浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【演劇】青年劇場「星をかすめる風」

2024-07-27 22:45:06 | 演劇

 今日の午後は、演劇を鑑賞した。とてもよかった。さすが青年劇場であった。

 戦争末期、福岡刑務所には、詩人の尹東柱が、治安維持法により2年の懲役刑を受けていた。そこには朝鮮人が収容されていた。

 ある日、看守の杉山が何ものかに殺された。誰が殺したのか?その犯人を捜すことが若い看守・渡辺に託された。渡辺は、誰が殺したのかを探る、探る中で、福岡刑務所ではどんなことが行われたのかが次第に明らかになる。いったい誰だ、杉山を殺したのは?観客も、そのような疑問をもちながら渡辺の動向を追跡する。

 杉山にはふたつの顔があった。ひとつは音楽や詩、文学をたしなむということ、杉山の遺体には、詩が書かれた紙片があった。尹との交流もあった。またピアノを弾く看護婦とのピアノを介したつながりもあった。もうひとつは囚人に激しい暴力を振るっていたこと。

 渡辺は、このふたつの顔を、なぜ杉山がもっているのか、理解できなかった。

 その疑問は、九州帝国大学から来た医師とふたりの看護婦の行動から明らかになる。医師たちは健康な囚人たちに治療だといいながら注射をうつ。しかしその注射を打たれた囚人たちに、記憶力の減退、疲れやすくなるなどの症状が現れる。しかし医師たちは注射を打ち続ける。そのうちに囚人に死者が出始める。

 医師たちは、ケガをしたり、また身体の弱い囚人たちには注射を打たなかった。医師たちは、囚人や看守に、ケガをしないように、またさせないようにと忠告した。

 杉山は、しかし気づいてしまう。囚人たちの健康悪化の原因があの注射であること、ならば囚人たちを救う道は、囚人たちにケガをさせて注射をうたせないようにすること、だと。九州帝国大学の医師たちは、人体実験のために福岡刑務所に来たのだ。杉山の激しい暴力には、理由があったのだ。

 その杉山が殺された。犯人は、暴力を振るわれた朝鮮人の囚人だとされた。しかし渡辺は、どうも腑に落ちない。そして、杉山を殺したのは、九州帝国大学からきた医師であること、人体実験を邪魔した杉山は、彼によって殺されたのだと推測する。

 詩人である尹も注射で殺された。

 劇は、そのような事件の顛末をただ明らかにするだけではない。詩、文学、音楽が人間にとっていかに重要であるのかを示す。また、事実と真実、真実はどこにあるのか、それをも考えさせようとする。

 尹東柱の詩が各所に読み上げられ、ことばの美しさ、ことばの魅力が示される一方、ことばとして発せられたものが真実を隠すものとして出現することも示唆される。杉山を殺したとされた朝鮮人の囚人は処刑されたとされながら、実際は刑務所長が逃がしていた。所長は、その囚人が隠したと語っていた金塊に目が眩んでいたのであった。

 表面に現れる様々な事実、しかしそれらの事実をつなぎ合わせると、まったく別の真実が現れて来る。九州帝国大学の医師は囚人たちの健康を保持するという。そして注射を打つ。ところが、注射を打たれた囚人たちが健康を損なっていく。なぜ、どうして・・・・・疑問をもって事実をつなげていくなかで、真実が浮き彫りにされていく。

 疑問を持ち、事実をもとにみずから考える、そういうことをしないと無数の事実によって真実はどこかに隠され消えてしまう。真実は、たくさんの事実のうしろにある。真実をたぐりよせること、

 尹は、「序詩」でこう書いている。

死ぬ日まで天を仰ぎ

一点の恥じ入ることもないことを

 しかし、「恥じ入ること」を、何度でも繰り返す者たちが、いかに多いことか。そういう現実に、わたしたちは生きている。

  

 

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【演劇】劇団NLT「MUSICAL O.G.」

2024-05-25 20:09:00 | 演劇

 日々忙しく動いているので、今日が演劇鑑賞日であることをすっかり忘れていた。36分前に私のiPhoneが、今日、演劇を見ることになっていることを教えてくれた。あわてて天竜川駅まで家人に乗せていってもらい、会場に着いたのは約5分遅れ。もうステージは始まっていた。

 今は浜松演劇鑑賞会といっているが、私の若い頃は浜松演劇鑑賞協議会といっていた。略称浜松演観協であった。高校生の頃からずっと、一時職場が忙しくなったことからやめていたが、人生の晩年になって再度入会した。

 私が若い頃、演劇を見る人びとは皆若かった。そして私が老いて行くにつれて、ホールに集まる人びとも老いてきている。演劇を見る年齢層はずっと一定だということである。若い頃からみつづけて、今はほとんどが老境にあるということである。

