浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

詩を読む

2023-12-31 20:19:19 | 

 校正を業とするSさんから送られてきた本のなかに、暮尾淳という詩人の本、『地球の上で』(青蛾書房)があった。ジャズを流しながら、読んだ。

 私は詩を読まない。高校生の頃は、プーシキン、リルケなど外国の詩集を文庫本で買って読んでいた。今でもそれらの本は残っているが、それ以後手に取ったことはない。詩は、未来があるが、その未来に向けて自分自身がどうなるかがまったくわからない精神の不安定状態の中で読まれるものではないかと思う。

 そして齢を重ねても詩を読んだり書いたりすることのできる人は、青春の頃の不安定性、茫漠とした想念を抱えることができる人なのだろう。

 そのような人の傍らには酒があるように思う。酒の文化。暮尾の詩は、いつもアルコールの臭いがある。しかしそのアルコールは、詩人を戸外に誘い、見知らぬ人と知り合いになり、女性と会い、死を思う。暮尾は、1939年生まれだから、私よりずっと年上だ。当然のごとく、私より死に近い。この本は2013年発売である。暮尾は存命なのだろうか?

 酒の好きな人は、家ではなく外で呑みたがる。私の友人にも酒好きの人がいて、彼とつきあうと少なくとも2~3軒の酒屋をはしごする。酒飲みは外に出る。

 私は体質的に酒が飲めない、だから酒の席にいても、ほとんど飲まない。以前一度組合の酒席で、「きょうの酒はどうもまずいなあ」と思っていたら、気づいたときには自宅のふとんの中、朝起きてみたら、頭に包帯があった。その間の記憶がない、私はその間死んでいたのだ。

 酒を飲まないということは、あまり外には出ないということであり、見知らぬ人と知り合いになることが少ないということでもある。

 私が「酒の文化」と接触できるほどに酒が飲めたら、人生は変わっていたのだろうと思う。

 暮尾の詩の中に、「太郎と花子」がある。一対の鴉につけた名である。鴉にエサを与えていたが、しばらく留守にしていたら、鴉が来ない。最後は「おれは待っているぜ」でしめる詩である。

 わが家には、今ごろ、つがいのメジロが来る。メジロのために、ミカンを切って垣根の枝に刺す。すると、メジロはそれをつつく。家の中からそれを見つめる。毎年の光景である。

 暮尾の詩を読みながら、いろいろなことを考えた。ここに書いたのはその一部だ。

 なお、「地球の上で」は、「じだまのうえで」と読む。なるほど、この地球は、「じだま」と読む方が適切のような気がする。

 

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【本】ひろたまさき『異国の夢二』(講談社選書メチエ)

2023-12-31 10:13:01 | 

 以下の文は、私が属している研究会の会報に寄せたものである。2023年6月に書いて送ったのだが、いまだに掲載されないので少し変えてここに掲載する。

 長い間、歴史学者のひろたまさきさんと交流させていただいていたが、ひろたさんは2020年6月に他界された。ひろたさんとはメールではなく、主に手紙で交流していた。ひろたさんも私も夢二が好きだったので、夢二の絵葉書が多用された。それらの手紙は、ひろたさんからいただいたご著書とともに、今も大切に保存している。

 *********************************

(1)ほとんど絵葉書であった。それも竹久夢二の美人画が多かった。私も若いころから夢二が好きだったので、ひろたさんのように、夢二の絵葉書を多用した。ひろたさんは岡山大学に在職していた時があり、そのころから夢二の研究にいつかとりかかろうと思っていたようだ(夢二は岡山出身である)。ひろたさんが夢二の研究に本格的にとりかかったのは、しかしそんなに昔ではないと思う。というのも、ひろたさんのお手紙で夢二に言及したものが、ある時期から急に増えてきていたからだ。その影響を受けて私も2019年に、歴史講座で「竹久夢二とその時代」というテーマで話すまでになった。

ひろたさんは肺がんを患い、その治療をしながら、夢二を書き続けていた。しかし完成することなく、ひろたさんは逝ってしまわれた。2020年6月17日であった。本書は、奥さまの真智子さん、高木博志さん、長志珠絵さんが協力してひろたさんの文をまとめて刊行にこぎつけたものだ。

ひろたさんが研究されてきたものには、福沢諭吉、民衆思想史、差別、女性史、異文化交流などがある。2008年、講師として、「近代天皇制と毒婦物語」をテーマに話していただいたことがある(『日本帝国と民衆意識』有志舎に収載された)。この講演は「毒婦の目から国家社会の全景を見通す」ことを試みたもので、焦点は帝国意識であった。ひろたさんは「毒婦物語はそうした帝国意識を支える社会規範形成のための杭となる役割を果たしたといえる」と語っていた。また『日本帝国と民衆意識』に、ひろたさんは「帝国意識はそうした差別意識を統括し、それらを正当として、人々を組織していったのである。それら諸思想に権威を付与し統括するのは、それらから超絶した権威をもつ天皇であったという意味で、日本の帝国意識は天皇制イデオロギーそのものであったということができよう。」(260頁)と書いている。日本帝国と民衆意識をつなぐものとしての帝国意識、ひろたさんは『差別の諸相』(岩波書店、日本近代思想体系22)で、様々な差別をそれぞれ別のものとしてではなく、近代社会の構造の中でとらえることを提唱したが、帝国意識も、近代・現代日本共通の問題として認識し、それを時期ごとに分析し、帝国意識克服の途を探ろうとしていた。

