとつながっていた。戦時中には日系人の収容所に隔離されたりしたが、そこはインディアンの居留地でもあった。

 太地町、一度行ったことがあるが、太地町民は、独立心が強く、他町村との合併を拒否してずっときたという歴史があるという。平成の大合併でも合併しなかった。つぎつぎに合併していった静岡県の中西部の市町村の不甲斐なさからみれば、とっても立派だと思う。

 またアメリカ・インディアンの祭典があることを知った。Pow Wowという。それを知っただけでも、よかった。

 触発される本である。

 


「憲法を取り戻す」

2025-04-07 09:29:53 | 

『世界』5月号が今日届いた。特集の1が「憲法を取り戻す」である。

 残念ながら、カネにまみれ、カネのことしか考えない政治家や企業家が実権を握っているわが国では、日本国憲法をないがしろにし、日本国家における憲法の位置について、まったく無理解のままである。無理解のまま、アメリカ合州国の要請に基づき、堂々と憲法を踏みにじる。そのアメリカ合州国こそ、世界ではじめて成文憲法をつくりだした国である。憲法を書くという行為によって、アメリカという国家を始めたその国が、他国の成文憲法の破壊に手を貸している。

 さて『世界』と同時に今日、『法と民主主義』4月号も届いた。特集は、「「政治改革」30年 総括と展望」である。巻頭で、小沢隆一さん(かつて静岡大学にいた)が、本号は、今は亡き森英樹名古屋大学名誉教授に教えを受けた方々が執筆している、とある。

 森英樹さんは、講師として、静岡県によくきていただいた。分かりやすく、聞きやすく、依頼した時間通りに終わるという神業であった。また、話の中には、講演当日の朝のニュースで報じられていたことがあったり、堅牢な構築物のような話のなかに、ヴィヴィッドなネタを取り入れて、それはそれは驚くべき講演であった。

 なぜそんなに時間通りに話をまとめることができるのかと問うたことがあった。森さんは、話をする内容をユニットとしてもっていて、それを並べるだけだからなどと答えていたが、しかしそれならなぜ最新のネタを入れることができるのかと疑問に思った。

 森さんは、『法律時報』などで、まさに当該時期に課題となっているテーマを、憲法学の理論と方法を駆使して論じ、わたしなどもそれらを読んでいた。昨年出版された『民主主義法学の憲法理論』(日本評論社)は、森さんのそうした論文を集めたものだ。7480円もするから、もう現役を引退したわたしは買うことはないだろうが、しかし、森さんの現実に対する学問的な姿勢は、今なお忘れることはできない。

 あんなに元気で、大きな声で話されていたのに、突然亡くなられた。5年前のことであった。歴史学者でも、法律学者でも、わたしが尊敬し、世話になった方々は、ほとんど亡くなってしまわれ、わたしは寂しくて仕方がない。

 


【本】吉見俊哉『アメリカ・イン・ジャパン』(岩波新書)

2025-03-29 20:39:22 | 

 アメリカと日本との関係を歴史的に考えようとしているわたしにとっては、なかなか刺激的かつ衝撃的な本であった。

 最後の第九講「アメリカに包まれた日常」は、とりわけ衝撃的であった。わたしは脱アメリカを志向しているのだが、ディズニーランドに関する記述を読んで、「はしがき」に書かれていた「近現代の日本人は、そのようなアメリカに全力で一体化しようとしてきた」が、今も続いているのだと思わざるをえなかった。

 第九講は、星条旗、「自由の女神」、「ディズニーランド」をとりあげて、日本がいかにアメリカに「包まれ」ているかを論じていくのだが、星条旗についてはふむふむと読み進んで、「自由の女神」については、う~んと唸ってしまった。

 「自由の女神」像は、言うまでもなくニューヨークにある。そのもともとのモデルは、フランスの画家ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」である。この絵が東京国立博物館に来たときは、朝早くから上野に行って、博物館のまわりに並んだ記憶がある。

 そして「自由の女神」は、フランスの自由の象徴であり、それがフランスの市民により、1886年、アメリカに贈られた。

 ところで、その「自由の女神」像、日本の各地で見られる。今あるかどうかはわからないが、浜松インターの近くにあるホテルの屋根にそれがあった。それだけではなく、静岡県の静波海岸にも、そして観光地として有名な奥入瀬(おいらせ)にも、そこには巨大な「自由の女神」像があるという。近隣に米軍三沢基地があるからだという。

 日本に於ける「自由の女神」像は、「自由」という理念とはおそらく無関係に建てられている。

 吉見はこう書く。

 日本では戦後、国内各地に「自由の女神」が設置されてきたのですが、その背景は諸外国と大きく異なりました。日本以外の多くの国で、自由の女神像の建設は、「自由」「共和国」「独立」「革命」といった観念と結び付けられていました。ところが日本では、自由の女神像の建設でそのような観念上のことが問われたことはなく、むしろ日本にある自由の女神は、アメリカ的な豊かさやギャンブルやセックスの自由奔放、さらには流暢な英語や米軍文化との結びつきを示す記号として受け入れられてきたのです。日本人にとって自由の女神はとてつもなく通俗的な記号なのです。(253)

 そしてディズニーランド。30年ほど前だったか、ロサンゼルスのディズニーランドには一度だけ行ったことはあるが、浦安のそれには一度も行ったことはない。だからディズニーランドの内部がどうなっているのかまったく記憶がない。

 そのディズニーランドについて、吉見はこう書いている。

 東京ディズニーランドを訪れる入園者たちは、19世紀の北米大陸に入植して先住民たちを駆逐し、虐殺し、記憶から抹消してきた白人プロテスタントのアメリカ人たちのふるまいに自らを重ね、さらにはハワイや南太平洋も支配下に収めていった蒸気船の乗員を再演しているのです。(264)

