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線翔庵日記



おまつり、民謡、三絃、名水、温泉、酒、そして音楽のこと…日々感じたことを綴ります。

能生白山神社春季大祭 2013

2013年04月24日 23時29分54秒 | おまつり
昨年は行けなかった能生祭り。2年ぶりの訪問だ。天気が下り坂で、心配された。祭りの「お上り」が出発する区民会館へ行ってみると、挙行されるとのこと。宮司さんのご挨拶と柏手によりスタートする。


準備万端で、貝吹きによる「三番貝」で「お上り」が出る。


雨も少しずつ落ちてきたが、構わず行列は進んでいく。


境内に着くと、獅子舞連中に出迎えられる。


諸行事は粛々と進められていく。まず、舞台上では修祓。


そして拝殿前では「七度半の使い」も始まる。神使が白丁の持つ竹に先導され、社人のお出ましを待つ。


社人が出ると、口上を述べる。


7回述べた後、神使が黙礼すると、ヤーっという声とともに獅子舞が飛び出す。拝殿前でまず無音のままの舞。そして笛と太鼓が入り、しばらくすると舞い始める。そして「御神嚮」が開始される。




3基の神輿もゆっくりと進んでいく。


これが正午過ぎまで舞われる。途中から5人の稚児も列に加わる。


そして午前中のハイライト、「お走り」を迎える。これは、今までスローで進んでいた行列が、三の神輿につく社人・兵部に「神が乗る」と、ヤーという声とともに一斉に走り出す。


そして「御旅所」に神輿を走り入れるのである。


これが終わると「供神餞」となる。

六社人が板の上を往復して、拝殿から神輿へ供物を運ぶのである。

その後、境内の秋葉神社で「黙礼式」となる。大祭準備ができたことを案内するのだ。この時の使いは社人・大部で、秋葉神社前で挨拶(黙礼)が済むと社司と大部とがクルッとまわって占いをする。社人が早いと豊漁、社司が早いと商家繁昌なのだそうだ。



いつも、どっちが勝ったのかよく分からない…。

さて、神輿の前で「大祭」が済むと、いよいよ舞楽が始まる。


まず「振舞」。稚児二人舞。

舞台を清める意味もある、神聖な舞だ。

続いて「候礼」。稚児四人舞。

「振舞」と同じく、白い上衣に赤の袴が楚々とした雰囲気。

続いて「童羅利」。年少の五の戸による稚児一人舞。

身体には不釣り合いな感じの面は、能面風。

次いで「地久」。稚児四人舞。

最も格の高い舞。上衣はややクリーム色がかったものになる。

そして「能抜頭」。大舞一人舞。

赤と黒の縞模様が印象的。

続いて「泰平楽」。稚児四人舞。

大規模な舞。鉾や太刀をもって舞う。

中入り後、大舞二人舞の「納蘇利」。

双龍の舞ともいわれる通り、竜が戯れる様であるという。白地に赤と青、水色の縞模様が独特だ。

続いて「弓法楽」。稚児四人舞。

途中で矢を放つので、それを手に入れようとする観客のテンションが上がる。

続いて「児抜頭」。稚児一人舞。

これは、リーダー格の一の戸が舞う。何とも優雅に舞う。個人的には、清楚な雰囲気でしっとりとしたこの舞が感動的だ。そして舞台正面から、一の戸の両親が見守る姿もいい。

そして、稚児舞の最後「輪歌」は、二の戸から五の戸までの稚児四人舞。

手には花を持つ。可憐な舞だ。しかし、この舞の退場だけは、橋がかりを舞いながら楽屋へ入る。そして次の「陵王」に切れ目なく続く。

このとき、観客からは「がんばれ~」とか「まだまだ~」といった声がかかる。稚児舞の終わりを惜しむのと、陵王のお出ましをじらすかのようだ。「まだまだ」の声がかかると、稚児達は照れながら舞っている姿が愛らしい。しかし近年のお稚児さん、特に最後に入る二の戸の涙する姿を見かけるようになった。どんな気持ちで舞っているのだろう…。聞いてみたいものだ。

