浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

歴史的な「秋葉信仰」は、秋葉神社への信仰ではない!

2024-04-29 20:56:33 | 近現代史

1.はじめに
 歌川広重の「東海道五十三次」の浮世絵のうち、掛川(東海道から分岐して秋葉山に向かう秋葉街道の入り口がある)の絵には秋葉三尺坊の鳥居が描かれ、また井原西鶴の『好色一代女』に「三尺坊の天狗」が書かれているというように、浜松市天竜区春野地区にある秋葉山は、全国的に有名な宗教施設であった。


 明治初年までは、秋葉山山頂には秋葉寺があり、聖観音が祀られている本堂、秋葉三尺坊大権現が祀られている秋葉社などがあった。

 ところが明治維新によって成立した政府は、神仏分離・廃仏毀釈を強行し、古代以降の神仏習合思想に基づく伝統的な宗教意識を破壊し、「日本人の精神史に根本的といってよいほどの大転換」(安丸良夫『神々の明治維新』)をもたらした。その大転換は、秋葉信仰を翻弄、変質させただけでなく、大きな分裂を生み出したのである。

 秋葉信仰は現在も存続しているが、近世までの秋葉信仰はどういうものであったのか、さらにどのように変質・分裂させられたのかを知っておく必要はあるだろう。

2.秋葉信仰とは
 近世以降に流布した秋葉信仰の中心は秋葉三尺坊大権現に対する信仰で、その霊験は火伏せ(火除け)であるが、秋葉信仰それ自体を考えていく際には、それ以前のことも考えていかなければならないだろう。

(1)秋葉信仰とは
 これについてはすでに田村貞雄がこれまでの研究をもとに簡潔にまとめているので、それを箇条書きにして示しておこう(「序論ー秋葉信仰研究史素描」、『秋葉信仰』雄山閣)。
・秋葉信仰の発祥は、三尺坊という修験の行者を、その没後大権現として祀ったところにある。
・その三尺坊はもと越後に居住していた。三尺坊が遠州に来る契機は、武田氏と断交した徳川家康が越後の上杉謙信に密使叶坊を送ったことによる。叶坊が、長岡の蔵王堂三尺坊を連れ帰り秋葉山に住まわせたのである。
・三尺坊がもたらした信仰は飯縄信仰である。上杉謙信は飯縄信仰を熱心に信仰した。
・飯縄信仰とは、長野県飯縄山の飯縄大権現への信仰で、飯縄大権現も火防、火伏せの御利益があるとされている。飯縄大権現は白狐に乗った烏天狗で、三尺坊(長野県戸隠・宝光院出身)も飯縄信仰をもった行者であった。
・秋葉信仰が庶民の間に広がり、全国各地に講や常夜灯がつくられるのは、1685年(貞享2)の貞享秋葉祭からである。
 ここでなぜ火伏せが天狗と関係するかというと、それは近世において火事は、天狗の仕業であると考えられていたからで、飯縄大権現も、秋葉三尺坊も、御札の図柄は白狐の上に烏天狗が乗っている。御札を見ると、飯縄大権現と秋葉三尺坊の共通性が見て取れる。三尺坊の死後、三尺坊が信仰していた飯縄大権現が三尺坊大権現として信仰されるようになったのであり、したがって秋葉信仰とは、飯縄大権現にルーツをもつ三尺坊大権現に対する、庶民の火防、火伏せの信仰とまとめることができよう。
 その信仰が、明治維新によって激震に見舞われるのである(後述)。

(2)秋葉山の周辺
 秋葉山に、なぜ火伏せの信仰が発達したのかというと、その背景には焼畑文化があるという。焼畑とは、山野を焼いてその跡を耕作地とするものだが、延焼しないようにうまく鎮火させなければならない。鎮火の儀礼が火の信仰を生み出すのだが、そういう信仰は秋葉信仰だけではなく、愛宕信仰(京都の愛宕神社を中心とする信仰で、祭神は愛宕権現太郎坊で、火防、火伏せの天狗信仰)などがある。火の信仰の担い手として密教系の修験者の活動があり、このように火の信仰は修験道とも結びついていた。遠州地方でも、熊野修験や白山修験の活動があり、とくに北遠地方は修験が活発な地域であった。
 焼畑文化、修験の活動、そのような基盤の上に秋葉信仰が花開いたのであった。

