大河ドラマ「風林火山」関連の史跡が近くにある割に行ったことがないので、いきなりではあったが、出かけてみた。とにかく川中島合戦の八幡原史跡公園すら行ったことがなかったわたくし(汗)…、とにかくいざ川中島へ!
でも…まずウチの近くから。
①上田原合戦の碑がある上田市内の石久磨神社。あった!碑が。字は半田孝海師の書だった。
②板垣信方の墓。ここは2回目だが、あらてめて来てみるとおもしろかった。愛煙家であった信方を偲んでタバコが供えられていた。ちなみにタバコは、この時代には日本には伝わっていなかったという話も聞いたことがある。千葉サンも来たのかな?
③葛尾城。坂城のヒーロー村上義清の居城。無敵の武田軍を2回打ち破ったことで知られる。まあ、ここは見るだけで素通り。
④荒砥城。上山田温泉街の上の方にある。海ノ口城のロケをやったと書いてあった。ここも素通り。
⑤雨宮渡。♪~鞭声粛々…で知られるここは、上杉軍が渡ったところ。やはり素通り。
⑥妻女山。上杉軍が陣を敷いたところ。麓を通過!
⑦松代町。真田ファンのわたくし、ここは風林火山よりも真田氏の街というイメージ。または佐久間象山、松代大本営、もっというと松井須磨子…。ただ海津城は武田方の高坂弾正が最前線としていたところで、やはり外せない。しかし行ったことがあるので素通り。
⑧八幡原史跡公園。有名なのに初めてきた!やはりドラマの影響か、大型観光バスの客がいた。何と言っても八幡社。そして一騎打ちの像、三太刀七太刀の碑、執念の石…。そして長野市立博物館では特別展体感!川中島の戦い2007!(500円。3/24~12/26)の看板が目に入ったので、取りあえず入ってみた。
出口あたりに出演者のサインがあった。信玄役の亀次郎サンのサインが毛筆で「風林火山」と達筆で書かれていた。カッコイイー!
⑨山本勘助の墓【画像】。松代町柴にあった。山本勘助はもちろん知っていたが、松代にあったとは、正直知らなかった(汗)。場所は千曲川の更埴橋のたもと、堤防の外側のようなところにひっそりとあった。もともとは阿弥陀堂境内にあったそうだが、お堂は流されたらしく、墓だけがあった。墓の反対側を見ると長野市立博物館が見えた。やはり八幡原の見えるところだ。内野サンもお参りに来たのかな?
⑩典厩寺。典厩公とは武田信玄の弟・信繁公のこと。ここにはお墓があった。境内には資料館や「首きよめの井戸」(怖)など関連史跡もある。川中島300年記念で建てられた閻魔堂も有名で、日本一の閻魔様が睨んでいる。ちなみに信繁というと、イメージでは真田信繁。もちろん真田幸村公のことだが、やはり兄・信玄公思いの信繁公にあやかったのかな?真田昌幸公!
さて帰ろうとしたが、松代大橋の脇にドライブイン・おぎのやが目に入った。もちろん夕飯に「峠の釜めし」を買うために行った。すると…その駐車場にも史跡が…!
⑪胴合橋(どあいばし)。啄木鳥戦法を見破られ、敵陣に突っ込み、散った軍師・山本勘助。その討ち取られた勘助の首を家来が敵から奪い返し、川で首を洗っていると、流れてきた胴体とピッタリ合ったといい、つなぎ合わせた場所といわれているのがこの胴合橋だそうだ。真新しい石碑があった。見ると平成19年3月。最近除幕式があったばかりだ。じっと碑を読んでいると、近くのおじさんが「これは昔は別の場所だったんだよ!おらあ、近所の者だがねえ。」と声を掛けてきた。史実はともかく、ナゾの多い山本勘助だが、墓やこうした史跡の存在を考えると、やはり実在したんだろうなーと、あらためて思わされた。
大急ぎで巡った「風林火山」史跡巡り!地元にいながら行ったことがなかったところへ行ってみた。ここに武田信玄が通ったのかな?ここに山本勘助が眠ってるのかな?と想像すると楽しい。
またどこかへ行きたい!
