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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

フジテレビのこと

2025-04-12 08:44:47 | メディア

 Yahooニュースのトップにアクセスすると、政治経済記事などのほかに、芸能界に関する情報がたくさん掲載されている。タレントが結婚したとか、子どもが生まれたとか、全く報じなくてもよいようなものがたくさんある。そのタレントの名前をみても、ほとんど知らない。芸能界などに、今までも、今後も、興味関心がないからだ。

 昨晩、少しの時間、テレビをつけてみた(実家にはテレビがある)。静岡県のフジテレビ系列は「テレビ静岡」である。そこにチャンネルを合わせたのだが、芸人たちがまったくくだらない、ゲラゲラと笑いながら何の足しにもならないことをしていた。これでは、ふつうの人でもテレビは見なくなるはずだと思って切った。電波をつかって流す必要もないことが堂々と流されている。フジテレビは、「楽しくなければテレビじゃない」という方針だそうだが、出演者だけがギャラをもらって「楽し」んでいるようにみえた。

 近所の高齢者のお婆さん方と話をしていても、見たいテレビ番組がない、と言っていた。そうだろうなと思った。

 フジテレビが批判されているが、家人に聞くと、ずっと昔から「ゆうやけニャンニャン」はじめ下品な番組が並んでいたという。その際に示されたいくつかの番組名をわたしはまったく知らなかった。考えてみれば、学生時代はアパートにテレビはなく、働くようになってからもテレビの前にすわって、テレビをみることはほとんどなく過ごしてきたからだ。

 フジテレビは、日本の経済界が生みだしたテレビ局だという。なるほど、経済界は、国民を愚弄する番組を放映するのだ。それに芸人たちが競って協力する構図。

 テレビが国民から見放されようとしている時代。フジテレビは、その先端を走っているのだといえよう。

 


コロナ・ワクチンのこと

2025-04-03 13:40:48 | メディア

 コロナ・ワクチンの問題を報じていたのは、ただひとつ、名古屋のテレビ局CBCであった。「大石解説」では何度も、はっきりとは明言することはなかったが、事実を提示することによって、コロナ・ワクチンの問題点、その副作用、接種による効果はあるのか、など、多岐にわたって報じていた。

 しかし、新聞やテレビは、コロナ・ワクチンの問題は、取り上げてこなかった。雑誌もである。

 人びとは、コロナ・ワクチンはどうもおかしいぞ、という疑問を持ち始めた。ワクチンを何度もうった人がコロナに何度もかかり、重篤な副作用に見舞われたり・・・・しかし大手メディアは報じない。

 そうなると、人びとはネットで情報を得ようとする。

 大手メディアをオールドメディアとして不信感を抱き、オールドメディアは本当のことを伝えないという意識を人びとにつくりだしたのは、コロナ・ワクチンについて、きちんと報じてこなかったことにあるのではないかと思う。

 コロナ・ワクチンに関しては、人びとが可笑しいぞと思い始めた後も、メディアは批判的にとりあげることなく、政府・厚労省の立場をとりつづけた。もちろん、CBCを除いてでではあるが。

 さて、雑誌も、やっとコロナ・ワクチンについてとりあげるようになった。遅すぎる、というしかないが、それは今月号の『地平』である。

 最初に医師の山田真さんへのインタビュー。

 今回のメッセンジャーRNAワクチンのような新しいワクチンが使われる際には、本来は接種した人について抗体を調べなければいけないし、調べればワクチンが効いたかどうかわかるわけです。そんな基本的なことを行っていない。緊急輸入ということで、ファイザーなど製薬会社の言いなりになってしまった。このような新しいワクチンを効果も副作用も分からないままうつのは、壮大で危険な人体実験です。