(2)そうした研究との関連で、ひろたさんはなにゆえに最期まで夢二研究に専念したのかを考えるとき、私は帝国意識との関連を指摘せざるを得ない。それは本書末に掲載された長志珠絵さんの「『異国の夢二』への途」で指摘されていることでもある(「2000年代後半に入ってのひろた先生の関心は、異文化接触、異文化交流を介した人びとの経験やそこから逆照射される帝国意識も含めた日本近代の解明に向けられていた」)。

ひろたさんは、本書で三つの課題をあげている。一つは夢二にとっての「民衆芸術」の追究である。「民衆芸術」「産業美術」を外国訪問のなかでどのように構想していたのか、である。二つ目は、夢二の洋行は世界が恐慌を経て戦争へと向かっている1930年代であったことから、そうした「政治・社会状況」にどう向き合ったのか、そして最後は「夢二の「女性観」」である。夢二の女性遍歴をみるなかで、夢二にとって女性とはいかなる存在であったのかを考えることである。この三点についての言及は多く、ひろたさんはこれらの課題を考えていくのであるが、私は読んでいて、背後に「帝国意識」の問題があることを感じ続けていた。夢二は、当時の日本人がもっていた「帝国意識」とは、無縁であった(さらにいえば、セジウィックが『男同士の絆』(名古屋大学出版会)でいう「ホモソーシャルな欲望」を夢二はもたない。)。そうした存在としての夢二は、十分に考究の対象となりうる。  

私も、歴史講座のまとめでこう語った。

「私は外国人の中で日本人たることを恥ぢもしないし、また世界で一番強い国民だとも、思っていない。第一そういう比較の関心さえ持たない。もし人が問うならば、日本人は秀れた天分を持っているとは言える。」(「日記」、1932年9月27日、船上で)を挙げ、夢二は、近代日本国家に囚われず、金銭に追われながらある意味で自由に生きた。維新以降に創出された近代日本国家(制度)から離脱し(たとえば家父長制を意に介さない)、また近代日本国家がつくりだした価値観を身につけることなく生きた。だから夢二は、元号を一切使用しなかった。啄木や大杉栄らのように、近代日本国家に「違和感」を持った人間ではなく、本来的に近代日本国家に馴染むことがなかった人間、それが夢二であった。夢二の作品が今も尚人々の関心を集める所以は、近代日本国家の価値観に染め上げられていないこと、そうしたものから自立していたからに他ならない、と。

ひろたさんがなにゆえに夢二の研究を最後まで続けたのか。夢二がもっていた「権威や権力に対する反感」、夢二にとって「権力への接近はむしろ警戒すべきことであった」、夢二の「民衆を、主体性を持った存在として考えるべきだという方向」、夢二が自分自身とは異なる「帝国意識にとらわれた民衆の姿」をみつめていたことなど、帝国意識に関わる言及に、ひろたさんの問題意識を感じるのである。

また夢二の女性遍歴は、たまき、彦乃、お葉、山田順子・・・・など数多い。ひろたさんは本書の課題として夢二の女性観を挙げているが、それに対する明確な記述をしていない。 私は夢二の女性観をこう捉えた。「夢二にとって、女性は憧憬(あこがれ)の対象である。憧憬する女性を、夢二は個々具体的に存在する女性の遙か向こうに求めていた。放蕩の画家という評価があるが、夢二にとって女性は母であり、姉であり、自分自身を慈しみ包んでくれる存在であった。そういう存在としての女性を希求し続けた。だから、女性の一挙手一投足によって夢二の心は揺れ動く。男女関係において夢二は主体ではなく、客体であった。家父長制度(それは男性による女性への権力行使である)に縛られることなく生活を共にした。別れた女性たちは、夢二を怨むことなく生きた。また、近代日本国家において差別される女性への共感をもって、女性を画き続けた。」と。

ひろたさんからの2019年5月19日付のはがきに、「あなたの夢二論と照らし合わせたいと思っています。・・・・あと5年は、あなたと会話したいものです。」とあったことから、私の夢二論をいくつか提示した。

今はただ、ひろたまさきさんのご冥福を祈るのみである。(2023年6月25日記)

(『異国の夢二』講談社選書メチエ、2023年6月、2200円+税)

 