 さて今日の演劇は、そうした老境にある人びとに向けたミュージカルであった。キャストも、年齢はわからないが、おそらく齢いを重ねてきている方々。台詞の中に、みずからの老いを語るシーンが多かった。

 舞台では、二人の老いた女性が、キャバレー「ミラクル」があと一週間で閉店するということから、それぞれが昔語りをする。38年間、「ミラクル」でうたい続けた二人は、ここでたくさんの思い出を持っている。しかし二人の女性はそれぞれの人生そのものをすべて知っていたわけではない。閉店まじかになっているからこそ、語りたいことが次々と浮かんでくる。ボーイフレンドのこと、結婚のこと、夫が認知症になってきていることなど、とにかく過去のことを語る。

 でも生きていれば、いつも「新しい」ことが目の前に出現する。その「はじめて」を乗り越えていくことが生きていくことだということを語り、また唄う。

 老年期に差し掛かった女性が喜ぶような内容であった。老年期にある私も楽しんだが、台詞など女性の方がより身近に感じただろう。

 「O.G.」は、old girlsのOとGである。

 人は生まれて歳をとり、この世から去って行く。「灯が消えるのを待つ」老境にある人でも、舞台に立っている二人の女性のように、元気で生きながらえていく。老人は「集団自決」せよ、という過激な言説もあるが、しぶとく、この世の限り生き抜いて、生き抜いて、「はじめて」を体験していこう、と老境にある舞台上の二人の女性は、がんばっていた。

 

 

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【演劇】前進座「くず~い屑屋でござい」

2024-03-29 19:06:30 | 演劇

 浜松演劇鑑賞会の例会、前進座の「くず~い 屑屋でござい」を見た。落語の「井戸の茶碗」をもとにしたものだから、わかりやすくて面白かった。ただし、カネに困って屑屋に仏像を売った者、落語では娘と暮らす浪人であるが、劇では娘とその母であった。また屑屋の清兵衛は、パーフェクトな善人ではないが、その他の人びとは落語と同じように清廉潔白な者ばかりだ。

 しかしこういうわかりやすい演劇は、誰もが、わかりやすく面白かった、という感想をもつだろう。あるいは、江戸時代には、清廉潔白な人がいたんだねえなどという感想をいだく者もいるかもしれない。しかしそれ以外の感想をもつことは、おそらくない。

 話の筋はわかりやすく、話の展開も相応の動きがあってドラマになっていた。それはそれでいい。だが、私は、いろいろな感想がでてくる演劇が好きだ。だから、前進座の出し物より、新劇系のものが好きだ。

 

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整理(1)

2024-03-04 21:02:17 | 演劇

 今日もたくさんの本を古書店に渡した。残された時間のことを考えると、おそらくもう読まないだろうと判断した専門書の多くを手放した。もっともっと身軽になろうと思う。

 私は今、浜松演劇鑑賞会の会員で、企画された演劇をただ見るだけの会員であるが、それが浜松演劇鑑賞協議会と言っていた頃、「機関誌部」の一員として、機関誌にいろいろな記事を書いて載せていた。その頃の機関誌を、すべてではないが、今も保存している。

 20代の頃で、まだ若かった。大学時代は東京労演の会員で、浜松に帰って来てからは浜松演観協の会員となって演劇を見るようになった。

 機関誌(1979年12月)にはじめて書いた文を紹介する。

 最近、何か圧迫されているような格子のない牢獄にいるような、そんな感じがしてなりません。

 先月、息苦しい生活から逃れようと東北一周の度に出かけてきました。紅葉も終わり、長い冬を待つだけとなった東北の山々は、荒涼たる姿を見せていました。そんななかで津軽富士といわれる岩木山が大空にむかって雄々しくそびえているのを見て、大いに感じるところがありました。「生きていこう」というつぶやきが、どこからか聞こえてきました。

 新入りの機関誌部員です。よろしく。

 母が亡くなってから、ボーッとしている時がある。自分自身が年齢を重ね、みずからの死を自覚しつつあるときの母の死であるがゆえに、なかなか心が重い。いずれ必ずやってくるみずからの死を考えてしまう。「生きていこう」という前向きな姿勢ではなく、死ぬまでは生きていかなければならない、という気持ちとなっている。

 

 

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【演劇】フォーリーズ「ミュージカル 洪水の前」

2024-01-27 22:29:12 | 演劇

 いずみたくの音楽が流れる。いずみたくの音楽は、耳に素直に入ってくる。いずみたくの音楽は、歌詞が大切にされていると思う。歌詞とメロディが手を携えていっしょにこころのなかに入り込む。