最近のメッセンジャーRNAワクチンのように、従来の素朴なワクチンでなくなってしまうと、体の中で何が起きるかわからなくなってしまう。

 新型コロナワクチンについては、そもそも、いまだに効果があったのかどうか、わかっていません。

 世界的には日本のように5回も6回もうつようにすすめている国はないようで、アメリカやヨーロッパでもせいぜい2回、3回うつことがすすめられたようです。

 コロナなど頻繁に型が変わり、そうするとワクチンの効果は消え、新しい型に対するワクチンをうたなければなりません。

医療費を削るためには子供を病気にさせないことが一番良い、あらゆる病気にワクチンを作り、防いでいくのが良いのだ、というように考え方が変わってきた。

なぜワクチン接種を勧めるお医者さんが多いかというと、病院にとって大きな収入になるから。

 ちなみに山田真さんの家族は、いちどもコロナ・ワクチンをうっていないという。

 次は、天笠啓祐さん。

相次ぐワクチンワクチン推進政策の内実をつぶさに見ていくと、安全性や人々の健康より、製薬会社の利益が優先されているように思える。

新型コロナワクチンは、特例承認という枠組みで、安全性も有効性もきちんと確認されないまま大規模に接種が進められた。この特例承認が承認審査の簡略化をもたらした。今回のレプリコンワクチンは、審査が簡略化されてから承認されたものである。とても人間への接種を行う段階にはない。ワクチンが本来の感染症予防というあり方を逸脱し、あらゆる病気への予防薬として、新たなワクチン開発が進められている。そこにはワクチンが、人々の健康を守るという本来の目的から逸脱し、医薬品産業の利益を優先して開発が進められているように思えてならない。

 次は、楊井人文さん。

 楊井さんの文の標題は、「未曾有の健康被害 ワクチン死亡認定1000人に」である。ワクチンを接種することによって、こんなにも健康被害がでたのははじめてのことで、医者たちも接種を働きかけることに積極的で、テレビなどにも、そのような立場の人が出演し、結局コロナ・ワクチンの問題をとりあげるメディアはほとんどなかった。そして

 コロナワクチンの負の側面を検証することは依然として「タブー」のようだが、このままで多くの人が口に出さないまでも心の奥底に不信感を募らせ、それが本当に必要な予防接種に悪影響が出ることにならないか。

 と書く。現実にワクチンへの不信感が強まり、インフルエンザワクチン接種者数は減っているという。

 次は、田島輔さん。

 田島さんによると、厚労省は大手PR会社と契約して、「新型コロナウイルス感染症のワクチン広報プロジェクト」を立ち上げたという。そして政府の方針に反対するような情報を、「ファクトチェック」して消していったようなのだ。田島さんは、このプロジェクトの資料を入手しようとしたが、黒塗りのまま開示された。そのプロジェクトは、どんなことをしていたのか。予想するに、ワクチン接種に都合の悪い情報を消去していったのだろう。そしてメディアもネットも、それに協力した。

FacebookやYouTubeでは、国やWHOといった保健衛生当局の見解を「正しい情報」と定義し、これに反する情報は「誤情報」として削除される可能性がある。

と田島さんは書いているが、実際削除されていた。

 いずれにしても、政府、医療界、マスコミ、ネット、あらゆる組織がコロナワクチン接種推進に協力したのだ。

 日頃、日本政府について怒り、不信感を示している方々が、なぜかこのコロナワクチンについては、何度もうっていたことを、わたしは不思議な現象だと思っていた。

 何度も書くが、日頃、国民生活がどうなろうと興味も関心もない自由民主党、官僚、政治家どもが、なぜかコロナワクチン接種については積極的であったが、それはやはりカネ=利権につながっていたからなのだろう。彼らが、コロナに苦しむ国民を救済するためにワクチン接種をすすめたとは、とても思えないのである。

 


報道について

2025-03-01 09:01:38 | メディア

 横田増生の『ルポ「トランプ信者」潜入1年』についてはすでに紹介した。なかなか良い本なので、ぜひ手に取ってもらいたいが、その最後のあたりに、報道が満たすべきものとして、「公共性、公益性、真実性」があるとしている。これらの条件にあわないデマやフェイクは、いうまでもなく報じられることはない。

 日々、『東京新聞』を購読し、ネットで『中日新聞』を見ている者として、「真実性」はもちろん第一に重要ではあるが、「公共性、公益性」については検討が必要だと思う。

 『中日新聞』(東海本社)の紙面は、ローカル記事で埋め尽くされている。わたしからみて、これが「公共性、公益性」があるのかと疑問に思うような、読者におもねるような記事が散見する。

