線翔庵日記



おまつり、民謡、三絃、名水、温泉、酒、そして音楽のこと…日々感じたことを綴ります。

群馬~栃木を巡る②

2009年09月23日 22時15分11秒 | 日々雑感
やぶ塚温泉で過ごし、今日は帰らねばならない。
せっかく遠くまで来たので、太田市をうろつくことにした。

太田といえば子育て呑龍様で知られた古刹・大光院。子どもがいるわけでもないが、せっかくなので寄ってみた。

ここは新田義貞を追善するために徳川家康が建てた浄土宗の名刹。貧民の子供を弟子の名目で養育したという呑龍上人は、広く親しまれた方だ。
「太田甚句」にも

♪太田子育て呑龍様へ 可愛い坊やの願掛けに
 ハァーヨーイヤサッサ ヨーイヤサ 

という歌詞があるが、太田では親しまれていることがよく分かる。

さて、次は巨木だ!下調べをしておいた、反町薬師で知られる照明寺へ行く。ここに大きなクスノキや古い藤がある。

続いて、旧尾島町にある浄蔵寺へ向かう。場所は太田市でも南部だ。ここは日光例幣使街道・木崎宿をかすめる。ここは「八木節」の原型の1つ。「木崎音頭」の里だ。関連するものはあるかな…とも思ったが、一応素通りして、大イチョウ探し。

あった!

目通り11mの大イチョウは、群馬県最大のイチョウなのだそうだ。結構な迫力だ。

さて…ここまで来て感じたこと。桐生~足利~太田あたりを廻ったが、栃木と群馬の境界がはっきりしない。生活圏、文化圏が同じというか入り交じっているような印象だ。
民謡「八木節」は、群馬県民謡のイメージだが、堀込源太は足利の人で、栃木県民謡に分類される。埼玉県も含めて、広く歌われているが、このあたりは来てみて分かったが、県境はあってないような感じ。長野県とは随分違う。

実際に来てみて感じた「八木節」の周辺を巡る旅も終わり。

一端桐生に戻ってみたが、疲れ気味で、再び赤城山南面道路を西に進み、渋川市、中之条町を通る。前原大臣が来た長野原町も、そんなに混んではいない。静かな吾妻の道を進み、上田へ戻った。
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群馬~栃木を巡る①八木節探訪ツァー

2009年09月22日 20時40分30秒 | 日々雑感
本年は9/19~24の5日間が、最大5連休となり、秋のゴールデンウィーク。これをシルバーウィークというのだそうだ。

今日からちょいと群馬へ出かけようということになり、線翔家ご先祖の地、群馬・吾妻での墓参、そしてせっかくなので「八木節」関連の地、桐生~足利へ行くことにした。

朝7:00頃、上田を出る。鳥居峠越えに群馬県嬬恋村に入る。群馬の方が曇り空だった。
さて、嬬恋村を過ぎると、ただ今全国に知られている長野原町だ。八ツ場ダム建設中止をマニフェストに掲げた民主党の政権交代後、注目の場所。ここは、我が家が群馬へ行くたびに通る場所なので、「いつ出来るんだろう」と、ず~っと思いながら通過していた場所だ。思わず写メ!

確かに中止した方が金銭的にはいいと思う。そして報道されているように住民は納得しないだろうな…とも正直思った。ここまで出来上がってる橋脚、ど~するん?とも思った。
途中、ダムを説明する「やんば館」という建物の前後は大渋滞。報道の車やマイク持った人がウロウロしていた。明日、前原大臣が来るということのせいだろうか?

さて、思わぬ渋滞をくぐり抜け、中之条町へ。お彼岸ということで、ご先祖の墓参を済ませる。

そして、渋川市方面へ進み、道は国道17号をかすめて、旧子持村を通り、赤城山の南面道路を進む。ちょっと天気が悪く、あいにく赤城山は見えなかった。ここで昼飯に「うどん」を食べた。ソバっ食いの自分であるが、上州に来ればうどんだな。おいしかった。

いよいよ桐生市だ。さすがに遠い。群馬県でも最も西の吾妻から、東の桐生へ来たわけだ。まさに群馬横断だ。さらに、足利へ行きたかったので、国道50号線へ出る。ここまで来ると関東平野というのだろうか?山は低く、広々とした平野を行く。長野とはちがった風景だ。道路標識も「深谷○○㎞」とか「水戸○○㎞」という文字が見える。ここは間違いなく関東だ!

