浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

民芸

2013-09-30 20:32:18 | 読書
 ボクは今まで民芸というものにまったく興味を持ってこなかった。私の住む地域の歴史を話すという仕事を引き受けたとき、少し調べたら民芸運動がここ浜松と関係があることがわかってきた。

 だから夏、柳宗悦の創建した「日本民芸館」にも行ってきた。そこには、素朴でありながらも美しいものが、決して自己主張することもなく並べられていた。ボクはそこで、民芸の理念といったものを具体的に垣間見た感じがした。

 そして話すために、ボクは柳や民芸関係の文献を渉猟し、もちろんそれらを読みはじめている。そのなかに
柳の『手仕事の日本』(岩波文庫)があった。これがまた、ボクの狭い世界をより広げてくれた。民芸の世界の思想といったものが、より具体的に見えてきたのだ。そしてこの民芸が、ひょっとしたら日々の生活を豊かにすると同時に、地方の価値というものをより鮮明にしてくれるのではないかと思った。

 この本は、柳が全国をまわって、それぞれの地域の手仕事の状況を報告したものだ。民芸品は、手仕事でつくられる。民芸を訪ねるということは、手仕事の現場を見ることなのである。

 そうすると、民芸品が豊かにつくられるところは、都会の中心地ではない。地方で言えば、東北であり、北陸であり、山陰地方であり、そしてまた沖縄である。東京でいえば下町である。東京を除けば、現在過疎化したり、あるいは活気を失っているような地である。しかしそういうところこそ、実際は豊穣な文化が育っていたのだ。ボクはこの本を読みながら、民芸に注目することがとても大切なことだと思い始めた。

 民芸とは、「美に輝く日常の道具」を「民衆的工芸」として創り出されたことばだ。

 各地に根付いた手仕事は、「遠く深い伝統の上に立っている」ものではあるが、その伝統は決して閉鎖的なものではなく、「創造と発展」をもった開放的なものでなければならない。職人さんは、そうした伝統を引き継いでいる。しかしそれらをつくり出す職人さんたちは無名である。

 柳は「彼らが貧しい人々であり、作るものが普通のものであろうとも、大きな伝統の力に支えられている」、その伝統が職人さんに「仕事をさせている」のだという。「いわば品物が主で自分は従なの」だ。「彼らは品物で勝負をしているのであ」って、「もので残ろうとするので、名で残ろうとするのでは」ない、と。

 この柳の、伝統の力、名ではなくもので残る、という指摘など、とても新鮮である。

 そして「生活の中に深く美を交えることこそ大切」だという。日々の生活の中に「文化の根元」があり、「人間の真価は、その日常の暮らしの中に、もっとも正直に示される」というのも、重い言葉だ。

 そしてその美とは何か。「よき働き手であってこそよき実用品」であるから、それは「健康」であることだという。「健康」であることは、「一番自然な本然の状態である」というのだ。そして「この世にどんな美があろうとも、結局「正常の美」が最後の美であること」、「凡ての美はいつかここを目当に帰って行く」。

 実用品のなかに美を見出し、その美をとらえ、生活の中で使用していくことが、柳のいう「生活の中に美を交える」ということなのだろう。

 柳がこうした考えを持つきっけになったのは、朝鮮の民芸であった。朝鮮の民芸のなかにある美に開眼した柳が日本を振り返ったときに、日本の民芸に美を再発見したのである。

 だから柳は、「他の国のものを謗るとか侮る」ことをするのではなく、「国々はお互いに固有のものを尊び合わねばなりません」という。

 ボクは柳をはじめとした人々の民芸運動から、多くのことを学ぶことができるような気がする。そのわくわくした気持ちを、聴講する方々に伝えられればいいと思うのだ。
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多くのアクセス

2013-09-30 13:48:44 | 日記
 昨日、NHKの「日曜美術館」で、石田徹也の絵について放送した。ボクはそれをあとから録画で見たのだが、石田の絵から受けた印象や感想が、あまりにも多様であることに驚いた。石田のような絵は、確かに様々な感想をつくりだす。その意味で、きわめて創造的な絵画であるといえよう。だが、感想の中に、違和感を抱くものもあった。
 ボクは、2007年8月に、静岡県立美術館でみた石田の展覧会を忘れない。そのとき受けた印象は、今度も変わることはなかった。

 以下は、その際に記した感想である。他のブログに書いたものだが、アクセス数は6700を越えている。時代閉塞の現況を、鋭くとらえ、それをキャンバスに描いた石田の作品は、いよいよますます脚光を浴びることだろう。



 すでにこの世にいない静岡県焼津市出身の画家、1973年生まれ、2005年、踏切事故で亡くなった夭折した石田徹也(享年31歳)の展覧会を見てきた。静岡県立美術館で開かれている展覧会の名は、「石田徹也ー悲しみのキャンバス」である。

 なぜ「悲しみ」なのか?