 白人プロテスタントのアメリカ人は、自分たちの祖先が犯した犯罪的な行為を反省することなく生きている。アメリカは、他国に対しておこなった非道な行為を謝罪したことはない。たとえばベトナム、アメリカ軍によって大量の枯葉剤を撒布されたベトナムの民衆には、いまも様々な障がいがあるどころか、新たに生まれ出る子どもにも回復不可能な障害を伴う。ベトナムの民衆に、アメリカ政府は謝罪し、補償したか。ノーである。アフガニスタンに、高空から爆弾を落として無辜の民を殺傷したことに、謝罪したか。ノーである。

 吉見はこう書く。

 ディズニーランドに入った人びとは、「例えばベトナムやアフガニスタンを空爆し、パレスチナを徹底的に痛めつけるイスラエルを支援し続けるアメリカに寄り添い、「日米同盟」が自らのアイデンティティの支えであると信じる現代日本人の心理において上演され続けるでしょう。」と。

 ディズニーランドで楽しんでいる人びとは、アメリカがおこなってきたことを、みずからがアメリカ人であるかのように体験する。アメリカと「一体化」するのである。

 日本人は、脱アメリカより、アメリカの51番目の州になることの方を選ぶのだろうか。

 

 本書は、たいへん有意義な内容を持っている。教えられたことは数限りない。もっともっと勉強しなければならないことを教えられた。

 


知らないままに・・・

2025-03-28 18:58:20 | 

 吉見俊哉『アメリカ・イン・ジャパン』(岩波新書)を読んでいる。それを読んでいて、驚いたことがある。

 戦争末期、米軍が日本へ激しい空襲を行ったことは誰でも知っている。どこに落とすべきか、アメリカ軍は何度も空から写真を撮って、分析していた。その際に撮影した写真は、今、国土地理院だったと思うがみることができる。

 その撮影の詳細が、本書には記されている。

 (写真偵察機)F13の機体はB29を改造し、数種の大型カメラを装備していました。第一は、地上の30ー50キロ四方の比較的広い範囲を撮影するトライメトロゴン用カメラ3台です。「トライメトロゴン」というのは地図製作用の技術で、中央のカメラは下方、左右のカメラは水平面から30度傾け、各カメラで撮影された写真をカメラの位置を光源として水平面上に投影することで正確な地図を作成できました。第二に、F13は同じ範囲に照準して鉛直軸からわずかに傾く2台のカメラも装備していました。これらのカメラで約3キロ四方を撮影し、そのフィルムを合成して地上の高低や建物の高さを計算し、それらの凸凹を立体視できる写真を作成できたのです。さらに、より広い範囲を直下で撮影するため、もう1台の直下撮影用のカメラも搭載されていました。加えて、F13には夜間撮影用のカメラも載せられ、照明弾とセットで使用されました。

 このF13が、東京上空に最初に飛来したのは1944年11月1日です。午後一時頃に房総半島から東京に侵入し、東京近郊の航空関連工場、京浜の軍事工場や横浜近郊の海軍施設を撮影しました。その後も同機は、11月に27回、12月にも27回出撃し、東京と名古屋を上空から精密撮影しました。こうして44年から45年にかけての頻繁な飛行で撮影された膨大な枚数の航空写真は、サイパンにあったアメリカ空軍第三写真偵察隊で現像され、組織的な分析と地図や模型の製作が進められました。この部隊は、45年5月には1000人を擁するまでに膨れあがったそうで、F13の写真が米軍の日本空爆でいかに重視されていたかがわかります。東京上空は、敗戦一年近く前からすでに「占領」されていたようなものだったのです。

 米軍が技術開発を進めていたのは、F13による航空写真だけではありません。爆撃の効果を正確に予測し、その結果を検証する仕組みも発達させていました。1943年10月に作成された『日本ー焼夷攻撃資料』では、米軍は日本の20都市を空爆対象として選定し、それらの都市を焼き尽くすのに必要な焼夷弾の量を計算しています。そのため、各都市の構造、建物配置、消失可能性、人口密度等についてのデータが集められ、爆撃の対象地域が三種の焼夷区間にゾーニングまでされていました。

(中略)

 このような地区選定には、さまざまな社会学的データも利用されていました。とりわけこのゾーニングでは、1940年に日本政府が実施した国勢調査の結果が利用され、地区ごとの精密な人口密度が算出されていました。米軍は、日本政府が実施した調査を利用し、日本空爆のための基礎データを得ていたのです。これに加え、彼らは日本の諸都市での火災保険データも入手していましたから、家屋の保険料から地区ごとの「もえやすさ」を算出していました。これらと航空写真から得られる建物物のデータを総合すれば、各地区でどのくらいの焼夷弾を投下すれば、どれだけ火災が広がるかを統計的に予測できたわけです。(137~140)

 結局、日米戦争の最中にあっても、日本人は自分たちの都市や国土が徹底して観察・分析されていることに気づかず、「鬼畜米英」という幻想的な標語によってアメリカの実体を視界の外に追いやり、相手を直視することを避けて内閉していきました。日米の間には、軍事的・経済的な不均衡ばかりでなく、こうした圧倒的なまなざしの不均衡が存在したのです。(144)

 その文の前に、こういう記述がある、

 日本人は、「アメリカとは何か」をまるで理解も認識もしないまま、よく知らない巨大な相手に無謀な戦争を仕掛けていったのです。(144)

 この最後の記述は、現在もそのままだと思った。日本は、アメリカがいかなる国家であるかを観察・分析することなく、「日米同盟」とか、「日米パートナーシップ」と言い、全面的にアメリカを信じ、従っている。アメリカが中国を敵視すれば、日本も同じように敵視し、沖縄県の諸島に自衛隊の軍事施設を積極的に建設し、アメリカへの忠勤に励む。冷戦時代は、北海道に自衛隊の主要部隊があった、ソ連がアメリカの敵であったからだ。

