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【伊予国遠征4】河後森城3、本郭~西段々曲輪へ

2021-08-01 23:18:13 | 伊予国の史跡

2021年2月21日(金)
古城→新城を探索後、


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次は本郭(本城本丸)を目指します。


11時15分

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↑東第三曲輪→東第二曲輪の南側斜面の犬走を登る


振り返ると古城方面が見えるf:id:umahide:20210713233701j:image
↑東第二曲輪は薄く上下段に分離してます


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本郭が見えてきた

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発掘調査の結果に基づいて掘立柱建物跡(主殿舎)が復元されてます


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東西12m、南北9m


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縁側は板の間↑
客人・家来・主人などの部屋は畳で、


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ここで公式の儀式が執り行われたと推定されてます
出土遺物は15世紀~16世紀にかけてのものばかりなので江戸時代には使用されてなかったようです。


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柱は岩盤を丸く掘って建てたそうです。


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広見川方面を見る。
眺望抜群!

西南部に門跡


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一段下の西第二曲輪との間に通路、門、堀切、土橋。
いずれも岩盤を切り抜いて造ったそうな。


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2つの時期差があるのでちょっと構造かややこしい。


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石垣、通路は新しい時期で1600年前後。
関ヶ原合戦頃ですな。


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次の下の郭の「西第二曲輪」から振り返って本郭を見る

土橋の左右に堀跡、石垣がよくわかります。

でもホントにこれは土橋だったのか?

右手に犬走通路虎口があるので中央に土橋があるのは解せない。

これも時代差なのか?


「西第二曲輪」


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本郭とほぼ同じ位の大きな曲輪。
例のごとく平坦地。
北側下に腰曲輪あり。

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こちらも南側に犬走通路あり、


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そして、西第三曲輪との間の細い堀切。


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堀切そのものは浅く幅も狭いが西二曲輪の切岸と物凄い落差がある。
堀切通路は人間1人通るのがやっとの狭さ。


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この堀切は通路として北側の腰曲輪と行き来できるようになってたと思われる。

というか、後で腰曲輪から行けることを確認しました。

西第三曲輪~尾根先端の第10曲輪までは段々曲輪として下がっていきます。


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曲輪ごとの切岸に萌えます↑

西第六曲輪の西側に犬走通路があり西出曲輪へ行けます


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西出曲輪は西第三曲輪の尾根伝いに西側にあります。

整備されてなくてちょっと藪状態。

西出曲輪はパンフレットに掲載されてません。
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二段で竪堀、空堀っぽいものを確認しました


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土塁が初めて出てきました!
さらにその下にも曲輪がありそうだが無茶するのはあきらめた


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この後、帯曲輪から上り↑


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第二と第三の間の細い堀切に戻りました

人間1人通るのがやっとの細い堀です。

この後、段々曲輪を下り先端部の西第十曲輪へ向かいます。

続く~

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

小浜市の天ヶ城跡に登りました。

二重堀切がありました。

山頂部は物見櫓かな?

と思わせるほど小さな曲輪でした。


それよりも山頂付近で雷鳴が何度も襲いかかり、生きた心地しなかった。


急いで下山したため膝痛めた


結局、雷は鳴っただけで雨は降らなかった…


馬《●▲●》助ヒヒーン♪

コメント
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