 そのいずみたくがつくったミュージカルには、「おれたちは天使じゃない」が有名である。私は、学生時代この初演を渋谷で見て感動した。初演では、有島一郎、西村晃らが出演していた。私はこのミュージカルを何度も見ている。

 そして「洪水の前」初演の「洪水の前」はYouTubeチャンネルで見られる。初演では、財津一郎がでていた

 ライザ・ミネリの「キャバレー」の日本版。いずれもファシズム前夜の状況を、キャバレーとそれにかかわる人々のありようをとおして描く。歌、ダンス、恋、別れ、文士、ダンサー、演奏者・・・・・しかし彼らも、当時の世相に呑み込まれていく。洪水は、すべてを吞みつくす。「洪水の前」は、ファシズム前夜、という意味だ。そして最後には、軍靴の音が鳴り響き、すべてが戦火に消されてゆく。戦争というブルドーザーが、すべてを圧し潰していく。

 そのような流れは、キャバレーの中では表立っては見えてこない。たとえ見えても、それは部分的だ。しかしいずれは、洪水となってすべてを呑みこんてゆく。描かれているのは、そういうことだ。

 ただ私は、「洪水の前」でうたわれた歌にはどうもなじめなかった。いずみたくのミュージカルでもっとも印象に残っているのは、「おれたちは天使じゃない」でうたわれた「今、今、今」という歌だ。

 いずみたくのミュージカルは、何度でも上演してほしいと思う。

 

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くるみざわしん

2023-12-26 16:15:04 | 演劇

 近代日本の演劇史を繙くと、新劇などは、抵抗精神をもちながら、また弾圧を受けながら上演されてきた。私が好きな演劇は、そうした抵抗精神と、そして考えさせる内容をもったものだ。

 私は浜松の演劇鑑賞会に入って、二月に一度演劇を見ている。それについてはこのブログで紹介しているが、私にとってはどんな俳優が演じるかは余り興味はない。問題は内容である。

 さて先にくるみざわしんが書いた『精神病院つばき荘』を読んだ感想を書いた。そしてOさんから、さらに「あの少女の隣に」が送られてきた。その表題から、すぐに「従軍慰安婦」を象徴する「平和の少女像」をイメージしてつくられたものだと思った。

 日本政府も、ネトウヨと協力しながら、強制的に集められ、強制的に性奴隷にされた「従軍慰安婦」の実在を否定しようと躍起である。私は、歴史研究の一環として軍人が書いた手記などに、戦地で女性を強制的に連行し、閉じこめて性奴隷としたという生々しい経験が書かれているものを読んできた。政府がいくら否定しようとも、事実は消せないのだ。

 しかしそうした政府の「努力」のせいだろう、メディアも「慰安婦」問題を避けるようになっていて、その事実は闇に放り込まれようとしている。

 くるみざわのこの戯曲は、そうした状況に斬り込んできたといってよいものだ。戦時下の「慰安婦」を直接とりあげたものではなく、敗戦直後に日本政府があわてて設置したRAA(Recreation and Amusement Association)、日本語では「特殊慰安施設」である。占領軍兵士のために、日本の女性を性奴隷として「捧げる」という反人間的な施策であった。

 私もこのRAAについて調べたことがあり、浜松、磐田では、遊郭がその現場とされた。静岡県でも、新聞などで「公募」している。

 くるみざわはRAAを、日本の公娼制度とつなげて取り上げている。まず「山路」という人物を登場させる(一人芝居なので、登場する男性はいろいろな役を演じるが、共通するのは警察官である)。この「山路」は、おそらく薩摩藩の川路利良を想定している。川路は、ヨーロッパの警察制度を視察し、その後警視庁を創設し「大警視」(警視庁長官)となった。警察は公娼制度を管理下に置き、それ以外の「売笑婦」を取り締まった。

 台詞に「なんで警察が売春を管理するのか。まさか厚生労働省ではできんでしょ」とあるが、警察制度創設期に厚労省の前身の厚生省はないので、この台詞は疑問だ。厚生省は、1938年の戦時体制下に、内務省から分離して創設された機関である。

 近代日本では、警察は内務省管轄下にあって、民衆運動を弾圧し,思想を取締り,日常的に民衆を統制下に置いた。本質的には、天皇制的国家秩序を維持する暴力機関であった。

 しかし戦争が終わって支配者が天皇からマッカーサーに変われば、今度はマッカーサーのために動くようになる。

 台詞に、

「手のひら、私は警察官、上からの命令で手のひらを返す。日本もそうですよね、天皇陛下万歳が一晩でマッカーサー万歳に変わる」

 がある。官僚や役人、教員も、上意に従うのである。上意の「上」が何であるかは問わない。「上」の指令が、下方へと伝達されて実行される。「上」が変わろうと、下僚たちは命令に従う。おのれの意思は、とにかく「空しく」する。

