浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

Gメールのあざとさ

2016-03-24 09:24:18 | その他
 ボクは、hotmailやGメールも使っているが、Gメールはなかなかあざとい。Gメールは、ボクの所に入るメールが、メイン、ソーシャル、プロモーションの三つに分離されている。書店などからの新刊案内はこのプロモーションに入る。いちおう点検するのだが、そのメールの上にいつも二つくらいの宣伝メールが貼り付いている。邪魔だから右隅にある×印をクリックして捨て去るのだが、その際上部に、なぜ見ないのかその理由をお聞かせくださいというアンケートがある。それをクリックすると、そこにも宣伝がある。
 Gメールは、無料で使わせてあげるから、こうした宣伝メールを見なさいと誘導する。あざとい商法だ。
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現世は生きるに値しないのか

2016-03-24 08:43:17 | 社会
 ブリュッセルでのテロ事件、何の理由もなく多くの人が殺された。一瞬のうちに命を奪われた人々の無念さを想像する。なぜ自分が・・?殺されなければならないのか。まさに不条理である。

 ところで、テロ事件を起こした者たちの年齢は20代である。この若者たちには、生きるべき未来はなかったのだろうか。自らの肉体を、爆弾もろとも木っ端微塵にして自らを「無」にしていく。もちろんイスラムの教えには、死後の世界の存在があるのだろうが、とはいっても現世は生きるに値しないのだろうか。
 アラビア系の人々がヨーロッパに移住してきたのは1960年代だそうだ。それから半世紀にもなるのに、多くのアラビア系の人々は差別と貧困のなかにある。その差別と貧困は、1980年代以降の新自由主義経済の席捲の中で、さらに強められたことが想像される。
 おそらく閉塞感を感じながら生きていたのであろうし、輝かしい未来を思い描くこともできなかったのだろう。
 テロをなくすためには、こうした現状を変えていくという努力が必要なのだ。病は、その原因を除去しないと治癒しないように、社会の病もその源をさかのぼることが必要なのだ。

 ところで、島薗進が「新宗教の救済思想とその変容ー現代不安論」という論文を書いている(『シリーズ戦後日本社会の歴史2 社会を消費する人びと』岩波書店、2013年)。
 日本社会に近代になって出現したいわゆる「新宗教」の特徴を紹介しているのだが、創価学会や天理教、PL教団などは「現世志向性という特徴、また死や来世への関心の薄さという特徴」があるとする。現世に幸せや豊かさを求めるというのだ。

 ところが、「新新宗教」、統一教会や幸福の科学、オウム真理教などは、「現世から離脱することや、現世外の霊的世界での生に高い価値を置こうとする傾向が見られる」というのだ。「今生きているこの人生の価値が低く見られている」、「現世(現代社会)の秩序や人間関係に親しみが薄」く、そしてそこに「集まる人びとがお互いに話し合うのではなく、ひたすらビデオを見てそこに現れる指導者と向き合」うように、「あいかわらず孤立化している個々人が身を守る固い殻のようなものになってい」て、「共同性へと発展していかない」のだという。

 つまり日本社会でも、「現世離脱的」な傾向が、とくに若者たちにあるのだという。「新新宗教」に、若者の割合が高いからだ。

  現世は生きるに値しないか、という問いをたてるとき、現世に絶望を感じて擬似的な「現世離脱」を図るのか、それとも現世を生きるに値する社会に変革していこうとするのか。
 もちろん若者の役割は後者であり、それが歴史を創造してきたのである。ボクは今でも、それを信じている。
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