 今、浜松市で問題となっている水道料金値上げに関して、わたしたちはそれに対する意見書を提出したが、その記事はベタ記事であった。今ここで、水道料金値上げの問題を書くことは控えるが、浜松市は静岡県から必要もない水を、太田川ダムから購入していて、その金額(カラ料金)は年8億円~10億円となっている、つかってもいない水を県から買わされている現状をなんとかすべきである、そのカラ料金を、水道管の更新につかうべきで、安易に料金を値上げすべきではない、というのがその意見書の趣旨である。この意見書提出に関して、ベタ記事で良いのか。「公共性、公益性」が小さいと、中日新聞(東海本社)は判断したのか。

 新聞などメディアは、権力を監視する「番犬」の役割を果たすべきだという言説が一貫して主張されているが、新聞などがその役割をきちんと果たしているとはとても言えない。そうした姿勢が部数減につながっているのではないかと、わたしは何度も書いている。わたしはその観点から、購読していた『朝日』をやめ、次に購読した『中日』(東海本社版)をやめ、今では『東京新聞』を読んでいる。

 今日、ポストに、『メディアを市民の手に』という小冊子が届いていた。「NHKとメディアを考える東海の会」が出したものだ。かつて共同通信に努めていた従弟が送ってくれた。

 そこに彼が書いた「新聞はどうなっているか~部数激減の中で報道機関の役割は~」を読んだ。東海地方の部数減は、『朝日』が43万部から23万部(以下、いずれも2000年7月から2021年7月)、『読売』が19万部から13万部、『毎日』は17万部から6万部であるという。『中日』は271万部から190万部だという。『中日』はまだかなりの部数を確保している。記者の給料は、『読売』が一番、次が『中日』だと、最近もと静岡新聞記者から聞いた。他社は、おそらくかなり減っていることだろう。

 それに応じて、記者の数も減っている。すべてが記者の数だとはわからないが、東海地域では、『朝日』が571人から135人、毎日は46人だという。各地にあった支局、通信部はかなり減らされ、おそらく全国紙の支局は、支局長一人というところもあるだろう。これでは取材力が落ちていくのは必然だ。

 彼は、「新聞紙面の内容」に言及していて、紙面の80%が、発表もの、つまり官公庁、企業、団体などが発表する内容を、ただ横書きのものを縦書きに書き直しているだけの記事が多いことを指摘している。『中日』のローカル記事も、取材に来て下さいといわれて書いたものが多い。

 部数減、それにともない、広告費の減も、新聞社の経営に大きな影響を与えている。今では、ネット広告の方が、新聞・テレビ・雑誌・ラジオをまとめた金額を、はるかに越えているという。

 新聞各社もネットに力を入れ、記事を読もうとすると、カネを払わなければならない仕組みをつくりあげている。

 しかしネット読者を増やそうという試みは、新聞紙面の内容の検討も伴わなければ実効性はないのではないか。まさに「公共性、公益性」とはどのようなことかをしっかりと考えることだ。新聞の役割としての、権力を監視する「番犬」という立ち位置を明確にするべきではないか。

 あるいは、むかし、『朝日』の本多勝一が紙面に様々なルポを連載していたが、そういうものも復活させるべきではないか。わたしがむかし『朝日』を購読していたのは、本多のルポの記事を読みたかったからでもある。

 新聞を読まない人たちが、「・・信者」となって、デマゴーグがふりまくデマやフェイクを信じこみ、犯罪的な行動にまで、でてきている現実がある。

 最近、新聞販売店が多角的な事業を始めている。新聞配達だけでは生きていけない現実が差し迫っているからだ。

 新聞は、やはり購読すべきである。新聞は、「真実性」の検討をふまえた上で、様々な情報を流している。「公共性、公益性」とはなんであるかをしっかりと検討し、人びとにとってなくてはならないものになる、そういう努力をしていかなければならない。「真実性」を抛擲した情報が、ネット空間を占拠している状況をなんとかするためにも、新聞には頑張ってもらいたい。

 


テレビを見ない理由

2025-02-02 07:21:48 | メディア

 テレビを見なくなって久しい。

 時折、新聞のテレビ番組表をちらりとみることがある。その際に思うことは、まだ公共の電波を使ってつまらない、何の役にも立たないものを流しているのかと思う。

 とりわけ近年のそうした番組には、あまたの芸人がでてきて、くだらない、知性の片鱗もない雑事をしゃべって自分たち自身がゲラゲラと下品な笑いを浮かべている。内容が、諷刺を効かせたものならまだよいが、プライベートな事件をさもおおげさに、他人についてあーだこーだとしゃべりまくる、あるいは他人のあることないことを語って痛めつける・・・・