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桐生市の生活保護支給問題

2023-12-31 09:48:38 | 社会

 『東京新聞』は、桐生市が、生活保護費の支給を出し渋り、違法なことをしていたことを追及している

 桐生市は、生活保護費を毎日1000円ずつ支給するとか、まったく無関係の団体に生活保護費を管理させたり、まったくひどいことをしていることが報じられもした。

 地方自治体が住民の生活を守る組織でないことを明々白々に示している。まさに「公共」の放棄である。桐生市が違法な行為を続けてきたことが報じられることによって、ほかの自治体のこうした動きを封じることにもなり、報道の大切さを痛感した。

 他紙がどう報じているかは知らないが、こうした公的機関の不正・違法行為はどしどし報じてもらわなければと思う。

 生活保護は権利である。生活ができなくなった時に生活保護に頼ることは当然のことである。それが公的機関の責務である。桐生市の所業は、許されない。

 

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浜松市 7区から3区へ

2023-12-30 22:13:48 | 政治

 2024年1月1日から、浜松市の区が、7つから3つに減らされる。この減区は、SUZUKIのトップである鈴木修が強く提唱したことである。鈴木修の浜松市政への強い介入がなされていたが、なかなか実現しなかった。市民の反対もあり、また自民党の市議会議員もそれに賛成しなかったからだ。

 しかし自民党の市議会議員のひとりが、なぜか急に熱心になって議会に働きかけ、何とかまとめあげたのである。

 浜松市が政令指定都市になり、区を7つとし、そのもとに協議会をつくり、さらに旧市町村に地域協議会を設置するという、自治体は広域になるが、住民自治の制度を残しておくという、一定の理念をもったものであった。

 そのような理念を一顧だにすることなく、市政の減量化(人減らし)を強く要求したのが鈴木修と浜松商工会議所であった。

 私は減区に断固反対である。減区の動きが起きたときから、私は名刺などでは、区を書かないできた。郵便番号が書かれていれば、番地だけでも手紙は届けられるはずだ。

 メディアは減区を、評価して報じているようだ。私は、その経緯を以前まとめて、このブログにアップした。長文であるが、読んでもらいたい。

浜松市の減区に関して

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社会民主党宣言

2023-12-30 14:16:08 | 近現代史

 1901年、片山潜、幸徳秋水、安部磯雄ら6人によって結成され、即日禁止された社会主義政党。その宣言を読むと、とても新鮮な感じがする。

 とりわけ、ウクライナでも、ガザでも戦争が行われ、多くの人が殺傷されている。とりわけガザでは、イスラエル軍によるジェノサイドはあまりにひどく、時にイスラエルは民間人の犠牲を出さないようにしているかのような虚偽を堂々と発表しているが、そういうことをするイスラエルには、ただただあきれるほかはない。ナチスドイツによって集団殺戮された側であるのに、ナチスドイツと同じようなことをしている。

 そしてアメリカはじめ、世界は戦闘を止めようとしない。だからもう、世界中からの軍備全廃を目的とするしかない、その意味で1901年の社会民主党宣言は、先見の明があるといえよう。そして日本国憲法も、である。

如何にして貧富の懸隔を打破すべきかは実に二十世紀に於けるの大問題なりとす。彼の十八世紀の末に当り仏国を中心として欧米諸国に伝播したる自由民権の思想は、政治上の平等主義を実現するに於て大なる効力ありしと雖も、爾来物質的の進歩著しく、昔時の貴族平民てふ階級制度に代ゆるに富者貧者てふ更に忌むべき恐るべきものを以てするに至れり。抑も経済上の平等は本にして政治上の平等は末なり。故に立憲の政治を行ひて政権を公平に分配したりとするも、経済上の不公平にして除去せられざる限りは人民多数の不幸は依然として存すべし。是れ我党が政治問題を解するに当り全力を経済問題に傾注せんとする所以なりとす。(中略)
 1 人種の差別政治の異同に拘らず、人類は皆同胞たりとの主義を拡張すること。

 2 万国の平和を来す為には先づ軍備を全廃すること。

 3 階級制度を全廃すること。

 4 生産機関として必要なる土地及資本を悉く公有とすること。

 5 鉄道、船舶、運河、橋梁の如き交通機関は悉くこれを公有とすること。

 6 財富の分配を公平にすること。

 7 人民をして平等に政権を得せしむること。

 8 人民をして平等に教育を受けしむる為に、国家は全く教育の費用を負担すべきこと。

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古関彰一『対米従属の構造』(みすず書房)

2023-12-29 21:26:24 | 

 古関さんには、『日本国憲法の誕生』という名著があるが、今は日米安全保障条約に基づく日本の「対米従属」について考えているようだ。これは2020年に出版されたものであるが、近現代史研究者への問いかけともなっている。

