馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
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地名夜話19.05.01

2019-05-01 22:37:43 | 歴史地理
"地名ちょこっと紹介

【山武市】千葉県
さんむし。
太平洋岸、九十九里浜に面する市。
平成の合併で誕生した。
当初、九十九里市、太平洋市という大きな名前の市名になるということで注目されたが、さすがにこれは没となった。
郡名の山武郡にちなんで、山武市として正式に発足。
それまでの山武郡山武町は、「さんぶぐんさんぶまち」だったが、
あえて、「さんむ」にした。
これは、本来の山武郡が武射郡(むさぐん)だったので、合併にちなんで濁らずにさんむという言い方に変えた。

とはいうものの、
母体となった山武町は、
この地方特産の山武杉(さんぶすぎ)にちなんで名付けられた町名だとか?

ならば、やっぱり、さんぶでいいんじゃないの?
と思ったりするのだが、
部外者のおっサンの言うことは、ムシゃ?

だがしかし、
このまま終わるとオッサンとしては困る。
今回はお城繋がりの地名を取り上げてる。
山武市もお城があったのだ。

合併は、全部で4つの町村が参加した。
山武町の他に、
『成東町』なるとうまち
日本武尊が東征の折り、この地を訪れ、太平洋の荒波が岩をかむさまを見て「鳴濤、成東」と命名した。


『蓮沼村』はすぬまむら
正嘉元年(1257年)、の石橋丹後守の時代に京都の知恩院から浄土宗の布教のため記主弾師という僧侶が当地へ説法の折、現在の上谷区前沼にハスの花が咲いていたので蓮沼と命名した。


『松尾町』まつおまち
明治元年に掛川から移封された太田氏が山林を切り開いて「松尾」と命名した。この名が由来とされている。

いずれも、自然の地理が由来ですな。

だがしかし、しかし、
松尾町に関してはちょこっと由緒が深い。
同じ山武郡の芝山町に明治元年、太田資美が遠江国掛川から移って五万石の柴山藩が誕生した。
藩庁は芝山仁王尊として有名な観音教寺に仮住まいしていたが、これではイカンということで、
明治2年、山林を切り開いて松尾城を築城し、松尾藩となった。
そして、松尾町になる。
だから、松尾町の名付け親は太田資美。
実は掛川城の別名が松尾城。
つまり、故郷の掛川城を懐かしんで名付けられた、というわけなのである。


だがしかし、しかし、しかしだ、

築城途中の明治4年廃藩置県があり、
松尾城は未完成としてThe End。
藩はわずか4年の命でした。

もし完成してたら、五稜郭のような
西洋風の多角形要塞の城として、百名城に指定されてもおかしくない城になったと思うだけに残念ですな。

ちなみに藩主の太田資美は、最初に紹介した岩槻城の岩槻太田氏、いわゆる太田道灌の子孫だと言われてます。

わかりしたか?山武市のみなさん!

ようやく、お城地名が出てきたぞ!

それはともかくとして、
部外者のおっサンの言うことは、ムシしゃ!
とは言わずに、
滋賀県の草津市に行き、
太田道灌ゆかりの清酒『道灌』を飲むべし!

て、最後はそれかい?


明後日に続く!



Φ(*^ひ^*)Φ

令和元年、最初のメルマガとなりました。

正月のようにみなさん、
めで鯛、めで鯛、と喜んでます。

めでたいなら、何かくれ!

令和だけに、

もらっても礼は、言わないよ…

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

実は、「令」のつく地名を必死になって調べてたが、
超少ない!

地名としてこんなに使われてない漢字は珍しい。

でも、平成と同じく
令和と名付けた施設や会社がこれから次々に誕生するだろうね。

令和のイワレは、言われなくてもわかるよね


馬《●▲●》助ヒヒーン♪"
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動画【阿波一宮城】その1

2019-05-01 14:48:16 | YouTube動画

 

2019年3月30日

阿波一宮城、登山口から明神丸、才蔵丸へ

 

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