 大宅壮一が、かつてテレビが「一億総白痴化」を生みだすようなことを言っていたが、テレビ画面のなかにそういう輩が映っていて、白痴ウィルスをまき散らしている。

 芸人は、なんと報道番組にも次々と登場し、不勉強を曝しながら、いろいろな社会的事象に浅薄なコメントをする。わたしはそういう場面を見ると、きちんと勉強している人を出演させ、有益な知識を視聴者に提供すれば良いのにと思う。

 公共の電波をつかっているテレビ局が様々な点で劣化しているから、フジテレビのような問題が起きるのである。

 何度でも言う。テレビは見るに値しない。見ていると、白痴ウイルスが伝染して、日本はたいへんの事態に陥る。テレビは、ノーテンキな日本人をつくり出すために存在している。テレビ局に勤めている友人すら、見ないほうがよい、というくらいだ。

 


支配層とべったりしていたら・・

2025-01-24 22:47:43 | メディア

 あまり興味はないのだが、ArcTIMESをみていたら、フジテレビの社員説明会の内容を詳報していた。フジテレビ社員の危機感は感じられたが、その首脳陣のあまりにヒドイ対応に驚いた。

 第三者委員会の弁護士について、その設置について企業経営に詳しい弁護士に事前に相談し、フジテレビの意向に沿うような報告を3月末までにだすように、裏で工作しているようなことを話したそうだ。これでは、第三者とは言えないし、公平中立なものができるわけがない。

 危機感を持った社員が、首脳陣に食い下がっているのに、彼らは脳天気な対応をしている。

 なぜそれができるのかというと、彼らは支配層に守られているという自信を持っているからではないかと思った。総務省の官僚の天下りを受け入れ、自民党議員の子どもなど関係者を社員として受け入れている実態をもつフジテレビは、不祥事が起きても、経営陣が批判されようとも、あるいは社員に厳しく追及されようとも、おれらは自民党や総務省に守られていると思っているのではないか。

 テレビをみないわたしにしてみれば、フジテレビがつぶれたとしても、何の影響も受けない。

 とにかく、フジテレビの首脳陣は、あまりにヒドイということはいえる。


フジテレビのこと

2025-01-24 07:12:16 | メディア

 わたしは芸能界についてまったく関心がない。いわゆる「推し」という人物も未だ嘗て持ったことがない。だから何らかの意見をさしはさむ立場ではないことを自覚している。

 しかし社会派のネットメディアでも、この問題をとりあげているので、この問題についての知識は増えた。

 この問題に関してわたしがいうことは、フジテレビは、フジサンケイグループといわれるように、この系列は、メディアの中でも右翼的な位置にあって、産経新聞などは自民党政権を強く強く支え、そのためには捏造した記事をも掲載する徹底ぶりである。

 そういうメディアの系列であるから、自民党議員の親族が社員となって、そこから議員に名乗り出るということもあるし、あるいは官僚の重要な天下り先ともなっている。要は、現在の支配層による、支配層のための、支配層のメディアとして、フジサンケイグループは存在してきた。

 支配層が傲慢で、庶民の生活を顧慮することもなく、常に上から目線であるから、そのメディアも同じ性質を持つのであって、支配層が腐臭を放っているから、それを支えるメディアも腐臭を放つのである。

 わたしはテレビを見ないので、フジテレビがなくなろうと関係ないが、おそらく支配層は全力でフジサンケイグループを支えようとするであろう。監督官庁である総務省も、大甘な対応をするだろう。

 支配層と密接な関係をもつフジサンケイグループ、その存続に支配層がどのように対応していくのか、わたしの関心はそれくらいである。

 


静かな日常

2025-01-08 20:04:09 | メディア

 テレビを観なくなってもう何年になるだろう。基本的に情報の入手先は、『東京新聞』、『週刊金曜日』、『世界』、『地平』の新聞、雑誌。そしてデモクラシータイムズなどのネットメディアである。

 yahoo NEWSも見るが、「主要」に芸能ニュースが多くあるのには閉口する。わたしは芸能ニュースにはほとんど関心はなく、タレントも俳優もほとんど知らない。テレビを見ないから、NEWSに名前がでてきても、像を結ばない。