 この紹介文は、2021年の一月にかいたものであるが、古関さんは年明けに新たな著書を刊行するというので、ここに掲載するものである。

**************************

 本書の構成は、第1章 指揮権密約、第2章 朝鮮半島の有事密約、第3章 安保改正での核密約、第4章 沖縄返還と核密約、第5章 消えた自主防衛、第6章 有事法制下での対米従属、第7章 自民党の憲法改正案、第8章 安保を支える国体思想、第9章 「従属構造」を見据えて、である。見られるとおり、第4章までは日本の安全保障に関する重要な問題が、日米両政府間の密約によって構築されてきたことを、様々な資料に基づいて明らかにしていく。そこには、日本政府の対米「従属」の姿が明瞭に示される。「指揮権密約」というのは、日本の再軍備に伴ってつくられる軍隊の指揮権を米軍が持つことを認めるというものである。密約の背景には、日本国憲法の存在があったが、軍隊の指揮権を米国に渡すということは、「米国への対外主権を持たない従属国家」になるということであり、それが今に至るまでずっと続いているということである。それぞれの密約は理由があって結ばれるのであるが、一貫しているのは対米「従属」である。

 その「従属」は「自発的・積極的従属関係」に変質していくのだが、その契機は1996年の「日米安保共同宣言」であった。その後日本は、「自ら率先して「対米従属国家」を看板に掲げている国家」となる。日米安保体制とはアメリカにとっては在日米軍基地を自由に使用できることであった。今や、その米軍に自衛隊が一体化し追従するというところまで来ている。

 古関さんは、かくも強固な「従属」性が何故に存在しているのかを考え、国体思想に行き着く(第8章)。「日米安保も、その従属性も、日米同盟だけを見ていたのでは、いまや理解できないのである」として、「国体」に注目する(「宮務法と政務法という二元的法体系の存在」、教育に関する勅令主義、統帥権など)。これは白井聡の『国体論 菊と星条旗』(集英社新書、2018年)にも通じる視点であり、私もその驚異的な「従属」ぶりの原因に昭和天皇の遺訓があるのではないかと疑ったことがある。「国益」ということばがあるが、それを無視しての日本政府のアメリカへの献身ぶりに、何らかの原因を考えたくなるのも当然であろう。

 2015年の集団的自衛権を容認する戦争法(安保法制)が国会に提出されたとき、立憲主義の危機が叫ばれた。だが今までも、安全保障(安保条約)に関わる問題は、密約も含めて、立憲主義や法治主義は蹂躙され続けてきている。1955年、外相・重光葵が訪米して安保条約を相互防衛条約にしたいとアメリカに伝えた際、アメリカ(ダレス国務長官)が憲法の制約を指摘したところ、重光は「日米双方で協議すればよい」と言い、それについてダレスは「協議をすれば憲法が変わるとは知らなかった」と切り返したという(230頁)。こうした立憲主義を歯牙にもかけない日本政府の「慣習」(それは構造化している)はどうして存在するのか。  

   古関さんは、末尾に「対米従属は、米国や日米安保との関係だけで見られがちであるが、実は日本近代のあり方そのものが根源から問われている」と書いている。その問いは、近現代史の研究者に投げかけられたものである、と私は理解した。

 

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情勢の変化

2023-12-28 20:44:42 | その他

 刻々と世界情勢、日本の政治状況などが変化している。その変化の実態を知り、その変化の意味を捉え考えることがなされなければならないと思う。

 今夏は猛暑であったことから、その後の農作業が徹底的に遅れてしまった。9月下旬から夏草をとり、耕し、畝を作るという作業と並行して、野菜の種まきを行った。前者は、さつまいもを収穫しながらおこなったことから、今もってやり終えていない。とにかく、農作業が遅れている。農業は気候の影響を直接受けるので、ファーマーとしてはどうしようもない。

 やり終えていないのに、急に寒くなり、畑は遮るものがなく、また遠州の空っ風が強く、夏の時期と同じように、畑に行く時間が減った。

 そのために、読書の時間は増えたのだが、しかし今日、大学時代の後輩である高世仁さんのブログをみたら、彼とはほとんど年齢は変わらないのに、彼は国境を越えてとても活発に動いていて、その動きに応じた文や写真をアップしている。久しぶりにのぞいてみたら、私自身がいかに世界情勢をきちんと見つめていないかを反省させられた。

 情勢をしっかりとつかみ、その意味を常に考えていないと、どうしても退嬰的になってしまう。何とかしようという意欲が減退してしまう。

 今年は、担っていた静岡市での大杉栄・伊藤野枝・橘宗一墓前祭も虐殺から100年ということで、一応ピリオドを打つことにしたことから、精神的に余裕が生まれたのだが、その余裕が精神の弛緩へとつながったようだ。

 自分自身、買い貯めた本をどんどん読んでいこうと思っていて、実際そうしているのだが、しかしそれらは現在の情勢とは直接つながってはいない。高世さんは、情勢のその中(現場)に飛び込んで、そこから発信している。そんなことを今の私ができるわけはない。ほんとうはそのような動きをしなければならないのだろうが、そこまでの意欲は持てない。20年ほど前までは、歴史調査の必要があれば、中国や韓国など国境を越えて何度も渡航したが、今はその元気がない。

