浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

文化遺産の継承

2011-02-28 21:00:19 | 日記
 『芸術新潮』という雑誌がある。今月号の特集は画家・岡本太郎だ。岡本太郎は、大阪万博会場にあった「太陽の塔」の制作者だ。その岡本についての100の Q and A が特集である。岡本太郎については、知っておかなければならない。

 岡本は、「いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ」というようなことばを吐くような、強烈な個性を持った芸術家である。彼から学ぶことはものすごくたくさんある。

 岡本太郎の美術館は、二つある。

http://www.taro-okamoto.or.jp/

http://www.taromuseum.jp/
 
 なぜ二つあるかは、上のサイトにアクセスしてほしい。

 そして今年は岡本太郎生誕100年。そのHP。

http://taro100.jp/

 さらに東京国立近代美術館で岡本太郎展が開催される。近代美術館は、地下鉄東西線で竹橋で降りる。毎日新聞社本社前から信号(内堀通り)を渡って北の丸公園の方に行く。なおその隣に国立公文書館がある。ここは近現代の行政関係の資料が収集され、誰でも見ることができる。近代史を勉強する人は、一度は行っておくべきところだ。そのアドレスは、下に掲げた。

http://www.archives.go.jp/

 ここには私は何度か行っている。

 話はそれた。国立近代美術館で、岡本太郎展が開かれるその案内。

http://taroten100.com/index.html

 岡本太郎の絵も衝撃的であるが、彼が書いた文章もまたすごい。そのエネルギーに圧倒されながらも、私は彼からエネルギーをいただく。

 また私は“ノン”という彫刻が好きだ。その写真を掲げておいた。

 大学生になったら、時間を見つけて音楽や、美術、演劇など、一流の芸術を鑑賞しよう。人類の知的遺産を継承するのも、君たちの役目だ。

 私も、岡本太郎展には足を運ぶつもりだ。



 


 
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この本を読んだ②

2011-02-27 14:49:13 | 日記
 崔善愛『ショパン 花束の中に隠された大砲』(岩波ジュニア新書)を読みました。ショパンは、もちろんポーランドの作曲家です。「幻想即興曲」、「子犬のワルツ」などでとても有名です。

 ショパンのエチュードに「革命」という曲があります。この曲は短いながら、一度聴くと忘れられません。崔さんはこう記しています(93)。

 この曲の左手(低音パート)は地響きのようにうねり、まるで奈落の底に落ちていくような絶望感に満ちています。そして右手のパートは、まるで天に向かって手を突き出し、またときにうなだれ、慟哭の声をあげているようです。

 ショパンはこの曲を作曲したとき、彼の祖国ポーランドではロシアに対するワルシャワ蜂起が失敗に終わった情報を聞いたときだったそうです。

 19世紀のポーランドは、ロシアとプロイセン、そしてオーストリアの強大な帝国に囲まれていました。主にロシアとプロイセンがポーランドを蹂躙していました。誇り高いポーランド人は、何度も何度も自らの民族の独立をはかり抵抗しましたが、隣国の強大な軍事力に何度も抑えつけられていました。

 ショパンは、そういうポーランドの独立を自らもその一員となって闘いとろうとしていました。したがって、ショパンの音楽は、ただ単なる音楽ではなく、祖国ポーランドの厳しい歴史を背景としたものなのです。

 あまりに美しいショパンの曲は、メランコリックで抒情的で・・・まさに「ピアノの詩人」と呼ばれるとおりのものです。しかしその音楽の後ろには、ポーランドの独立を求める強靱な意志が込められているのです。

 それを知っている音楽家はこう書いているといいます。

 シューマンはー

 もし北方の強力な専制君主が、ショパンの作品にはマズルカのような簡単な曲の中でさえ、危険な敵がひそんでいることを知ったなら、音楽などきっと禁止されてしまっただろう。ショパンの作品は、花のかげに隠れた大砲である。

 リストはー

 ショパンの《ポロネーズ》のいくつかを聴くと、運命が持ちうるあらゆる不正なものに、勇敢にそして大胆に立ち向かう人間の、断固として重々しい、というような形容では表し得ぬほどの足音を聞く思いがする。

 そういうショパンを、ピアニストの在日韓国人の崔さんが、自らの民族がおかれた歴史と崔さん自身の指紋押捺に抵抗した体験を背景に描いた本です。

 ショパンの音楽を聴いたり、ショパンの生涯について部分的によんだりしていますが、きちんと知らなかったことが多いことに気づきました。最低限ショパンに関する知識が、崔さんからの視点から丁寧に記されています。

 ショパンの音楽は、もちろんCDを買えば聴けますが、インターネットでも十分です。radio chopinサイトにアクセスすれば、ほとんどの曲を聴くことができます。


 http://www.radiochopin.org/ 

 なお岩波ジュニア新書は、中高校生に向けて書かれた本ですが、大人が読んでも有益な本がたくさんあります。片っ端から読んでみましょう。 


 
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何をするか⑤

2011-02-27 00:22:04 | 日記
 今年の大学卒業者の就職内定率は70パーセント未満。三人に一人の就職先がない。惨憺たる状況だ。生まれた年によって就職できるかできないかが決まるというのは、理不尽である。

