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線翔庵日記



おまつり、民謡、三絃、名水、温泉、酒、そして音楽のこと…日々感じたことを綴ります。

カラストビ

2012年02月18日 17時52分19秒 | おまつり
厳寒の2月。福井県池田町の水海の田楽能舞は、毎年2月15日に行われている。今頃気がついた…。

この芸能は、大変古風な田楽と華やかな能舞だ。伝説によると、約700年前の鎌倉時代、時の執権・北条時頼が全国を回っていたところ、水海に着いたときは冬であったそうで、水海で滞在することになり、村人が時頼のために田楽を舞ったという。これに報いるために、時頼は村人に能を教えたという。

自分は、この水海の田楽能舞は、とても印象的。学生時代に出かけたのだが、自動車を運転するようになって、初めて高速を運転して、福井まで行ったのだ。しかも、その日は確か雪降りだった。

この水海の田楽能舞で大変印象的な舞に「烏とび」がある。


全身黒ずくめの衣装で、「インヤーハー」の掛け声で、片足ずつ跳びながら、四隅を一周するだけの舞なのだ。

「カラストビ」というと、修験道の修法が思い起こされる。一見、不気味とも取られる烏は、修験道では神聖な鳥なのだ。

「カラストビ」といえば、有名なところでは、能の「三番叟」に跳ぶ所作がある。また修験道の儀礼として、山形・出羽三山の1つ、羽黒山の松例祭は、よく知られている。

修験道系の芸能としては、奥三河の花祭にも「ウサギトビ」とともに「カラストビ」がある。サッカー日本代表のシンボルでもある「ヤタガラス」につながり、カラスは神聖なのだ。


そして、自分がこだわった新潟県糸魚川市能生の能生白山神社舞楽の陵王の舞のなかに「カラストビ」がある。

軽やかにピョンピョンと跳ぶ所作だけだ。舞楽の所作に「カラストビ」があるという意味…やはり地方の舞楽も、修験道系の芸能ということができるのかな?ということを確信したのである。

民俗芸能を何でも修験道と結びつけるのはどうかとも思うが、どうしても修験道や両部神道といったニュアンスがあることが想像される。




どなたか…修験道と民俗芸能との関連を明らかにしていただきたいものだ。

まだ見ぬ「西浦田楽」

2012年02月09日 22時42分21秒 | おまつり
三遠南信のなかでも、特に古風をたたえる祭りに、静岡県水窪町の「西浦(にしうれ)田楽」ががある。この開催日は、毎年旧暦の「1月18日~19日」、そして開催時間は「月の出(20:00~21:00頃)から翌日の日の出(7:00~8:00頃)まで」という。
新暦となっている現在でも、厳格に旧暦の開催を守っている、しかも祭りが「月の出」から「日の出」までということは、何とも分かりやすい。
今年のまつりは、まさに本日。平成24年2月9日~10日だそうだ。



本来、祭りとはこういうものだったのだな…ということを示してくれている。

かく言う自分は、まだ訪ねたことがない。水窪町へは行ったことがあるが、出張で出かけた飯田市南信濃で泊まった翌日のことで、特に祭りとは関係のない日。それでも、一応西浦観音堂の場所だけはチェックしてきた、おバカである(笑)

ただ、愛知・新城市で行われていた「奥三河芸能祭」(現在は取り止めている)のステージで、何演目か上演されたのを見たことはある。しかし、これはあくまでフェスティバルであるので…(笑)

また、何年前だろう…三遠南信をうろついていた頃、愛知・鳳来町にある、自分のお気に入りの「奥三河書房」さんで、こんな本を買った。

須藤功『西浦のまつり』未来社1970年

すごい写真集だ。これはレジェンド的な1冊。行ったことのない自分のような者が持っていても、大して意味ないくらいだ。

それにしても、今日は寒い。本日、お訪ねになっている見学者の皆さん、お風邪など召されないように!


道祖神祭り

2012年01月28日 17時39分39秒 | おまつり
信州では野沢の火祭りとして知られる道祖神祭りが有名だ。
しかし、ウチの近所でも可愛らしい道祖神祭りが、この時期行われている。

今日、ちょっと出歩くと、あちこちでこのような行灯と旗が立てられていた。

【上田市八木沢】

本来子どもの行事で、行灯の文字が何とも可愛らしい。他地区では、子どもがお札を刷って配ったり、甘酒などを振る舞ったりするのを見た記憶がある。

この地区の行事そのものは見ることはできなかったが、どんな行事をするのかな?
こうした民俗行事を大切に伝えていってほしいものだ。

平清盛と陵王

2012年01月22日 16時56分00秒 | おまつり
今年のNHK大河は「平清盛」だ。松山ケンイチさんの主演で始まった。どこぞの知事が「画面が汚い」とか言っていたが、まあ放っておいて(笑)、1年間楽しく見ようかな!?と思っている。