3.神仏分離
(1)神道国教化
 神仏分離の背景にあるのは、神道国教化の動きであった。
 徳川幕藩体制を倒し、新たに新政府を樹立した薩長討幕派は、自らの正統性を担保するものとして、幼い明治天皇を手中においた。天皇を自らの勢力下に取り込むことによって新政府の権威を確立しようとしたのである。ところが明治初期において、天皇の権威はいまだ十分に確立されておらず、政治権力としての正統性を確立するために、新政府は、権力の中枢であると同時に権威の源泉である天皇の神権性を強調し、その絶対性を強調しなければならなかったのである。その手段として取り組まれたのが、神権的天皇制を理論的に支えるイデオロギーとしての神道国教化政策であった。

 天皇家も、仏教から神道へと宗旨替えをした。天皇家の菩提寺は、京都にある泉涌寺であった。天皇や皇族の死に際しては、泉涌寺の僧侶によって葬儀が行われていたのだが、1868年(明治元)の孝明天皇三年祭から神式に改められた。また民衆による伊勢信仰についても、穀物神である外宮の豊受大神に対する信仰が中心で、内宮の天照大神は信仰の対象ではなかった。天皇家についても、歴代の天皇のなかで、伊勢神宮にはじめて参拝したのは明治天皇であり、それ以前には誰も参拝していない。

 神道国教化政策は、国家神道(皇室神道も)の創出とともに、廃仏毀釈としても出現した。

 五ヶ条の誓文発布の前日(1868年、慶応4年)にだされた布告において、「王政復古」、「祭政一致」、「神祇官再興」、「神社・神主・禰宜など」の神職が「神祇官付属」となることなどが公表された。そして別当・社僧などという呼称で神社に勤務している僧職身分の者の「復飾」(還俗=出家した僧がもとの世俗の人に戻ること)が命令され、さらに別当・社僧などは還俗して神主として神勤し、そうでない者は立ち退くことが命じられた。
 その上、以下の布告が出された。

  一、中古以来、某権現(ごんげん)或ハ牛頭天王(ごずてんのう)之類、其外仏語ヲ以テ神号ニ相称候神社不少(すくなからず)候。何レモ其神社之由緒(ゆいしよ)委細ニ書付、早早可申出候事。
  一、仏像ヲ以テ神体ト致候神社ハ、以来相改可申候事。
       付、本地抔(など)ト唱ヘ仏像ヲ社前ニ掛、或ハ鰐口(わにぐち)・梵鐘(ぼんしよう)・仏具等之類差置候分ハ、    早早取除キ可申事。

 当時の宗教状況が神仏習合の状態であることがこの布告からも判明するが、この状態から「仏」を取り除かせようというのである。つまり神仏習合的な宗教施設は、明確に神社にさせるという方向性が示されたのである。

 この頃、奈良・興福寺では僧が残らず「還俗」した。僧侶の一部は神社として独立した春日社に神勤したが多くは離散、また五重塔が25円で売却もされたほどであった。このように、全国各地で廃仏毀釈、強引な神仏分離が行われた。それは、秋葉信仰にも押し寄せてきたのである。
 
(2)秋葉山の神仏分離

 「秋葉神社の創立は、教部省と地方庁の権力をよりどころとした一山横奪にほかならなかった」(『神々の明治維新』159頁)といわれるように、秋葉寺の廃滅と秋葉神社の創立はきわめて強引に、また権力的に行われた。秋葉や寺院であることを主張する者たちを入牢・退去させ、秋葉山に僧侶がいないから「無壇無住ニ付、廃寺申付」としたのである。

 その経緯を年表にすると、次のようになる(高柳光寿「秋葉山神仏分離事件調書」などから作成、『明治維新神仏分離資料』、『神々の明治維新』)。※年表中「復飾」とは、「僧が僧籍を捨てて還俗すること」である。
                                                                                 
