浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

3月11日

2016-03-11 11:05:47 | 社会
 今日の『中日新聞』第一面に、津波に襲われたまま佇んでいる石巻市大川小学校の写真が掲載されていた。ボクも、この小学校を訪れ、あの瞬間から時間が止まった校舎を見て、ことばを失った記憶をもつ。そこではたくさんの命が失われた。子どもたちが津波に呑み込まれ、消えていった。何という無残、何という残酷。

 明日も、明後日も、意識することなく、生き続けることを当たり前としていた人びとが、一瞬のうちに死の世界に呑み込まれていった。突然の死を迎えることを認識することもなく・・。もっと生きることができれば、こういうこともできたのに・・などという感慨は持てなかった。

 だから、あの惨状を知っているボクたちが、津波に呑まれていった人びとの明日、明後日を想像することが必要なのだ。

 5年前のこの日、ボクは今と同じように、2階の自室にいた。突然、静かな横揺れを感じた。その揺れは、緩慢であったのだが、しかし地震であることを感知させられ、家の外へ出た。近所の方々も外に出て来た。「地震だね」「大きいんじゃないか」などと語り合いながら、家の中に入りテレビをつけた。しばらくすると、テレビの画面に、黒々とした津波が街々を呑み尽くすあの姿が出現した。沈黙しながら、見続けた。衝撃だった。自然の力を見せつけられた。いても立ってもいられなくなった。何とかしなければならない。

 ボクは、5年前のこの年に仕事をやめた。時間に拘束される人生がいやになっていたからだ。そして、若い頃からの夢、「世界を見て死ぬ」、「世界を知る」ために、海外を放浪しようという気持ちを持っていた。もちろんそれは「人のため」ではなく、まったく自己満足のためであった。人にも、やめて何をするのかと尋ねられれば、「世界各地を訪問する」ことを語った。

 しかし、3/11の大震災を見て、ボクはその夢を捨てた。そういう人生を送るのは、あの津波に呑まれていった人びとに申し訳ないと思ったからだ。それ以後、国境からでたことはない。
 ただ、死ぬ前に行かなければならないところがある。韓国の光州である。全斗煥政権により多くの市民学生が虐殺された。そこへ行きたいという望みだけは今もある。韓国には関釜連絡船で行きたい、戦時下、多くの朝鮮人が、釜山から下関に連行されてきた。その海を見たいと思い続けている。飛行機では何度も行っているが、とにかく船で行きたい。海の上で、連行される朝鮮人の恐怖などを想像したいのだ。それは許されるだろうと思う。

 そして原発事故。しかし、事故に関わる重要な情報がメディアからはほとんど流されなかった。放射能がまき散らされる。実際放射能は、福島から海へ、陸へ、そしてこの静岡県にも風に乗ってやってきた。その情報が届かない。
 ボクはあちこちからそうした情報を、日本国内だけではなく、海外からの情報を、このブログで発信し続けた。その頃のアクセス数は、ものすごかった。多くの人々が、知らなければならない情報を求めていたのだ。

 今も、原発関係の本が次々と出版されている。ボクのところにはその関係の本が大きな二つの袋に集められている。原発事故を理解しなければならない。原発事故によっていかに多くの人々が苦しめられているか知らなければならない。
 原発事故は、またもや、あの1945年に終わった戦争と同様に、日本の無責任体制を露呈した。何と言うことか。日本は変わっていないのだということがはっきりと示された。なぜ日本はかくも無責任な国家に成り下がったのか。おそらくそれは近代日本国家のなかに内蔵されているとボクは思っている。明治国家を礼賛する向きもあるが、その明治国家の作られ方に、この無責任体制が組み込まれているのではないか。足尾鉱毒事件のとき、ものすごい被害が出されたのに、鉱毒を流し続けた古河は責任をとったか。鉱毒を流すことを規制しなかった明治国家が責任を取ったか。被害者を被害者のままに、犠牲をさらに押しつけることに終始したのではなかったか。もっとも責任ある者が責任を負わずにいる日本。許せない!!そうしたあり方が今も尚続いている!

 ボクは、自然はきわめて政治的だと思っている。そして自然は、その支配体制に味方していると。なぜなら、阪神淡路大震災は社会党の村山内閣の時に起き、東日本大震災は、民主党政権のときに起きている。悪事を働き続けている自民党が政権についていないとき(村山内閣は自社連立だが)に、大震災は起きている。原発推進も自民党、公明党が行ってきた。彼らはボロを出すことなく今に至る。

 怒り。怒りが足りないと思う、日本人は。福島の人は、もっと怒ってよいのだ。大震災で大きな被害を受けた人びとも、自然災害だから仕方がないと思うのではなく、こうして欲しい、こうしなさいと要求すべきなのだ。声を上げることが必要だ。

 5年目の3月11日。
 
コメント (1)
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