そして最後の演目となる「陵王」。

これは、何とも奇怪な陵王だ。全身真っ赤な衣で、中啓を右手に持つ。左はずっと剣印のままである。そして頭はシャグマ。橋がかりでの舞がほとんどで、舞台での舞の部分は少な目に感じる。大きな袖を広げるように舞うのも独特。


特に舞台上での前半の舞が終わる直前に「日を抱く手」がある。

日本海に沈む夕日を招き返すというものだ。何とも神秘的だ。これは「没日還午楽」と結びつけているが、現行の蘭陵王には似た所作はない。

ここで楽が一端休止し、舞台上での舞が始まる。ぴょんぴょんと跳ねる「カラストビ」や、足を一直線上に揃えて歩く「チドリガケ」といった所作がある。何とも修験道の匂いを感じさせる。

そして「テズテズを踏む」という所作の後、舞台から再び橋がかりに出て、舞いながら退場する。ここからは、観客が一体となって、楽屋への入るのを惜しむかのように、榊を橋がかりに叩きつけ、「まだまだ~」と、舞を続けさせる。あたかも「乱声」のようである。陵王はやはり憑依したところで、楽屋へ飛び込む。

すると橋がかりが外されて、御旅所から神輿を拝殿へ担ぎ込み、神様を下ろす。これが「お旅帰り」と呼ばれ、祭り最大のクライマックスである。
神様のいなくなった神輿は再び御旅所へ戻されるが、ここで神輿をあおる。境内の観客の高揚した声が「ヤッショーイ」の連呼になる。

これで舞台での祭りは終わりとなる。

テンションがマックスとなった境内も、さっと静かになって、稚児の「お下り」の行列となる。



能生祭りへは何回出かけただろう。初めておじゃました平成2年から20年以上。いつまでもお訪ねしたい祭りだ。

久しぶり…雨の天津神社舞楽二日目

2013年04月11日 23時54分31秒 | おまつり
4月といえば、春を呼ぶ祭り。新潟県糸魚川市一の宮にある天津神社の「けんか祭り」が有名だ。これが4月10日に行われ、午前中の神輿渡御、寺町地区、押上地区の2基の神輿がぶつかり合う「けんか神輿」で盛り上がる。そして午後は国の重要無形文化財指定の舞楽 が行われる。

今年は11日に休みが取れた。実は天津神社舞楽は2日目の午後1:00からにも、舞楽のみ行われる。1日目とは演目は同じなのだが、面や装束が異なる。2日目の方が古い形を残しているとうだ。今年は、久しぶりにそちらに行ってみることにした。

昼過ぎを目指して糸魚川に向かった。市内で昼食のために立ち寄った食事処で新聞を何気なく見ていると、やはり天津神社の祭りの記事があった。やはり春を呼ぶ祭りなのだ。





神社へは12:00を少し廻ったころだ。午前中は天気もよく安心していたが、だんだん雲行きがあやしくなってきた。この2日目の舞楽は雨天中止なのだ。祈るような気持ちで、時を待つ。

すると楽人たちの太鼓が始まった。やがて雨が落ちてきた。

心配したが、小降りにもなり、舞楽がスタートした。

まず「鉾振」。


これは舞楽では必ず、始めに舞われる。舞台を清める意味もある舞で、鉾を振る所作で知られる。1日目とは装束の色は赤系と緑系であるが、2日目は落ち着いた色合いとなっている。

続いて「安摩」。


これは、能生の舞楽 「童羅利」に似ていると言われる。確かに上半身を前に出し、両手を後方に伸ばす動作は似ている。この演目も1日目と異なり、2日目は面を着けないが、1日目は能面風の面を着ける。