│1868│1月17日 │ │維新政府、第一次官制で太政官の下に、神祇科を設置する。      │
│        │2月3日  │ │官制改革により、神祇科は神祇事務局となる。                  │
│        │3月13日 │ │王政復古、祭政一致の布告出される。                          │
│        │3月17日 │A│神社に別当・社僧として神勤している僧職身分の者に復飾を命じる。│
│        │3月28日 │B│権現などを神として祀っている神社はその由緒を提出すること、仏像を│
│        │              │   │神としている神社は改めること、を布告。                      │
│        │              │C│秋葉寺では、由緒書などを提出。内容は、秋葉山は寺院であるとするものであった。                       │        │閏4月4日│D│別当・社僧は還俗のうえ、神主などとして神勤し、そうでない者は立ち退くことを命じる。                     │閏4月19日│ │神職の者は、家族も神葬祭にすることを命じる。                                 
│       │閏4月21日│ │神祇事務局、神祇官となる。                                  │
│       │7月2日      │E│Cに対して、弁事官より尋問したいとのことで関係者の出頭を求める。│
│       │7月3日  │ │秋葉寺は、住持は病気で上京できないと回答、後桃園院の綸旨の写しを提出した。                              
│    │7月4日  │F│秋葉寺役僧が願書を提出。秋葉寺は大権現と唱えてきたが、もともと将軍地蔵菩薩であって寺院で  ある旨の願書であった。              │
│           │        │ │Fに対して、弁事官は大権現が正一位という位階があるなら神社であるから復飾せよ、という命令を出す。                           
│           │7月8日  │ │神祇官、太政官の上に置かれる。                              │
│           │7月28日 │G│秋葉寺は、再度願書を提出する。三尺坊大権現を本尊とせず、聖観音を本尊とする寺院として存続したい、というものであった。        │
│            │        │H│弁事官から、Gの願書が却下される。                          │
│           │8月     │I│Hに対して、秋葉山、復飾猶予を求める願書提出。この件について泉涌寺家来一ノ瀬主殿らに依頼、多額の金員を支払う。              │
│          │10月    │ │Iについて、神祇官役所より1万日復飾を猶予するという通知。   │
│1869        │        │J│神祇官から静岡藩に対し、秋葉山の復飾結果につき調査を命じる。│
│             │6月7日  │ │Jに対する報告を静岡藩提出。(報告書残存していないので内容不明)│
│          │7月     │K│静岡藩、復飾猶予の許可(I)が偽りであったことを報告。      │
│          │9月     │L│修験17院のうち6院が、秋葉山を神社として、復飾を願い出る。「秋葉権現神社ト改号仕、純粋之神道を以奉仕度奉存候」。この願書を出した後、修験6院は山を下り、「脱走法師」と呼ばれた。                 │
│         │10月    │M│秋葉寺、11月16日の祭祀をどのようにすればよいのか伺いを神祇官に出す。                                             │11月    │N│秋葉寺は、「脱走法師」に秋葉山を渡さないため、速やかに復飾する旨の願書を神祇官に提出。静岡藩もそれを後押しする。            │
│        │11月8日 │ │神祇官、秋葉寺(高林庵)を呼び出し、10月、11月の願書(M、N)について却下することを伝えた。                                │
│         │11月    │ │神祇官、神社か仏寺かの調査を静岡藩に命じた。                │
│1870  │3月     │ │可睡齋、秋葉寺が仏寺であることについて、静岡藩を経由して弁官に提出。                                         │         │4月13日 │ │Kの偽りの復飾猶予についての一ノ瀬らが流罪となり、秋葉寺役僧らも処罰されることとなった。 
│         │5月24日 │ │秋葉寺役僧2名が、刑部省に呼び出され、謹慎を命じられた。     │
│         │10月3日 │ │静岡藩、調査結果を神祇官宛に提出した。その内容は、秋葉山は神社に決定すべきであろうが、神社であるか仏寺であるか分明できないので、朝裁を仰ぐとしながらも、修験方の申し出を否定し、仏寺とすることが至当であるとするものであった。                              │