 RAAは、米軍兵士の性の処理のために創設された。台詞に、

「国家管理売春というのは軍隊のためにある」があったが、そうかもしれないと思う。日本の兵士は「出征する」ことが決まると、遊郭に行った。そして戦地では、軍が管理した「慰安婦」制度を利用した。

 また「世界を動かしているのは軍隊、暴力、戦争なんです」という台詞もあった。ウクライナやガザ、その他の地域でも軍隊が戦いを交え、そこでは暴力が吹き荒れている。その軍隊に軍需品を提供することによって、経済界はカネ儲けをしている。

 そのカネ儲けをしたいがために、自民党・公明党政権は、その地ならしをはじめた。日本でも再び軍隊が大きな顔をし始めている。

 さらに「え、俺達の支配は続く。日米安全保障条約。地位協定。主権回復はインチキ。」という台詞。まさにその通り、1945年の敗戦と同時に、日本はアメリカの主権下に入り、アメリカの「属国」としての地位を守り続けている。

 「戦争に負けて占領軍がやってきても大日本帝国は生き延びた。」も、本質を衝く台詞だ。アメリカの「属国」としての日本に「大日本帝国は生き延び」ているのだ。

 この戯曲は、「従軍慰安婦」を想起させながら、日本の戦後史に穴を開けてそこに隠されているものをえぐり出そうとしているかのようだ。

 くるみざわは、闘っている。

 ネットでくるみざわしんを調べたら、戦時下、彼の祖父・胡桃沢盛(もり)は下伊那郡河野村の村長をしていたという。祖父・盛は、大正デモクラシーの洗礼を受け、自由主義者として生きていた。下伊那郡は、そうした風潮が大きな波となっていたところだ。彼は、村民のための村政を行っていたが、その中で「満洲移民」を村から送出した。開拓団は、そして集団自決という大きな悲劇を体験することになった。盛は、その責任に耐えきれず、戦後、みずから命を絶った。

 孫のしんは、そうした家族が体験した悲劇を今後はあってはならないという決意をもっているのではないか。

 ついでに記しておけば、大井川上流に川根本町という町がある。最近、「平成の大合併」で中川根町と本川根町が合併してできた町だが、その中川根町は中川根村と徳山村が合併してできた。戦時下、中川根村は満洲移民を送出して「分村」をつくった。他と同様に、中川根の開拓団は犠牲者をだした。しかし徳山村は、国策として推進された満洲移民を送出しなかった。思想があったからだ(『中川根町史』近現代通史編を参照されたい)。

 日本社会は、時流という大きな流れが生じると、我も我もとその流れに身を投じる者が出てくる。その数は多い。しかしその流れに飛び込まない者もいる。

 くるみざわしんは、飛び込まずに、身を投じることの危険を、演劇を通して訴えているように思える。刺激的な台詞を連ねながら、知ること、考えることの重要性を示唆している。

 

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ミュージカルと演劇

2023-12-04 08:23:29 | 演劇

 私は若いころから音楽座のミュージカルが好きだ。最初に見たのは、「シャボン玉とんだ宇宙(そら)までとんだ」であった。とても感動した。

 演劇は、劇を通して現実や社会にある様々な問題、生き方などを考えるためにあると思う。しかしミュージカルは、生きているって素晴らしい!と思わせてくれるものだと、音楽座のミュージカルを見て思った。

 それ以降、劇場に足を運んだり、ビデオで見たりして様々な音楽座の出し物を見てきた。それぞれの作品に、それぞれ言いたいことはあるが、しかしすべてを通して、音楽座のミュージカルをみることは、楽しい。

 音楽座が、YouTubeチャンネルでオーディションの光景を公表している。

 私は今まで何度か宝塚も見に行っている。宝塚は豪華絢爛そのもので、照明といい、衣装といい、お金をかけてどうだ美しいだろう、という見せ方だ。しかし、私から見れば、二部構成の一部の劇は学芸会のようにしか見えなかった。

 宝塚は、ひとりの自死によって、その内部が明らかになった。舞台で活躍している人びとは、しかし奴隷的境遇のなかで演技していたことが明らかになった。おそらく、ひとりひとりの演技も、演出家らの上意下達的な厳しい指導のなかでつくられたものなのだろう。

 宝塚を見ても、生きているって素晴らしい、楽しい、というような感動は得られなかったことを思い出す。

 音楽座のオーディションを見ていて、ひとりひとりの創造性がぶつかり合い、そしてその結果ひとつになって舞台がつくりだされていることを知った。ひとりひとりの創造性を大切にしながら舞台づくりをしていると思った。