 社会の理不尽さを少しでもなくしていくことが、若者の責務である。そのために諸君は学ぶのだ。

 さて、就職ができないというとき、もちろん経済社会情勢が大きな背景にあることは事実である。しかし状況が悪いからといって、その状況に負けているわけにはいかない。とにかく生きていかなければならないのだ、私たちは。

 今日TBSの「報道特集」という番組を見た。土曜日の午後5時30分から毎週やっている。おそらく諸君は見たことはないだろうが、良質な番組である。低俗テレビは見ないで、しっかりと見るべきものは見よう。あとはたとえば、日曜日夜NHK教育テレビでやるETV特集(22時から)。これもきわめて良質だ。

 「報道特集」で、秋田市にある国際教養大学の就職状況をやっていた。ほとんどが一流企業に就職しているとのこと。求人に企業側が秋田市までくるという。

 http://www.aiu.ac.jp/japanese/

 24時間、大学の講義から私生活までほとんどを英語で過ごす。テキストも英語である。そして1年間、どこかの国に留学するという。そうなると、おそらく英語は完璧に話せるようになるだろうし、もちろん読み理解することができる。ここの学生には遊ぶ暇はないようだ。

 別に一流企業に就職できれば良いというものではない。しかし、ある能力をきちんとつけることは必要だ。そのためには、遊んでいてはダメだ。日本の大学は入学は厳しいが、入ってしまえばラクだ。そうなると、水が低いところに流れるように、学生も楽な方にどんどん流れていってしまう。遊びに遊んでおいて、さあ就職だといっても、それは甘いといわざるを得ない。

 大学4年間に本を大量に読むことは当たり前。大学の教育課程を修めるのも当たり前。だがそれだけでは不足なのだ。

 英語の本を読み、英会話もできる。自分の意見もきちんと言える。あるいは英語以外のことばもしっかり勉強し、三つないし4つのことばを自在に操ることができるようになれば、就職は一発合格だ。そういうような能力をつけよう。

 最近亡くなられた歴史学者(専攻は日本近世史)の林基氏は、英語、ロシア語、ドイツ語、フランス語、オランダ語、ポルトガル語、スペイン語、中国語、朝鮮語、イタリア語、ラテン語を読むことができたそうだ(斎藤純「林基氏の生涯を振り返って」、『歴史評論』2011年3月号)。こういう語学の達人もいる。短期間に一気にやることがコツだそうだ。私はもちろんできなかった(私が若い頃は、グローバリズムは進展していなかった)が、諸君はできるだけ頑張ろう。

 歴史を学ぶ場合は、古文書をすらすらと読めるようにしよう。そういう能力が高ければ、就職先は生まれてくるだろう。ただし、古文書を読めるだけではダメだ。

 古文書を地域で学ぶグループが全国各地にある。だからそれに参加している人びとには、古文書をものすごく読むことができる人がいる。しかし、歴史学の本をきちんと読んでいないので、その読むことができた史料を位置づけることができない。したがって、歴史を学ぶ者はその両方を学ばなければならない。

 大学は、学ぶところである。

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伎倍復刊第5号

2011-02-26 09:05:40 | 日記
 昨日、印刷屋さんに『伎倍』復刊第5号の原稿を渡しました3月中旬にはできあがるそうです。版下はこちらで作成するので、印刷屋さんは印刷と製本をするだけです。そうすると価格を低く抑えることができます。版下まで作製してもらうと倍以上のお金がかかるでしょう。

 私は、ワープロソフトは、ジャストシステム社の「一太郎」を使っています。
 ウィンドウズができる前からPCを使用していますが、その頃PCを購入すると、一太郎とlotus-123という表計算ソフトが最初からついていました。ただその頃は、「一太郎」ではなく「新松」というワープロソフトを使用していました。しかし「新松」はウインドウズというOSにのせることができなかったようで、いつの間にか消えてしまいました。そのため「一太郎」を使い始めたのです。

 最近PCを購入すると、wordとexcelがついてきます。excelは表計算など、とても便利です。excelでコンピュータグラフィックもできます。しかしワープロソフトであるwordは不便です。変換がワードより簡単にできるし、一太郎文書をワード文書とすることもできます(保存するとき、そのように設定すればよいのです)。一太郎は高いと思うなら、変換を容易にするためにATOKだけ買ってもよいと思います。ATOK for Windows Mobile なんかもよいかもしれません。

http://www.justsystems.com/jp/

 さて一太郎文書に、挿入を使って写真を貼り付けていきます。挿入した後は、どこにでも移動させることができるし、画像を小さくすることもできます。そういうようにして、印刷するだけでよい版下をつくりました。それをPDFファイルにして印刷屋に渡すのです。文書をPDFファイルにするソフトがあります。私は2年前に「ジャストスイート」を購入したのでそれについていました。ヴェクターに無料ソフトがあるかもしれません。

 http://search.vector.co.jp/vsearch/vsearch.php?key=pdf+%E5%A4%89%E6%8F%9B
 
 なおマイクロソフトのofficeソフトはなかなか高い。ジャストシステムのソフトはマイクロソフトと互換性が高く、excelに対応して「三四郎」がありますが、「三四郎」で作製したファイルを保存するときにexcelで保存すると、まさにexcel文書となります。ただしまったく一緒かというと、たとえばexcelでマクロを設定した文書を、「三四郎」でそのままいくかどうか、やったことがありませんからわかりません。普通の文書ならまったく問題はありません。