 下記のアドレスは、石田のHPである。
 http://www.tetsuyaishida.jp/

 石田徹也の絵を最初に見たのは、NHKの新日曜美術館であった。衝撃的な絵であった。誰も思いつかないような非現実の世界が、現実の世界とつながっている。現実と非現実の世界が、画家それ自身の虚ろな眼でつながるのだ(石田の絵には、石田自身が描かれている)。もちろん絵そのものにそのつながりが描かれているのではない。画家それ自身の虚ろな眼の奥に広がる想念のなかに、そのつながりが隠されているのだ。私たち絵を見る者は、その想念のなかに入り込んでいかなければならない。
 
 石田の絵は、決して心地良いものではない。美術館のミュージアム・ショップで購入した800円のパンフレットには、4人の文が掲載されている。なかでもっとも訳が分からない文を書いていたのが、美術ジャーナリスト名古屋覚のものだ。名古屋は、31歳で死んだシューベルトの「いくつかのピアノ協奏曲の雰囲気」と石田の「絵の内容」が「重なる」とするのだ。名古屋は、シューベルトの「即興曲変ト長調」と石田の絵を織り交ぜて論じている。しかしシューベルトの音楽を想起するとき、それと石田の絵画との比較は成り立つのであろうか。

 「子孫」という作品がある。手術台の上に古い自動車が置かれ、3人の医師に囲まれている。そのボンネットからワニ(恐竜?)が首をだしている。そのワニは、生きてはいない。その前に生まれたばかりの小ワニ(といっても生きていない)が描かれ、その腹から幼児の上半身が出ている。幼児の手は、虚ろな眼の石田自身の、体の大きさから見ると不自然に大きな左手を掴んでいる。私には生まれてくること、あるいは生命の連鎖の無意味さ、翻って生の意味を自省している、そんな絵に見える。名古屋はその絵について、いとも簡単に「こうした題材がそれぞれ現実の世界の何を象徴しているか想像するのは容易だし興味深くもあるが、ここで書くのは野暮だろう」として、書かない。

 もう一つ、名古屋は「体液」という絵をあげる。名古屋の絵の説明をそのまま引用しよう。「洗面台が石田に似た男の頭と両腕で表されていて、男の悲しげな両眼から流れ出る涙が、腕の間の流しに溜まっている。その涙の池の中に力なく横たわる「生きている化石」めいた動物」。そしてその後にこう解説するのだ。「全体的にやるせない悲しさが漂うものの、同時に奇妙な明るさが画面を支配している」とし、「ここでも、男と一体化した洗面台、涙、珍しい動物・・・の象徴するものは分かりやすい」と書くが、分かったことは書いていない。自分だけで分かっているようだ。

 私は、「奇妙な明るさ」をこの絵には見ない。全体的に、石田の絵に「明るさ」はない。名古屋は、「悲惨な社会を暗示しながら明るさを失わなかった石田の絵画」とするが、果たして石田の絵に「明るさ」を見ることができるのだろうか。
 この絵で、石田は涙を流し続けている。石田の目から流れている涙は、頬を伝っている。その伝う涙に切れ目はない。何を悲しんで流しているのかはわからない。しかし石田は、その涙を流してしまわずに、涙を溜めている。そしてその涙で、三葉虫のような奇怪な動物を育てているようなのだ。絵全体からは「明るさ」ではなく、どうしようもない悲しさが、どうしようもないものをつくり出し、それを成長させてしまうほどの深い悲しみなのである。その深い悲しみをひたすら自分自身のものにし、自分自身で支えようとしているのだ。洗面台に一体化して組まれている石田の両手が、まさに涙を支えているのだ。

名古屋は、最後にこう記している。シューベルトの死因は腸チフスとされているが、「風俗通い」による梅毒によるものだとし、「悲しい死に様まで、シューベルトと石田は似ている」と。 踏切事故で亡くなった石田と、そうした死に方をしたシューベルトと「似ている」のだろうか。名古屋は、「芸術が時代も文化も超える人間の魂の声だと感じられるのは、こうしたことを考えるときだ」と末尾に記すが、「こうしたこと」とは何を指すのだろうか。
 *このパンフレットは、専門的に絵画をみる眼をもったひとばかりが買い求めるものではない。私もそうした眼をもっていない。だからもっとわかりやすい内容で書いていただきたいと思う。なお他の方々の文章は、読んでいて納得できる内容であった。

****************************************

 石田の絵には、現代文明の病理をシンボリックに描いたものがある。「社長の傘の下」(社長がまわす傘に、メリーゴーランドのように社員が「廻されている」)、「燃料補給のような食事」(ファスト・フード店で、三人の店員から三人のスーツを着ている会社員がガソリン・インジェクターから食事を補給されている)、「囚人」(校舎のなかにはめこまれている石田自身、校舎の窓や屋上から監視する男たち、校庭にじっとたち続けている子どもたち)など。石田は、ベン・シャーンのような画家になりたいと言っていたという。ベン・シャーンは社会派の画家である。そのような考え方から描いた絵なのだろうか。文明に対する直感的な違和感を、キャンバスに描いた、そんな絵だ。

 違和感というのは、石田の場合、現代文明だけではなさそうだ。現代文明だけでなく、石田を取りまくあらゆるもの、あらゆる事象が石田を疎外しているという「現実」。まわりと折り合いがつかない、折り合いがつかないのはなぜかを見つめずに、その状況をそのまま絵で表現する。だから絵は、非現実なのである。そしてまた絵の中に描かれる石田の眼は、常に虚ろなのである。

 2004年頃に描かれたものを見る。無題の絵。夜、机に向かう石田。机には何も書かれていないキャンバス、机の上の絵の具箱には絵の具はない。背後に二人の男が立っている。
先ほどの「体液」も2004年頃の作品だ。2004年頃に描かれた絵は、生に対して閉塞的なものが多い。「制圧」という絵は、携帯電話が、石田徹也という肝臓を病む男の顔にのめりこんでいる。顔面は血だらけだ。「再生」は、題が「再生」であるにもかかわらず、患者のプレートをつけた石田徹也が点滴を受けている。この眼は虚ろではなく、何かを見つめている。「再生」が指すのは、石田本人ではなく簡易ベッドの下に描かれた雛のことをさすのではないか。「堕胎」はベッドの上に横たわる下着姿の女性。その脇にいる石田。ベッドの下には川が流れている。黒い赤ん坊の死体らしきものがある。 

