浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

1980年代

2016-03-06 22:10:26 | 社会
 1981年、土光敏夫を会長に迎えて組織された第2次臨時調査会の答申が1983年3月に出された。それは現在の社会におこっている、格差社会、労働者の低賃金など、国民生活の悪化の設計図がそこに記されていた。今ボクは、それに関する勉強をしている。

 その意味で、1980年代は「現在」と直結していると考える。

 さて先日『1980年代』(河出書房新社)を紹介したが、その前書きに斎藤美奈子氏が、1980年代を「戦後の転換点」、また「「いま」の源流」として捉えていると記している。期せずして、同じような思考に至っている。

 そういう考えをボクが持ち始めたのは、某自治体の行政改革関連の資料を見始めて、自治体の「改革」、それは多くの意味で「改悪」なのだが、その起点が先述した臨時調査会にあることを発見したからであった。

 もちろん、そうした「改革」が始められそれを国民や自治体などが受容するには、それなりの理由があったはずだ。

 この『1980年代』の末尾の対談で、こういう議論がなされている。
 文学がこの頃から大きく変質したというのだ。
 戦争を意識し、「自己とは何か」などを問う「戦後文学」が終焉を迎え、国籍のない、「私」を考えない、抑圧的な父(権威)を描かない(それが見えない)、しかしその一方で「管理されている」感覚(しかしそれは目に見えないのである意味それを意識しない「自由」がある)をもち、「規範」を失った、と。

 ということは、文学でも、あるいは社会でも、1945年から続いていた「戦後」を意識しなくなった、そこに「臨調行革路線」がつけいってくる、そういうイメージである。

 
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二日間、書き込まなかった。この二日間、某自治体で資料と格闘していた。帰りに見た富士山は、うすいグレーを背景に鎮座していた。墨絵の世界だった。

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