 しかし中居某は知っている。ネットでも、中居関連のニュースが飛び交っている。関心がないので表面的なことしか知らないが、兵庫県知事の問題については、テレビは熱心に報じていたのに、中居某については、まったく報じられていないという。ジャニーズ問題も、テレビは報じなかったようだ。

 こういうことから明らかなことは、テレビは報道機関ではなく、カネ儲け機関であるということだ。人気のあるタレントを出演させて視聴率を稼ぎ、広告をだしてもらいカネを稼ぐ。キー局の社員の給与はかなり高いという。そのカネを稼ぐために、テレビ局の組織はそれに対応する組織となっている。だから何を報じるかについて、報じることによってカネ儲けにマイナスとなる場合は取り上げないのだ。こんなに明確な姿勢を示しているのだから、テレビに公正さや正義を求めても最初から無理なのだ。

 もうテレビは報道機関を自称すべきではない。私たちは、カネ儲けのためにエンターテインメントに生きるのだと宣言すればいい。

 テレビに疑問を持つ人びとは、テレビを捨てれば良い。ドラマを見たければ、TVerがある。

 テレビがないと、日常生活はとても静かである。静かな日常を生きようではないか。

 


テレ朝の終焉

2024-11-09 20:10:38 | メディア

 テレ朝の「政治部官邸キャップ 千々岩森生」という人物が、いかに統一教会党=自民党とベッタリかが、よくわかることを書いている。

 題が、「強行採決できず異例の国会へ」である。「強行採決」こそしてはならないのに、強行採決ができない国会が、「異例」だと、千々岩は言うのだ。

 こんな人が、テレ朝の政治報道を担っているのだから、報道機関としてのテレ朝は、もう終わっている。テレ朝の報道番組は、みない方がよい。


本多勝一

2024-10-03 14:25:15 | メディア

 『週刊金曜日』を創刊した本多勝一。創刊時から編集委員として彼の名前がいつも印刷されていた。しかし、今彼の名はない。

 本多勝一という名は、わたしにとって重要な人物であった。

 母は、ずっと『朝日新聞』を購読していた。だからわたしも、『朝日』を読みつづけた。連載記事が好きだった。本多勝一は、アラビア遊牧民、ニューギニア高地人などを取材、それは『極限の民族』という単行本として出版された。本多のルポルタージュは『朝日』の紙上に何度も掲載され、わたしはそれを読みふけった。そして単行本になれば、それを買い求めた。今もそれらは書庫に並んでいる。

 わたしと同世代の人間は、本多勝一の文を読んで育った。大学卒業後に知り合ったメディア関係者は、申し合わせたように、本多勝一を読んでいた(また共同通信の斎藤茂男の本も、わたしは好きだったが)。本多に影響されて新聞記者になった者もいた。だから、彼らとの話には、かならず本多の名がでてきた。

 それほど本多勝一は、私たちの世代の精神的な、あるいは知的な成長において、重要な存在である。

 わたしの文の書き方も、本多の『日本語の作文技術』に拠る。いろいろな『文章入門』を読んだが、本多のそれがもっとも、他者に理解しやすい文の書き方を教えていると思ったからだ。

 さて今日、『地平』11月号が届いた。最初に読んだのが、「朝日はもう人生のパートナーではない」である。何度も書いているが、わたしは小泉の郵政選挙の際の社説を読んで、その日に『朝日』の購読をやめた。ものごころついてから、ずっと『朝日』を読んでいたのだが。

 最近辞めた『朝日』の記者二人のことが書かれていた。そのひとり、当時静岡支局にいた阿久沢さんからは、大杉らの墓前祭について取材を受けたことがある。『朝日』の記者、といってももうやめた人も多いが、知り合いが多い。みな能力のある優秀な記者であった。そういう記者がいられないような状態を、『朝日』はつくっている。『朝日』はもったいないことをしていると思う。

 凋落する『朝日』の復活は、もうないだろう。『朝日』自体が、全国紙としてのリベラルな言論機関という立場を放棄しているからだ。今後は不動産企業として生きて行くことになるだろう。「朝日不動産」か、いいじゃないか。

