もちろん今は定年退職しているけれども、高校の同級生には、大学卒業後、県庁や市役所に就職した者がいる。
学生時代、遅い時間に電車に乗ると、酔っ払いながら上司の悪口を言う光景をたくさんみてきた。直接上司に言えばよいのにと思いながら、酒を飲めない私は民間企業には就職しないようにしようと思った(中年になった頃、ヤマハに就職した同級生の話を聞いて、ヤマハならはいってもよかったかな、と思った)。大学4年の頃、アパートにたくさんのパンフレットが送られてきたが、私は一切見ることはなかった。
県庁や市役所の職員の途も考えなかった。おそらく創造的な仕事ではなく、上意下達のつまらない仕事の集積だろうと思っていたからだ。
さて、昨日の『東京新聞』の県版に、函南町で大規模な林地開発が企図されていて、函南町では当初から反対の姿勢をとっているが、なんと静岡県が林地開発に許可を与えたというのである。開発計画は、東京ドーム13個分の広さでのメガソーラー建設というものだ。
許可したのは、2019年7月。熱海の土石流事件の前である。
熱海の土石流が起きたのは、いい加減な金儲け主義の悪徳企業と静岡県と熱海市の職員の事なかれ主義が招いたものだと、私は思っている。
行政に許可権限があるということは、そうした悪質業者の跳梁を押しとどめるということに本質があると思う。しかし、県や市の職員は、長期間そのポストにいるわけではなく、あちこちのポストを異動して「出世」していく。県や市の職員の基本的な姿勢は、みずからが担当したポストで何ごともなく、軋轢を起こすことなく、円滑に過ぎていくことだ。もめ事が起きたら、「出世」にも響く。だから、軋轢がおきそうな事案についてはやり過ごし、次のポストに移ることを考える。前任者が軋轢をおこすことなく他の部署に異動したように、自分自身もそれを望むのだ。「おかしい」と思っても、それはおさえる。
今、浜松市はごみを有料化しようと画策している。発案者は、スズキトップの意向を熱心に実現しようとしてきたスズキ康友市長か、それとも市の担当課かはわからないが、行政は決めたことを実現すべく、市民が反対しても市職員は淡々とすすめていく。
市民からの反対があっても、公開質問状をだされても、いつものごとく、誠実さのない、はぐらかしたような、あたりさわりのない回答を乱発して、そうした声や抗議を無視する。私は、そのような市職員の姿勢に、のっぺらぼうを見る。人間的感情を出さず、個性を押し殺し、ひたすら上司の顔色をうかがい、時には付け届けをしながら事なかれ主義を文字通りに生きていく。
私も長年高校教員(公務員である)を勤めてきたが、おかしいことはおかしい、とみずからの意見をきちんと主張してきた。「出過ぎた杭は打たれない」という姿勢で生きてきた。県や市の職員には、そういう姿勢をもった者はいないのだろうか。
いくつかの自治体の職員とは、自治体史の編纂事業で関わってきたが、大きな自治体職員ほどダメ、というのが感想である。地元住民に密着していないからかもしれない。
以前、不動産屋から話を聞いたことであるが、いろいろな業種の人との交流の中で、もっとも嫌いなのは市の職員だとのこと。謙虚さがないとのことだ。