 アメリカは、きわめて独善的な国家である。気にくわなければCIAをつかって他国の政権転覆など、平気でおこなう。独善的だけではなく、きわめて好戦的な国家でもある。

 日本が、アメリカにべったりとくっついていることの意味を、しっかりと認識すべきである。トランプが何を考えているかを分析することなく、どうか日本の自動車には関税をかけないで、などと懇願する日本政府の姿勢には失望するしかない。

 


【本】高田一宏『新自由主義と教育改革 大阪から問う』(岩波新書)

2025-03-17 20:56:45 | 

 私立高校の授業料が無料となる、という。政府がそのカネを肩代わりするのだそうだ。

 その政策、すでに大阪府が大阪維新の会により実行されている。その結果、大阪の公立高校への入学者が減り、大胆な統廃合が行われている。廃校となった高校の跡地は売られ、タワマンが建設されているらしい。

 これが全国に拡大すれば、当然、公立高校の統廃合は進んでいく。

 公教育が、公ではなく、私立学校により担われていく。公より民へ、というのは、新自由主義の特徴である。

 大都市の私立高校のなかでは、有名大学への進学率が高い高校があり、そこに子どもを入学させるために、激しい競争が行われ、塾、通信教育など教育産業が成長する。そのような、民間の営利企業をもうけさせる政策が展開されている。

 本来、公が担うべき教育を、民間へと移していく施策が、すすめられている。

 さて本書は、新自由主義に基づく「教育改革」を推進してきた大阪でどのような事態が起きているかを、教育社会学者が報告するものである。

 大阪は、生活保護受給者も多く、また被差別部落もあり、「大阪の教育関係者は、格差や差別をなくしてすべての子どもに教育を受ける権利を保障しようと努力してきた」のだが、大阪維新の会の「教育改革」により、その伝統が崩されようとしている。

 新自由主義的な教育は、教育を民間にやらせると同時に、競争を重視する。そして企業や国家に役立つ人間を育成することが目的とされる。

 だが、「競争的な環境は、できる・できないという差異でもって、子どもたちのつながりを断つおそれがある。学力形成にはむしろマイナスである。」(44頁)という指摘に同感である。

 本書は、大阪の実態について詳しく書かれているわけではないが、教育的な観点から、「教育改革」による大阪の現在の教育の問題点が指摘されている。

 わたしは、大阪の実態を知りたくて本書を購入したが、その目的のためには他の本を買わなければならないようだ。


澤田展人『アジアのヴィーナス』(3)

2025-03-04 08:09:03 | 

 澤田の『アジアのヴィーナス』には、4作が掲載されている。三作目は、「金色の川」である。

 澤田の筆致は、緊迫感を持って最後まで引っ張っていく。その点で、読ませる小説である。

 さて、「金色の川」。主人公は、時生、もと高校教員で今は退職している。子どもも独立し、妻・知子と二人で生活している。そこへ、在学中に出産したあさりが、小学生になった子、ゆずきを伴って訪ねてくる。事件はそこから始まった。退職後の落ち着いた生活をしていた時生の家庭に異変が生まれ、大きな葛藤が発生する。以後の展開は、その葛藤を追う。

 あさりは、ゆずきの父親シュウジがDVを働き、父親としての責任を果たさず、ありさが貯めた大金を持って姿をくらました。あさりは、その大金を持ち去ったシュウジからカネを取り戻したい、ついてはその間、ゆずきを預かってほしいというのである。期限は6ヶ月、しかしカネを取り戻したらすぐに迎えに来る、というのである。時生は承諾する。

 しかしゆずきはふつうの子どもではなかった。会話が成立しない。時生や知子にしたがわない。それどころか、激しい夜尿症をもっている、学校にいるときも、失禁することがある。

 知子は、ゆずきの面倒をみるのだが、一筋縄ではいかないゆずき、おねしょの片づけもしなければならない。徐々にゆずきを見る目が険しくなる。知子は、高齢の実母の面倒もみなければならない状態にあった。

 6ヶ月たっても、ありさは引き取りに来ない、知子は時生のもとを去っていく。そして時生とゆずきのふたりだけの生活に入っていく。

 そこで、時生はいろいろな発見をする。早朝、ゆずきを起こしに行く時生、なかなかゆずきは起きない、その眠っているゆずきの顔を見て、「おしゃかさまかマリアさまか」と呟く。ゆずきがおもらしをするのは、明け方である。時生は、こう感じる。

 ゆずきの顔にはこの世の煩いを超越したやすらぎが宿っていた。時生はそのやすらぎの背後に、さらさらと流れる金色の川の音を聞いた。ゆずきはあたたかくやさしいその流れに溶かされ、宙を漂っていた。

 内と外の境がなくなっている忘我状態のゆずきに、殻の壊れた自分の中身がどろどろと流れ出し寄り添おうとしているのではないか。

 時生も、幼少期の失禁の経験があった。そのため、ゆずきの夜尿症へ一定の理解をもつのであった。

 ゆずきの夜尿症を、時生はこう捉える。

 この世のとらわれから解放され、静かに穏やかに眠っているゆずきの寝顔がそこにある。穏やかさがきわまったとき、ゆづきの体内から金色の水がさらさらと流れ出すだろう。それはきっと、今、このときだろう。父の暴力、母の不在、世間からのからかい、いっさいの理不尽から逃れた小さな空間で、ゆづきは自分の内から外へと温かな液体を静かに流していく。彼女は内も外もない世界にたゆたい、至福の時を過ごしている。