 ジャストスイートには、Agreeというマイクロソフトのpowerpointに対応するソフトもあり、これも互換性があります。


 ジャストシステムのソフトを宣伝しましたが、日本語入力はこちらのほうが絶対に便利です。完成した「伎倍」をみてくれればよいと思います。

 なおこのブログに対応したメールアドレスは、hamanashigaku@mail.goo.ne.jpです。





 
 
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この本を読んだ①

2011-02-25 10:33:08 | 日記
 TAMAYOの『コメディ+LOVE TAMAYO的差別の乗り越え方』(解放出版社)を読んだ。なぜ読んだか。今年の静大人文学部推薦入試の課題図書・桜井裕明『差別言論』(平凡社新書)を読み、その巻末に差別問題を考える際に必要な文献案内があり、そこに記されていた本だ。この文献案内に記されている本は、読みたくなる本が多い(次は『屠場文化』を読もうと思う)。

※なお静大人文学部がこの本を課題図書にしたことは、評価したい。

 さてこの本は、話題になった本である。なお、もう16年前に発売されたもので店頭にはないと思い、市立図書館にあるかどうかを調べたところ浜北図書館にあったので借り出した(今日東図書館に返すので、浜北図書館に帰っていくかどうかはわからない)。

 TAMAYOさんは、アメリカに住むコメディアンだ。言うまでもなくアメリカは人種差別の国だ。アメリカ民主党が健康保険制度を導入しようとしているが、それができない背景には人種差別が厳然として強い力を持っているからだと思う。
 そのアメリカでアジア人のTAMAYOさんが生きていくのであるから、差別の対象にならないわけがない。しかし彼女は、その差別を逆にギャグにしていく、差別を笑い飛ばそうとするのだ。

 彼女はこう記す、「差別を乗り越えるにはね、精神的に、差別する奴のもっと上に立って、それを高にから笑い飛ばせばいいのよ。笑い飛ばすっていうことは、これは余裕や。つまり、自分自身や自分の人生に誇りを持つことや」と。

 そして「(誇りを持つのは)すごーーーく難しいことやけど、正しく生きて、人を許し思いやる心を持つように努力しているだけで、誇りは勝手に湧いて出るわよ。」

 彼女は、Get over it!(乗り越えろよ)、Better than never(気づいたときに正せばいい!)、What`s eating you up?(何が君を食い荒らしているんだ?=嫉妬したりやっかんだりしている人に、そうしているのはあなた自身なんだよ、だから嫉妬なんかやめなさい)という英語を書き記している。

 なるほどね。

 簡単に読めて、ところどころ考えさせられるところがある。しかし、紹介されている彼女のジョーク、あまり面白くなかった。差別を笑い飛ばすという内容のコメディは、難しいところがある。

 図書館で読んでみよう。
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正確な知識

2011-02-24 18:59:27 | 日記
 以下の記事を、別のブログで書いた。


 すでに、イラクのフセイン政権は、大量破壊兵器も持っていなかったし、2001年9月11日のアメリカの「同時テロ」(私はアメリカの自作自演を今も疑っている)にも、アルカイダにも全く関係なかったことが証明されている。

 しかしアメリカのイラク攻撃の前、ブッシュ政権の主要人物は、執拗にウソをつき続けた。ウソをまき散らすことで、アメリカ国民をだまし、戦争に動員して殺し、さらにイラクの多くの人びとの命を奪った。

 次のビデオを見てほしい。そこには「真剣に」ウソを言い続ける姿が示される。

http://downloads.leadingtowar.com/film/flvs/japanese/video_player02.html



 以上のようなことをブログに書いたら、「ひ」という人物から以下の投稿がなされた。


 >私はアメリカの自作自演を今も疑っている

 先生が真珠湾攻撃はアメリカの陰謀だったと信じているような、レベルの低い陰謀論者とは存じ上げませんでした。




私はそれに対して、次のように応えた。

 2001年の「同時テロ」についての記事であって、1941年の真珠湾攻撃について書いたものではありませんよ。なお、ルーズベルトは事前に真珠湾攻撃を知っていたという説はありますが、私はそれを信じているわけではありません。真珠湾攻撃について、私はここで何も書いていません。

 「ひ」という人物の投稿は、残念ながら大変恥ずかしい。おそらく浜名関係者であろうが、事実誤認も甚だしい。まず真珠湾攻撃を2001年だと認識している。そしてまた私は、「真珠湾攻撃はアメリカの陰謀だった」なんて一行も書いていない。真珠湾攻撃は、言うまでもなく日本軍が攻撃を仕掛けたのだ。この真珠湾攻撃とその1時間前のマレー半島コタバルでのイギリス軍との戦いによりアジア太平洋戦争は始まり、1945年まで死闘が繰り広げられた。日本軍が先制攻撃をかけたことは歴史上の常識。

 ただ、アメリカ・ルーズベルト政権は、日本の真珠湾攻撃を事前に知っていて、それに対応することなく攻撃させ、アメリカ国民にRemember Pearl Harbor!という意識を創り出したという説がある。しかしこれについては確かな史料が存在しないようだ。日本軍の攻撃があることは予想していたとは思うが、真珠湾攻撃までわかっていたかどうか。

