浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

農に生きる

2016-03-12 20:18:14 | 社会
 今日のTBS「報道特集」は、福島県飯舘村長泥地区のことを取り上げていた。農に生きていた人々が、5年前、村を離れることを命じられた。別のところに家をたてた人、未だ避難者用の住宅に住んでいる人・・・多くの人々は、もう飯舘には帰らない、という決意を固めた。

 飯舘村長泥地区の現在の様子が映されていたが、農地には草が生い茂り、所々に黒い塊が積み上げられていた。

 まだまだ放射能は強い。帰れない。たとえ帰りたくても、いつ帰ることができるかわからない。
 
 雑草に覆われた農地、この農地をもう一度回復させるとすると、膨大なエネルギーが必要だろうなと思う。

 ボクが農業を始めてから5年。農業はなかなか感動的だ。からだを使うが、自然を思い切り感じることができる。今日も、雑草をとったり、キャベツやブロッコリー、ほうれん草を収穫、そしてあいたところを掘り返してきた。
 
 小さな種を蒔く、するといつの間にか土の中から小さな芽を出し、それが生長し、実をつけたりする。人工的な時に刻まれることなく、自然の寒暖にしたがいながら。

 飯舘村に帰れない人々、帰らないことを選択した人々は、日々をどう過ごしているだろうか。
 農に生きていた人々にとり、土に触れずに無為な時間を過ごすこと、人工的に刻まれた時間を生きることは、拷問に近いだろうと思う。

 生活のすべてを奪った原発。原発政策を推進した者たちは、生活を奪われた人々の苦しみに思いを馳せているだろうか。
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ボクはへそ曲がり

2016-03-12 11:37:50 | メディア
 朝日新聞に高橋純子という人がいる。最近、「だまってトイレをつまらせろ」というコラムを書いた。このことばは、政治学者のタマゴである栗原康のもので、そこから借りてきたのである。

 ボクは、栗原の文をしばしば読まされている。ボクが読むマイナーな雑誌などに彼が書いているからだ。一度彼の講演も聴いたことがある。しかしボクにはまったく合わない語りであった。また彼が書いたものも、自己中心的で、そのテーマについて書いたモノなのか、それとも自分自身のことを書きたいのか、まったく判然としないという代物で、また彼の主張は荒唐無稽、無責任な内容が多い。彼はみずからの収入が少ないことを言い、収入が少ないから自由に生きよという。ではボクは尋ねたい、あなたの生存を維持できているカネはどこからでているのですか、と。おそらく親がかりだろうと思う。自由に生きるためにも、みずからの生存を維持できるだけの収入は確保しなければならない。「働かないでたらふく食べたい」というのは、空想でしかない。

 彼、いつもお金に関することを書いたり、語ったりする。お金がなくても自由に生きろ?カネにもっとも執着しているのは、あなたではないですか、とボクは言いたい。

http://tababooks.com/tbinfo/kurihara_int_1

 その栗原の無責任なことばを引用したと言うことで、高橋が非難されている。たとえば、

http://diamond.jp/articles/-/87771?utm_source=weekend&utm_medium=email&utm_campaign=doleditor

 その他、Googleで検索するといっぱい出てくる。

 まあボクは栗原の無責任な放言は絶対に使わないけれども、おそらく高橋は栗原の文をそんなに読んだことはないのだろう。

 高橋の「だまってトイレをつまらせろ」というコラムは、確かに論旨明快ではない。要するに、お仕着せのルールに黙って従うのではなく、みずからが自由に選びとる生き方を推奨したかったのだろう。それはそれでいいではないか。

 この文に関係させて、高橋は「朝日新聞」の象徴のようにされて叩かれている。そうなると、ボクは彼女を擁護したくなる。安倍政権を盲目的に支持している輩が彼女を批判し、揚げ足を取り、「朝日」攻撃の手段としている。

 いいではないか。盲目的に安倍政権を支持している人たちが喜ぶような記事ばかり載せていたら、それはそれで新聞を発行する意味がない。新聞には、いろいろな論調があってよい。時には、「何これ?」もありなのである。野球だって、直球ばかり投げていては面白くもない。様々な変化球が投げられるから面白いのだ。

 高橋の「社説余滴」。これなんか、いいじゃないか。


「いざという時」が来た 高橋純子

2015年7月3日05時00分


 黄色いプラスチックケースの上に乗り、小雨降るなかマイクを握ったその人の頬は、心なしか紅潮していた。

 「若い諸君の力強い声、いきいきした姿に接して、この国のいまと未来にもう一度、私は自信を持ちました」

 憲法学の重鎮、東京大名誉教授の樋口陽一さん、80歳。先々週の金曜日の夜、10代、20代前半の大ログイン前の続き学生らが結成した「SEALDs」が主催する、安全保障関連法案への国会前抗議行動に参加した。街頭に立ったのは、44年前、弁護士会のメンバーと仙台駅頭で裁判官の再任拒否に抗議して以来2度目だという。

 2004年に、取材でご自宅を訪ねた時のことを思い出す。前年にイラク戦争が開戦、戦後日本が問い直されている時に、何をどう考えるべきか、粋な和服姿で縦横に語ってくれた。ただ、時事問題に関して、紙面ではコメントしないという姿勢は一貫していた。「でも、いざという時が来たら、街頭に立って、ミカン箱の上にでも乗って、演説しますよ」

 「消費」されることを避け、発言の「重み」を保持しておきたいということだろうと理解した。一方で、まだ若く、血の気が多かった私は「それって、行動しない知識人の言い訳なんじゃない?」と疑った。そういう人はきっとずっと「まだまだ」と言い続けるに違いない、と。

 だが、「いざという時」は来た。

 「不真面目な人たちによって、戦後日本が営々と築き上げてきたものが解体される瀬戸際にある」「それに甘んじることは、我々が辱められること。跳ね返しましょう」

 場が沸き、拍手が起こる。「デートをキャンセルして来た」と言う女子大学生。「首相に勉学意欲を刺激され、賢くなっている」と皮肉る男子大学院生。「私たちが目指す平和は『平和安全法制』の中にはない」「国民なめんな!」「勝手に決めるな!」。これからを生きる世代の言葉と、これまでを生きた先達の言葉が路上で混ざり合った。

 畑を耕す人。種をまく人。水をやる人。民主主義は手間と時間がかかり、経験則はあっても「正解」はない。誰も世話をしなければ枯れ、多くの人が手をかければ、いつか実がなる。その「いつか」を信じる人たちがいま、「私の言う通りにすれば間違いないぞ」とうそぶく政治権力に、自分なりの言葉とスタイルで対峙(たいじ)しようとしている。

 (たかはしじゅんこ 政治社説担当)
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