石田の死は、「自死」ではなかったのか。石田の周囲のありとあらゆるものが、石田を疎外し、石田を押し潰していく。2004年頃の絵には、それに抗するものが描かれていない。
 2002年頃までの絵には、絵と石田自身には距離がある。石田と、書こうとする対象がある。つまり絵は、石田が主体となって描いているのである。しかし2004年頃の絵には、石田自身が絵の中にがっちりと捉えられ、しかもその絵には生への意志が感じられない。石田は、絵を描く主体ではなくなり、生への意志を失った絵のなかに塗り込められてしまっているのだ。
 別の言い方をする。石田はほとんどの絵の中に、非現実の石田自身を描いている。しかし石田は、2004年頃、自らが描いた絵の中の非現実の石田自身に、吸い込まれてしまったのである。
 石田は、非現実の世界に飛翔していった?!
 
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支配層がめざすもの

2013-09-30 13:38:34 | 読書
 いつでも、どこでも支配層が望む民衆像は変わらない。支配層の意のままに動く民衆、支配層に何の疑いもなく付き従う民衆・・・

 その姿が、ここにある。『東京新聞』のコラムから。筆者は、浜松市出身である。


じっと動かぬ北朝鮮の民衆

2013年9月23日

 北朝鮮を訪れ、建国記念日の九月九日に平壌市内で軍事パレードを見た。民兵組織の労農赤衛隊。足をまっすぐに伸ばし、前に大きくけり出して行進する。隊列は直線を引いたように乱れがなかった。
 もっと驚いたのは、行進が始まる前の様子だった。数万人の群衆が会場の金日成(キムイルソン)広場を埋め尽くした。両手に花飾りを持って掲げ、直立したまま一時間近くも動かないのだ。スタンドの私の席から七百~八百メートルほど離れていたが、群衆が持つ花飾りで、一面、ピンクの花畑のようだった。一人一人が集団と完全に一体化していた。
 五百人ほどの軍楽隊は開始五分前に、楽器を構えてぴたりと静止した。管楽器は吹き口に唇を当て、打楽器もすぐ鳴らせるよう手を浮かしたまま。チョウが顔の近くに飛んできても、じっとしている。パレード開始が遅れ、楽隊員たちは十五分近くも「用意」の姿勢を保った。
 この人たちは「一センチたりとも動くな」と命令されたら、ずっと守るのではないか。北朝鮮の案内人は「学生のころから集団行動を訓練するから、そんなに苦痛ではないですよ」と言うのだが。
 首都平壌では高層アパートや公園、レジャー施設の建設が進み、乗用車が増え市民の服装も随分明るくなった。軍事パレードで誇示した一致団結と忍耐を、経済建設にこそ生かしたらと思う。 (山本勇二)

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「積極的平和主義」についての社説 二つ

2013-09-29 13:49:12 | 読書
 『沖縄タイムス』の社説

社説[積極的平和主義]それで何がしたいのか

2013年9月29日 09時30分

 積極的平和主義という言葉が安倍政権の外交・安全保障政策を表現するキーワードとして浮上してきた。

 字義通り解釈すれば、憲法9条を守り平和主義をさらに徹底させる、という意味に受け取れるが、安倍晋三首相の言う積極的平和主義はそういうことではないようだ。

 安倍首相はニューヨークの国連本部で演説し、「積極的平和主義の立場から国連平和維持活動(PKO)をはじめ国連の集団安全保障措置に一層積極的に参加できるようにしていく」と明言した。

 保守系のシンクタンク「ハドソン研究所」での演説では、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更に意欲を示すとともに、「愛する国を積極的平和主義の国にしようと決意している」と述べた。

 積極的平和主義という言葉は、口当たりのいいスローガンではあるが、中身はあいまいではっきりしない。護憲の立場に立つ平和主義を消極的平和主義だと批判し、具体的な行動を起こすことが重要だと安倍政権は指摘するが、何をもって積極的だと考えるのか、あやふやだ。

 集団的自衛権の行使が認められた場合の自衛隊の活動について、防衛省出身の高見沢将林・内閣官房副長官補は、自民党の会合で「『絶対、地球の裏側には行きません』という性格のものではない」と述べた。それが積極的ということの意味なのか。

 安全保障の基本政策をいとも簡単に葬るようなやり方は、周辺国の疑心や国際社会の誤解を招きかねない危うい転換だ。

    ■    ■

 積極的平和主義の具体的な内容がはっきりしないだけでなく、安倍首相自身の発言も浮かれ気味で安定性を欠くところがある。

 侵略の定義や靖国参拝、慰安婦問題などについて、米国から安倍政権の右傾化を懸念する声が上がると、たちどころに持論を引っ込め、発言を修正したり和らげたりする半面、ハドソン研究所での演説では、中国からの反発を念頭に、「私を右翼の軍国主義者とお呼びになりたいならどうぞ」と挑発してみせた。

 国内の一部の支持者は、こうした発言に留飲を下げるかもしれない。しかし、相手国の国民感情を逆なでするようなユーモアの感じられない発言は外交的にマイナスだ。

 中国や韓国との関係をいかに改善していくか。日本の将来にとっては、それが重要な外交課題であるはずなのに、首相自身がトゲのある言葉を使うようでは関係改善の扉を自ら閉ざすのに等しい。

