アマゾンのプライムビデオで、「ゲバルトの杜」が公開されていることを、今朝知った。そしてみた。
早稲田大学で、文学部校舎を暴力支配していた革マル派が、川口大三郎くんを虐殺した事件がテーマである。1972年のことである。すでにこのブログで何度かこの事件については書いている。
この映画は、樋田毅の『彼は早稲田で死んだ』をもとに描いたものだ。その本を読んだり、またこの映画を見て、同じ時期に早稲田のキャンパスにいて、わたし自身革マル派の放逐運動に参加していた気持ちはあるのだが、しかし具体的なことはほとんど知らず、またそれに関わる運動に積極的に参加していなかったことがよくわかる。法学部生であったわたしは、革マル派の暴力からは守られていた学部であったから、文学部で闘われていた反革マルの運動は他人事だったようだ。
この映画は、川口君事件は「内ゲバ」を激化させた、という。わたしは革マル派の暴力、彼らが服の中に鉄パイプを隠し持っていたことも知っている。そして情け容赦もなく、「敵」とした学生に激しい暴力を振るっていた場面もみている。
革マル派も、中核派も、そして他セクトも、みずからと思想が異なる者を「敵」とみなし、暴力を「革命的暴力」であるとして、みずからの暴力を「正当」であるとしていた。しかし、それらのセクトに関わらなかった私たちには、彼らセクトに属している学生たちの暴力を「革命的暴力」として正当化していたその姿に、一㍉も同意することはなかった。独善的な組織に属している者たちが、その組織の歯車として、みずからを滅して組織に奉公する、私たちとは異なる存在としてみていたような気がする。
わたしも社会主義的な文献を読み、暴力を伴った革命でないと、既成の政治権力は倒せないという論理は理解していたが、しかしその暴力はあくまで観念的なもので、目の前にいるセクトの暴力とは結びつくことはなかった。しかしセクトの学生たちは、みずからがふるう暴力こそが「革命」のための暴力だと思っていたのだろう。独善的な残酷な認識である。
この映画は、暴力について考えさせようとしているように思えた。革マル派を追放するなかで文学部の自治会委員長に推挙された飛田は、非暴力を徹底的に唱えていた。他方、革マル派の暴力に抵抗する暴力は必要だとして、行動委員会を組織していた者もいた。しかしそうした行動委員会の行動も、革マル派やそれ以外のセクトの暴力をより過激化させただけで、解散していった。
やはりわたしは、飛田と同様に、非暴力こそがもっとも力を持つのではないかと思う。暴力はさらに暴力を招く。暴力は、人を傷つけ、あるときは命をも奪う。非暴力が原則とされなければならない所以である。