 だから音楽座のミュージカルは、楽しいのだ。

 宝塚のような人間の個性や創造性を押し殺すことによってつくられる舞台を見ることはないだろう。

 

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【演劇】こまつ座/劇団民藝『ある八重子物語』

2023-12-02 19:01:37 | 演劇

 今日は「ある八重子物語」をみた。休憩も含めて2時間55分という長い芝居である。

 第一幕(40分)、第二幕(70分)はあっという間に終わった。新派劇の台詞や見せ所を舞台上に再現して、速いテンポで、そして井上ひさしらしいユーモラスな台詞や所作で観客を喜ばせてくれた。

 時代背景としては、戦中から戦争直後。舞台は、柳橋にある古橋医院、そこにいる全員が水谷八重子のファンである。

 戦中・戦後であるから、当然戦争は登場人物に大きな影響を及ぼす。といっても、戦争それ自体は背後にあって、空襲や食糧不足、権力を笠に着た警官、「女形の研究」という論文を書きつづけていたために入営を忘れた学生がでてくるくらいである。

 さすが井上ひさしの台本だわいと、喜んでみていた。テンポといい、台詞といい、俳優たちの演技といい、演技者も芸達者な人たち(民藝の俳優ということで安心して見ていられる)で、演劇らしい演劇であった。演劇を演劇として楽しめる舞台であった。

 ただ、三幕目の後半は、どうも失速したような感じを受けた。観客を、ぐっと引き付けていたのに、それがふと切れたような。しかしそれまでぐっと観客を舞台に引き付けていたのだから、まあいいか。

 カーテンコールは、もう一回くらいあってもよかった、それほど観客は喜んでいた。

 

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「五十四の瞳」を理解するために(2)

2023-09-22 19:43:35 | 演劇

 日本に併合された朝鮮人は、日本人と同様に「大日本帝国臣民」であった。ただし、日本人は戸籍法に基づいて戸籍に登録されるが、朝鮮人は日本の戸籍法の適用を受けず、独自の戸籍が創出された。

 1945年8月、日本の敗戦により朝鮮は植民地支配から解放された。以下、自治体史に書いたものを掲載する。

 在日朝鮮人について、占領軍は1945年11月の「基本指令」において、一方では「軍事上の 安全の許す限り解放民族として取り扱い」、 他方では「必要な場合には敵国人として処遇してよい」としたが、この曖昧な規定は、結果的に彼らを無権利状態に置くこととなった。

 これは、日本政府による治安優先の朝鮮人処遇策を占領軍が許容したところに発現した。すなわち日本政府は、日本国籍を持つとされた在日朝鮮人の選挙権や 外国人登録については「外国人」として扱い、他方、義務教育や司法警察権、刑事裁判権などについては「日本人」として処遇したのであった。 これを具体的に見てみよう 。

 まず男女平等の選挙権・被選挙権が実現した戦後初の衆議院議員選挙において、在日朝鮮人のそれは剥奪されたのである。1945年12月に公布された改正「衆議院衆議院議員選挙法」の付則が「戸籍法の適用を受けざる者の選挙権・被選挙権は 当分の内之を停止す」と規定したように、「戸籍法」の適用を受けない旧植民地出身者たる「外地人」の参政権は提出された。したがって彼らは日本国憲法の制定に参加できなかった。

 そして1947年5月2日、すなわち日本国憲法が施行される前日、政府は 最後の勅令により「外国人登録令」を公布施行した。政府は旧植民地出身者については講和条約が発効するまでは日本国籍を持つとしていたが、この第11条で彼らを当分の間「外国人」と見なす、としたのである。

 「外国人登録令」そのものの内容は、外国人の入国についての原則禁止、在留外国人について登録を実施すること、外国人の登録証明書常時携帯義務、さらに無許可入国や登録手続に違反して司法処分を受けた者についての国外退去強制というものであった。

 当時この「外国人登録令」 が対象とした者のうち90%は朝鮮人であった。したがって「外国人登録令」は朝鮮人を管理しようという目的のもとに公布されたと言ってよい。治安当局も目的は「治安確保にある」と明言していた。

 その背景には、今まで差別構造の中にあった朝鮮人が敗戦により解放され、自らの権利を堂々と主張し始めたという社会状況、そして一度帰還した朝鮮人の日本「密入国」があった。すべての在日朝鮮人を管理しながら、これらを取り締まろうとしたのである。

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「五十四の瞳」を理解するために(3)