続いて「鶏冠」「抜頭」「破魔弓」を省略し「児納曽利」となった。


「納曽利」とはいえ、舞楽面ではなく能面風、里神楽風なものを着けている。

続いて今回は「能抜頭」であった。


面は白い神楽風の表情、渋い色の装束だ。動きも、身体を後ろに大きく反ったり、足を大きく上げたりなど、激しい動作が印象的。


続いて「華籠」。


手には大きな牡丹を供えた仏具の散華皿を持って舞い、花びらでもまき散らすかのような所作をする。仏式の行事のようだ。


だんだん天気も下り坂。続いて「大納曽利」。

これも1日目は、青い納曽利面に牟子という帽子状の被り物をするが、2日目はシャグマといったたてがみのような被り物に、赤黒い奇怪な表情という姿。これも地方舞楽ならではの面白さだ。

しかし雨脚が強まってきた。舞手には楽人によって傘がさされた。


かなりの雨で、気温も下がってきた。がんばって舞い続けられた。





しかし雨がひどく、結局ここで終了となってしまった。最後の「陵王」も演じられなかった。残念だがやむを得ない。
「陵王」は、糸魚川では「竜王」とも呼ばれる。竜といえば、北陸地方では白山の「九頭竜権現」をイメージするが、「竜」の信仰は雨乞いにつながる。地方の舞楽では「陵王」を雨を呼ぶ竜の神様に附会されることが多い。雨が降ってしまったのだから、「陵王」の舞は要らないのだ…と自分に言い聞かせた。

最後の楽人の「ドンデンドン」の太鼓は、なかなか聴かせる。客席にいた方々も、雨にも関わらず楽舎の前に集まってきて、太鼓を見つめる。そして、かけ声をかける。何ともいい雰囲気で祭りを終えた。


また来年、天津神社へは来られるといいなと思いつつ、天津神社を後にした。



小川若宮神社例祭「芸ざらい」

2012年04月27日 23時39分54秒 | おまつり
松本に転勤して約1ヶ月、少しずつ職場に慣れてきた。そこで、今日は久しぶりに祭り探訪に出かけた。今日は、木曽郡上松町小川地区の若宮神社の例祭の前夜に行われる獅子狂言の「芸ざらい」へ出かけた。この獅子神楽は、獅子が歌舞伎の名場面の女形を演じるというもので、上松町内では3ヶ所で行われている。

実はこれには、学生時代に一度訪れている。また、祭りの1日目の神社境内での獅子神楽へは2年前に行った。この「芸ざらい」へは、本当~に久しぶりの再訪だ。

開始は午後7:00から。かつては小川地区の島公民館でしたが、2010年からは消防団詰所を兼ねた新築集会所で行われるようになった。ここで地区の方々に、数々の獅子狂言を披露するのだ。

まず、最初は式舞である「しきのさ」から。


続いて「子供神楽」。篠笛は中学生、太鼓は小学生。そして獅子も2名の中学生が演じていた。各地で民俗芸能の伝承の厳しさが叫ばれるなか、大変素晴らしい取り組み!

これは、中学生が演じる「八百屋お七」。


続いて「佐倉惣五郎」子別れの段。

別れのシーンを、獅子が泣き崩れる迫真の演技。

続いて「千両幟・伊奈川」。「関取千両幟」の一場面。力士の伊奈川が登場する。

その次は「忠臣蔵三段目」勘平うろたえの場。

お軽と早野勘平の場面で、勘平が手勢を打ち破る。

そして「忠臣蔵七段目」。


その次は、小川の獅子狂言の見物の1つ「葛の葉」子別れの段。

「葛の葉」は「信田妻」ともいわれる。安倍保名に助けられた白狐が、人間の姿となって現れ、恋仲となり結ばれる。その子、童子丸をもうけるものの、やがて保名が助けた狐であると正体が知れてしまう。そして童子丸との別れのシーン。

口にくわえた筆で、障子に歌を書く。

恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉
の一首を読んで、信田の森へと去っていく。ちなみにこの童子丸が、後の安倍晴明である。

続いて「矢口渡場の段」お舟恋慕。


そして「いもせやま」おみわの恋。


そして本日の最後は「梅川忠兵衛」新野口村の段。


木曽谷の小さな集落で、これだけの芸を伝えていることが凄い。みな歌舞伎等の名場面なのだが、女形を獅子が演じるという、よく考えてみると不思議な芸能。しかし、伝承している小川区の里若連の人々は、それぞれの場面の長い台詞をものの見事に語るのだ。そして時折、篠笛と太鼓に乗って、歌の部分も挿入される。大変よくできた芸だと思う。


ああ…たまには、こうしたお祭りに出かけると、元気になる!