 このことについては、手近に入手できる本としては、吉田裕『アジア・太平洋戦争』(岩波新書)がある。参照してほしい。

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海外旅行

2011-02-23 22:25:44 | 日記
 ニュージーランドの地震によって、日本人の中でも行方不明になっている方々が26名という報道がある。心が痛む話だ。クライストチャーチとはキリストの教会であるから、崩落した大聖堂がメインの町である。ニュージーランド観光の目玉で、観光ガイドには必ずその写真が載っている。そういうところに最も大きな被害が出た。

 何とか早く救出してほしいと思う。行方不明者のなかに、看護師さんがいる。海外ボランティアにもしばしば参加し、将来はアフリカで働きたいと言っていたという。死なせてはいけないと思う。もちろんそのほかの人もだ。

 この地震により、海外旅行はやっぱり危険、と思った人もいるだろう。そうかもしれない。だが日本にいても、地震の危険性や交通事故に遭う危険性もある。危険性の存在は、どこにいてもそうかわらないと思う。

 人間生きていく上で、冒険心は必要だと思う。私も、中国の奥地に一人で(といってもガイドをつけてだが)行ったことがある。中国人留学生から危ないから、といわれたところだ。しかし無事に帰ってこれた。

 私の息子は、アメリカに行きたいというので、アメリカは危険(人種差別、銃社会の国!)だからカナダにしなさいと言って送り出した。そしたらカナダからアメリカ合州国に入り、東海岸や西海岸はもとよりニューオーリンズまで行き、途中荷物を盗まれながらも、帰ってくることができた。アメリカの各地からメールが送られてきたのだが、地図で見ると「こんなところを!」と驚いたものだ。彼はそれで大きな自信をつけたのだろうと思う。


 地震に遭う確率というのはそう高くはない。日本にいた方が確率は高いのではないかと思う。

 なお、韓国には地震はないという。ただし以前、手抜き工事のビルが崩壊したり、橋が崩れたりしたことがある。

 危険はいろいろなところに潜在している。その危険をうまい具合に乗り越えたり避けたりしながら、人間は生きているのだと思う。

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「なる」と「する」

2011-02-22 17:50:24 | 日記
 日本人は「なる」ということばをよくつかう。たとえば自然現象についてだと、「だんだん温かくなる」というように。人知では致し方ない場合、「・・・なる」をつかうのである。たとえば「頭が痛くなる」。「勉強しなくなる」というときは、その理由がよくわからないので、こういう言い方をするのだ。

 冬が寒いのは毎年のことであって、「寒くなる」けれども、ストーブなどで「暖かくする」のである。「する」ということばは、何らかの主体的な行為(ここで「作為」ということばを使いたいのだが、慣れていないと思うので「行為」を使う。でも「作為」ということばに慣れてほしい。「作為」とは、一般的には「人が自分の意志で作り出すこと」という意味で使われる)を表している。しかし自然現象の「なる」という場合、作為はほとんど考えられない。

 さて社会現象でも「なる」ということばをつかう。「非正規労働者が多くなる」、「日本社会は少子化になる」、「年金がなくなるかもしれない」、「交通が便利になる」、「給料が低くなる」・・・

 しかし社会現象の場合は、自然現象の場合と異なり、その背後に作為がある。「非正規労働者が多くなる」という背景には、非正規労働者(派遣労働者など)を民間企業が雇用して良いという法律(労働者派遣事業法)などが制定され、その対象業務がどんどん拡大され、小泉内閣の時に普通の製造業でも可能となったことから、企業が正社員を雇用するのをやめて、派遣労働者を雇用するようになった。正社員を雇用すると、企業は給与以外に健康保険の掛け金や年金の掛け金なども納めなければならず、非正規雇用だとそういう経費も削ることができる。さらに景気によって派遣労働者を増やしたり減らしたり自由にできる。しかし正社員の場合は、簡単に解雇できない。つまり企業にとっては非正規労働者は使い勝手が良く、また経費削減になるのである。そういう政策をおこなったことにより、非正規労働者が増え、年金の掛け金を納める人が減り(今一ヶ月の掛け金は1万五千円くらい)、年金制度の危機が叫ばれているのである。

 社会科学というのは、社会現象の背後にある「なぜ?」を解明するところにその目的がある。なぜ過疎が進むのか、なぜ地方の財政は苦しいのに東京都の財政は豊かなのか、なぜ浜松の中心市街地はさびれるのか・・・・・・私たちを取り巻く否定的な社会現象について「なぜ?」と問い、その解を見つけ出すために本を読み、考え、現地調査をし、その結果をまとめていくのだ。

 勉強とは、ただ単に本を読めばいいというものではない。きちんとした課題意識をもって勉強するのである。そこに必要なのは、今より少しでも良い社会を創造していくという意志である。
 
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意志が道を切り開く

2011-02-21 20:09:41 | 日記

 大学受験に関して、私は謙虚さを強調しました。模擬試験で合格可能性がA判定であっても、受験の際には謙虚な気持ち、「受験します。よろしくお願いします」というような心構えで受けなさいと諭しました。