2023-09-22 19:43:35 | 演劇

 戦後の在日朝鮮人の子どもに対する教育は、在日朝鮮人連盟が積極的に取り組んだ。劇中の朝鮮人学校は、静岡県でもつくられた。

 以下、自治体史の記述である。

 1945年8月の解放は、今まで奪われていた朝鮮の文化、そして朝鮮語を子どもたちが学習する画期となった。

 日本在留を決意した朝鮮人たちは全国各地で学校を創設した。静岡県でも1945年11月、浜松市に夜学として開校され、翌年2月には浜松朝連学院(のち浜松朝鮮人学校と改称)となった。その頃三島市にも三島朝連学院が設立され、また小笠郡掛川町などでは国民学校の教室を借りての民族教育が始められた。また静岡市では民青学院が創設され、県下青年たちを集めての民族的かつ政治的教養教育の機関として動き始めた。

 1947年4月、文部省は朝鮮人の子どもも日本人の子どもと同様に就学させる義務があるが、強制は困難であるので適切に措置すること、また朝鮮人が自ら学校を新設することについて都府県が認可することは差し支えない、との通知を伝達した。

 このように朝鮮人の民族教育は一応容認されてはいた。ところが1948年1月、文部省は朝鮮人に対し日本の法令に服することを要求し、朝鮮人児童・生徒に日本人と同様の教育を受けることを強制した。 同時に朝鮮語の教育は正課外でのみ可能であるとして民族教育を否定した。

 さらに1949年10月、政府は在日朝鮮人連盟を解散させた後、朝連などが設置した民族学校の閉鎖を命令した。朝鮮人の子どもに対する義務教育は公立学校で行い、 無認可の朝鮮人学校は認めないというのである。これにより三島朝連学院は警察と県職員の手により閉鎖されたが、浜松の浜松朝鮮人中小学校では激しい抵抗により閉鎖を免れた。また沼津市在留の朝鮮人は学校閉鎖に対して反対闘争を行った。

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「五十四の瞳」を理解するために(1)

2023-09-22 19:33:32 | 演劇

 在日コリアンが何故に民族教育を強調するのか、それは日本の植民地支配が朝鮮民族の文化やことばを抹殺するものであったこと、そういう歴史を体験しているからである。

 下記は、私が自治体史に書いたものの一部である。

 1910年の韓国併合は、朝鮮の民族文化に対する抑圧の開始でもあった。1911年8月に公布された朝鮮教育令は、「忠良なる国民の育成」を教育の「本義」とし、普通教育の目的については「特に国民たるの性格を涵養し国語を普及すること」とした。その結果、学校教育では日本語が重視されることになり、朝鮮の地理や歴史などは教育されなかった。また朝鮮人のための学校は貧弱で子どもたちの就学率は高くはなかったが、他方で民族的な教育を行う書堂や私立学校に通学する者が多かった。植民地化された朝鮮の教育はこのようにして始まった。

 植民地支配に対する1919年の三・一独立運動には多くの学生が参加した。そこで朝鮮総督府は同化政策を推し進め、「一視同仁」のもとに朝鮮人の「日本人化」を図ろうとした。その後1937年に勃発した日中戦争が本格化する中で、「皇国臣民の誓詞」が定められるなど、「内鮮一体」の「皇国民錬成」教育が始められた。特に日本語の常用が強要されるなど、民族意識を奪い、朝鮮民族の文化そのものの抹殺が図られたのである。

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【演劇】文学座「五十四の瞳」

2023-09-22 17:05:46 | 演劇

 在日コリアン史をかじったことのある私にとって、この演劇は身につまされる内容であった。コリアンに対するヘイトが行われているこの時代に、こうしたテーマを文学座がとりあげたことに敬意を表したい。

 さて、この劇で描かれた世界の歴史的背景を知る人はあまり多くはないだろう。しかし演劇は、描かれた時代背景を知らなくても楽しめるものでなければならない。この演劇は、劇として十分に楽しめ、考えさせる内容をもっていた。笑ったり、強く心を動かされたり・・・して。

 姫路市に近い瀬戸内海の島の話だ。西島、家島諸島でもっとも大きな島、そこには家島朝鮮人学校があった。西島の採石業では朝鮮人が多く働いていた。朝鮮人の子どももたくさんいて、その子どものために学校がつくられたのだ。西島には日本人も、もちろん住んでいたが、島には小学校がなく、日本人の子どもも、朝鮮人学校に通っていた。

 教室で机を並べていた三人の男子と一人の女子。そして教員二人、子どもたちの父と母。全部で8人だけ、舞台上でダイナミックに動き回るので、なぜかもっと多いように見えてしまう。