    ■    ■

 米国のアーミテージ元国務副長官ら知日派グループが、日米同盟を米英同盟並みに強化することや集団的自衛権の行使、などを日本政府に提言したことがある。

 「今後、世界の中で一流国であり続けたいのか、二流国に甘んじるのか」と露骨な文句を並べて日本の役割拡大を求めた。

 安倍首相の積極的平和主義は、この路線に沿った動きのように見える。沖縄を対中包囲網の「キーストーン」と位置づけ、さらなる負担を強いる政策は願い下げだ。


 次は『京都新聞』の社説。


首相の国連演説  「平和」をはき違えるな

 米ニューヨークで開かれた国連総会で、安倍首相は「積極的平和主義」という新たな旗を掲げて、国連の集団安全保障に参加できるようにすると演説した。

 その旗が何を意味するのか。いまだ日本国民に十分説明もされておらず、熟議も経ず、合意も形成されていない。国連決議に基づく多国籍軍や国連軍に自衛隊が参加し軍事行動を共にする意味だと、国際社会は受け止めるだろう。

 国連は集団安全保障の考え方を憲章第7章に盛り込んでおり武力制裁や国連軍編成の根拠になる。日本政府は「国際法上は権利を有するが、憲法上、行使できない」との立場を取ってきた。各国が激しい外交折衝を繰り広げたシリアの化学兵器廃棄に向けた安全保障理事会の決議案づくりでも、制裁条項で第7章に言及するかどうかが焦点だった。

 積極的平和主義という名は美しく響くかもしれないが、内実は集団的自衛権行使の決意表明だ。

 時の政権が国民を差し置いて、平和憲法の重しを一存で外すことは許されない。

 今回の訪米中に首相が別の場所で述べた言葉から、「積極的平和主義」の輪郭は浮かぶ。

 自衛隊の活動範囲について「地理的概念」の枠に縛られないと表明した。地球の裏側で起き
たとしても、テロ事件も、検討対象に加えるとした。

 これでは、日本の領土・領海から遠く離れた他国でも、自衛隊が戦闘行為をしうることになる。周辺事態を想定していた従来の安全保障体制見直し論の範囲からも踏み出した。軍事力派遣の範囲が、際限なく広がることを憂慮する。

 「平和」の大義を掲げて多くの戦争が始まり、たくさんの人が殺された。世界史に刻まれた事実である。「平和」を「権益」や「自国民保護」に置き換えても、同じことだ。だからこそ、憲法に歯止めの規定がある。

 安倍首相は、米国での講演で、日本の防衛費の伸びは中国と比べて低いとした上で「右翼の軍国主義者とお呼びになりたいのであれば、どうぞお呼びいただきたい」と発言した。

 反語的な表現のつもりかもしれないが、日本国民を代表する発言として一人歩きしかねず、不見識だ。日本が再び軍国主義の道を歩むと見なされてもかまわないとは、国民の多くは思っていないだろう。

 安倍首相が訪米中の講演で誇った保健・医療や人道分野での国際貢献は、まさに平和主義を掲げる現行憲法の下に、営々と築かれたものだ。平和貢献の本質をはき違えてはならない。

[京都新聞 2013年09月28日掲載]

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「積極的平和主義」

2013-09-29 08:32:58 | メディア
 安倍首相が海外で放言を繰り返している。といっても、それはすでに予想されていたもの。法人税減税は、安倍の公約のひとつ、「世界で最も企業が活動しやすい国にする」に対応したもので、活動しやすいとは要するに容易に儲かるということで、アメリカ系企業にもどんどん日本に来て、どうぞ儲けてくださいというものだ。TPPへの参加もその一環と言えよう。

 さて「積極的平和主義」というとき、安倍の脳裏にあるのは軍事力であるだろうし、それしかないだろう。平和を維持し促進すると言うことは、どこの地域においても、格差をなくし、人々が健康で自由な生活ができるようにすれば可能である。そうした考えは、「人間の安全保障」という概念で国連でも確立しているものだ。それは、わが日本国憲法の前文に先駆的に書かれていた。「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とある、いわゆる平和的生存権のことである。平和というのは、戦闘がないということだけではなく、それ以前に人間が人間らしく生きていけるような状態であることなのだ。安倍の脳裏には、そういうことはない。しかし21世紀は、「人間の安全保障」という観点から考えていくことが肝要なのだ。

 そしてもう一つ。「積極的平和主義」といっても、誰のための平和なのかも考えなければならない。おそらく安倍の頭には、アメリカの平和、アメリカの隷属国である日本の平和、先進国の平和ということがあるのだろう。その場合の平和は、もちろん軍事力によるものである。それらの国々の「平和的生存権」は問われない。それはそうだろう、安倍の政策は格差拡大政策だからだ。大企業に儲けさせ、中小企業には苦難の道を歩ませる。円安政策がそれだ。

 安倍は、「積極的平和主義」といっても、平和を維持しようと、平和をつくり出そうとしているわけではない。あくまでも武力をつかって、武力の脅威を示すことによって、押さえつけようという魂胆だ。彼の頭の中には、旧日本軍の姿があり、それをアメリカへの従属のもとで「復活」させようとするものだ。

 日本の平和主義は、安倍の「積極的平和主義」により危機に立たされている。

 以下は、『毎日新聞』の記事。

 
安倍首相:自信の演説連発 国連で「積極的平和主義」宣言

毎日新聞 2013年09月27日 東京夕刊


 ◇法人減税、決着待たず約束

 【ニューヨーク古本陽荘】安倍晋三首相は26日午後(日本時間27日未明)、国連総会で一般討論演説し、米ニューヨークでの「スピーチの旅」を締めくくった。一連の演説で、首相は「大胆な減税」「積極的平和主義」「女性の力」といったキーワードを使い分け、「安倍カラー」をアピール。自民党総裁に返り咲いて26日で丸1年−−経済情勢の好転による高支持率に、ライバル不在の党内状況も加わり、長期政権を視野に入れた自信にあふれる訪米となった。