 自分は合格するから・・・という姿勢で受験して、残念ながら失敗した人もいました。

 傲慢さは、捨てなければなりません。もちろんプライド、人間としての誇りは持つべきです。しかし傲慢と誇りとは異なります。傲慢は、上から目線でものごとを捉えることです。誇りは、自分自身の生を支える杖のようなものです。

 傲慢さは、見えるべきはずのものを見えなくさせます。傲慢な気持ちで受験をすると、注意深さを失います。大学受験の問題をみればわかるように、受験問題には受験生にミスをさせようという意図を持ったものがたくさんあります。傲慢な気持ちを持った人は、その罠に引っかかってしまうのです。自分ではできたと思っても、実際はできていないのです。

 傲慢を捨てて、謙虚に取り組まなければなりません。謙虚さは、実は、努力の原動力です。「私は今これくらいの力しかない、しかし努力すればあそこまでは行けるだろう」ということになるのです。謙虚であることは、現在持っている自分自身の力を客観的にはかるということでもあります。自分自身を見つめることでもあります。何がわかっていて(できて)、何がわかっていないか(できていないか)、そういうことを自分自身に問うことでもあります。そこから、わかろう、できるようにしようという意志が生み出されるのです。

 つまり、謙虚さは、努力しようという意志を生み出すのです。

  
 私は、人間の意志の力は大きいと思っています。強い意志を持って取り組むと、思いの外結果はよいものになります。

 私の例を記しましょう。私が発見した兵士の手紙(日中戦争下、中国の各地で中国人を殺戮したという内容)について、各所からウソだろうとか、偽造するな・・・などと非難されました。当時の手紙ですから史料としては一級です。偽造でもウソでもありません。しかしそれでも私は、その手紙に記されていることが事実であることを証明しようとして二度訪中しました。

 私は絶対に手紙の内容が事実であったことを証明するぞという強い意志を持って中国に行きました。その結果、その兵士が駐屯した銀行の建物を発見しましたし、それ以外でも、いろいろな発見をしました。

 強い意志は現実を動かすという感覚を、私は何度も体験しています。何事かをやりとげようというとき、ひるむことなく(絶対に退いてはいけない)、強い意志をもって進んでいけば必ず良い結果がでます。

 皆さんは、これから、いろいろなことを研究していくことでしょう。

 たとえば中山間地域にまとわりついている過疎の問題をどう解決していくか、を考えようとするとき、先進的な事例(たとえば長野県栄村)を参考にしながら、必死に地元の人びとと考え続ける(地元の人びとから教えを受けることでもあります)ことで、何らかの光が見えてくるのではないかと思います。

 謙虚さと強い意志があれば、必ず前へ進みます。T君、まちづくりのために強い意志を持って取り組んでください。










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社説

2011-02-20 10:06:14 | 日記
 今日の『中日新聞』の社説を読んだ。この『中日新聞』、東京では『東京新聞』である。値段は『東京新聞』のほうが安い。
 
 社説や新聞のコラム(たとえば『朝日新聞』の「天声人語」など)は大学の入試問題にも出題される。出題頻度は『朝日新聞』がもっとも高かった。しかし今、『朝日新聞』の社説やコラムを書く人びとの筆力は落ち、また主張する内容も品性や熟考したあとの見えないつまらないものがほとんどだ。

 社説はコラムは、今や全国紙(『朝日』、『読売』、『毎日』、『日本経済』、『産業経済』)よりもブロック紙(『北海道新聞』、『中日新聞』、『中国新聞』など県域を越えて発売されている新聞)や県紙(『静岡新聞』のようにひとつの県内だけで発売されている新聞)のほうがよくなっている。沖縄の県紙である『琉球新報』や『沖縄タイムス』は、問題意識も鋭く考えさせられるものが多い。

 今や、全国各地の社説やコラムは、インターネットで読むことができる。この点ではインターネットの普及は喜ばしいことだ。

 さて今日の『中日新聞』の社説。

  「優しさは知ることから 週のはじめに考える」という題だ。

********************************************************************************************************************

 障害のある人が暮らしやすい社会にしようと、国での話し合いが正念場を迎えています。障害のない人がある人のことを知る。それが第一歩だと思います。

 あるいは失われずに済んだ命だったかもしれません。

 今年一月、東京のJR山手線目白駅のホームから落ち、四十二歳で亡くなった全盲の武井視良さんのことです。ホームには、目の不自由な人に危険を知らせる点字ブロックが敷かれていました。それでも武井さんは転落したのです。

 無知から生じる残酷さ

 なぜ落ちたのかと思い、武井さんと同じ全盲の上薗和隆さん(59)を伴って現場を見ました。彼は靴底でなんべんもブロックを踏み締め、突起がほとんど感じられないと指摘したのです。そして言いました。「視覚障害者にとって点字ブロックは敷設されているだけではだめなのです。きちんと機能しなくては意味がないのです」

 ハッとしました。同じ社会に暮らしながら、視覚障害者の世界を知ろうともしてこなかったことに気づかされたからです。それまで点字ブロックはありふれた風景の一断片にすぎませんでした。