│1871│               │ │廃藩置県によって静岡藩はなくなり、この地方は浜松県の管轄になった。│
│1872│2月15日  │ │浜松県、神祇省(神祇官が改称)に対して、秋葉山を神仏いずれかにするか決定してほしいという伺いを提出。                        │
│         │3月     │ │教部省(神祇省が改称)から回答くる。「秋葉大権現之儀、慶応3年12月27日、神階正一位ヲ被授候事故、向後秋葉神社ト称シ可申事」。なお神階授与については、授与されたのは浜松の秋葉社であって、秋葉山ではないという主張がなされた。                                  │
│        │5月17日 │ │浜松県、秋葉山に対して仏器・仏具などを取り除くように命令を出した。
│        │5月23日 │ │神社にしたいと願い出た元修験らに、神仏分離の実行を命じた。  │
│        │5月         │ │元修験ら、寺僧が三つの内一つしか鍵を渡さない、一部は仏器を取り除いたが、全山取り除くかどうか、神仏混淆のお守りを登山者に渡して良いかどうかなどの伺いを行った。                              │
│        │        │ │浜松県からの回答。神殿の奉仕だけしていればよく、そのほかのことについては、追って連絡する。      │        │11月15、16│O│元修験ら神式祭具をもって祭祀を行うために登山したところ、寺僧らが妨害して下山させた。                                       
│     │11月29日│ │浜松県、小国神社の世襲神官でもあり山住神社の祠官であった小国重友を秋葉神社祠官の兼務を命じた。                             
│1873 │1月2日  │ │伊藤泰治ら小国の推薦で、社務雇となった。                    │
│      │1月7日  │ │Oの件を、元修験らが訴え出たことから、寺僧方、元修験方の双方入牢。│
│      │1月9日  │ │大区長ら、小国重友、犬居村戸長ら秋葉山に登り、取り調べを行う。│
│      │1月11日 │ │元修験ら釈放、宿預かりとなり、秋葉寺役僧2名が入牢。         │
│      │2月3日  │ │浜松県、秋葉寺を廃して、僧侶の下山を命じ、宝蔵雑庫等を封印、鍵を可睡齋に預けさせた。秋葉寺の従者らを小国に預けた。          │
│      │2月28日 │ │浜松県は、従者らを可睡齋に引き渡し、秋葉神社に宝蔵雑庫の鍵を渡した。                                                  
│      │3月17日~│ │分離のための調査が行われた。                                │
│      │3月26日 │ │浜松県から大江孝文が出張し、小国に社務条例を下付し、祠掌らを任命した。仏体、仏具などを可睡齋に引き渡し、可睡齋住職から「秋葉寺廃寺」の請書を差し出させた。「右者無壇無住ニ付、廃寺申付候条、此段相達候也」に対して「右御申渡之旨畏候也」                    │
│      │5月27日 │ │千人長屋焼失。(建物については、観音堂、奥院、一切経蔵を可睡齋へ。│
│        │        │ │仁王門は神社の神門となる。鐘楼は破壊し、鐘は売却。)        │
│      │5月28日 │ │秋葉神社で、神式の神事を行う。                              │
│      │5月     │ │浜松県参事石黒努、秋葉神社から三尺坊を可睡齋へ移動させた旨の諭告を発する。参詣者が大きく減ったことによる。                  │
│      │11月14日│ │秋葉神社神殿炎上。                                          │
│      │12月    │ │奥院不動堂の調査。                                          │
│1874  │1月     │ │奥院不動堂の仏器・仏具を可睡齋に引き渡した。                │
│1879   │        │ │可睡齋で、三尺坊威徳大権現の堂舎建立。                      │
│1880│           │ │秋葉寺再興。聖観音は秋葉寺に渡すも、三尺坊は可睡齋に留め置く。│
│    │            │L│神社側の主張  秋葉権現というのは秋葉山という山にあるからである。祭神は火伽具土神で太古より鎮座している。山麓18郷は「愛宕」という。「三代実録」には、「貞観16年5月10日正六位上岐気保神従五位下」とあり、「遠江風土記伝」には、「山香郡岐気保神」とあって、山香郡廃して周知郡となり、岐気郷転じて気田郷となった。永仁年中三尺坊という修験者がきて、神職であった祖先らも修験道になって大善院加納坊というごとく院号を唱えるようになった。加納坊は浜松秋葉村に移転した。家康より下された判物にある別当光幡は大善院のことで、光幡の子光達は早く死去したため、留守居に曹洞宗の僧を頼んだところ、その僧が謀を巡らして書類を盗み出して別当職になった。その後秋葉寺として存続している。                                                    │

