映画「風よ あらしよ」が上映された。しかし私は観なかった。テレビでも放映された。でも私は見なかった。
私は、伊藤野枝について、野枝が書いた文、野枝について書かれた文のほとんどを読んでいる。だから私には、野枝をはじめ、大杉や辻潤らのイメージをすでにもっている。私はそのみずからがつくりあげたイメージを大切にしたいと思う。だから見ない。
子どもの頃、NHKの大河ドラマを見ていた。だから豊臣秀吉を思い浮かべようとすると緒形拳の顔が出てくる。
だから映像化された歴史は、見ない方がよいという結論を持つに至った。とはいえ全く見ないわけではない。「朴烈と金子文子」の映画は見た。でも、朴烈のイメージと映画の男優とは重ならなかった。でも、朴烈を想起するとき、あの男優の顔が浮かび上がってしまう。
「風よ あらしよ」を観た友人から、劇場で販売されていた『風よ あらしよ (劇場版)』が送られてきた。ずっと前に送られてきていたのだが、母の死などがあって今まで読んでいなかった。
今日、読んでみた。
野枝を演じた吉高由里子さんの「伊藤野枝を演じて」を読んでみて、吉高さんは野枝という人間の本質をとらえている、と思った。私がもつ野枝像と重なるからだ。吉高さんは野枝について書いているが、そこに書かれている野枝は、まさに伊藤野枝という存在であった。しかし野枝のイメージと、吉高さんはイコールではない。
この映画にでてくる大杉も辻潤も、私のイメージとは大きく異なっている。みなくてよかったと思った。
ブレイデイ・みかこさんの文はよかった。訪日したバートランド・ラッセルが野枝に会い、訪日中に会った日本人でもっとも「好ましい人物」として野枝をあげたことが記されている。ラッセルは、強い印象を野枝から受けたのだ。
野枝の「奴隷になるな」という呼びかけは、今も尚生きていることをみかこさんは強調している。野枝が書いた文は、いまも読む価値がある、と私も思う。
加藤陽子さんの文は、大杉と野枝、橘宗一が殺された「時」を解説している。私も、どこかに書いたことがあるが、1917年のロシア革命、その後のシベリア出兵、朝鮮の3・1独立運動で体験した権力者の意思が、大杉らの殺害の背後にあると考えている。だから、権力者は、いつか大杉らを抹殺しようと考えていたはずだ。
私は、野枝は、こういう時代だからこそ、振り返らなければならないと思っている。今、他の仕事をしている関係で、野枝に関する書籍などは実家に置いてあるが、「時」が来たら、もう一度すべてを読み直してみようと思っている。
この映画のパンフレットは、よい。
この映画を制作した柳川さんがいつごろから野枝の魅力にとりつかれたのかは知らないが、私の場合はもう50年もまえだ。私のほうが先輩である。