 眠っているときは、誰でも、「この世のとらわれから解放」される。夢の中にたゆたい、「至福の時」をすごす。おそらく、この世で苦しみを抱きながら生きている者ほど、眠りの中に解放感をもつのだろう。ゆずきは成育過程で、暴力やネグレクトに遭ったのだろう。それは子どもの成長にとって、大きなしこりとなる。そのしこりが、おもらしというかたちで、表現される。

 そのおもらしを、著者は「金色の川」とする。

 時生は、何度もあさりに電話する。やっと連絡が取れ、あさりがゆずきを迎えに来る。ゆずきはあさりに連れられて時生の家を出ていく。時生は、おそらく実母の家に居るはずの知子を迎えに行こうと思う。

 ゆずきが夜明け前に垂れ流す尿は、この世のどこにもないほど聖らかな水の流れなのだという自分の発見をぜひ伝えてやりたい

 と思う。

 はたして知子は、時生のその「発見」を素直に受け入れるだろうか。おそらくそれはない。

 前作の「天都山まで」でも感じたことだが、小説の結末に向けて緊迫感をもって読者を誘っていくその過程と、結末のあっけなさ、にアンバランスを感じた。結末に向けて、登場人物の心情その他を詳しく書いてきたのに、葛藤が詳しく書かれてきたのに、その葛藤がなくなることになる終末の部分が、どうもあっけないのである。

 もう一作、「なまこ山」がある。これについてはすでに書いたので、ここに新たに書くことはしない。いまもう一度読みはじめてはいるが。

【追記】 もしわたしが、卒業生から子どもを預かってほしいと言われたらどうするか。数日くらいなら引き受けるかもしれないが、原則的には断るだろう。責任を負えないと思うからだ。

 澤田の小説は、読みはじめたら途中でやめられない、最後まで緊張して進むしかない状況に読者は追い込まれる。そして終末に至るのだが、それまでの緊迫感や緊張が、一気に解放される。つまり、結論的には、安定したというか、安心できる終わり方を迎える。そこには澤田の人間性が表現されているのだと思う。読者を宙づりにはしないのである。納得できる終わり方で、今までの緊張を解くのだ。

 最近あまり小説を読まなくなっている。この「アジアのヴィーナス」に載せられている4作品は、小説を読むという行為を、ある意味、強制する。というのも、読みはじめたら止まらないからだ。

 

 

 


澤田展人『アジアのヴィーナス』(その2)

2025-03-03 09:02:53 | 

 澤田展人の『アジアのヴィーナス』に掲載された最初の「アジアのヴィーナス」については、先に紹介した。

 二番目に掲載された小説は、「天都山まで」。昨夜、それを読み終えた。

 主人公は悠里、夫と男の子二人の4人家族である。悠里の親友であるあおいが、みずからの子どもを殺害し、自らも首を吊ったのである。悠里は、みずからを支えてくれたあおいが自死したことに、大きな衝撃を受ける。

 あおいの夫は体が弱い直人。しっかりもので責任感あるあおいは、だから育児だけではなく、家庭の様々なことをひとりでやっていた。そのせいか、夜泣きが激しいため、育児に疲労を抱えていた。そのために自死を選んだのか。

 悠里は、あのしっかりもののあおいがなぜ自死したのか、自死を止めることはできなかったか、煩悶を重ねる。

 ある夜、悠里はひとり闇の中をあてもなく歩く。なぜ?なぜ?と問いながら、他方、あおいの命を救うことはできなかった自分自身を責める。

 悠里の煩悶は理解できるし、さらに真夜中にひとり家を出て、自分自身とあおいとの関係をふり返り、苦しむ。その過程は、読む者を強く引き込んでいく。

 澤田のストーリーテラーとしての面目躍如という感がする。それは「アジアのヴィーナス」でも感じたことだ。

 さて、悠里は、天都山を登る、そして夜明けを、展望台で迎える。そこで、「急いで(家に)帰ろう」という気になる。ある意味の「回心」である。

 しかしそれまでの緊迫した悠里の心情を追ってきた読者としてのわたしは、その「回心」があまりにあっけないように思えた。煩悶、煩悶・・・・・・・・そして「回心」。

 あっけない「回心」のように思えた。

 


【本】平雅行『改訂 歴史のなかに見る親鸞』(法蔵館文庫)

2025-02-25 19:09:53 | 

 墓じまいをして、両親の遺骨、ならびにいずれ来るであろう自分自身の骨の行方をどうしようかと考えている。

 わが家の墓は、曹洞宗寺院にあった。別にわが宗教として曹洞宗を信仰しているわけではない。先祖が、曹洞宗であったからだけなので、別段曹洞宗や道元についての知識があるわけではない。

 このような形態は、近世の檀家制度に基づく。近世の寺院は、幕藩体制の支配機構に包摂され、人民支配の有力な手段であった。日本の仏教を頽廃させたのは、この檀家制度であるという言説がある。それぞれの寺院が敷地内に墓地をつくらせ(庶民が墓を造営し始めたのは、元禄期だという)、代々そこに遺骨を納めさせ、葬儀だ、年忌だ、彼岸だ、盆だ、読経だといって、庶民からカネを巻き上げるシステムだ。さらには庫裏を新しくしなければならない、塀を修繕しなければならない・・・・などと、庶民からことあるごとにカネをださせる、寺院にとっては好都合の制度であり、それに安穏とのっている仏教界は、新たに信者を獲得する努力をしなくてもいいから、頽廃するのがあたりまえだ。

 そのような制度のもとで、葬儀形式を早くに整えた曹洞宗は、近世の檀家制度にうまく乗ることができた。さらに、死者に居士、信士などと位階をつけ、位階ごとに寺院への納付金を決めるなど、仏教の根本は「平等」であろう。仏教について調べると、「仏教はもともと「すべての人は平等である」と説かれた万人平等の教えです。」などと書いている。ならば、何故に死者に位階をつけ、その家族から位階に応じてカネを出させるのか。