 「ジャパン・イズ・バック(日本は復活した)という話をするために来た」

 首相は25日(日本時間26日)、現役の首相として初めてニューヨーク証券取引所を訪ね、こう強調した。演説で「日本に帰ったら成長戦略の矢を放つ。投資を喚起するため、大胆な減税を断行する」と述べ、法人税の実効税率引き下げにも意欲を示した。

 法人税減税に前向きな首相と、慎重姿勢の与党との綱引きは、まだ決着したわけではない。首相がニューヨーク証券取引所で演説した26日、自民党税制調査会は幹部会合を開催。しかし、首相は与党との調整を待たずに、米金融界の中心で「大胆な減税」を約束した。世界経済回復のため「バイ・マイ・アベノミクス(アベノミクスは買いだ)」と訴え、会場の笑いを誘う余裕すらみせた。先行する首相発言に、自民党内からは「首相は事前相談もなく、突っ走ってばかりだ」とのぼやきももれる。

 「日本にはすぐそばの隣国に、軍事支出が少なくとも日本の2倍の国がある」

 首相は25日(日本時間26日)に行った米保守系シンクタンク「ハドソン研究所」の講演で、名指しは避けつつも、中国の軍備拡張に懸念を表明した。一方で日本の防衛予算の伸びが前年度比0・8%にとどまっていることにもふれ、「皆さまが私を右翼の軍国主義者とお呼びになりたいなら、どうぞ」と語り、国際社会の懸念に反論。国連演説では「積極的平和主義の旗を掲げる」と宣言し、国連平和維持活動(PKO)などに前向きに取り組む方針を示した。
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夕焼け

2013-09-28 20:00:21 | 読書
 もう6時頃には暗くなる。ボクは5時近くに畑にいく。さつまいもを掘り、じゃがいもを植え、そしてそのほかの作物を育てるために、耕して畝をつくる。

 西の空をみる。美しい夕焼けが見える。西洋の風景画のように、ボクの視界の半分以上が空だ。雲が流れる。雲の西側は、夕焼けの太陽に照らされて赤みを帯びる。鳥が空を横切る。大自然に包まれたような気分に浸りながら、鍬を振るう。土の中から、赤っぽいさつまいもが顔をのぞかせる。太いもの、長いもの、細いもの、様々な表情のさつまいもが次々と出てくる。

 暗くなるまで、ボクは畑にいた。秋の日暮れは早い。畑での仕事はたくさんあるのに、太陽は遠慮なく地平線の向こうに消えていく。

 一日、1~2時間畑で身体を動かす。

 帰宅して、ボクは読みかけの本の活字を追い始める。本田靖春『誘拐』(ちくま文庫)である。他にしなければならない仕事を放っておいて、この本を今日は読んだ。

 1963年に起きた「吉展ちゃん誘拐事件」。名前だけは知っている。だがその全体像は知らなかった。東京オリンピックの前年に起きた事件だ。

 日本は高度経済成長の中にあった。数値で表される経済成長は、右肩上がりであったであろう。その最中に、身代金を求めた誘拐事件が起きた。吉展ちゃんは、誘拐されてすぐに殺された。身代金は50万。犯人は小原保。福島県の寒村出身であった。そして学歴は小学校卒だ。1933年生まれ、本田と同じ年だ。

 本書は、小原を中心に描かれる。小原の生育歴、小原の仕事、小原の交友関係・・・・犯罪を犯すことになる小原保という人間は、その環境の中に生きてきた。その環境をつらぬくものは、貧困である。そして犯罪の原因は、そのなかにある。

 本田は、こう記す。

 犯罪という二文字で片付けられる多くが、社会の暗部に根ざした病理現象であり、犯罪者というのは、しばしば社会的弱者と同義語である

 小原には、死刑判決が下された。小原のもとに捜査が及んでも、なかなか「ホシ」とされなかった。しかし小原は、平塚八兵衛の手によって、自白した。いったん自白してからは、小原は事件のあらましを正直に語った。

 小原は死刑判決のあと、拘置所で歌を詠んでいた。その歌は、犯罪からまったく遠く離れた心境から詠まれたものだ。死を前にしてつくられた歌は、『昭和万葉集』に載せられているという。

 小原が、違った社会環境のもとに生きていたら、果たして犯罪者になっただろうか。

 犯罪をどうとらえるのか、そのためにこの本を読んで欲しい。今、仇討ち的報道が満ちあふれているとき、犯罪を犯罪のなかだけで捉えてはいけないことがわかるはずだ。

 小原も、福島の寒村で夕焼けを見て育ったのだろうか。小原が育ったところは、山の中。夕焼けは見えなかったのかもしれない。空も狭かったかもしれない。自然も、平等ではない。



 

 
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何らかの圧力が?