 ジャーナリズムは、今や『東京新聞』、地方紙、そしてデモクラシー・タイムスなどのネット、さらにTansaなどに集うジャーナリストに支えられている。

 


冤罪とメディア

2024-09-27 07:26:31 | メディア

 今日の『中日新聞』東海本社版の一面には、次のような記事が載った。

 事件当時、中日新聞社は袴田巌さんを犯人と断定する報道をしていました。袴田さんと家族の人権と名誉を傷つけたことを深くおわびいたします。

 袴田さんは逮捕後、否認を続けていましたが、逮捕から20日目、2回目の拘留期限の3日前に自供を始めたとされています。本紙は1966年9月7日付朝刊の静岡県の地域版で、「自供で肩の荷おろす清水署 異常性格に手こずる」と報じました。袴田さんが逮捕前、本紙記者に「私は事件に関係ない」との子手記を寄せた内容の別の記事には「全くの二重人格者 ニセの手記書いた袴田」との見出しを付けました。翌8日付朝刊には「凶悪犯人の袴田巌」という説明で袴田さんの顔写真を掲載しました。

 逮捕段階では罪が確定していないのに、袴田さんを「犯人」として報道したことで、冤罪を生んだ責任の一端は免れません。

 中日新聞社は2009年、容疑者を犯人と決めつけない「事件報道ガイドライン」を策定しました。今後も予断や偏見を排した冷静な報道を続けてまいります。

 当然の謝罪である。数々の冤罪事件、メディアが警察の情報をみずから検証もせずに垂れ流したことが、冤罪を生みだし、犯人でもない人間を犯人視させる大きな要因になっていたことを、真摯に反省すべきである。

 わたしも静岡県の冤罪事件のひとつ、幸浦事件を書いたことがある。当時の新聞を調べたが、警察発表をそのまま書き、さらにそれにお墨付きを与えるような報道がなされていた。

 驚くべきは、幸浦事件も冤罪事件として確定しているが、地域の人びとが、今もって「犯人視」していることを知って愕然としたことがある。メディアの報道は、そうした社会的な意識もつくりあげることを肝に銘じるべきだ。

 

 


極右政党・自由民主党の総裁選

2024-09-16 08:37:34 | メディア

 テレビは、極右政党の自由民主党を担いで、同党のイメージ回復のために奮闘しているようだ。自民党がテレビジャックしていると批判する声も聞こえるが、しかしテレビも、極右政党のお仲間なのだから仕方がない。

 おかげさまで、テレビを見ないわが家は、そうした穢れが入ってこないので、健全な生活をしている。

 昨日の『東京新聞』で、前川喜平氏が総裁選に立候補している輩が、「語らないこと」にメディアは切り込んで欲しいと書いている。それをわたしも期待したい。

 具体的には、企業団体献金と政治資金パーティーの禁止、防衛費倍増の撤回、日米地位協定の改定、原発ゼロ、大企業の内部留保への課税、消費税の引き下げなどであるが、自民党の政治家がそうした政策をやることはないだろう。誰が総裁になっても、経団連をはじめとした財界やアメリカの言うがままの政治をするのが自由民主党である。財界は自己利益の追求のために、カネを自民党の政治家に賄賂としておくる。自民党の政治家は、みずからの頭で考えることができないので、外交に関しては、アメリカの言うとおりにしていれば間違いがないと思っている。

 昨日の『東京新聞』一面に、9人の立候補者がボードに何やらの字を書いている写真が掲載されている。全員下手な字だ。わたしもうまい字を書けないが、総裁になろうという人たち、もっと丁寧に書けないものか。選挙民に理解してもらおうなんて一切考えていないから、下手でもいいと思っているのだろう。自民党員でないと選挙することはないのだから、まあいいか。

 それにしても、選挙に参加するのは自民党員だけなのに、メディアはほんとうに大騒ぎしている。記者たちは、自由民主党を好きなのだ。ということは、記者たちも極右なのだろう。

 


なぜ『中日新聞』東海本社版を購読しないか

2024-09-05 12:51:03 | メディア

 中日新聞東海本社は、歩いて行ける距離にある。しかし、わたしは『中日新聞』東海本社版をとっていない。『東京新聞』を購読している。

 その理由は、地域の記事を一面にもってくるという芸当をやるからだ。今日の『中日新聞』東海本社版の一面トップは、安倍派だった塩谷立が総選挙に立候補しないという記事である。

