線翔庵日記



おまつり、民謡、三絃、名水、温泉、酒、そして音楽のこと…日々感じたことを綴ります。

行く年来る年

2011年12月31日 16時27分35秒 | 日々雑感
今年もあとわずかとなってきた。いろいろ振り返ることも多い。

年始め。初詣に出かけたところ、あるお寺で、自分の星回りが今年「八方塞がり」だということを知ってしまった

それ以来、あちこちの神社仏閣に参拝するたびに、「八方除御守」を買ったり、護摩木を納めたり…いろいろ、ありとあらゆることをしてきた

その効き目があったかどうか、個人的にはそれほど悪い年でもなかったように思う


しかし、3.11.の東日本大震災、3.22.の長野県北部地震、9月の台風12号による紀伊半島豪雨災害等、まさに「災」の年だった。

自分としては、義援金をわずかばかり届けしたくらいで、何もできなかった。

日本は、どこへ向かっていくだろう。

来年はどんな年になるだろう。

自分だけでなく、日本全体、そして世界中が平和であってほしいなということを、しみじみ願う。


【松本だるま】(長野県松本市)

来年もいい年でありますように。
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忘れない。忘れられない。忘れてはいけない。

2011年12月30日 22時17分32秒 | 日々雑感
年末で、あらためて今年を振り返る的番組が続く。
やはり今年は、未曽有の大災害「東日本大震災」の記憶がいつまでも残る。今日もそんな番組が多かった。

長野の地にいて、今、本当にのほほんと暮らしているが、あの震災以降、東北の皆さんはどう暮らしておられるか、想像を絶するものだと思う。

地震発生時のオフィスのなか、津波に流される町、津波火災…。そして家族や家を探す人々の姿、捜索する消防や自衛隊、ボランティア等の人々の姿。あらためて涙を流してしまった。


特に、被災地で行われた卒業式。宮城県気仙沼市の中学校での答辞の映像を再び見た。何とも悲しく、そしてこんな思いで卒業していった15才の子どもたちの思い…。涙をこらえながらも、立派に読み上げた男子生徒の言葉は、忘れられない。


今日は未曽有の大震災の傷も癒えないさなか私たちのために卒業式を挙行していただきありがとうございます。

ちょうど10日前の3月12日。春を思わせる暖かな日でした。私たちは、そのキラキラ光る日差しの中を希望に胸を膨らませ、通いなれたこの学舎を57名揃って巣立つはずでした。

前日の11日。一足早く渡された、思い出のたくさん詰まったアルバムを開き、十数時間後の卒業式に思い出を馳せた友もいたことでしょう。「東日本大震災」と名づけれる転変地異が起こるとも知らずに。

○○中学校といえば「防災教育」といわれ、内外から高く評価され、十分な訓練もしていた私たちでした。 しかし、自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、私たちから大切なものを容赦なく奪っていきました。天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。つらくて、悔しくてたまりません。

時計の針は14時46分を指したままです。でも、時は確実に流れています。生かされた者として顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません。命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。

しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからの私たちの使命です。

私たちは今、それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。どこにいても、何をしていようとも、この地で、仲間と共有した時を忘れず、宝物として生きていきます。

後輩の皆さん、○○中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が、いかに貴重なものかを考え、いとおしんで過ごして下さい。

先生方、親身のご指導、ありがとうございました。先生方が、いかに私たちを思ってくださっていたか、今になってよく分かります。地域の皆さん、これまで様々なご支援をいただき、ありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。