2013-09-27 22:27:02 | 読書
 「原子力ムラ」の焦点が、柏崎刈羽原発の再稼働問題に絞られてきたようだ。そのためには、泉田新潟県知事を落とさなければならない。相当な圧力がかけられているのではないか。

 http://tanakaryusaku.jp/2013/09/0007943
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疲労

2013-09-27 21:48:28 | 日記
 ボクは民生委員を務めている。前任者が病気になったのでやって欲しいと頼まれらからだ。「世のため人のため」を標榜しているボクとしては、これは引き受けざるを得ないと思って引き受けたが、しかしいろいろな壁に突き当たり、あまりのひどさに公開質問状を出したり、区役所と喧嘩したり・・・民生委員を続ける気持ちは失せ、11月で退任する。民生委員の位置や仕事についていろいろ書きたいことはあるが、それは後回しにして、今日は疲労について書く。

 わが町内にも、一人暮らしの老人が増えている。一人を除き、すべて女性である。ボクは毎月一回、「元気ですか」と一軒一軒訪問して、いろいろな話しをする。するといっても、ほとんどが聞き役である。病気の話しがもっとも多いが、愚痴、親戚との争いなど、話しの中味は多様である。

 一人暮らしの場合、積極的に公民館の教養講座に出たり、友人と交流したり、孫の面倒を見たり、忙しくしている人がいる反面、ほとんど人と話す機会がない人もいる。だから民生委員が訪問して話しを聞くというのは、とても大切なことだ。話す人がいないと、脳も活性化しないから、いわゆる「ぼけ」という症状もでてくるだろう。

 民生委員として会話する場合、相手が元気ならばこちらも疲れない。会話も弾むというものだ。ところが、病弱で精神が弱っていると、どうしても後ろ向きの話しとなる。そういう人に対しては、激励したりするのだが、しかしこちらもかなり疲れる。後ろ向きの話しを長い間聞いていると、どうしても疲労感を覚え、話しを早く切り上げたくなるが、一生懸命に話されていると、それもできない。

 民生委員は元気でないと務まらない。エネルギーを与えるためには、こちらがエネルギッシュでないといけないからだ。

 しかし、昨日は、ひどく疲労感を覚えた。

 地域に、老人たちが集い、四方山話ができるような施設やそういう集いができないものかと思う。

 健康でいてほしいから、元気な老人たちが話しあう場が欲しい。ただ、そういうところに参加したくないという人もいるから難しい。
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権力を振るわせない

2013-09-27 06:54:07 | 読書
 安倍政権が行おうとしていることは、日本が第2次世界大戦を経る中で獲得してきたものを、ひとりよがりの妄想によって、すべて台無しにしようとするものだ。安部という人間とその取り巻きに、権力を振るわせるべきではなかった。

 本田の遺書にある。

 「ポチ化した愚民たちには、理想なぞというハラの足しにならないものは不用である。
「反戦」とか「平和」とかいっても、見向きもしない。そんな空念仏より、小ぎれいな家に住んで、旨いものを食べて、他人より目立つお洒落をができるかどうかの方が、重大関心事なのである」

 そうなのだろうか。

 さて下記は、『東京新聞』の論説委員の指摘。

条約無視して解釈改憲か
2013年9月25日

 集団的自衛権の行使容認を目指す安倍晋三首相。有識者懇談会の議論を七カ月ぶりに再開させた。

 懇談会は「公海での米艦艇の防護」「米国に向かう弾道ミサイルの迎撃」について、憲法解釈では禁止されているが、踏み切らなければ日米同盟は崩壊すると結論づけている。個別的自衛権で対処できる、ミサイル迎撃は技術的に無理などの指摘はどこ吹く風だ。

 これらの議論は肝心なことを棚上げしている。日米安全保障条約の第五条は「日本の施政下にある領域のいずれか一方に対する武力攻撃への日米共同対処」を定めている。

 集団的自衛権が行使できるとなれば、日本を守るだけでなく、米国も守れることになって条約を踏み越えるため、条約改定が必要となる。そして米国が第五条で日本防衛の義務を負う見返りとして、米国への基地提供義務を定めた第六条の見直しを主張しなければ、日本の負担が一方的に増すことになる。

 「日米同盟の強化」を掲げる安倍首相としては、米軍基地の撤去を持ち出したくないのか、条約改定に踏み込もうとはしない。

 日米で議論を進めているのは日本有事における日米の役割分担を定めた日米ガイドラインの改定だが、そもそもガイドラインは日米安保条約を前提にしている。日米関係
の見直しを抜きに集団的自衛権の行使だけ認めようというのは筋が通らない。 (半田滋)
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【本】本田靖春『我、拗ね者として生涯を閉ず』下(講談社文庫)

2013-09-26 23:25:25 | 読書
 こういう本を読んでいる暇は、本当はないはずだ。時間はほかのことにつかわなければならない。にもかかわらず、この本は、最後までボクを解放してくれなかった。ずっと惹きつけるのだ。

 もう仕方なく、ボクは最後まで読んだ。この最後は、本田にとって「最期」であった。本書は、彼の絶筆なのだ。病魔に蝕まれて、身体はぼろぼろであったはずだ。だからある種、書きなぐり、という感じではあるが、文章にある力、いや迫力に、ボクの目は吸い付けられ、この本の活字を追うことだけに専念せざるを得なかったのだ。

 彼の最期の、自分を振り返って記したこと。金銭欲、出世欲、名誉欲、「これらの欲を持つとき、人間はおかしくなる。いっそそういうものを断ってしまえば、怖いものなしになるのではないか。」

 そうだろう、そういう欲を禁じながら、本田は、とにかく突っ走ってきた。おのれの信ずるまま、おのれの胸の裡から湧き上がる正義感のまま、取材し、行動し、書いてきた。その壮絶な生が、本書には、本人の手によって自由に書かれている。

 そして、死を前にして、自由に、ほとんど顧慮することもなく、自由に書きたいことを書いている。それに、ボクは「その通り!!」と、付箋を次々と、貼り付けていった。二つだけ、付箋ではなく、マークしたところがある。