 「塩谷氏 衆院選不出馬」がその見出しである。こんな記事が一面トップを飾っていいものか。『中日新聞』東海本社は、極右政党=自由民主党の広報宣伝機関か、といいたい。東海本社版を購読している人びとにもっとも伝えたい記事は、塩谷立が立候補しないということでいいのか。

 『地平』10月号には、全国紙である『毎日新聞』が富山県への配達をとりやめることを報じている。『毎日新聞』は全国紙という性格付けから撤退するというわけだ。

 新聞の購読者が減り続けている。新聞労連書記次長の伊藤明弘さんの「全国紙の生き残りは、オピニオンリーダーとしてのブランド価値をどこまで残せるかにかかっているのではないか」を引用しているが、朝日新聞社などはそうした価値を放棄しているかのようだ。

 県紙は地元の政界や経済界などと癒着し、ブロック紙も同じ状況である。

 「昔」は、朝日、毎日の全国紙記者には、鋭い問題意識をもったジャーナリズム精神を発揮する記者がいた。わたしも、そうした記者と仲良くなり、なかには今も年賀状を交換している人もいる。

 全国紙記者も、地方紙の記者も、差がなくなってきた。

 SNSなどの発達で、新聞購読者が大きく減少している現状を、『地平』10月号で片山夏子さんが危惧している問題意識を共有している。

 新聞がなくなった状態、それはすでにアメリカの田舎で出現している。行政が勝手なことをやっても、監視の目がない。

 行政権力や私企業が、かってなことをやる度合いが強まっているとき、新聞の役割は重要になる。だが、はたして今の新聞は、そうした機能を果たそうと努力しているだろうか。浜松市でも、市民運動の記事は、まさにベタ記事にしかならない。

 これでよいのか。

【付記】今届いた今日の『東京新聞』一面トップは、「防衛特需の裏で 43兆円の行方 「潜水艦ムラ」癒着の構造」である。同じ中日新聞でも、東京本社の『東京新聞』と浜松の東海本社の『中日新聞』とは、まったく異なる。『東京新聞』を購読する所以である。

 

 


大手メディアと戦争

2024-08-20 09:37:30 | メディア

 極右政党自由民主党と、創価学会=公明党による政権を、きちんと支え続ける大手メディア。大手メディアは、自民党・公明党政権の広報宣伝機関として、とてもよく働いている。テレビ、全国紙は、その役割をきちんと果たしていて、政権の覚えめでたい会社となっている。

 しかしそれは、今に始まったことではない。そうでないように見えた時期もあったが、本質的には国家体制の広報宣伝機関であり、それは戦時体制においてもっともその機能を発揮していた。軍や政府の発表を垂れ流すだけではなく、さらに軍や政府の方針の遙か先を熱心に報じ続けていた。戦時下の新聞こそ、日本のメディアの本質なのである。

 朝日新聞社などは、藤田嗣治等が描いた「戦争記録画」の展覧会を各地で主催していた。朝日新聞社なしに、そうした展覧会はあり得なかった。

 さて自由民主党総裁選挙が新聞でも取り上げられている。誰が総裁になろうと、自由民主党が良識を持った政党になりうるわけがない。アベがトップである間に、多くの自民党議員はアベと同様の「極右」ばかりになっているから、誰が総裁になっても「極右」路線は変わらないだろう。

 その極右路線の宣伝広報部隊として、大手メディアはよく「頑張っている」。

 近年の政治をみると、戦時体制の構築に向かって政治が展開されている。その尖兵が、大手メディアなのである。大手メディアと戦時体制は足並みを揃えている。とりわけ新聞は購読者数が減り、テレビ視聴者も減っている。

 しかし大日本帝国の時代、戦争が開始されると新聞の購読者は増えていった。またラジオを聴く人も増えた。大手メディアにとって、戦争はみずからの経営を強化するための最良の手段なのだ。

 極右政党の自由民主党と宗教政党の公明党による政権は、大手メディアとスクラムを組んで、戦時体制構築へと向かっている。

 そうした時代に、私たちは生きているのだ。