やぶ塚温泉で過ごし、今日は帰らねばならない。
せっかく遠くまで来たので、太田市をうろつくことにした。
太田といえば子育て呑龍様で知られた古刹・大光院。子どもがいるわけでもないが、せっかくなので寄ってみた。
ここは新田義貞を追善するために徳川家康が建てた浄土宗の名刹。貧民の子供を弟子の名目で養育したという呑龍上人は、広く親しまれた方だ。
「太田甚句」にも
♪太田子育て呑龍様へ 可愛い坊やの願掛けに
ハァーヨーイヤサッサ ヨーイヤサ
という歌詞があるが、太田では親しまれていることがよく分かる。
さて、次は巨木だ!下調べをしておいた、反町薬師で知られる照明寺へ行く。ここに大きなクスノキや古い藤がある。
続いて、旧尾島町にある浄蔵寺へ向かう。場所は太田市でも南部だ。ここは日光例幣使街道・木崎宿をかすめる。ここは「八木節」の原型の1つ。「木崎音頭」の里だ。関連するものはあるかな…とも思ったが、一応素通りして、大イチョウ探し。
あった!
目通り11mの大イチョウは、群馬県最大のイチョウなのだそうだ。結構な迫力だ。
さて…ここまで来て感じたこと。桐生~足利~太田あたりを廻ったが、栃木と群馬の境界がはっきりしない。生活圏、文化圏が同じというか入り交じっているような印象だ。
民謡「八木節」は、群馬県民謡のイメージだが、堀込源太は足利の人で、栃木県民謡に分類される。埼玉県も含めて、広く歌われているが、このあたりは来てみて分かったが、県境はあってないような感じ。長野県とは随分違う。
実際に来てみて感じた「八木節」の周辺を巡る旅も終わり。
一端桐生に戻ってみたが、疲れ気味で、再び赤城山南面道路を西に進み、渋川市、中之条町を通る。前原大臣が来た長野原町も、そんなに混んではいない。静かな吾妻の道を進み、上田へ戻った。
せっかく遠くまで来たので、太田市をうろつくことにした。
太田といえば子育て呑龍様で知られた古刹・大光院。子どもがいるわけでもないが、せっかくなので寄ってみた。
ここは新田義貞を追善するために徳川家康が建てた浄土宗の名刹。貧民の子供を弟子の名目で養育したという呑龍上人は、広く親しまれた方だ。
「太田甚句」にも
♪太田子育て呑龍様へ 可愛い坊やの願掛けに
ハァーヨーイヤサッサ ヨーイヤサ
という歌詞があるが、太田では親しまれていることがよく分かる。
さて、次は巨木だ!下調べをしておいた、反町薬師で知られる照明寺へ行く。ここに大きなクスノキや古い藤がある。
続いて、旧尾島町にある浄蔵寺へ向かう。場所は太田市でも南部だ。ここは日光例幣使街道・木崎宿をかすめる。ここは「八木節」の原型の1つ。「木崎音頭」の里だ。関連するものはあるかな…とも思ったが、一応素通りして、大イチョウ探し。
あった!
目通り11mの大イチョウは、群馬県最大のイチョウなのだそうだ。結構な迫力だ。
さて…ここまで来て感じたこと。桐生~足利~太田あたりを廻ったが、栃木と群馬の境界がはっきりしない。生活圏、文化圏が同じというか入り交じっているような印象だ。
民謡「八木節」は、群馬県民謡のイメージだが、堀込源太は足利の人で、栃木県民謡に分類される。埼玉県も含めて、広く歌われているが、このあたりは来てみて分かったが、県境はあってないような感じ。長野県とは随分違う。
実際に来てみて感じた「八木節」の周辺を巡る旅も終わり。
一端桐生に戻ってみたが、疲れ気味で、再び赤城山南面道路を西に進み、渋川市、中之条町を通る。前原大臣が来た長野原町も、そんなに混んではいない。静かな吾妻の道を進み、上田へ戻った。