氷見の獅子舞に行きたい~!

2012年04月14日 21時26分18秒 | おまつり
ここのところハマっている富山の獅子舞 は、主に春祭りと秋祭りに舞われることが多い


「獅子舞の里」として知られている富山県氷見市では、春は4月の各週末の土曜日から日曜日にかけて行われる地区がほとんど。

この数年、何回か訪ねてきた。地元では広く知られている獅子舞だが、あまりにも数が多すぎて、把握できないくらい

ふっと本棚を見ると、氷見の獅子舞のパンフレットがこんなにあった!

これは氷見市内の観光施設等には大体置いてある。一体、どんだけ持ってきてしまったんだ

氷見の獅子舞と言えば、一軒一軒ていねいに舞っていく。そして神社とか「花」のお宅では、大事な舞を舞い、最後に神社や青年団長宅等で「獅子殺し」をして、終わるというパターンが多い。

また、楽器の方は笛と太鼓、そして鉦だ。なかでも特徴的なのは、笛が縦笛なのだ。

自分も高岡市の新月乃笛で購入した。これは、リコーダーのような唄口ではなく、お土産屋で売っているようなのでもない、かなり精緻な笛。そして、どうやら「氷見系」と呼ばれる獅子舞の系譜の地区のみで、これが使われているような感じ。「射水系」と呼ばれる新湊あたりの獅子舞では、氷見とはそれほど遠くないにも関わらず、横笛の篠笛。氷見市から峠を越えた石川県羽咋市周辺では、氷見系の獅子舞の地区ではやはり縦笛のようだ。

そんなに詳しく調査したわけでもないが、氷見を中心とした、ある意味で局地的な広がりのなかで、この縦笛が使われているのがおもしろい



振鉾

2012年03月05日 20時47分37秒 | おまつり
日本の民俗芸能は、いろいろなジャンルのものが混在していることが多い。あるいは古層をなしているようだ。小島美子の「日本音楽の古層」という書に詳しいが、古い時代のものから新しいものが層をなしているようだというのだ。芸能もおそらく、この説明がぴったりすると思う。

そして、現在でも「延年」と呼ばれる芸能がある。芸能ジャンルというより、いろいろなものが、様々な形で演じられる。山伏修験の修行の1つにも「延年」があったというが、芸能によって楽しんだだけでなく、修法というか修行であったというのが面白い。

そして、もう一つ興味深いのが「舞楽法会」形式。舞楽の演目が左方、右方と交互に舞われる。それが、より民間伝承レベルになると、いろいろなものが次々と演じられる。新潟県糸魚川市の山寺の延年がいい例だと思う。

「舞楽法会」では、最初の演目は「振鉾(えんぶ)」となっている。鉾によって場を清めるという意味があるようだ。本来の舞楽では「振鉾三節」と称し、左方の舞人1人、右方の舞人1人、両方2人という順番で舞う。このスタイルがよく守られているところは多い。

ふと、部屋に置いてあるお土産を取り出した。舞楽「振鉾」のものだ。

これは山形県西村山郡河北町谷地の「谷地舞楽」の「燕歩(えんぶ)」だ。


これは新潟県糸魚川市一の宮の「天津神社舞楽」の「振鉾」だ。
ともに左方舞、右方舞とは言っていないが、舞楽法会の形式をよく留めている民間の舞楽だ。

これから春祭りシーズン。山形路や新潟の西頸城地域では舞楽が行われる。いろいろ見に行きたいものだ。