 こういうような疑問をもって、仏教について調べていたら、浄土真宗が平等を主眼にしていることを知り、この本を読みはじめた。

 平氏は、歴史学者である。歴史学者であるから、もちろんきちんとした史料にもとづき、親鸞の思想や生涯を描いていく。この本は信頼できるものである。

 諸行往生を巡る論争で、法然や親鸞は機根の平等を主張しました。「機根」というのは、人間の資質の意味です。すべての人間を愚者凡夫と捉える法然の考えや、すべての人間は悪人たらざるを得ないとする親鸞の思想が、それです。考えてみれば、私たちは確かに多種多様です。いろんな人がいる。頭のいい人、真面目な人もいれば、そうでない人もいます。でも、阿弥陀仏の智恵の深さ、その真面目さと比べたなら、少しぐらい頭が良い、少し位真面目だからといって、そんなもの、たかが知れています。そして、阿弥陀仏の力が大きくなればなるほど、人間の能力差はどんどん小さくなり、やがて見えなくなる。こうして「すべての人間が平等に愚者だ」「誰もが平等に悪人だ」という法然や親鸞の思想が生まれてくるのです。彼らが追求したのは現世における人間の平等です。(133)

 平氏は、史料にもとづき、親鸞の思想の展開、生涯を、不明な場合は不明として、あとづけていく。そのなかで、「悪人正機説」は、源信らの浄土教のなかにもあり、親鸞=「悪人正機説」は成りたたないことを証明し、さらに親鸞の思想の進化、そして絶望にも触れていく。親鸞を客観的に捉え、叙述していく本書は、親鸞を知る上で参考になる。

 先祖が曹洞宗だったから、みずからも死んだら曹洞宗の寺院の墓に入るというのは、もはやのりこえられなければならない。寺院にくっついていると、ろくなことはない。檀家たちは寺院からの「寄付」のもとめに、悩み苦しんで居る。近世の遺物、檀家制度を放逐したい。

 最近、墓の問題(寺院からの多額の金銭の要求)で悩んでいる人が多く、曹洞宗、臨済宗、そして日蓮宗の檀家から、聞こえてくる。浄土真宗からは、今のところあまり聞こえてこない。

 


【本】本田雅和『ベトナム戦争 匿されし50年の検証』(風媒社)

2025-02-24 18:55:09 | 

 本書は、『週刊金曜日』に連載されていた「『本多勝一のベトナム』を行く」に加筆して刊行されたものだ。

 朝日新聞記者であった本多勝一は、紙面で様々な連載を書いていた。思春期の頃、『朝日新聞』を購読していたわたしは、その連載記事を必ず読んでいた。数多くの連載記事の中で、圧倒的な影響を受けたのが、本多がベトナムを取材して書いた『戦場の村』などの記事である。それらは連載後に単行本となって発売されたが、それらは未だに書棚に並んでいる。

 わたしが高校生の頃、ベトナム戦争は激しさを増していた。新聞にも、ベトナム戦争に関する記事は毎日のように掲載されていた。アメリカという巨大国家が、ベトナムという小国を荒らしまわり、爆弾のみならず枯葉剤などを撒き、ベトナムを徹底的に破壊していた。しかしそれに対して、ベトナムの人びとは果敢に抵抗していた。もちろん、わたしはベトナムの人びとの支援に動いた。ベ平連と関わったのも、高校生の頃だった。

 ベトナムの人びとの果敢な抵抗は、わたしの精神に大きな刺激を与え、わたしの思想をつくりあげていった。そのベトナムの闘いを報じていたのが、本多の記事であった。

 本書は、『週刊金曜日』の本田雅和が、本多勝一が取材した地域、人を訪ね歩いて、今のベトナムを描こうとした。本多勝一を読んでいるわたしとしては、「その後」をやはり知りたいと思った。わたし自身も、ベトナム戦争に強い思い入れを持っているからだ。

 刊行されてからすぐに購入し、一気に読んだ。付箋がたくさんついている。付箋をつけた個所について全て言及するわけにはいかないので、その少しだけを紹介する。

 「ベトナム人にとって共産主義や共産党とは何だったのか、人々は何のためにこんなにも闘ったのか、闘えたのかーを問う旅でもあった」(45)と本田は書く。わたしも同じ問いを共有する。おそらく当時のベトナムの人びとの強さは、ホーチミンという指導者の下、共産党を中核にしてベトナムの人々が強固な信念を共有したことにあると思っている。抵抗するためには、共産主義も不可欠の要素であった。共産党、共産主義というものがなければ、あの粘り強い抵抗闘争はなかった、のではないかと思っている。もちろん、だからといって、現在の共産党が指導するベトナムの状況を無条件に受け入れるわけではない。しかし、わたしは、ベトナムという国家が繁栄し、そこに住むベトナムの人々が幸せに、豊かに、そして自由に生きていくことができる社会をつくることを、心から期待している。

 52頁で、本田は「ベトナム人民の多くは、・・・学びつつ、今も試行錯誤しながら各自の「戦後」を生きている。一方で、ベトナムに侵略戦争を仕掛けたアメリカは、その失敗から一体何を学んだのか?今も世界中で侵略戦争を繰り返しているアメリカは、倫理的にもベトナムに負けているのだ。」と書いている。アメリカは、軍事的な戦略、戦術の面では何かを学んだかもしれないが、しかし、本質的なことは何も学ばない。それは先住民を虐殺し、かれらの土地を奪って建国したその時代から、全く変わっていない。アメリカには、「反省」ということばはない。

 66頁で、本田は、本多が『戦場の村』で「戦略村」について書いていることを指摘する。この「戦略村」は、日本帝国主義が、「満洲」でおこなったこととまったく同じである。住民を強制移住させ、管理する、そしてパルチザンなどと接触させないようにする、という方式。帝国主義は、おなじことをする。