さて標識に従って進む。いよいよ栃木県足利市だ。中心市街地は国道からは北部。渡良瀬川を渡らなければならない。そして足利駅近くにある観光会館「太平記館」を探す。あった!しかし、さすがにシルバーウィーク。なかなか入れない。しょうがないので足利駅まで戻り、有料駐車場へ停めて、慌てる。時刻は13:55。実は、この場所で「観光八木節」があるというのだ。
足利では、この太平記館の駐車場で、4~11月の日曜、祝日の午後2:00~3:00に「観光八木節」が演じられるのだ。市内の八木節の会の方々が演じてくださる。

よし!間に合った!


樽、太鼓(宮太鼓&締太鼓)、鼓、鉦、そして笛によるお囃子、そして唄が聞こえてくる。それにしても、あのチャカポコチャカポコが聞こえてくると、ワクワクする。何てこんなに日本人のハートにしみ入るのだろう!
歌詞は、未確認だが「足利観光」的なものだったような気がする。

さて、歌声と踊りを拝見して、一端終わると、「次は2:30から行います」とのこと。それだは…とそれまでミニ観光へ。

まず太平記館へ行ってみる。お菓子や土産物がズラリ。しかし自分は、それには目をくれず。手にしたのは「八木節CD」だ。堀込小源太さんのCDがあったので購入。
ここまで来て、足利学校へ行かない手はない。次回の「八木節」に間に合うように、大急ぎで出かける。

ここが足利学校か。やはりお寺といった佇まいだ!という直感。やはり、かつて学問を修めた場所はこういうところだったのだ。

さて、あわてて太平記館へ戻り、2回目の「八木節」を聴く。今度は、はっきり分かった。「国定忠治」だった。やはり、歌詞が分かるものはまたいい。

本場の「八木節」を味わったところで、どうしても行きたいところがある。それは足利が「八木節」の発祥の地ということで、関連の場所を訪ねたかった。足利駅から再び渡良瀬川を渡り、国道50号方面へ行き、さらに横切ると、ここが旧・日光例幣使街道だ。そしてついに発見!「八木宿」!当時の雰囲気を醸し出す場所はなかったが、信号の文字を撮るおバカである。


ここには、かつて八本の松があったとかいうが、ここで歌われた「口説節」が「八木節」。その創始者・堀込源太はここで歌い始めたのだ。
その源流は、新潟の新保広大寺口説であるという。それが日光例幣使街道沿いの宿場で歌われていたらしい。樽は、最近新潟でも総踊りで知られるようになってきた「樽砧」が、この地までも取り込まれたようだ。

そして堀込町にある宝性寺へ向かう。ここは堀込薬師として知られたところだが、堀込源太の墓があるのだ。薬師様に参拝、そして墓参に向かう。


これだけまわって、何だか満足。そして今晩の宿泊地・太田市・やぶ塚温泉へ向かう。
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新潟県糸魚川市 木浦の太夫舞

2009年09月17日 23時07分17秒 | 日々雑感
今日は新潟県糸魚川市、旧能生町の木浦地区新戸の秋祭りだった。ここでは太夫舞とか十二の舞と呼ばれる舞が演じられる。
実は学生時代に一度出かけたことがある。毎年9/17と決まっているので、今日は…休みをとって、実に10数年ぶりに出かけた。

ここの舞はいわゆる「採物神楽」。かつては、こうした芸を伝えていた神職による舞であったようだが、これが民俗芸能化したもののようだ。

この神楽と出会ったのは、新潟でちょっと調べ物をしているときに知り合ったIさんが参加されていることからだ。Iさんとは、その後やりとりさせてもらっている。自分自身も、信州の太々神楽や修験道系芸能の理解について、いろいろ考えさせられていたので、この神楽には関心があるのだ。

祭りに来たのは本当に久しぶり。神社の場所さえ忘れていた。過疎化の山里ではあるが、それでも30~40代の人たちが4~5人が舞をしている。Iさんは今回は笛を吹いていた。この神楽の楽人の皆さんも、今日は休みをとっての祭りへの参加だ。しかし、祭りのために神社へ来ているのは地区の方々オンリーで、拝殿内で見学。舞が演じられる舞台の前で、舞の画像やビデオを撮っていたのは自分だけだ。ビデオカメラを構えていると、保育園児とおぼしき少年に「オジサン、だれ?」などと声をかけられた。よっぽど珍しい「客人」だったようだ(笑)