 こんな離島でも、政治や社会が押し寄せてくる。GHQの支配下にある日本政府の朝鮮人学校の閉鎖通達、1948年の大阪や兵庫で闘われた阪神教育闘争、朝鮮戦争、日本共産党が行っていた武装闘争(1950年代初期)、北朝鮮への帰国運動・・・そうしたものに関わりながら、話は展開する。

 男子3人は、二人が朝鮮人、一人が日本人で、三人はチング(友だち)である。3人は阪神教育闘争に参加、その後一人は朝鮮戦争に志願し帰ることなく、日本人のひとりは採石中に亡くなる。

 この劇について考えるなら、離島での日々が、外部から入り込んでくる政治などに、若者は掻き回され、しかし親世代はこれまで続いてきた生活を淡々と続ける。世代間の葛藤、そして日本人青年と女性教員との結婚問題に母親が反対する構図には、民族差別があったのか。その母親も、最後には朝鮮人と結婚するのだが。

 それとも、在日朝鮮人の置かれた苦難を、西島という離島を舞台にして描くという意図のもとに制作されたのだろうか。私は、なまじ在日コリアンの歴史を知っているが故に、そういうことに関心が向いてしまった。

 いやいや、そんなことを考えずに、舞台を見ていて、笑ったり、ちょっと感動したり、それだけでいいじゃないか、という気もしてくる。

 鑑賞会のパンフレットには、日朝(韓)関係の年表が簡単に掲載されていたが、それについて、少し詳しく記しておきたい。

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演劇 劇団東演「獅子の見た夢」

2023-07-23 17:04:20 | 演劇

 1945年8月、移動劇団・桜隊は広島に疎開していた。疎開といっても、自主的ではなく、半ば強制であった。8月6日、桜隊は原爆投下により、8月中に全滅した。この事件に関しては、井上ひさしが「紙屋町さくらホテル」を書き、おそらくこまつ座により上演されている。

 劇団東演は、桜隊の生き残りである八田元夫らにより戦後発足した劇団で、この事件を上演するには最適の劇団だ。

 井上光晴の小説に「明日」があるが、これも8月6日、原爆により死に至る人びとのそれまでを描いている。当然6日に自分自身が死ぬことを知らずにそれぞれが生きていたそのことが記されている。まさか自分自身が、6日を迎えて原爆によって殺されるなんて、広島にいた人びとは考えもしなかっただろう。だからこそ、悲劇なのだ。

 この演劇も、劇団苦楽座(その後桜隊となる)が、三好十郎の「獅子」を上演しようとメンバーがはりきって練習に励む姿が描かれる。そして国家により疎開を命じられ、桜隊は広島に赴く。もちろん戦前において、戦時下には特に、新劇は特高に目を付けられ、俳優らは様々に弾圧を受けた。そういう姿も描かれる。しかし誰も、原爆で殺されるなんて思ってもいない。

 桜隊の最期を知っているがゆえに、「獅子」の台本をもとに練習に励む姿はなかなか見ていてつらいものがあった。この劇では、結婚したばかりの女優が、「出征」して会えない夫に対する愛情深い手紙を切々と読むことにより、苦楽座の動きと並行して、悲劇をより悲劇へと導いていく。

 最後、劇団員たちが、生き残った八田元夫、三好十郎の前で「獅子」を上演する場面があったが、涙がにじんできてしまった。

 昨日、質の悪い講演を聴き(あまりのひどさに中途で退席してしまったが)、精神が曇っていたが、この劇を見てすっきりと洗い流された。どんなものでも、質の悪いものを聴いたり見たりすることは精神に大きなストレスを生じさせる。

 「獅子の見た夢」は、クオリティーも高く、世界各地で戦争が行われているこの時代にふさわしい演劇であった。

 

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なかなか良いドラマだった 劇団青年座「シェアの法則」

2023-05-27 19:33:22 | 演劇

 今日は演劇鑑賞の日。自転車で会場へ。そこは交通が不便なところなので、30分かけて自転車で行った。ホールの駐輪場は、西側にある。そこに自転車を止めようとしたら、劇団の方々が5~6人、激しく喫煙中。私はたばこの煙が嫌いなので、あわてて自転車に施錠して会場へ。

 約2時間、休憩なしの舞台。なかなか面白かった。

 家賃の安いシェアハウスにはいろいろな人が住む。技能実習生として中国から来た女性(王晴)、職場は新潟だったけれどもそこから離れ、今はラブホテルの夜間従業員として働く。したがって、「不法残留」となるが、ハウスの女性オーナーは人権擁護団体ともかかわっていてその関係から住まわせていた。現在入管法の改悪案が問題になっているが、低賃金で外国人労働力を酷使するという技能実習生の姿が舞台上で露わになる。