 「人の振り見て我が振り直せ」である。きちんと情勢の変化を追わなければならないと思った。

 

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自民党と差別

2023-12-28 08:50:34 | 政治

 「差別はいけない」という意識は、人間がもつべき倫理としてある。私は差別問題に関して、差別されてきた被差別部落民、在日コリアンについて歴史的に調査し叙述したことがある。もうひとつ課題として、静岡県におけるハンセン病問題を研究したいと考えていて、その資料を集めてきた。いずれそれについてまとめるつもりである、

 さて「差別はいけない」という意識は、ほとんどの人が持つものだ。しかし日々くらしているなかで、何らかの差別が生まれては消えていることを、私たちは体験している。まさにうたかたのように浮かんでは消えていき、定着するものではない。

 ところが、定着して、ひとりではなく多くの人が差別意識をもつものがある。それを私は社会的差別と呼ぶ。被差別部落の存在、在日コリアンへの差別、あるいは外国人、とりわけ非ヨーロッパ系の人たちへの差別等々がある。

 なぜうたかたのような差別が定着して社会的差別へと進みゆくのか。私はその背後に政治権力の存在を想定する。政治権力が、社会の中に発生した差別意識を肯定し、その差別意識を利用して人びとを分断するとき、人びとの「差別してはいけない」という倫理意識は麻痺させられ、公的に認証されたという意識から、人びとは堂々と差別するようになる、と。

 『女性自身』に、自民党国会議員の杉田某に関する記事があった。

杉田水脈議員が拡散!「在日特権てマジであるの?」専門家はデマと断言

止まらない杉田議員のアイヌ民族への“人権侵犯”「もはや自民党の責任」と専門家指摘

 まさに杉田某は、差別を肯定する言説を振りまいている。それに同調する人びとが、杉田某に喝采を送る。そういう関係を利用して、差別主義者たちを自民党支持へと流し込む、そういう構図があることを指摘している。

 自民党という政党は、「差別してはならない」という倫理に、杉田某を活用して、真っ向から否定しようとしている。自民党は、反倫理的政党であるということだ。裏金問題など、反倫理的所業に精励する自民党。それを支持する選挙民たち。日本という国を、倫理的な面で貶める政党として、自民党がある。

 

 

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徐京植(ソキョンシク)が亡くなった

2023-12-27 07:52:25 | 社会

 ソキョンシクが亡くなったということをデモクラシータイムスの番組で知った。今手元にある徐の『半難民の位置から』(影書房)を取り出して、最初の論考だけを読んだ。

 徐は在日コリアンであった。在日コリアンであるということは、植民地出身の親を持つということであり、また差別体験を持つということである。そのような立場から、徐は、人間として考えなければならないこと、知らなければならないことを発信し続けてきた人だ。

 私は徐の著書を何冊か持っている。まず『徐兄弟 獄中からの手紙』(岩波新書)である。徐の兄二人はソウル大学大学院に在学中、朴正煕政権の下で逮捕され、いずれも長期にわたって勾留され、激しい拷問を受けた。そのため、徐は家族を支え、兄たちの救出運動をするという厳しい生活を余儀なくされた。

 また『プリモ・レーヴイへの旅』(朝日新聞社)。プリモ・レーヴィはアウシュビッツからの生還者である。ユダヤ人である。しかし生還したプリモ・レーヴィは自ら命を絶った。そのプリモ・レーヴィの生の軌跡をたどるために、徐はイタリアに行き、そして考えた。

 この『半後衛の位置から』にも、プリモ・レーヴィのことが記されている。「身を灼く恥」という巻頭におかれた文である。徐は、ユダヤ人がナチスドイツによって集団で虐殺されたときの写真を前にして思索する。それはナチスドイツが、ユダヤ人女性を全裸にして、彼女たちを処刑しようとしている場面の写真だ。徐はこう書きつける。

 人間は、こんな場面にいたっても眉一つ動かさず、毛すじほどの動揺も覚えることなく、与えられた職務を遂行することのできる存在なのだ。ある者は撮影という職務を、別の者は射殺という職務を。これはたしかに大切な記念写真である。「人間」という存在が実際に示して見せた極限的な冷酷さと鈍感さの。白い屍体が折り重なる溝は、私たちが「人間性」と呼び慣わしてきた通念の、断絶の裂け目だ。

 人間は、どのような残酷なこともできる存在である。それは時々、私たちの耳目にも入ってくることだ。私たちは、だから知っている、人間が同じ人間に対して、目を背けなければならないような残酷なことをしていることを。それは今もどこかで行われている。しかしそれを止められない。