 以上のような経過から、現在秋葉山の山頂には秋葉神社が祀られ、中腹には再興された秋葉寺があり、神仏分離の際に秋葉寺から移された三尺坊を祀る可睡齋(秋葉総本殿)が袋井市にある。それぞれが自らの正統性を主張しているが、秋葉神社の説明は牽強付会といわざるを得ない。

 秋葉信仰は、三尺坊に対する信仰であって、それ以外ではない。

《参考文献》
    田村貞雄監修『民衆宗教史叢書31 秋葉信仰』(雄山閣、1998年 )
    安丸良夫『神々の明治維新ー神仏分離と廃仏毀釈』(岩波書店、1979年)
    静岡県教育委員会『静岡県歴史の道 秋葉街道』(1996年)
  その他の文献については、上記の文献に紹介があるので、それを参照していただきたい。

 

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【本】村山由佳・朴慶南『私たちの近現代史』(集英社新書)

2024-04-29 13:55:39 | 

 とてもよい本である。対談本なので読みやすい。しかし内容が濃い。

 対談本というのは、読みやすいのでさっさと読みとおしてしまうが、一度読んだら読み返すことはなく、しばらくたったら時代遅れとなって捨ててしまうものが多い。私は対談本を何冊も読んできたが、読み返すことはせず、本を処分する際には真っ先に処分してきた。

 だがこの本は、もう一度じっくり読んでみないといけないと思った。読みやすいのですらすら読めるが、ところどころに重要な指摘がある。その指摘にしるしをつけることなく読んできたので、もう一度読まなければならない。

 村山由佳の本は、伊藤野枝の『風よ あらしよ』だけ読んだことがある。この本については高い評価を与えたことがある。栗原康のいい加減なものではなく、『風よ あらしよ』は、明らかになった事実をもとに構築されたもので、基本的には史実とも合致している。なぜ歴史家でもない村山がきちんとした史実をもとに描くことができたのか、その背景が本書に記されていた。校閲をきちんとやっていた、ということだ。校閲の担当者が国会図書館に通い続けて史実を調べ上げて、村山を助けたようだ。

 本書は今年刊行されたものだが、対談自体は2023年に行われた。言うまでもなく、関東大震災100年の年である。関東大震災のとき、多くの朝鮮人・中国人が虐殺され、また大杉栄、伊藤野枝、橘宗一も虐殺され、さらに亀戸事件もあった。そして村山が『風よ あらしよ』を著したから、当然1923年のことが語られている。この本のよいところは、ただ単に記憶によるのではなく、朴が書物に書かれていることを読みあげながら対談していることだ。単なる語り合いではない。

 対談の内容はそれだけではなく、日本社会に巣くう諸々の病理について語り合う。またそれぞれの生きていた筋道をも語り、その点でもいろいろ考えさせられる。

 書きとどめることをここに書くことができればよいのだが、さっと読みとおしてきたのでそれがかなわない。

 この連休、読んでみてはいかがかと思う。ユーチューブチャンネルの佐高信の番組で、この著者二人との対談もあり、理解が深まるだろう。

 

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メディアの罪

2024-04-28 21:30:55 | メディア

 新聞やテレビは、ときに大きな犯罪を犯す。空疎な人物を祀りあげ、さもすごい人だともちあげる。残念ながら、多くの人々は、テレビに出ている人をじかに見ることが好きのようだ。私はそんな趣味を一切持っていないが、あるときちょうど浜松駅を通りかかったとき、余りに多くの人が集まっていたので驚いたことがある。その時は有名人(タレントか政治家か忘れた)が、浜松駅に来るというので一目見たさに集まっているということだった。

 メディア、とりわけテレビは人を画面に映し出すことによって(テレビは多くの場合、空疎な人物をとりあげる)、その空疎さを消し去るような効果を引き出す。テレビに出ていた人だから、空疎な人物ではないだろう・・・・というように。

 東京都知事の小池某も、何の定見もない目立ちたがり屋だけの空疎な人物だとみている。空疎だから、彼女のことばは重みを持たない。都知事として、彼女は何ごとかをなし遂げたかを振り返るとき、何もないことがわかる。たとえば満員電車を「ゼロ」にすると言っていたが、今ではそんなことを口にすることもない。「築地を生かす」と言っていたが、あそこはスタジアムが建設されて巨人軍が本拠地にするという案が出されている。

