浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

高校生はこうでなければならない

2016-03-16 09:22:16 | 社会
 ブラック企業、ブラックバイトなど、人を人とも思わないで酷使している会社・店などたくさんある。その多くは、働く人々の無知につけ込んで、不法な所業を行っているのだ。

 そうしたブラックなあり方に、進んでNO!を突きつけるべきだ。その例が、下記。

https://www.bengo4.com/roudou/1103/n_4412/
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不自由な国・ニッポン

2016-03-16 09:14:31 | 政治
 『朝日新聞』記事(一部)。

 なんとまあ、驚くしかない。日本は民主主義国ではないね。選挙権を与えるというなら、政治的意思の主張は自由にさせるべきだ。だいたいにして、文科省は「規制していた」というが、たとえ選挙権がなくとも「規制」なんかすべきではない。

 たとえ届出制だとしても、それは政治的活動の自由に対する「規制」だ。もし届出せずにデモに出たら、処分を食らうのか。

 ボクは、高校生の頃から、ベトナム戦争反対などのデモに出ていたが、高校生はそうした不当な「規制」は無視して、元気にデモに出よう。

政治活動届け出を校則化 愛媛の全県立高、県教委が例示

川口敦子、高浜行人   2016年3月16日05時08分


 選挙権年齢の18歳以上への引き下げを前に、愛媛県立の全59高校(特別支援学校、中等教育学校を含む)が新年度から校則を改定し、校外の政治活動に参加する生徒に、学校への事前の届け出を義務化することがわかった。県教育委員会は昨年末、全県立高に校則の変更例を記載した資料を配布したが、「校則変更の指示はしておらず、あくまで参考資料」と説明している。

 文部科学省は昨年10月、選挙権年齢が今夏から18歳以上に引き下げられることを受け、校外でのデモなどの政治活動参加を解禁。従来は「教育上望ましくない」との理由から規制していた。届け出制については今年1月、「(生徒の政治活動は)教育目的達成の観点から必要かつ合理的な制約を受ける」との理由で容認したが、識者らからは「主権者教育の充実が求められるなか、政治的関心を育む機会を妨げかねない」などの批判的な指摘も出ていた。文科省によると、都道府県立高が一斉に届け出制を導入する例は把握していないという。

 愛媛県教委によると、県教委は昨年12月、全県立高校の教頭らを対象に開いた主権者教育に関する研修会で、「政治的活動等に対する生徒指導に関する校則等の見直しについて」と題した文書を配布。その中で、届け出を要する事項に「選挙運動や政治的活動への参加」を追加し、1週間前までの届け出を求める校則変更例を示した。

 変更の要否の判断は各校に任せることも伝えたという。しかし、変更した場合は県教委の担当課長宛てに報告するよう要請。変更例を示した文書は、この報告書のひな型としても使える書式で、校長名などを書く欄も示されていた。

 文書配布について、県教委の担当者は「(生徒の政治活動参加を規制していた)従来の文科省方針に基づく校則が高校に残っている可能性がある。文科省の方針転換に伴い、各校が校則変更による届け出制導入を検討する際、参考資料が必要と判断した」と説明する。

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「悪貨は良貨を駆逐する」

2016-03-16 07:42:04 | 社会
 今日の『中日新聞』で、池内了氏が「悪貨は良貨を駆逐する」という表題の文を載せている。

 現代社会の「今さえ儲かればよい、後は野となれ山となれ」という風潮の蔓延に関して、「この状況は資本主義社会が末期的症状を呈していることを示している」と記す。

 資本主義社会は、当初から「今さえ・・・・」という考え方が内包された社会ではあるが、しかし1980年代からのその風潮は留まるところを知らない。正義や平等、友愛、公正、人道、平和・・・・などの積極的な価値、人間社会のなかで肯定されるべき価値観をそれこそ「駆逐」して、「今さえ」の論理がどんどん強くなる。

 その風潮こそ、新自由主義である。

 新自由主義は、資本主義社会の終わりを、おそらく示しているだろうと思う。新自由主義を学べば学ぶほど、こういう考え方は長くは続けられないと思った。というのも、この考えは、1970年代、いつも極大の利益を追求する富裕者のその利益確保がそれ以前より難しくなってきたとき、「自由」を旗印にカネ儲けの自由を主張するようになった。カネ儲けが自由にできるように規制を撤廃せよ、というのだ。そのためには、非富裕者のことなんかかまってはいられない、とにかくカネだ、カネだ・・・非富裕者の生活が困難に陥ってもそんなことは「自己責任」だ、そういう考え方が強まっていった。

 ボクはこういう風潮は長くはないと思っていた。しかし、その考え方は、非富裕者の意識の中にも入りこみ、富裕者の悪巧みをそれこそ団結して「駆逐」するという方向には向かわないで、唯々諾々と富裕者の論理に従い、またみずからのものとしていった。プロ野球の選手すら、カネがないと試合で頑張ることもできなくなっている。

 「今こそ・・・」という風潮。そういう風潮を、人々の団結した力で克服することができるだろうか。こういう風潮は、放っておいて自壊するかと問われると、それはないと、ボクは応える。放っておけばもっともっとひどくなる。たとえばシリア、人々が殺しあっているが、その殺しあいの背後でニンマリと笑みを浮かべている奴がいる。人が殺されても、子どもが瓦礫の中に埋まっても、営々と築き上げた文明が破壊されても、微笑みながらカネ儲けをしている奴がいる。

 今、日本は、シリアのように殺しあいをしてはいない。だが、日本で殺しあいが始まれば喜ぶ奴はいる。そういう奴の跳梁を許さないためには、人々が団結してこういう風潮と闘わなければならない。

 「良貨は、悪貨を駆逐」しなければならないのだ。


 
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