 徐は、多くの著書の中で、そうした人間の根源に触れる問題提起をする。私たちは、徐の指摘に逡巡しながらも、しかし読み進める。読み進めなければならないのだ。

 私たちは人間として生まれてきた。人間とは何か、いかなる存在なのか。解答のない問いを問い続けること、その傍らに、徐の著書がある。読み直そうと思う。もう何度目になるだろうか。

 

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コロナ・ワクチンの問題

2023-12-26 20:24:34 | コロナ

 コロナについて、このブログではいろいろなことを書いてきた。

 最近は、コロナワクチンの後遺症の問題をしばしば掲載している。コロナワクチンの後遺症についての報道は少ない。ただ名古屋のCBCだけが頑張って報じている

 これからのワクチン接種は有料となるようだが、今までは無料であった。物価高で国民の生活が大変厳しくなっているのに政府は何もしない、使い勝手の良い健康保険証をなくしてマイナンバーの使用を強制するとか、自民党・公明党政権は、国民のための政治をまったくしていないのに、なぜかワクチンだけは無料で接種させた。

 私は、自民党・公明党政権が一貫して悪政を行っているのに、コロナから国民を守るかのように言ってワクチンを接種させていることにどうしても矛盾を感ずる。ワクチンを接種させる背後に、なんらかの悪しき意図があるのではないかと疑っている。

 故障続きでどうしようもない高額なオスプレイ、どこの国も買わないのに、自民党・公明党政権の日本だけが買う背景には、アメリカの軍需産業を日本が支えるという意図があるのだろう。

 それと同じように、コロナワクチンについても、背後に闇があるはずだ。

 私の友人、いつも政権批判をしている人がいるが、なぜかワクチンは7回もうったという。その話を聞いて私は驚いてしまった。日本政府のコロナ政策を疑うことはなかったのだ。

 私は、自民党・公明党政権の行うことに、すべて疑ってかかるようにしている。彼らが良いことをするわけがないからだ。

 

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くるみざわしん

2023-12-26 16:15:04 | 演劇

 近代日本の演劇史を繙くと、新劇などは、抵抗精神をもちながら、また弾圧を受けながら上演されてきた。私が好きな演劇は、そうした抵抗精神と、そして考えさせる内容をもったものだ。

 私は浜松の演劇鑑賞会に入って、二月に一度演劇を見ている。それについてはこのブログで紹介しているが、私にとってはどんな俳優が演じるかは余り興味はない。問題は内容である。

 さて先にくるみざわしんが書いた『精神病院つばき荘』を読んだ感想を書いた。そしてOさんから、さらに「あの少女の隣に」が送られてきた。その表題から、すぐに「従軍慰安婦」を象徴する「平和の少女像」をイメージしてつくられたものだと思った。

 日本政府も、ネトウヨと協力しながら、強制的に集められ、強制的に性奴隷にされた「従軍慰安婦」の実在を否定しようと躍起である。私は、歴史研究の一環として軍人が書いた手記などに、戦地で女性を強制的に連行し、閉じこめて性奴隷としたという生々しい経験が書かれているものを読んできた。政府がいくら否定しようとも、事実は消せないのだ。

 しかしそうした政府の「努力」のせいだろう、メディアも「慰安婦」問題を避けるようになっていて、その事実は闇に放り込まれようとしている。

 くるみざわのこの戯曲は、そうした状況に斬り込んできたといってよいものだ。戦時下の「慰安婦」を直接とりあげたものではなく、敗戦直後に日本政府があわてて設置したRAA(Recreation and Amusement Association)、日本語では「特殊慰安施設」である。占領軍兵士のために、日本の女性を性奴隷として「捧げる」という反人間的な施策であった。

 私もこのRAAについて調べたことがあり、浜松、磐田では、遊郭がその現場とされた。静岡県でも、新聞などで「公募」している。

 くるみざわはRAAを、日本の公娼制度とつなげて取り上げている。まず「山路」という人物を登場させる(一人芝居なので、登場する男性はいろいろな役を演じるが、共通するのは警察官である)。この「山路」は、おそらく薩摩藩の川路利良を想定している。川路は、ヨーロッパの警察制度を視察し、その後警視庁を創設し「大警視」(警視庁長官)となった。警察は公娼制度を管理下に置き、それ以外の「売笑婦」を取り締まった。

 台詞に「なんで警察が売春を管理するのか。まさか厚生労働省ではできんでしょ」とあるが、警察制度創設期に厚労省の前身の厚生省はないので、この台詞は疑問だ。厚生省は、1938年の戦時体制下に、内務省から分離して創設された機関である。

 近代日本では、警察は内務省管轄下にあって、民衆運動を弾圧し,思想を取締り,日常的に民衆を統制下に置いた。本質的には、天皇制的国家秩序を維持する暴力機関であった。

 しかし戦争が終わって支配者が天皇からマッカーサーに変われば、今度はマッカーサーのために動くようになる。

 台詞に、

「手のひら、私は警察官、上からの命令で手のひらを返す。日本もそうですよね、天皇陛下万歳が一晩でマッカーサー万歳に変わる」

 がある。官僚や役人、教員も、上意に従うのである。上意の「上」が何であるかは問わない。「上」の指令が、下方へと伝達されて実行される。「上」が変わろうと、下僚たちは命令に従う。おのれの意思は、とにかく「空しく」する。