 「記者はおのれを権力と対置させなければならない。これは鉄則である。」

 「断じて行えば鬼神もこれを避く」

 この二つは、ボクがいつも言い続けていることだ。今までも、ボクはこういう生き方をしてきたが、本田と比べると足下にも及ばない。

 この本を読んで、ボクはもっと自由に、もっと大胆に生きていっていいのだと、思えた。
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文章を書くということ

2013-09-26 21:15:56 | 日記
 ボクは、他人が書いた文を修正するということを、長年やっている。今も、お礼の電話があった。

 自らの意思や主張を伝えるための手段として、文章というものがある。そう文章を規定すると、文章は他人が読んで理解できるものでなければならない。

 しかし、皆が皆、そういう文章を書けるわけではない。自分では他人は理解できるはずだと思い込んでいるが、実際はそうではない文章を平気で書く人がいる。他人が読んで理解できないということに思いがいかないのである。
 そういう文章をなおすときには、その人が書いた文章の趣旨を理解して、基本的には全面的に書き直してしまう。その人が主張したいことを、わかりやすく書き直すのだ。驚くことは、こういう人は、文章を書き直してしまっても、直されていることにほとんど気がつかない。

 あるいは、主張が明確ではあるが、それをひとつのまとまった文にできないという場合もある。そういう場合は、箇条書きで主張したいことを書いてもらう。それをもとに、その主張に関連することを、本などで調べる。何かを書こうとするときは、書こうとすることについてある程度の知識をもっていないと、絶対に書けない。

 そして、その知識をもとに、いかなる順序でそれらを並べていったら良いのかを考える。その際には、論理性が求められる。他人に理解してもらうためには、順序というものがとても大事だ。その順序というものは、内容によって異なる。あるときは最初に結論をもってきて、そのあとに説明を加えていく、あるときはきわめて具体的な事項をあげて、徐々に結論に向かって積み上げていく・・・・
 どういう順序で書いていくかは、どう書けば説得力ある文になるか、という視点で考えていく。その場合、その文を読むのはどういう人か、あるいはどういう人に聞かせるか、ということが重要である。ボクは、書いていくとき、読む人のこと、あるいは聞く人のことを思い浮かべる。

 たとえば、議員さんに聞かせるときには、議場を想定する。そして、その議場に座っている議員は、ほとんど何も考えてない、知識もない人たちだ。そういう人たちを啓発する文にする。心の底で、「あんたたち、少しは考えなさいよ」という気持ちで書く。

 直してあげても、ボクの名はでない。全くの黒子である。しかし、感謝の言葉を聞くだけで、ボクは満足する。

 少し付け足すと、最初に持ってこられる文に、誤字が多いと、ボクはしらける。誤字をまったくなくすことは、ボクだってできない。しかし、あまりに不用意な誤字、こんな誤字は普通絶対にしないというような誤字があると、これはダメだと思うことがある。誤字も知性のうちなのだ。

  
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ペンの力

2013-09-26 07:54:21 | 読書
 ペンと言っても、現在はキーボードの力と書くべきか。

 今、本田靖春の『我、拗ね者として生涯を閉ず』下を読んでいる。圧倒的な迫力、それも正義の実現に向かってひた走る本田の正義感にただただ驚くのだ。

 ボクは、若い頃献血を毎年やっていた。特段の考えがあってやったのではない。そのくらいはやってあげよう、という軽い気持ちからであった。しかしある年、献血中にめまいが始まり、途中で採血をやめてもらったが、めまいは小一時間続いた。そのときの気分の悪さを体験してから、献血はやめている。

 さて、日本の輸血のための血液は、売血制度によるものであったことは知っていた。五木寛之の小説に売血の場面がでていたからだ。そして売血制度が『悪』であることも知っていた。輸血にふさわしい血液が集まらず、「汚い血」によりかえって肝炎などの致命的な病を発症させるからだ。

 そのような知識のもとで、この本田のいわば遺書を読んでいたら、現在のような献血制度をつくりあげたのは、本田のペンの力であったのだ。本田はまさに売血制度を撃つために、売血までして、さらにウィルスに感染してまでも、売血制度の『悪』を追及し、献血制度の樹立のために奮闘した。ペンでもって、まさに壮絶な闘いを挑み、献血制度をつくりあげた。

 本田による『読売新聞』のキャンペーンが、献血制度をつくりあげたのだ。

 ボクはこれを読んでいて二つのことを感じた。まず自らに対してだ。本田のように、「断じて行えば鬼神もこれを避く」というような気概で正義を追求したことがあったかという自問自答である。ああもっとやれたはずだ、という後悔がある。

 そしてもう一つ。新聞という社会的公器が、正義の実現のためにフル回転すれば、大きな力を発揮できるということだ。しかし逆に、正義ではなく、権力の思考を国民の中に広げようとすれば、それも可能になるという恐ろしさだ。現在の『読売』はそういう新聞になりはて、本田が在社していたころとは真逆の位置にある。渡辺恒雄という独裁者による、社会部つぶしが、正義追求の矛先を失わせたのである。

 本田靖春という人物については、何度も書くが、『私戦』を読んでから、敬意の対象となっているが、さらにまた尊敬に値する人間にもなった。本田から、生き方の面においても、学ぶことは多い。


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【本】本田靖春『我、拗ね者として生涯を閉ず』上(講談社文庫)