でも…まずウチの近くから。
①上田原合戦の碑がある上田市内の石久磨神社。あった!碑が。字は半田孝海師の書だった。
②板垣信方の墓。ここは2回目だが、あらてめて来てみるとおもしろかった。愛煙家であった信方を偲んでタバコが供えられていた。ちなみにタバコは、この時代には日本には伝わっていなかったという話も聞いたことがある。千葉サンも来たのかな?
③葛尾城。坂城のヒーロー村上義清の居城。無敵の武田軍を2回打ち破ったことで知られる。まあ、ここは見るだけで素通り。
④荒砥城。上山田温泉街の上の方にある。海ノ口城のロケをやったと書いてあった。ここも素通り。
⑤雨宮渡。♪~鞭声粛々…で知られるここは、上杉軍が渡ったところ。やはり素通り。
⑥妻女山。上杉軍が陣を敷いたところ。麓を通過!
⑦松代町。真田ファンのわたくし、ここは風林火山よりも真田氏の街というイメージ。または佐久間象山、松代大本営、もっというと松井須磨子…。ただ海津城は武田方の高坂弾正が最前線としていたところで、やはり外せない。しかし行ったことがあるので素通り。
⑧八幡原史跡公園。有名なのに初めてきた!やはりドラマの影響か、大型観光バスの客がいた。何と言っても八幡社。そして一騎打ちの像、三太刀七太刀の碑、執念の石…。そして長野市立博物館では特別展体感!川中島の戦い2007!(500円。3/24~12/26)の看板が目に入ったので、取りあえず入ってみた。
出口あたりに出演者のサインがあった。信玄役の亀次郎サンのサインが毛筆で「風林火山」と達筆で書かれていた。カッコイイー!
⑨山本勘助の墓【画像】。松代町柴にあった。山本勘助はもちろん知っていたが、松代にあったとは、正直知らなかった(汗)。場所は千曲川の更埴橋のたもと、堤防の外側のようなところにひっそりとあった。もともとは阿弥陀堂境内にあったそうだが、お堂は流されたらしく、墓だけがあった。墓の反対側を見ると長野市立博物館が見えた。やはり八幡原の見えるところだ。内野サンもお参りに来たのかな?
⑩典厩寺。典厩公とは武田信玄の弟・信繁公のこと。ここにはお墓があった。境内には資料館や「首きよめの井戸」(怖)など関連史跡もある。川中島300年記念で建てられた閻魔堂も有名で、日本一の閻魔様が睨んでいる。ちなみに信繁というと、イメージでは真田信繁。もちろん真田幸村公のことだが、やはり兄・信玄公思いの信繁公にあやかったのかな?真田昌幸公!
さて帰ろうとしたが、松代大橋の脇にドライブイン・おぎのやが目に入った。もちろん夕飯に「峠の釜めし」を買うために行った。すると…その駐車場にも史跡が…!
⑪胴合橋(どあいばし)。啄木鳥戦法を見破られ、敵陣に突っ込み、散った軍師・山本勘助。その討ち取られた勘助の首を家来が敵から奪い返し、川で首を洗っていると、流れてきた胴体とピッタリ合ったといい、つなぎ合わせた場所といわれているのがこの胴合橋だそうだ。真新しい石碑があった。見ると平成19年3月。最近除幕式があったばかりだ。じっと碑を読んでいると、近くのおじさんが「これは昔は別の場所だったんだよ!おらあ、近所の者だがねえ。」と声を掛けてきた。史実はともかく、ナゾの多い山本勘助だが、墓やこうした史跡の存在を考えると、やはり実在したんだろうなーと、あらためて思わされた。
大急ぎで巡った「風林火山」史跡巡り!地元にいながら行ったことがなかったところへ行ってみた。ここに武田信玄が通ったのかな?ここに山本勘助が眠ってるのかな?と想像すると楽しい。
またどこかへ行きたい!