 空疎な人物を祀りあげたのがメディア、とくにテレビである。しかしメディアは反省しない。自民党や統一教会などと同じである。

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「無料点検」

2024-04-28 12:27:45 | 社会

 今日の『東京新聞』記事に、「「無料点検してあげる」からの…屋根工事トラブル急増 5年間で2.4倍 防犯意識の高まりに付け込む」があった。

 何年か前に、わが家にもやってきた。近所で工事があったので、ついでに見てあげる、という口上だったように記憶している。

 当時、わが家は屋根をパナソニックのルーガにかえたばかりなので、お断りした。若いお兄さんの二人組で、はしごをとりつけた軽自動車のバンでやって来た。断っても、屋根を見ながら、ズレているというようなことを言って不安を持たせようとしていた。私は、わが家のもろもろの工事は、すでに依頼するところが決まっているということを言って引き下がらせた。

 私は基本的に自分で出来ることは自分でやることをモットーにしていて、できないことはTさんに依頼することできている。Tさんに依頼すれば、工事に対応する業者を連れてきてくれる。

 だまされないためには、工事を依頼する業者は決まっているから、と言うのも効果的だろう。

 しかし隣家はだまされて、点検料3000円を払ったそうだ。

 

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替え歌4連発

2024-04-27 19:45:57 | 政治

1-自民党あるある替え歌

2-自民党あるある替え歌

3-自民党あるある替え歌

4-自民党あるある替え歌

 

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これでも見てみよう!!

2024-04-27 19:05:00 | 政治

増税のうた(高田渡「値上げ」カバー曲)

自民党岸田総理「キックバックの歌」

キッシー キッシー

もう一つ 

 

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ユニークであること

2024-04-26 19:46:23 | 社会

 ぼくは、大学の入学式も卒業式も参加しなかった。幼い頃から、「式」というものがいやだったから参加するつもりは最初からなかった。

 「式」というのは、当該の領域での上下の秩序を明示し、それを確認する場となる。入学式や卒業式は、高いところに「えらい」人たちが並び、「えらい」人たちがスピーチをする。

 日本国家というのは、すべての学校の「式」を全国的に画一化した。壇上に「日の丸」を掲示し、「式」の開始とともに「君が代」を歌わせ、校長のあいさつ、PTA会長挨拶、卒業式では生徒の送辞・答辞を読ませ、校歌を唱わせ、そして退場する。

 ところがユニークな「式」をやっている大学がある。全ての学校が創意工夫にあふれた「式」をやればいいのに。そしたらぼくも参加するだろう。

 学校は、すべからく生徒・児童・学生の創造性を引き出すべきだ。

 

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試されている日本国民

2024-04-26 08:34:40 | 政治

 消費税は10%、ガソリン代はあがり、介護保険料もアップし、ありとあらゆる物品の価格が上昇している(「5月に予定される食品の値上げは400品目程度と、2800品目だった4月と比べて一服する。ただ、5月以降、電気・ガス料金は政府補助金の減額に伴い上昇する。円安も一段と進んでおり、秋ごろからは輸入品などの値上げが再燃する兆しも。家計の負担が和らぐことはなさそうだ。」『東京新聞』記事より引用)そして使い勝手が悪いマイナ保険証の使用強制などなど。その一方で、自民党議員の裏金はいっさい何の税も課されず政治家の懐に全額が入る。

 これでもか、これでもかという悪政が続く。今後、65歳まで年金を払い続けさせる、つまり5年間で100万円を収奪しようとしている!!そういう政策も企まれている。

 政治権力者は、おそらく日本国民は抵抗しないと思っているのだろう。どんな悪政をしても、日本国民は抵抗しない、それほどまでに手なづけてきたという自信をもっているのだ。

 政治権力者は、もちろん自らと自分自身のお友だちには高額の収入を保証し、すり寄ってくる者には税金からカネをばらまき歓心を買う。政治権力者は、国民には少しのカネをばらまけばついてくると思っているのだろう。あのマイナンバーカード騒動の時、ポイントがつくと報じられたら役所に国民が殺到したことを思い出す。