 RAAは、米軍兵士の性の処理のために創設された。台詞に、

「国家管理売春というのは軍隊のためにある」があったが、そうかもしれないと思う。日本の兵士は「出征する」ことが決まると、遊郭に行った。そして戦地では、軍が管理した「慰安婦」制度を利用した。

 また「世界を動かしているのは軍隊、暴力、戦争なんです」という台詞もあった。ウクライナやガザ、その他の地域でも軍隊が戦いを交え、そこでは暴力が吹き荒れている。その軍隊に軍需品を提供することによって、経済界はカネ儲けをしている。

 そのカネ儲けをしたいがために、自民党・公明党政権は、その地ならしをはじめた。日本でも再び軍隊が大きな顔をし始めている。

 さらに「え、俺達の支配は続く。日米安全保障条約。地位協定。主権回復はインチキ。」という台詞。まさにその通り、1945年の敗戦と同時に、日本はアメリカの主権下に入り、アメリカの「属国」としての地位を守り続けている。

 「戦争に負けて占領軍がやってきても大日本帝国は生き延びた。」も、本質を衝く台詞だ。アメリカの「属国」としての日本に「大日本帝国は生き延び」ているのだ。

 この戯曲は、「従軍慰安婦」を想起させながら、日本の戦後史に穴を開けてそこに隠されているものをえぐり出そうとしているかのようだ。

 くるみざわは、闘っている。

 ネットでくるみざわしんを調べたら、戦時下、彼の祖父・胡桃沢盛(もり)は下伊那郡河野村の村長をしていたという。祖父・盛は、大正デモクラシーの洗礼を受け、自由主義者として生きていた。下伊那郡は、そうした風潮が大きな波となっていたところだ。彼は、村民のための村政を行っていたが、その中で「満洲移民」を村から送出した。開拓団は、そして集団自決という大きな悲劇を体験することになった。盛は、その責任に耐えきれず、戦後、みずから命を絶った。

 孫のしんは、そうした家族が体験した悲劇を今後はあってはならないという決意をもっているのではないか。

 ついでに記しておけば、大井川上流に川根本町という町がある。最近、「平成の大合併」で中川根町と本川根町が合併してできた町だが、その中川根町は中川根村と徳山村が合併してできた。戦時下、中川根村は満洲移民を送出して「分村」をつくった。他と同様に、中川根の開拓団は犠牲者をだした。しかし徳山村は、国策として推進された満洲移民を送出しなかった。思想があったからだ(『中川根町史』近現代通史編を参照されたい)。

 日本社会は、時流という大きな流れが生じると、我も我もとその流れに身を投じる者が出てくる。その数は多い。しかしその流れに飛び込まない者もいる。

 くるみざわしんは、飛び込まずに、身を投じることの危険を、演劇を通して訴えているように思える。刺激的な台詞を連ねながら、知ること、考えることの重要性を示唆している。

 

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極悪会社

2023-12-26 09:08:27 | 社会

 政府や地方自治体から高額で業務を請け負いながら、低賃金で雇った非正規の職員をつかって多額のカネをせしめるパソナという会社。まさに中抜き会社の典型である。

 そのパソナに勤めていた派遣社員が不正を行ったようだ。「悪」が「悪」を呼ぶ。

パソナ派遣社員、国委託業務で個人営業 7万5千社の情報持ち出しか

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「武器としての笑い」

2023-12-26 08:01:05 | 社会

 私は、原則的に真面目であることが必要だと思っている。真面目であるということの前提には、真面目に対処するその対象に敬意を持つかどうかだと思う。歴史研究の対象としての、史資料や歴史的人物(たとえば伊藤野枝など)に敬意を持ちながら、史資料を分析しそれを歴史的展開の中に位置づける、あるいは野枝のような人物をその時代に位置づけ客観的に捉え、その生涯をたどる。その意味で、栗原康の『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』(岩波書店)は、おのれを野枝の人生や思想に投影し、いい加減な史実の確定を行うなど、とても評伝とも言えない代物だ。その点では、村山由佳の『風よ、あらしよ』のほうがよっぽど良い評伝となっている。

 真面目さを持つことの重要性を指摘したが、しかしそれをもちながらも「笑い」は必要である。笑いは「武器」ともなる。飯沢匡には、『武器としての笑い』(岩波新書)があるくらいだ。

 私は、権力に対しては敬意を持つ必要はなく、遠慮なく撃ち、笑い飛ばすべきだと思う。なぜなら、いかなる権力も「悪」であるからだ。権力は批判し続けられなければ、より抑圧的になり、一般庶民に害となる。とりわけ、政治(国家)権力は、「悪」の最たるものであり、批判し続けなければならない。