 32歳の女性、15歳の子どもと離れて夜の仕事につく。どこかに消えた亭主の借金を抱えて隠れるようにしてここに住む。悪徳借金業者を気にしながら生きる。

 東日本大震災で婚約者を失った女性、ぼーっと生きてきたが一冊の本を読んで生きなおそうと上京してここに住む。

 オーナーの甥の小池一男、働かずに住人との交流もせずにシェアハウスに住む。 

 劇団員の若い男性・玉田幸平、新しい入居者だ。明るく積極的だが、親との確執をもつ。

 ハウスをシェアする住人たちは、オーナーの喜代子(この人は語られはするがずっと入院中で、突然亡くなってしまう。とても良い人で、家賃は安く、虐げられている人を住まわせる。住人との交流がなによりも好きな人)。

 住人と、オーナーの喜代子との関係は、ヨコの関係。住居をシェアするだけではなく、生活をもシェアする。仲間だ。助け合う、支えあう、そういう関係である。

 さてもう一つの関係がある。タテの関係。父子関係である。これがなかなか大変だ。父親はみずからの価値観を子ども、とりわけ長男に押し付ける。

 オーナーの甥は医学部を卒業、親が医院をやっている。親の言うがままに生きてきたが、脱落。医者にならずに小説を一本だけ書いた、しかしほとんど知られていない。

 オーナーの喜代子の夫、税理士・春山秀夫も同じ。息子を税理士にしたかったのだが、息子は飲食店を経営。父親による押し付けを拒否した息子・春山隆志。

 もう一人、劇団員の玉田も、親の言いなりにならずに劇に打ち込む。

 ヨコの関係、シェアしあう関係にくさびを打ち込むタテ関係としての父子関係。

 この劇は、それぞれが厳しい現実を必死に生きている人びとが共鳴しあい、それぞれの生を支えあうという関係と、父の価値観を押し付けられる息子たちというタテの関係、そのふたつが織りなす人生のドラマである。結局、父たちはシェア(共有)の価値観にのまれていく。そしてハッピーエンド。

 このシェアハウスの名は、「トゥルペンハウス」、チューリップの家という意味だそうだ。チューリップの花言葉は「思いやり」だという。

 一緒に住まう者たちが、「思いやり」をもって生活をシェアする、そうすればそこには軋轢も葛藤もなくなるだろう、というのが主張である。自己責任や人びとを分断させるイデオロギーがはびこっているこの日本社会に対するある種の「批判」「抗議」であるとみた。

 人生ドラマとしての「シェアの法則」。笑いと豊かな感情を喚起させる劇であった。終演後の拍手の音は大きく響いた。

 

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【演劇】無名塾「バリモア」

2023-04-08 16:46:52 | 演劇

 舞台装置は、ふつう、観客が入る前に完成しているはずだ。しかし、なぜか開幕前にスタッフが舞台装置を組み立てている。これは演出なのか、それとも・・・

 バリモアは有名な俳優。といっても、私はまったく知らなかった。シェイクスピア俳優として有名だとのこと。

 脚光を浴びたバリモア、しかしこの世界には浮沈はつきもの、老いてきてさらに体も精神も弱っていく。バリモアは、みずからの人生を振り返る。栄光のとき、喝采を浴びたとき、しかし妻と別れたとき、アル中で苦しんだとき・・・・・・いろいろなことを回想する。回想しながらことばを絞り出していく。そのことばのなかには、シェイクスピアの作品、自らが上演したときの台詞がある。

 なるほどシェイクスピアの数々の台詞は、そのままバリモアの人生を表現する。過去の栄光と挫折が台詞に投影される。

 さて仲代達矢は90歳だという。老いて尚元気である。台詞も覚えることができ、体もシャンとしている。バリモアとは等号で結べない。

 この脚本を書いたウィリアム・ルースという人は、おそらく絶望に沈むバリモアを描こうとしたのではないだろうか。

 だが仲代のバリモアは、老いてはいるが元気である。バリモアをどう演じきるか、仲代は考えたのだろう。仲代のバリモアは絶望に沈んでなんかいない。老いてさらに円熟し、余裕さえ見せる。その余裕が、笑いを生む。

 見ていて、仲代達矢のための「バリモア」であったと思う。

 私は往年の俳優でもっとも好きなのは、民藝の滝沢修である。もちろん滝沢はもういない。その滝沢は沈黙していても存在感があった。沈黙が支配していても、舞台は進んで行った。ひとつひとつの動作(演技)が、何ごとかを示していた。

 仲代達矢は、そうではなく、やはり台詞をことばにすることによって、仲代らしさが表現される。

 名優というのは、様々なのだ。その様々が、舞台上で火花を散らす。その火花を、私たちは見つめるのだ。

 

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