 少し前、テレビ局に勤めている友人と話したが、共通の結論は、この悪政の打開策を見つけられない、ということだった。

 はたして、日本国民は、抵抗精神をもっているのかどうか。

 

 

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静岡県知事選のこと

2024-04-24 21:49:29 | 政治

 静岡県知事選に関する報道が増えている。大村慎一候補は、中部の経済界と自民党が推薦し、SUZUKI康友候補は浜松の経済界、連合、立憲民主党が推薦する。こうなると、保革対決という図式が描かれるかもしれないが、決してそうではない。

 大村候補は官僚出身で保守そのもの、ではSUZUKI候補はどうかといえば、絶対に革新ではなく、保守である。SUZUKI候補は、浜松市長時代はSUZUKIのトップである鈴木修の操り人形であったし、市長選ではあの元首相の菅義偉が選挙応援に来ていた。地方自治における住民自治に対する理解はなきに等しく、公共水道の民営化を進めた人物であり、また行政改革という名のもとに市職員を大幅に減らし、公共的な仕事の民営化を推進した。まさに新自由主義的政策を展開した。

 そういう人物を、静岡県の立憲民主党(静岡県の立憲民主党は保守としかいいようない!)が推薦するのはわかるが、立憲民主党の中央も推薦するというが、やっぱり!と思ってしまう。

 私としては、どちらにも投票するつもりはない。

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皆さん、岸田首相のアメリカでの演説、知っていますか?

2024-04-23 13:06:42 | 政治

 とにかく読んでみてください。

米国連邦議会上下両院合同会議における岸田総理大臣の演説
「未来に向けて ~我々のグローバル・パートナーシップ~」
(令和6年4月 11 日)

コメント (1)
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れいわ新選組のデモから思ったこと

2024-04-21 20:41:00 | 社会

 昨日、浜松市の中心部をれいわ新選組のデモがあった。私は知らなかったが、友人がその一部を送ってくれたので、ユーチューブの「れいわ新選組」にアクセスして見てみた。せっかく正しい主張をしながらデモっているのに、中心市街地に市民がいない。市民の多くは、浜松に二カ所あるイオンショッピングモールに行っていることだろう。休日は、そこの駐車場はいっぱいだと聞いたことがある。私は混雑するところは大嫌いなので行かないが。

 浜松の中心市街地も、他の都市と同様にさびれてしまっている。あるのは飲み屋くらいなもの。私自身、中心市街地にはほとんどいかない。二ヶ月に一度演劇を見に行くときだけとなってしまった。

 浜松市政は、中心市街地の活性化に熱心ではなかった。浜松商工会議所という組織があるが、これは「工」が主になってしまっている。SUZUKIの本社があるからで、その関連企業がたくさんあり、商業者は力をもたない。

 もうずっと前だが、浜松市が中心市街地活性化の計画をつくらないのでなぜかと聞いたことがある。SUZUKIのトップである鈴木修が、中心市街地が活性化しなくても良い、と言っているから、ということであった。

 今度静岡県知事選に立候補している鈴木康友という前浜松市長は、鈴木修の言うがままの行政を行ってきた。というより、そういう市政をさせるために、鈴木修が擁立した人物が鈴木康友なのである。だから私は、挙母町が豊田市になったように、浜松市がSUZUKI市になってしまうのではないかと思ったほどだ。

 軽自動車メーカーのSUZUKIにとって、郊外に駐車場を備えた大ショッピングセンターができれば、軽自動車が売れるというわけだ。郊外のそういうところには、車で行くしかない。ついでにいえば、遠鉄の赤電で容易に行くことが出来る現在の浜松球場をなくして、交通アクセスが悪く、車でしか行けないところに新浜松球場を県などのつくらせれば、SUZUKIにとってはプラスになるだろう。

 鈴木康友が県知事になれば、静岡県はSUZUKI県になるのかもしれない。その鈴木康友を、連合静岡や立憲民主党が推薦するそうだ。連合静岡や静岡県の立憲民主党も、SUZUKI系ということだ。

 もう一人の候補者は、統一教会党=自民党が推薦するという。私にとってはどっちもどっち。棄権するか、白票を投ずるか。おそらく後者だろう。

 れいわ新選組のデモで、山本太郎が主張していたことは、すべて賛同する。まともな政党である。

 