 JR東日本は目白駅の点字ブロックを取り換え、首都圏のホームを点検し直しました。問題のありかが分かれば気配りできます。

 ホームに電車が近づくと「黄色い線の内側まで」下がるようにと放送が流れます。「視覚障害者用の点字ブロックの内側まで」と流せば、見慣れた風景の中で点字ブロックが意味を帯びて浮かび上がります。小さい子も学ぶきっかけになるでしょう。

 人は生来優しい存在のはずです。ただ、無邪気な子どもがそうであるように、無知や無理解や無関心がときに人を残酷な存在にしてしまうことがあるのでしょう。

 障害を価値に変える

 今でも障害のある人の六割が差別を受けたり、偏見を感じたりしているという国の調査があります。二〇〇六年、千葉県は全国に先駆けて障害者差別をなくす条例をつくりました。そのときには八百以上の差別や偏見の事例が寄せられました。悲しい現実です。

 ちょうど同じころ、障害のある人もない人も平等に暮らせる社会にしようと、国連で障害者権利条約が採択されました。日本は〇七年に署名し、今はその批准を見すえた法律づくりが正念場です。

 障害のない人を物差しにしてつくられてきた社会の仕組みが、障害のある人につらい思いをさせています。それは段差だったり、点字のない書類や手話のない会議だったり。病院や施設にがんじがらめにされたりもしています。

 障害のある人も、ない人と同じように学校や職場、地域で自立して活動できるよう仕組みを改め、その権利を保障しようというのが条約の考え方です。

 ホームから落ちたりするのは、目や足の不自由な人よりも、酒に酔った人がはるかに多いのです。ドアや柵をつければ、障害のある人はもちろん、ますます増えるお年寄りや子ども、酔っぱらいまでみんなの安全につながります。

 障害のある人にとって優しいまちづくりとは、結局みんなに優しいまちづくりなのです。だからこそ、障害のある人の世界をみんなが知ることが大事なのです。

 その半面、千葉県の条例づくりに携わった全盲の高梨憲司さん(62)は、障害のある人の情報発信の大切さも説いています。「障害のことを一番よく知っているのは障害のある人自身です。生活のしづらさを周りに伝え、社会づくりに貢献すべきです。それは障害をプラスの価値に転じて活躍することでもあります」

 東京の中野区立中野神明小学校で、七十人近い四年生を集めて出前授業が行われました。やってきたのは、脳性まひでずっと車いす生活の尾上浩二さん(50)です。

 幼いころは手と足にスリッパを履き、はって泥んこになって友だちと野球を楽しみました。小学生時代は独り養護学校(現特別支援学校)に通い、近所に友だちはいませんでした。親や先生の話し合いで通うことができた普通の中学校では、音楽室や美術室まで友だちが負ぶってくれたそうです。

 優しさが芽吹くとき

 子どもたちの柔らかな思いがつづられた手紙が、尾上さんのもとに届きました。「将来困っている人を助ける仕事をしたい」「大きくなったら障害のことを調べてみたい」「障害のない子と野球をしたことが心に残りました」-。

 尾上さんは「障害があっても人との関わり合いの中で、いろいろな活動ができることが伝わって良かったです」と話しています。

 国での法律づくりでは、障害のある人とない人が同じテーブルに着いています。私たちの身の回りでも障害を知り、知ってもらう営みが重みを増す時代です。

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http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2011022002000013.html

たいへん良い内容の社説である。私も、下線を引いたところにあるように、まさに「無知や無理解や無関心がときに人を残酷な存在にしてしまうことがある」のだと思う。だからこそ、現実は知らなければならない。

 そして「障害のある人にとって優しいまちづくりとは、結局みんなに優しいまちづくりなの」だということも、少し考えてみればよくわかる。浜松市の駅周辺は、車の通行を優先させるために、歩く人びとを地下道に誘導していた。私はこれを強く批判していた。浜松駅に降りた、たとえば車いすの人が、目の前にある郵便局に行こうとするとき、単独で行こうとするとかなり大回りをしなければならなかった。少しは改善されたが、駅から郵便局に行く最短距離は、今も地下道を利用するしかない。それからばすもそうだ。車いすでも乗れるという「オムニバス」となってはいるが、バスに乗るためには一度地下に降りてそれからバスターミナルに行かなければならない。階段とエスカレータしかない。車いす利用者にとってはものすごく不便である。エレベータがあればよいのだが。

 私は20年ほど前イギリスに行ったことがある。地下鉄に乗るとき、エスカレータではなくエレベータに乗る。車いすでも可能だ。道路を横断するときはもちろん地下道や横断陸橋などなく、信号だ。それも押せばすぐに青信号にかわる。これがあるべき都市構造だと思う。

 車優先の都市構造を、車いす利用者や老人にとって優しいようにつくりかえれば、私たちも地下道を降りなくてもよくなる。人間いつまでも健康ではない。誰でも年をとる。

 考えなければならないことはたくさんあるのだ。




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何をするか④

2011-02-19 22:16:02 | 日記
 今日、畑を耕した。この冬、ほうれん草が厳しい寒さに耐え、たくさん収穫できた。今も畑には緑のほうれん草が、収穫を待っている。