 これ以上書くと長くなるのでこの辺でとめるが、本多勝一のベトナムルポを読んだ人たちにとっては、きわめて有益な情報が、本書には書かれている。

 多くの高齢者に推薦する次第である。わたしと同じ世代の人びとにとっては、ベトナム戦争は、それぞれの精神に強く刻印されているはずだから。

 


月初めは忙しい

2025-02-09 20:50:20 | 

 あまりに寒い日なので農作業はしていない。しかし、連続して『地平』と『世界』が届くので、それらに一応目を通すのがなかなか時間がかかる。だから忙しい。

 まず『世界』3月号。まず指摘しておかなければならないと思ったこと、を記しておく。それは、石原真衣の「〈サイレントアイヌ〉とはなにか」についてである。

 近代日本国家が、蝦夷地の先住民であるアイヌを、アメリカ大陸で白人たちがインディアンに対しておこなったように、迫害したことは周知の事実である。石原は、『中学生から知りたいパレスチナのこと』(とてもよい本である。)を著した岡真理と藤原辰史が、その本で、「ガザを見たとき、日本は自国の植民地主義を想起できているか」と問うて、それに対応して中国、台湾、朝鮮に対する近代日本国家の侵略・植民地主義を挙げていること、しかし二人がアイヌや沖縄に言及していないことを批判する。「すべてが過去形で語られる「日本の植民地主義」に関する岡と藤原の思考と記述は、アイヌや沖縄といった現在形で進行する日本の植民地主義を不可視化する。」と。

 いや、岡や藤原の著書を読んできた私としては、岡も藤原も、アイヌや沖縄のこともきちんと彼らの視野に入っているだろうと弁解してあげたくなる。なにごとかを説明するとき、それに関わるすべてのことを書くのではなく、いくつかのことを例示することにより読者の意識を喚起するという手法をとることは多い。だから、自分自身が切実に思っていることに言及しないことを材料にして、批判するのはどうかとも思う。

 今月号の『世界』、韓国についての論稿がよかった。おって紹介する。

 


【本】佐藤泉『漱石 片付かない〈近代〉』(日本放送出版協会)

2025-01-19 21:53:20 | 

 2002年に刊行された本である。

 漱石を考究しようとして借りてきたものだが、これを読んで、漱石について考えていくことは、半年では無理だと判断した。それは以下の記述による。

 各時代はそれぞれの「漱石」を思い描き、そして「漱石」は各時代の要求に対してみごとに適合するように表情を変えてきた。どの「漱石」もたしかに漱石であるにちがいなく、それがこの作家の偉大さだというならば、そのとうりである。(65)

 ということは、捉えどころがなく、あるいは捉えることが難しく、または捉えようとしてもその輪郭が定かではない、ということにもなるだろう。

 となると、漱石を捉えるというとき、もちろん作品を読むことは当然ではあるが、漱石についての様々な文献を参考として読むとき、これだという本はないということになる。

 歴史について書くということは、今までの研究史をきちんとたどり、自分自身はその研究の軌跡に、どのような新しい視点を加えたか、ということになる。半年では、おそらく難しいという判断である。

 漱石はじっくりと読むしかないと思った。

 しかしそれでも、佐藤泉はよい視点を提供してくれている。

 西洋人が驚嘆の眼で日本の近代を見つめている。そのまなざしを受け止めた漱石は、日本の近代がいかに普通でないかを意識しはじめ、そして西洋の近代とは違う日本近代の特殊性を問題化し、それについて思考しはじめるのである。自己のアイデンティティ(存在証明)は他者のまなざしを受け止めて、反発したり受け入れたりすることによって確立するというが、この場合の「日本近代」という自己意識も、まさにそのように成立したものだった。逆説的なことに、日本という自意識の成立事情は、決して「内発的」なものではなかった。(61)

 ここには、漱石が日本の近代をどのように見つめたのか、それが課題となるということを示唆している。

 漱石は、日本近代をどうみつめたのか、これを課題として、いずれ探ってみたい。今年から来年前半の仕事になるだろう。

 


【本】夏目漱石『吾輩は猫である』を読む(2)

2025-01-19 10:19:18 | 

 『我が輩は猫である』には、ふむふむと考えさせられる文がある。そのうちいくつかを下記に並べる。

「人間の定義を云ふと外に何もない。只入らざる事を捏造して自ら苦しんで居る者だと云へば、夫(それ)で充分だ」(下 127)

 このあとに、「世の中を見渡すと無能無才の小人程、いやにのさぼり出て柄にもない官職に登りたがるもの」とある。明治の時代から、このような風潮が存在していたというわけだから、今「官職」についている者たちが、あまりにひどいのもうなずける、というものだ。 

 「人間にせよ、動物にせよ、己を知るのは生涯の大事である。己を知る事が出来さへすれば人間も人間として猫より尊敬を受けてよろしい。其時は吾輩もこんないたづらを書くのは気の毒だからすぐさま巳(や)めて仕舞ふうつもりである。然し自分で自分の鼻の高さが分らないと同じ様に、自己の何物かは中々見当がつき悪(に)くいと見えて、平生から軽蔑して居る猫に向かってさへ斯様な質問をかけるのであらう。人間は生意気な様でも矢張り、どこか抜けて居る。万物の霊だなどとどこへでも万物の霊を担いで歩くかと思ふと、是しきの事実が理解出来ない。而も恬として平然たるに至つてはちと一噱(いっきゃく、※「一笑」と同じ意味)を催したくなる。彼は万物の霊を背中へ担いで、おれの鼻はどこにあるか教へてくれ、教へてくれと騒ぎ立てて居る。それなら万物の霊を辞職するかと思ふと、どう致して死んでも放しそうにしない。此位公然と矛盾をして平気で居られれば愛嬌になる。愛嬌になる代わりには馬鹿を以て甘んじなくてはならん。」(155~6)