 

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政治の舵取り・・おバカばかり

2024-04-20 11:33:35 | 政治

 アメリカの言いなりになる隷属国家・日本、アメリカ軍事産業にカネを贈るために、時代遅れの軍需品を大量に購入する、その額ナント43兆円。しかし、その計画を策定したときの円ドルは一ドル=108円だったというのだ。

 ところが現在は、一ドル=155円。アメリカへの献金額は膨大となる。さて岸田自民党・公明党政権はどうするか。

 簡単なことだ、増税、増税、増税、増税・・・・・・・である。

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「絶望の自民党依存体質」

2024-04-20 09:05:07 | 政治

絶望の「自民党依存症」【白井聡 ニッポンの正体】

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収奪国家を担う自民党・公明党政権

2024-04-20 08:54:41 | 政治

 年金の掛け金を、65歳まで払わせるというたくらみ、「子育て支援金」を払わせるという仕組み、国民健康保険加入者には、たくさん払わせるということだ。

 次々と出されてくる国民からカネを巻き上げる収奪策、ただでさえ諸物価が上昇し、生活が苦しくなっているのに、日本政府は、国民が抵抗しないのをいいことに推進しようとしている。

 それでもなお、国民は統一教会党=自民党、創価学会党=公明党を支持し続けるのか。

 政府だけではない。地方自治体も、ごみの有料化など、住民の負担をより増やそうとしている。

 政府や自治体の支出をみればわかる。国民や市民への支出を減らして、企業への補助金は殖やしているのだ。企業への補助金を増やせば、その企業の従業員も自民党や公明党を支持してくれると、彼らが思っているからだ。

 ちなみに、浜松市を中心に展開している遠鉄ストアの従業員には、先の選挙の際、公明党に投票することを促したという。

 これほど収奪されているのに、まだ自民党や公明党に投票するのか!!自分で自分のクビを絞めることになるに。

 

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【本】若桑みどり『女性画家列伝』(岩波新書)

2024-04-19 19:32:06 | 

1985年に発刊された本で、今まで書庫に眠っていた。花粉症などの薬が切れたので、病院に行く必要が生じ、しかし病院では最低でも一時間は待たされるので本を持っていこうと目についたのがこれ。

 日本の女性画家は、上村松園、ラグーザ・玉、山下りんの三人が紹介されている。山下りんはロシア正教会のイコンを描いた画家として知っていたし、また上村松園は有名でこの人の絵は何度も見ている。知らなかったのはラグーザ・玉である。ただ、知っているといっても詳しくは知っていないので、新たに教えられたことも多い。

 上村松園は独身であるが子どもがひとりいたこと、宮尾登美子が松園のことを新聞小説で書いたこと、「日本は一貫して個人には興味がな」く、作者は女性を「性的対象として興味を」もつのだが、松園の美人画は、「性的対象」としてではなく、「はじめて生活している女を描」いた。松園の絵は、「彼女が、生きられなかった女の生を描いている」という。

 ラグーザ・玉は、西欧彫刻を教えに来たラグーザと結婚し渡欧。玉は、絵画の才能を花開かせ、数々の受賞歴をもつ。1927年夫が亡くなったことから帰国を考えるがローマの日本大使館は拒否、それが契機となって日本語を失う。1933年に帰国した。

 全部で12人の女性画家が紹介されているが、私はケーテ・コルヴィッツに関心を持った。彼女にとって「美しいもの」とは、貧しき人びと、労働者、老人などであり、決してイデオロギーで描いたのではない。若桑は「イデオロギーが先行するとき、芸術は死ぬ。芸術とは恐ろしく人間的なものであり、徹底して美的なものである」と書くが、ケーテ・コルヴィッツが版画で描いた人たちを、彼女は「美しいもの」ととらえ、だからこそ描いた。彼女の版画は、韓国や中国の抵抗の版画などにつながっている。

 一冊の本を読むだけで、いろいろなことを教えられる。知らなかったことを知るようになる。若桑は『ケーテ・コルヴィッツ』という本を書いている。読んでみようと思う。

 とても良い本である。

 

 

山下りんは、

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