 昨日、おそらくビラだろうが、一枚のチラシがほかのものと一緒に送られてきた。それを見て、私は笑った。

 それは「利権のふる里 長州発祥 名物もりかけ 老舗 桜庵 旧統一教会・日本会議御用達」というものだ。

なかを見ると、「一口食べたらやめられない 利権まみれの甘い汁と腐敗の味」「毎年、当店の支持者様、上級国民様、阿保なタレント、反社会的勢力様、カルト宗教関係者様などをご招待し、「桜を見る会」を開催してまいりました。おかげで当店は盤石。商売繁盛。わっはっは。」などと書かれている。「おしながき」には「名物 もりかけ」とあり、「おともだちや上級国民様」などは300円、一般庶民は3000円となっている。

 「森友問題」、「加計学園」「桜を見る会」、これらの問題は、忘れてはならない安倍政治の象徴として、政治権力の私物化の象徴として忘れてはならないことである。こうした風刺のビラを作ることにより、忘却の海から問題を救出することは大切である。

 送られてきたビラを見て、私は笑った。笑い飛ばしながら権力を撃つこと、これは大切だと思う。

 

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教員不足

2023-12-25 20:15:36 | 社会

 教員に関するニュースが多くなっている。今日は、

公立学校教員採用試験倍率が過去最低の3.4倍に 東京都は2.6倍 最低は富山・長崎の2.1倍

「欠員埋められない」教職員の欠員3000人超が未配置 解消目処は8人のみ

 が流れてきた。まずなぜ教員が不足しているか。子どもの数が減っているからといって、教員の採用を控え、非常勤でやっていこうとしたこと。子どもの数が減ってくるという状態を好機として、学級の定員を減らして教員を増やせばよかったのだ。欧米と比べれば、まだまだ多すぎる。一クラスの人数が多ければ多いほど、ひとりひとりの子どもに適切な教育を施すことはできなくなる。非常勤の給与は低いから、教育現場から去って行かざるを得ないのだ。

 そして教員志望が減っている現実。これも簡単だ。忙しすぎる!!部活動だけではなく、とくに子どもの成績評価が複雑になり、多くの時間を費やさざるを得なくなっている。それは授業、定期試験などにも大きく影響する。文科省が新たな提案や改革をすればするほど、教員を多忙化させるのだ。

 そして教員への管理統制の強化。昔は、校長ー教頭ー主任ー教員という階梯であった。主任は互選であったこともあり、主任は管理職ではなかった。職場での階梯が強化され、主幹教諭などというものも生みだされた。文科省は、教員のタテの序列化を図ったのだ。そして管理職による教員評価により、給与に差をつけるようになった。それが教員を分断し、バラバラにさせる。ヒラメ教師も増えてくる。文科省の管理統制の強化策により、教員同士の連帯が崩されてきた。子どもの問題行動や保護者の対応などを、教師集団が助けあいながら対処するという習慣がなくなった。  そして、「日の丸・君が代」の強要など、教員の良心の破壊に、文科省も教育委員会も躍起となってやっていた。

 だから、教員の精神も壊されていくのだ。それがこの報道。

「心の病」で休職した公立教員、過去最多 前年度比10.9%増

 まず文科省は、学校を魅力的なゆったりとして職場にしていくことだ。今まで文科省・教育委員会が一丸となってやってきた教員統制をやめ、むかしのように、教員同士が仲よく教育活動ができるようにすればいい。簡単なことだ、強化してきた教員統制をやめ、むかしのような教育現場に戻せばいいのだ。

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労働者文学

2023-12-25 16:49:59 | その他

 小沢信男の『通り過ぎた人々』を読んでいたとき、「労働者文学」でその才能を見出された人のことが書かれていた。そこで、ネットで「労働者文学」を検索したら、「労働者文学会」のHPがあった。労働者文学は、かつて労働組合員の文芸活動を組合がバックアップして支えていた。しかし現在のように労働運動があまり盛んでなくなり、さらに連合という労働組合らしからぬ組織に労働組合が統合されてしまっていることから、労働者文学が下火になっているのかと思ったら、まだがんばっているところもあることを知った。

 そのなかに「いてんぜ通信」があった。最近私は、「いてんぜ通信」に文を送っている方から、「いてんぜ通信」をいただいたばかりであった。「いてんぜ」を逆さにすると、「全逓」である。郵政労働者が組織していた労働組合は「全逓」と言っていた。全逓労組の組合員が寄稿していた「通信」ということになる。しかし今、全逓労組はない。郵便局ではたらく労働者の組合はあるのだろうが、どんな動きをしているのか不明である。

 「いてんぜ通信」は、おそらく私の知人のように、退職した人びとによって運営されているのだろう。

 いずれにしても、労働組合運動が下火になっている現在でも、「労働者文学」を担っている方々がいることに、少し安心した。

 

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