 近代になってから、人びと、とりわけ青年は、自分とは何かを問い始めた。個の意識が生まれたのだ。漱石に教えを受けた学生が日光の華厳の滝に飛び込んだことがその証左である。彼はつぎのことばを遺書として残した。

 

巖頭之感
悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小軀を以て
此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟に何等の
オーソリチィーを價するものぞ。萬有の
眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。
我この恨を懷いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巖頭に立つに及んで、胸中何等の
不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は
大なる樂觀に一致するを。

「今の人はどうしたら己れの利になるか、損になるかと寝ても醒めても考えつづけだから、勢探偵泥棒と同じく自覚心が強くならざるを得ない。二六時中キョトキョト、コソコソして墓に入る迄一刻の安心も得ないのは今の人の心だ。文明の呪詛だ。馬鹿馬鹿しい」(205)

 資本主義が導入されてから、「己の利」をひたすら追求する者たちが増えていった。現在はその窮極の段階である。 

「昔は御上の御威光なら何でも出来た時代です。其次には御上の御威光でも出来ないものが出来てくる時代です。今の世はいかに殿下でも閣下でも、ある程度以上に個人の人格の上にのしかかる事が出来ない世の中です。はげしく云へば先方に権力があればある程、のしかかられるものの方では不愉快を感じて反抗する世の中です。だから今のは昔しと違って、御上の御威光だから出来ないのだと云ふ新現象のあらはれる時代です。昔しのものから考へると、殆んど考へられない位な事柄が道理で通る世の中です。」(214)

 そういう時代を経て、今では昔に戻ってきていると思う。「御上」に「反抗する」者の数は減る一方である。

 新自由主義の時代、トップダウンが「正しい」と強いられる世界では、人びとの多くは「反抗」を忘れて、「御意、御意」と叫ぶのである。

 

 


【本】夏目漱石『吾輩は猫である』を読む

2025-01-15 10:00:53 | 

 夏目漱石を攻略しようと思って、『吾輩は猫である』を読み、また佐藤泉の『漱石 片付かない〈近代〉』(日本放送出版協会、2002年)を読んだ。今年は漱石だ、と思って読みはじめたが、なかなか難しい。佐藤の本を読んでいると、論点が様々でてきて、一人の作家・漱石をどのように考究していくか、その方法、視点がとんと思いつかない。ことしはいずれ「漱石ーその時代」というテーマを話すための準備期間として、とにかく漱石の作品を読み進めることだけにする。

 歴史講座は、「日本とアメリカー歴史的に考える」というようなものにしようかと思う。アメリカについての本をたくさん持っていて、いずれ「アメリカ帝国」とはいかなる存在であるのかを考えるつもりではいた。

 さて、『我が輩・・・』を読んでいたら、おもしろい指摘があった。

 人間といふものは時間を潰す為めに強いて口を運動させて、可笑(をか)しくもない事を笑つたり、面白くもない事を嬉しがつたりする外に能もない者だと思つた。(上、68)

 たしかに。わたしは週一回鍼灸師のお世話になっているが、そこに行くと、ひとりの老女が、のべつまくなしにしゃべっている姿をみる。会話を楽しむというより、自分自身が話すことだけを追求している。だから他人が話していても、その話をさえぎるかのように話す。そして笑ったり、うれしがったりしている。まあ元気に話すことが長寿の手段でもあるから、わたしはだまって聞いているのだが。

元来吾輩の考によると大空は万物を覆うふ為め大地は万物を載せる為に出来て居るー如何に執拗な議論を好む人間でも此事実を否定する訳には行くまい。偖(さて)此大空大地を製造する為に彼等人類はどの位の労力を費やして居るかと云ふと尺寸の手伝もして居らぬではないか。自分が製造して居らぬものを自分の所有と極める法はなからう。自分の所有と極めても差し支ないが他の出入を禁ずる理由はあるまい。此茫々たる大地を、小賢しくも垣を囲らし棒杭を立てて某某所有地抔と画し限るのは恰もかの蒼天に縄張して、この部分は我の天、あの部分は彼の天と届け出る様な者だ。もし土地を切り刻んで一坪いくらの所有権を売買するなら我等が呼吸する空気を一尺立方に割って切売をしても善い訳である。空気の切売が出来ず、空の縄張が不当なら地面の私有も不合理ではないか。(上、116) 

 これは猫殿の発言ではあるが、なかなかの指摘である。

 次は「大和魂」への言及である。これは会話の中で交わされているのだが、その部分だけを抜き書きしよう。いずれ再び「大和魂」が叫ばれる時代が来るかもしれない。確かに「大和魂」には実体がない。ことばだけだ。ことばだけが叫ばれる時代が再来する?あゝ怖い。

「大和魂!と叫んで日本人が肺病やみの様な咳をした」/「大和魂!と新聞屋が云ふ。大和魂!と掏摸(スリ)が云うふ。大和魂が一躍して海を渡った。英国で大和魂の演説をする。独逸(ドイツ)で大和魂の芝居をする」/「東郷大将が大和魂を有つて居る。肴屋の銀さんも大和魂を有つて居る。詐欺師、山師、人殺しも大和魂を有つて居る」「大和魂とはどんなものかと聞いたら、大和魂さ答へて行き過ぎた。五六間行ってからエヘンと云ふ声が聞こえた」/「三角なものが大和魂か、四角なものが大和魂か。大和魂は名前の示す如く魂である。魂であるから常にふらふらして居る。」/「誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。誰も聞いた事はあるが、誰も遇(あ)つた者がない。大和魂はそれ天狗の類か」