2013-09-25 22:00:06 | 読書
 本田靖春の本は、『私戦』をはじめ何冊か読んでいる。金嬉老事件をあつかった『私戦』は、きわめて説得力に富み、事件をみる視覚など、私自身がこの事件を書く際に大いに参考にさせてもらった。今回この本を読んだのは、私と思想的に親和的な、いわば同志的な人がジャーナリズムの世界に入ったからだ。本田靖春のような記者になってほしいと思い、いずれその人にこの本は渡るのであるが、その前に読んでおこうと思ったのだ。

 やはり、ジャーナリズムの世界で、ジャーナリストとして活躍できるためには、フツーの人間ではだめだなと思った。ある種変わり者でないとつとまらないようだ。もちろん、記者の中にはサラリーマン的な人間も多くいるが、本田のようになるためには、変わり者に徹する必要があるようだ。

 その変わり者であるためには、やはりなんと言っても反骨精神があるかどうかである。本書を読んでいても、各所にそれが浮き出ている。それも直截的な表現で。

 それともう一つ。清廉さである。清廉さというのは、要するに「ただ酒は飲まない」ということだ。もちろん「ただ酒」のなかには食事などをおごってもらうことも入る。そういうことをされると、必ずペンが鈍る。ペンを鈍らせることはしない、ということだ。本田は、それについては清廉さを貫いている。当然であるが、政治部の諸氏のように、ただ酒をのまされて政治家の走狗となっている記者には、きわめて批判的である。

 たいへん読みやすく、少しの暇があれば読める本だ。

 ただ、この本はある意味の「遺書」でもあるので、現在の国民のあり方に対して、きわめて厳しい批判を浴びせている。その通りではあるが、とにかく手厳しい。

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変わらない日本の体質

2013-09-25 06:30:40 | 読書
 『東京新聞』の記事。「大日本帝国」は、先の見通しもなく戦争を拡大し、圧倒的な経済力の差を知っていながら、最後は無謀な対英米戦争に突入し、自壊するに至った。

 今回の原発事故。原子力発電も、まったく同じ。先の見通しもなく、ひたすら滅亡に向かって走り行く。



核のごみ満杯へ 打つ手なし 再処理技術や処分場も未定

2013年9月24日 朝刊

 原発再稼働をめぐる論議が高まる中、原発から出る放射線量の高い使用済み核燃料を貯蔵するスペースは既に満杯に近づきつつある。「核のごみ」が解決しないまま、原発を動かしてもいずれ行き詰まるのは明らかだ。 (梅田歳晴)
 電気事業連合会などによると、国内にある使用済み燃料は二〇一二年九月末時点で、少なくとも一万七千トン以上。電力会社は各原発の原子炉建屋内にある燃料プールでほとんどを貯蔵しているが、東京電力の福島第一、第二、柏崎刈羽、九州電力玄海、日本原子力発電東海第二でいずれも占有率が80%以上を占め、限界に近づいている。

 青森県六ケ所村にある日本原燃の使用済み核燃料再処理工場(再処理工場)にも容量三千トンの一時保管スペースがあるが、再処理事業の遅れで各原発から持ち込まれる使用済み燃料がたまる一方。今年九月の時点で貯蔵量は二千九百四十五トンに達し、占有率は98%に達した。

 原発の燃料プールと六ケ所村の保管スペースを合計した貯蔵容量の73%が埋まり、原発が順次再稼働した場合、数年後には満杯になる計算だ。

 日本は、使用済み核燃料から取り出したプルトニウムを高速増殖炉で燃やす核燃料サイクルを原子力政策の要としているが、再処理は技術的なトラブルが相次ぎ、いまだに事業を開始していない。高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)も一九九五年のナトリウム漏れ事故後ほとんど動いていない。

 高レベル放射性廃棄物の最終処分では場所すら決まっておらず、使用済み核燃料が国内の貯蔵能力を上回れば、事実上、原発の運転が不可能になる。

 京都大原子炉実験所の今中哲二助教(原子力工学)は「再稼働すれば行き先のない核のごみは増え続けるばかりだ。全体のグランドデザインをしっかり考える人がいなかったのではないか。これ以上、原発を再稼働させるべきではない」と、核のごみを放置し、原発を増やし続けた国や電力会社の姿勢を批判している。
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手紙

2013-09-24 20:24:31 | 読書
 『読売新聞』の記事。

良さ評価され?「手紙は手書き」20代は7割

 はがきや手紙を手書きにする人が20歳代までの若者は約7割と上の世代に比べて多く、「今後もなるべく手書きにするべきだ」と考える人も10~30代で5割を超えていることが24日、文化庁が昨年度に行った「国語に関する世論調査」で明らかになった。

 手軽なメールが定着する中で、手書きの良さが若者に評価されているとみられる。

 調査では、外来語などの意味がわからず「困ることがある」という人が全体の約8割に上ることも分かった。

 今年3月、全国の16歳以上の男女を対象に面接方式で実施し、2153人から回答を得た。はがきや手紙などの本文について「手書きをする」と答えた人は64%で、04年度調査の75%から減った。あて名を手書きする人も全体で67%と、04年度の80%から減少した。(2013年9月24日19時47分 読売新聞)


 ボクは、絵はがき派である。ボクは絵はがきを大量に持っている。何か用事があるときには、急ぎでない場合はメールではなく絵はがきをつかう。50円切手は、もちろん記念切手。

  だいたい年賀状、宛名も文面もすべて印刷というものもあるが、そのような年賀状は、いらない。ボクは、宛名は手書き。絵や自分の住所などは印刷ではあるが、必ず手書きを加えている。
 
 印刷が容易にできるようになったために、逆に味気なくなっている。手書きを選ぶ若者がまだまだいるらしい。ぜひ手書きを続けて欲しいと思う。

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