これらの舞を絶やすことなく一生懸命伝承されている。なかなかできることではない。ちなみに、その知り合いとは同い年。自分も応援したいと思う。

<獅子>

<三番叟>

<海幸>

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秋の富山県高岡~氷見獅子舞探訪③

2009年09月13日 05時50分59秒 | おまつり
大坪町三・四丁目の獅子が終わってから、どうしようかな…と思った。やはり疲れはある。しかし、せっかく来たし、他地区でまだやっているところもある。氷見市では、昨年行こうと思ってはずれた早借に行ってみることにした。

高岡は取りあえず雨はあがっていたが、氷見に向かうにつれてだんだん雨が強くなってきた。んん~止めようかな?とも思ったが、まあ早借までは行ってみることにした。上庄地区あたりまで来ると雨もあがってきた。そして早借に着いたときは、午前1:30過ぎ。雨は降っていなかった。

そして行ってみると、宿での休憩。ギャラリーは周りにで待ちかまえている。これからいよいよ「獅子殺し」になる。あまりよく覚えていないのだが、午前2:30も過ぎたころから、ヨソブリ等の舞が始まった。


途中、石川は敷浪青年団の獅子を見ていたピカイチさんからメール。石川は結構な雨模様だそうだ。獅子殺し終わって、間に合うか分からないから帰るという。…が数分後、やはり早借に向かうとのこと。3:00まわった頃に合流する。ようやく獅子殺しになる。

途中すごい雨が落ちた時間もあったが、まあまあ何とか天気はもった。そんなはげしい雨ではあったが、それをはねのけるような獅子舞が行われた。

久しぶりの氷見の獅子殺し。


なかなかいいひとときだった。

ただ…眠くて、意識不明的な感じだった。終わったのは午前4:30頃。うっすらと明るくなりつつある。

ここでピカイチさんとお別れ。七分一青年団に行くというようなことを言っておられたような気がするが、あまり記憶がない。自分はすぐに車へ戻って爆睡!早借の道端で仮眠をとった。
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秋の富山県高岡~氷見獅子舞探訪②

2009年09月12日 23時27分25秒 | 日々雑感
夕食後は大坪町へ行くことに。
マイミクさんになっていただいている獅子方さんがおられることもあって、訪問してみた。
この大坪町三・四丁目青年団とは不思議なネーミングだが、ここはかつて土器(かわらけ)町と呼ばれた地区だ。新しい自治会名でこうなったのだそうだ。ちなみに高岡城築城400年だが、それをさかのぼる古い地区であるという。文字通り、瓦を焼いた職人町のようだ。

さて、自分が着いたときは、夜7:30過ぎで「招待花」の時間だ。暗がりの街並みだが、青年団が訪ねているお宅は元気いっぱいだ。


ここの獅子頭は毛が植えられている「熊獅子」である。白い牙がリアルな感じ。そして天狗は射水系な感じで、シャグマをふりみだして舞う。そして棒を振り回すのがやはり印象的だ。

花のお宅では華やかな舞が行われる。


花の演舞が終わったところで、マイミクさんとお話しすることができた。笛も太鼓も、そして獅子もこなし、さすがに熱い方だ。お疲れのところをしばらくおしゃべりさせていただく。また団長さんともお話しできた。皆さん、若くて熱い方々だ。
 

そして再び町廻り。まだ40軒もあるという。自分もついてまわることにした。
ところが…やはりデジカメやビデオのバッテリが低下…。やむを得ず、自動車に戻り、エンジンかけて充電に。

そして23:30を回った頃、公民館近くの家々を回る。そして最後は「宿入り」といい、現在は公民館であるが、すべての演目を演じる。雨も降ったり止んだりだが、何とか小降りになって、公民館前での演舞が終わったのは25:00前。結構な時間だ。

かつては明け方近くまで舞われたという。マイミクさんも言っておられたが、青年団の人数も減っているという。すでに保存会という組織になっている地区もあるなかで、こちらは青年団でがんばっておられる。さすが富山だ。



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