浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

自衛隊に群がる大企業

2016-03-03 21:57:23 | 政治
 自衛隊は莫大なカネをつかう。その中身はあまりよく分からないので、価格はあってないようなもの。だから大企業は、自衛隊の装備品でカネ儲けを企む。自衛隊はカネのなる木なのだ。

 http://toyokeizai.net/articles/-/107520
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「ことば」の顕現

2016-03-03 21:05:24 | 
 今月号の『現代思想』の特集は、「3・11以後の社会運動」である。

 「参戦法案」反対の運動の中で、新しい動きとして若者たちがみずからの考えを正々堂々と訴える場面を見た。事前に原稿を書き、それをスマホに保存し、演台にたちながら、スマホをみながら訴えていた。とても新鮮だった。

 そうしたアピールをした若者たちの文が載っている。

 吉田理佐さんは、デモに参加した理由は「モラルハザードへの恐怖」だという。「政府や東電による、誰でもすぐに見抜けるような安易な誤魔化しや虚偽が日常化していた」、そのことへの「恐怖」なのであろう。この「モラルハザードへの恐怖」は、とてもよいことばだ。

 反原発運動をしているいとうやすよさんは、国会周辺に金曜日に通う。そこは「実験的空間」だという。そこには「解放感と祝祭性が伴っている」、そしてそこでこう語る。「新しい世界を作ることはパーティーと似ている」と。

 大澤茉実さんは、「震える足で地を踏みしめて」、みずからのアピールを語ったという。
 大澤さんはこう語る。「女の子は社会のなかで沈黙を強いられる場面が多い。それは苦しいことだけど、でも、そのぶん言葉は豊かになっていく。ときどき、それが爆発するんです」。
 なるほど。新鮮なことばが、ほとばしり出る。

 この本は、現在展開している社会運動を理解するためには、読んでおかなければならない。

 ことばは、その裏側に広大な意味空間がまとわりついているはずだ。表出されたことばは、その意味空間の一部しか表わしていない。ある意味で、ことばは象徴である。
 原稿を書いたり、人に話すときには、表出されることばの裏側に明確に認識できる意味空間をもっていなければならない。みずからの知の空間を広げることが肝要だ。日々精進である。
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テレビの統制

2016-03-03 09:12:12 | メディア
 岩波書店から以前刊行された「シリーズ戦後日本社会の歴史」の一冊、『社会を消費する人びと』(2013年)を読んでいる。こういう本まで購入はできないので、図書館から借りたのだが、そのなかの安田常雄「テレビのなかのポリティクス」を読んでいて、思うところを記す。

 すでに日本のテレビ導入の経緯は、有馬哲男らによって明らかにされているが、「戦後日本のテレビ文化はGHQと日本の支配層との合作による「反共産主義」の普及、宣伝という枠組みで出発した」。

 つまりテレビは、当初からある種の支配層によるプロパガンダ装置として発足したのである。これについては、有馬の本を読んでいるボクとしてはそうした認識を持っていた。

 これに続いて安田は、1960年代のテレビ番組の禁止、削除、打ち切りなどが増大していたことを指摘する。

 安田は「この時代はテレビ番組の禁止、削除、放送延期などが増大し、その圧力は政府・テレビ局・スポンサー企業などさまざまな場合があるが、テレビそのものが直接の政治的抗争の磁場となったのである」という。

 このように、現在起きている安倍政権によるテレビ報道に対する政治的圧力は、今に始まったことではないということである。そもそものテレビの発足自体がきわめて政治的であったということ、同時にテレビが支配層の広報宣伝機関という機能をもっていたということである。

 だからこそ、テレビ業界に携わっている人びとは、そうした支配層による圧力をはねかえす気概を、その属性としてもたなければならないということである。
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