「魂の連帯」

2024-12-30 21:21:48 | 

 『ユリイカ』のハン・ガン特集号を読む。すべてを読み終えたわけではないが、そのなかで佐藤泉さんの「腐肉の愛しさ」に大きな衝撃を受けた。ハン・ガンの『少年が来る』『別れを告げない』を深く読み切っているという印象を持った。

 「人間はどうしようもなく体を持っていて、そのため恥辱を抱えて生きていかなければならない」

 これが、佐藤さんの通奏低音である。このことばで、ふたつの作品を読み解くのだ。

 魂と体(肉体)。わたしの魂は、わたしの体と共にある。しかし、その魂と体は、いつも協調しているのではない。魂がよりよき生を求めて生きんとするとき、体は魂と協調してそのように生きさせるようなことはしない。体は、魂を裏切るのだ。

 「私の意識の統御を超えて、病み、老い、死んで、腐る。私の身体は私が在ることから切り離すことはできないが、それは私の内の他者なのだ」と佐藤は書く。

 激しい拷問が襲いかかってくるとき、良き生き方をもとめる魂が苦痛に耐えようとしても、体は苦痛に耐えられない。他者としての体が暴力に耐えきれなくなり、体が体としての役割を放擲するとき、魂も体と共に消えてしまう。体と共に、魂も死ぬ。

 拷問でなくても、光州で戒厳軍の銃弾に斃れた場合でも、魂は消えていく。だが、ハン・ガンは腐っていく体、死臭を放つみずからの体を見つめる魂を描く。死後に於ても、ハン・ガンは、魂と体を融合させる。

 ハン・ガンは、みずからの体と魂を融合させるだけではなく、他者のそれとも融合させる。それは、現実に光州で起きたからだ。

 佐藤は、画家・洪成潭の経験を記す。ジャージャー麺の出前持ちの少年は、市民軍の一員として光州を守る。少年に、洪らは帰りなさいという。しかし少年は、「ぼくは生まれてはじめて人間的な待遇を受けました。それもすべての市民から。だからぼくが代わりに守らなければならないのです」、死んでも悔いはない、と。

 洪はこう書く。「私たちは本当に美しかった。光州抗争の十日間、そのコンミューンの美しい記憶だけで、私は一生幸福に生きていける」。

 「魂の連帯」。このことばを佐藤さんがつかっているわけではない。魂は、体と魂が協調しているときも、体が魂を支えることができなくなったあとでも、魂は他の魂と連帯することができる。わたしは、佐藤泉さんの文を読んで、「魂の連帯」ということを学んだ。ハン・ガンのふたつの小説は、時空を超えて、人間の魂と魂は共鳴し、魂が連帯できることを示したのだと思った。

 しかし魂は、その魂を支えていた個としての体とまったく分離しているものではない。体が体としての働きを失っても、その体に刻印された諸々のことは、魂とともにありつづける。

 光州や済州島に於て、国家権力により発動された暴力が、個々の魂と体に対して吹き荒れたのだ。

 近代に於ける朝鮮半島は、いつ終わるともなく国家の暴力が襲いかかっていた。人びとは、その暴力に魂と体を奪われていった。そうした人びとは、しかし歴史のなかで忘却されてよいわけではない。魂と体は、それぞれがもっていた個人としての尊厳を取り戻さなければならない。

 かつてそれぞれが体と魂を協調させていたこと、それを、現在魂と体を協調させている者たちが、「魂の連帯」により、呼び戻さなければならないのである。

 

 


【本】三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』(岩波新書)

2024-12-22 11:37:40 | 

 この本は二度目である。ある本を読んでいたらこの本に言及していたので、読み直した。2017年に出た本で、わたしはその年に購入している。赤線が引いてあったり付箋が貼られたりしているが、その内容についてほとんど記憶がない。最近は、よほど刺激的な内容が書かれていないと読んだ本について忘れてしまう。若い頃は、読んだ本についてどんな内容であったかその概略くらいは覚えていたのだが、最近はとみに記憶力がなくなっている。悲しいことだ。

 本書の内容は、近代史研究家としての著者が、いま日本近代をどう考えるかを綴ったものだ。じっくりと読むと、なかなか刺激的である。おそらく前回は、わたしに問題意識がなく、さらっと読みとおしただけだったのだろうと思う。本書は、新書ではあるが、なかなか現代的課題を見通しながらの、重厚な内容であると思った。

 「あとがき」には、老境に入った著者の感慨が記されている。「俊傑は老いても志は衰えない」という、著者の気持ちが書かれているが、著者80歳の頃に書かれたこの本は、まさに衰えない志を証明している。また「私は学問の発展のためには、学際的なコミュニケーションの他に、プロとアマとの交流がきわめて重要だと思います。そのためにも、「総論」(general theory)が不可欠であり、それへの貢献が「老年期の学問」の目的の一つではないかと思います」とあり、お世話になった故海野福寿先生も、晩年、最後には古代から現代までの通史を書きたいと語っていたが、それに通じることばである。

 本書は、副題に「問題史的考察」とあるように、近代日本に於ける、政党政治、資本主義、植民地帝国、天皇制に絞って考察を加えるという体裁をとっている。まず政党政治について考察したのは、著者が政党政治の研究にもっとも力を入れていたからである。四つの問題で、植民地帝国、天皇制についてもっとも教えられたが、植民地に日本の国内法が適用されなかった問題は、戦後補償にも大きな影を落としている。また天皇制に関しては、教育勅語成立史に多く紙面を割いていて、井上毅という人物の役割が詳述されている。教育勅語が、近代日本の民衆にきわめて重いものを強いたことを考えると、勅語を中心になってつくった井上というひとりの人間の存在に複雑な思いをもつ。

 とにかく、読む価値のある本である。