さて、民謡好きにとって、平清盛といえば、《音戸の舟唄》(広島県民謡)をまず思い出す。
♪ヤーレーノ ここは音戸の瀬戸 清盛塚のヨ
 岩に渦潮 ドンとヤーレノー ぶち当たるヨ


「音戸の瀬戸」とは、小さな島々が点在する瀬戸内海で、船の往来のために切り開かれた場所。この工事のために、清盛が沈みゆく夕日を、扇で招き返そうとしたという話が知られている。

この話を聞くと思い出すのが、新潟県糸魚川市能生白山神社舞楽の最後の演目、陵王だ。

能生白山神社舞楽は稚児を中心とした地舞楽であるが、この陵王は、最後のクライマックスを飾る重い舞である。

この舞のなかで、長い演舞の前半の最終部で、「日を抱く手」という部分がある。舞台の真ん中に立ち、両手を徐々に挙げていく。右手に中啓をもち、両手を頭上にかざし、手を招くような所作をする。




これが、日本海に沈んでいく太陽を招く手であると、地元では言われている。
現在、中央の舞楽の「蘭陵王」にはこの手は遺されていないのだそうだ。しかし、伝承にはあるようで、地舞楽の世界にこうした所作が遺されているのは興味深い。

ところで、能生白山神社の舞台はどこを向いているか?方位磁石で測ってみると、ほぼ真西を向いている。境内では、舞台の前は「秋葉社」があるのだが、かつての神仏混淆のころは「薬師堂」であった。しかし!その延長線上を見ると、能生の名所の1つ「弁天岩」があり、そこには厳島神社が祀られている。

陵王は一体、どこを見て日を招いているのだろう?少なくとも西を向いているのは間違いないし、地元でもこの伝承はよく知られている。コレが、厳島神社を向いているとすれば、平清盛の話と結びつく。

何でもエピソードを結びつけるのはどうかとは思うし、実際、能生白山神社は、かつては現在とは若干ちがうところに位置していたことが分かっているので、この意識はないのだろう。この陵王と平清盛のエピソードと結びつけるのは無理がある。

しかし…厳島神社での「蘭陵王」の画像はよく見かけるし、この時代にあって舞楽の嗜みはあったわけで、そんなことをイメージすると、何ともロマンがある。少なくとも、民俗芸能で、鎌倉時代よりも前までイメージが遡れるというのは、舞楽と神楽くらいではないだろうか。

いろいろなイメージをふくらませると、楽しい。

おとっさま!!

2012年01月16日 18時50分53秒 | おまつり
「新野の雪祭」が今年も終わってしまった。昨年は出かけたのだが、今年は行くことができなかった。新野の雪祭は民俗学徒にとっては、夏の盆踊りとともに、特別な場所なのだ。

自分が初めて新野の雪祭へおじゃましたのは平成元年の1月14日の晩。当時、昭和天皇崩御の直後であったので、世の中は歌舞音曲の「自粛」がキーワードであった。この年は、何と「乱声」の「ランジョランジョ~」が自粛された。

しかし、それ以来、随分通ってきた。まったくくだらない「ハッピーマンデー」という、どうしようもなく無意味な休日設定のおかげで、1月15日の「成人の日」の休日がなくなってしまってから、新野へは本当~に行きづらくなってしまった。

新野の祭りで、いちばん好きなシーンは数々あるのだが、自分がお気に入りなのは「庭の儀」だ。「乱声」から「お庭開き」で、庁屋から笹をもってササラ衆が飛び出し、面形の舞の最初である「サイホウ」を待ちかまえる瞬間。これはもう涙ものなのだ。

「サイホウ」の顔を見ると、
ああ!新野へ来た!
と思う瞬間だ。

新野では面形の神様のことを「おとっさま」と呼ぶ。
「おとっさま!いい腰つきだね~!」などと、声がかかる。

また、花祭の味噌塗りとはちがって、「サイホウ」は「ホッチョウ」と呼ばれる男根状の棒を擦り付けられる。基本的には女性専用のハズなのだが、自分もなぜか何回か擦られた(笑)


「サイホウ」の顔を見ると、「ああ今年も会えた!」と、いつも思うのだ。


それまでの延々と続く、神事舞の部分も新野の魅力だが、やはりお庭での舞は感動でいっぱいだ。

遠山の霜月祭や天龍村の霜月神楽とは、おもむきのちがう田楽祭。やはり五穀豊穣を祈る祝祭的雰囲気を感じる。今年は行けなかったが、来年こそは行きたいな!