お父さん、お母さん、家族の皆さん、これから私たちが歩んでいく姿を見守っていてください。必ず、よき社会人になります。

私は、この○○中学校の生徒でいられたことを誇りに思います。最後に、本当に、本当に、ありがとうございました。

平成23年3月22日



「天を恨まず、運命に耐え、助け合っていきていくこと」
こんな言葉を言わしめた大震災。


忘れない。

忘れられない。

忘れてはいけない。

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名水巡り~保命水

2011年12月29日 18時03分36秒 | 名水
上田は上田城の城下町であり、北国街道の宿場町でもある。その宿場の雰囲気を残す柳町に、この「保命水」がある。



ここでは、街並みの再生プロジェクトが取り組まれ、とても家並みがキレイになった。そんな通りの象徴の1つでもある。


この「保命水」は、明治初年に簡易水道のまさにさきがけとしてつくらた。水源は海善寺に湧く太郎山の伏流水だそうだ。水は人の世に必要なもの。まさに命を保つのは水である。
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忘年会

2011年12月28日 23時59分57秒 | 日々雑感
今日は職場の忘年会だった。市内の料理店が会場。
こういう日は、自動車を置いていかなければならないので、朝早くから起きて「別所線」で職場へ行く。

朝一番の八木沢駅。まだ暗い。朝6:19発だ。

さて、一次会は5:30p.m.から。こういう会のときは、大体生ビールを中心だ。どんなに寒くてもビールだな。

いろいろな企画があって、終わったが9:00p.m.過ぎだ。続いて行ったのは「ヤキトリ屋」。こだわって炭火焼きで出してくれる、楽しい女将さんの店。1本60円というのもいい。

さて、だんだん意識も薄らいでくる(笑)

次はラーメン屋へ行った。地元でも人気店。あっさりのラーメンをいただく。
さあ、お開きかな…と思いきや、別部隊と合流することとなる。顔だけ出す…というはずが、結局飲んでしまった。

今日は日本酒をあまり飲んでいないので、メニューにあった福島の酒を頼んでみた。
南会津町の「花泉」だ。

酔ってはいたが、香りがよくスッキリとしていて、とてもよかった。

結局、帰宅したのは1:00a.m.過ぎ。まあ、たまにはいいね!
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遠山霜月祭も終わり…

2011年12月26日 23時12分54秒 | おまつり
行きたいとか言いながら、仕事的に12月は祭りに出にくい環境のため、案外「遠山霜月祭」へは、あまり回数を重ねたことがない。

いろいろ言っているうちに、もう今シーズンの祭りはすべて終了。ああ…今年も行けずじまいだった



ここのところ、大掃除をかねて、ちょっぴり部屋の片付けをしたすると、探していたのに見つからなかったもの、あることを忘れていたものなど、いろいろな「発見」があった。

そして
探していた本が出てきた。
長野県教育委員会編「遠山まつり」(写真 信濃風土記3)昭和31年


これは、まつりの場である神社のなかで、普通に売られていたので、即買いした記憶がある。ちょっと見たかったときに、すぐに見つからず、ようやく探り出したのだ。


あらためて本をめくってみた。
写真がいい。遠山谷は、現在出かけても、古い雰囲気を残していると思わせるが、この本に出てくる写真は、とにかく貴重な風景が写っている。舞人の装束の微妙なちがいも感じる。

そして文章は、「遠山風物記」のページが、信州の民俗学徒では知らない者はいない向山雅重氏。そして「遠山のまつり」のページが、三隅治雄氏。三隅さんは、遠山のまつりへ来たときのことをなつかしげに語られるのをお見かけする。三遠南信の「芸能の谷」へは、足繁く通ってこられた。

この本を見て、ふと思った。発行が昭和31年ということは、今から55年も前。すると三隅さんがこの文章を書かれているのは20代後半か30才になられたくらいではないだろうか。今とちがって、自由に遠山入りするのが難しい交通状況のなか、柳田国男を筆頭に、早川孝太郎の「花祭」、折口信夫の「新野の雪祭」や「西浦の田楽」の紹介はよく知られているが、「遠山霜月祭」はもう少し時代があとなのだ。そして、当時20代の若き研究者が、この「遠山まつり」の書に文章を寄せておられたことに、驚きと感動。


こうした先人たちの資料にふれると、知らないことばかり。…というか、今でもまだ分からないことばかり。体力のあるうちに、訪ねておきたいまつりだ。
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