今月号の『現代思想』の特集は、「3・11以後の社会運動」である。
「参戦法案」反対の運動の中で、新しい動きとして若者たちがみずからの考えを正々堂々と訴える場面を見た。事前に原稿を書き、それをスマホに保存し、演台にたちながら、スマホをみながら訴えていた。とても新鮮だった。
そうしたアピールをした若者たちの文が載っている。
吉田理佐さんは、デモに参加した理由は「モラルハザードへの恐怖」だという。「政府や東電による、誰でもすぐに見抜けるような安易な誤魔化しや虚偽が日常化していた」、そのことへの「恐怖」なのであろう。この「モラルハザードへの恐怖」は、とてもよいことばだ。
反原発運動をしているいとうやすよさんは、国会周辺に金曜日に通う。そこは「実験的空間」だという。そこには「解放感と祝祭性が伴っている」、そしてそこでこう語る。「新しい世界を作ることはパーティーと似ている」と。
大澤茉実さんは、「震える足で地を踏みしめて」、みずからのアピールを語ったという。
大澤さんはこう語る。「女の子は社会のなかで沈黙を強いられる場面が多い。それは苦しいことだけど、でも、そのぶん言葉は豊かになっていく。ときどき、それが爆発するんです」。
なるほど。新鮮なことばが、ほとばしり出る。
この本は、現在展開している社会運動を理解するためには、読んでおかなければならない。
ことばは、その裏側に広大な意味空間がまとわりついているはずだ。表出されたことばは、その意味空間の一部しか表わしていない。ある意味で、ことばは象徴である。
原稿を書いたり、人に話すときには、表出されることばの裏側に明確に認識できる意味空間をもっていなければならない。みずからの知の空間を広げることが肝要だ。日々精進である。