馬ひでの助

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【勝龍寺城跡】探訪、その③

2019-06-12 22:15:57 | 山城国の史跡

2019年6月01日(土)

勝竜寺城跡公園

から南へ移動しました。

13時17分
『勝龍寺』


お寺です
由来は、
平安時代 空海(弘法大師)の開基。
元の寺号は恵解山青龍寺で、観音堂を始め九十九坊が建てられていたといわれます。
大干ばつ大飢饉の年に住職千観上人の祈祷で雨が降り、
龍神に勝ったという意味から「勝龍寺」と改名されました。


「3代目の梵鐘」


初代は、大坂の陣の時に持ち去られた。
現在は、大阪府豊能町の真如寺にある。
2代目は、1766年に造られたが、先の大戦で供出した。
これは、昭和52年に造られた3代目です。

「ぼけ封じ観音」


ボケ化が進む我が輩として藁をもすがる思いで、合掌した。

隣に
『春日神社』

1174年、九条兼実によって建立された。
奈良の春日大社から勧請された、と考えられる。

この勝龍寺が、城の名前の由来となった。
本来は勝龍寺地域全体が寺域だったとか?

想定復元図によると、この南に
築山屋敷があったようだ。


13時24分
小畑川の『大門橋』

橋のたもとに冠木門が再現されてる。


「勝龍寺城大門橋」と書いてある

小畑川は城の外堀の役目がある。
ここに大手門を構築して、惣構え城下町の出入口とした。

つまり、この橋から城跡公園南側入口までが大手道ということですな。

京都市内方向を見る。


昔は東寺の五重塔が見られただろうな。

これにて寄り道、一旦終了。

再び長岡京駅に戻り、西国街道歩きをしました。

ついに西国街道にも手を出した。
終点は下関。

さて、死ぬまでに行けるかな?


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

老後の2000万円問題でなんやかんや騒いでますが、

現在老後の我が輩、

年金だけでは生活できなくて
貯金を崩してます

年金だけをあてにするのは
やめましょう


馬《●▲●》助ヒヒーン♪"



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