 収穫し終わった畑を起こし、肥料を加え、次の作物を植えつける準備を行った。次はじゃがいもを植えつけるつもりだ。ジャガイモについては『ジャガイモのきた道』(岩波新書)という本がある。ポテトチップスを食べるなら、こういう本を読んでおいた方がよい。ジャガイモは南米の作物であった。それが世界へ広がる中で、貧者を救い、飢饉をなだめ、今でも私たちの生活を支えている。

 いずれにしても、私たちは何かを食べなければ生きていけない。農業に従事している人口は、日本では圧倒的に少なくなっているが、しかし農業があってこそ私たちの生存は維持されるのだ。私は農業を軽視することは許されないと思っている。

 私には畑も水田もある。水田は近所の人にお願いしているが、土にまみれて食物をつくるという仕事はある意味で神聖な職業であると思う。若い人たちは農業に目を向けることはないだろうが、農業の重要性についてはしっかりと頭に入れておいてもらいたい。

 なぜ日本の農業従事者に若い人びとが入っていかないかというと、その理由の一つは農業だけでは生活を維持できないからだ。私は、神聖な仕事である農業については、しっかりと国家が援助して、その育成を図るべきだと思う。世界的な食糧危機の到来が予想され、穀物をはじめとした食料が余剰資金の投機の手段とされるなど、食糧問題はきわめて重要な問題だ。経済を学ぼうとする諸君は、この問題も考えるべきである。

 学問は現実と離れて存在するものではない。

 最近TPPへ参加すべきだという主張があるが、もし参加すると日本の農業は壊滅的な状況になる。こういう問題にも目を向けるべきだと思う。

 










 
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何をするか③

2011-02-18 18:04:52 | 日記
 高校生の時、大学生に向けての歴史学者T氏の講演を聴いたことがあった。そのなかで、氏はこのようなことを語っていた。

 あなたたちは、大学に行く。もちろんあなたたちの親たちが学費を払っているだろう。しかしそのお金だけでは大学を維持していくことはとうていできない。皆さんと同じような年齢の人たちで働いている人たちもいるだろう。彼らは働いて税金を納めている。その税金の一部が大学の維持のためにつかわれている。つまり、あなたたちが大学で勉強できるということは、多くの働く人びとに支えられてはじめてなし得ることなのです。

 この話は、とても重要だと思う。大学生になったら思いっきり遊ぼうなどと考えている人もいることだろう。君たちと同じ世代の若者が厳しい労働に従事している、また全国で無数の人びとが働いている、働く人びとを想起しながら学生生活を送ろうではないか。

 そのためにまずしなければならないことは、学ぶことだ。国民の負託をうけて、君たちは学ぶのである。

 さて、そろそろ生活が落ちついてきている人もいるだろう。それなら本を読もう。

 まず読んでもらいたいのは、五味川純平の『人間の条件』(岩波現代文庫)である。全3巻だから、長い。しかしその長さが気にならないくらい、次は、次はと、次を読みたくなるというすばらしい本だ。主人公は、大きな歴史の流れの中で様々な誘惑や苦難に遭遇するのだが、みずからの良心を裏切らないように一生懸命に生きる姿が描かれている。大変感動的な本だ。ボクが第一に薦めるのがこの本だ。全三冊・1365円×3だから、かなり高額になる。図書館で借りても良いし、とにかく読んでほしい。


 ボクは性善説に立っている。人間には必ず良心というものがある。たとえば混んでいる電車のなかで、目の前に高齢者の方が立っているとき、「席を譲ろうか、どうしようか」と悩むことがある、悩んだ末に席を譲る。こういうことは、人間の心の中に良心というものが存在していることを示す。

 自らの良心を鍛えることが、若者には必要だと思う。そこから「正義」とはなにか、を考えていくことができるだろう。 


 





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何をするか②

2011-02-17 19:31:49 | 日記
 自宅から通学する人は、合格したからといって遊んでいてはいけません。

 私の反省を皆さんに話しておきましょう。

 おそらく大学入学時は、もっとも英語の力がついているのではないかと思います。今はどうなっているか知りませんが、第一外国語と第二外国語を大学では学ばなくてはなりません。第一外国語は普通は英語、第二外国語は自主的に選択することになっています。したがって、大学に入っても英語は使いますし、専門の講義が始まると英語の本をテキストにして勉強することもあります。
 残念ながら、世界にはたくさんのことばがありますが、英語が世界共通語になっています。昔、世界共通語をつくろうと、エスペラント語というのがありましたが、これはなかなか広がりませんでした。しかたなく、英語を共通語として学ばざるをえません。

 大学入試では英語がもっとも重視されると、うるさく言われたと思います。だから英語はもういいよ、などという人もいることでしょう。

 しかし、やはり英語は重要です。それはいろいろな国の人とコミュニケーションするとき、英語を使わざるを得ないからです。私もスペインに行ったとき(もちろんスペイン語は話せません)、英語で意思を通じ合いました。韓国で、私がてがけた裁判の支援を求めるために韓国の若い人と話したときも英語でした。
 
 また、英語の本を読むことができなくてはいけません。私は英語の発音にはあまり頓着せず、英語の文献を読めるようになりなさいと言いたいと思います。私は、大学を卒業してから英語の文献を読まざるを得なくなりました。大学に入ってからあまり英語の勉強をしなかったので(特に大学3年生から。1、2年生の時には外国語の授業があります)、英語の力がものすごく落ちていました。だからこの点では大いに反省しているのです。

 大学に入ったら、英語力を、とくに英語の文献を読む力をもっともっとつけることです。単語を知っていれば、会話にも有効です。

 今からでも、英語の文献を読みましょう。勉強のために購入した問題集、そのなかでも長文読解のものは有効です。なお、英語力を育成する奥の手もあります。それは問い合わせがあった場合のみお知らせします。

 インターネットでも、ニューヨーク・タイムスやワシントン・ポストなどのアメリカの新聞、BBC(イギリスのNHKのようなところ)のホームページ、アルジャジーラ(中東の通信社 アドレスは、http://english.aljazeera.net/)などがあります。、ニューヨーク・タイムスやワシントン・ポストは登録しないと記事の全文を読めません。無料ですから登録しましょう。

 私が時たまアクセスするところは、JapanFocusというところです。

  http://www.news-pj.net/

 他にもありますが、それらは後に紹介しましょう。












 
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合格の知らせ

2011-02-17 18:09:26 | 日記
 続々と合格の知らせが届いています。嬉しい限りです。新しい門出に大いなる夢を持っていることでしょう。

 合格したら、まず入学の手続きをしましょう。それなしに大学生活は始まりません。また遠くの大学へ入学する際は、住居も準備しなければなりません。

 住居はとてもお金がかかります。まず普通の不動産屋を通すと、敷金、権利金、礼金などと言う悪しき慣習があり、これがバカになりません。T先生やA先生は、自分の子どもが大学にいったとき、レオパレスを利用したと言います。家具もついているようです。そうでなければ、つまり普通のアパートの場合、蛍光灯やカーテンまでも自分で買わなければなりません。部屋には何もありません。電気やガスがきているだけです。この点については、しっかりと調べましょう。

 さてそれが終わったら、新生活の準備です。まず自宅から出る人は、お母さんから簡単な料理の手ほどきを受けておきましょう。外食はカネがかかります。私は朝晩はほとんど自分でつくっていました。食費にできるだけお金をかけないようにする、しかし自分の健康を維持しなければならない、そのバランスをとるためには自分でつくる、外食は人件費が入っているから高くつくのです。自分でつくるとあまりお金はかかりません。そこで浮いたお金で文化的な活動をするのです。

 ※都会へ行く人は、コンサートや美術の展覧会など、積極的に一流の文化を享受してください。こういうものは見たり聴いたり するだけで身につかないのではないかと思う人もいるでしょうが、そんなことはありません。必ず精神的な豊かさを与えてくれ ます。T先生もA先生も、そしてボクもよく展覧会には足を運んでいるのですよ。一流の文化は、音楽や美術でも、必ず精神の栄 養となります。文化にも一定のお金をつかうことです。それは自分自身への投資でもあります。

 言っておきますが、コンビニ弁当ばかり食べていてはだめです。コンビニ弁当ばかり食べている人に、健康な人はいません。もちろんカップヌードルなども食べ過ぎないように。


 

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何をするのか①?!

2011-02-16 17:38:17 | 日記
 大学に入ることができた!と喜んでいても、高校生活の3年間が短く感じられたように、大学4年間もあっという間に過ぎてしまう。そうならないために、ただ漠然と大学生活を楽しもうなんて思っていたら、何もできないうちに終わってしまう。せっかくの自由な4年間を有意義につかおう。

 何をするか、きちんと計画をたてよう。

 まず海外旅行は必ずすること。韓国でも、台湾でも、中国でも、もちろんヨーロッパでもよい。どこでもよいから海外に行こう。そして行く場合は、しっかりと事前の勉強をすること。歴史や観光スポットなど。せっかく行くのだから、事前の勉強は必須である。国内旅行なら旅行先でいろいろ尋ねることができる。しかし海外では、ことばの問題が生じる。何でも聞くわけにはいかない。だからこそ、事前学習が必要だ。少しはその国のことばを学んでおくことも大切。もちろん英語は通じることが多いので、英語の力は落とさないように。

 ※ なお英語は日本式発音でも平気である。気にすることはない。とにかく下手なジャパニーズ・イングリッシュであっても元気よく話すことだ。恥ずかしがってはいけない。こちらの意思を相手に伝えることはそれで十分可能だ。「語学は度胸である」と思っている。ジョン万次郎は、英語の勉強をしてアメリカへ行ったか、大黒屋光太夫はロシア語を勉強してロシアに行ったか。日本に出稼ぎに来る外国人は日本語を勉強してから来ているか。そんなことは決してない。

 そして旅行するには、カネが必要だ。ボクの場合はいくつかの仕事があったからそこから旅行費用を捻出したが、諸君の場合はアルバイトするしかないだろう。また仕送りが少なくて生活のためにアルバイトしなければならない、ということもあるだろう。学生時代は時間はあるがカネはない。カネを稼ごうとすると、時間がなくなる。時間とカネは同時にはやってこない。うまく折り合いをつけなければならない。アルバイトに余暇のすべての時間を費やすのは、愚の骨頂である。何のために進学したのかを考えなければならない。

 私は「世界を見て死ぬ」ということを考えている。まだまだ行けていない。これから頑張ろうと思う。諸君も海外旅行の計画をたてよう。

 これについての相談にも応じますよ。

 

 

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