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馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
そして滋賀県情報&つぶやき
β《#^ひ^♯》でヒヒーン

神護寺に参拝、高雄城跡を探索した、の巻

2025-02-28 11:47:00 | 丹波国の史跡
2025年1月30日
前回、世界遺産高山寺に参拝したが、
今回はその南隣の神護寺を訪ねた。

高雄(神護寺)バス停。
JRと市バスが運行していて本数も多い。
京都駅から遠くてバスで50分、
しかし、市内均一料金区間なので230円という安値。
我々のような市外からの観光客は姫路城のように高値に設定してもいいのでは?

参道を登り楼門の裏に受付とトイレあり。料金600円也。


神護寺は平安京造営の最高責任者の和気清麻呂公が創建した。
その後、国家安泰を祈願する寺として神護国祚真言寺と改名された。

最澄や空海も入山され、現在は高雄山神護寺として京都を護っておられます。

奥へ進むと毘沙門堂、大師堂。


実は神護寺は【高雄城】の館跡でもある。
京都府教育委員会の縄張図によると

大師堂付近が曲輪②で、

石段上の高台にある金堂が曲輪①、主郭というわけ。
上段と下段曲輪の関係ですな。

足利直義が、新田義貞側に付いた神護寺に対して城郭を撤去するように命じた史料が残ってるそうな。

西へ向かうと井戸



堀切土橋になってる。

その北西尾根に段曲輪群が連なる。


南端の地蔵堂はさしずめ物見櫓の役目があったかも?
ここでかわらけ投げをした。


かわらけは受付と金堂で買えます。
3枚200円。
目標物は設定されてなくて、
谷底へ投げるだけで厄払いとなる。
土器を下向きにして投げます。
投げ方は金堂で教えてもらった。

この日は雪が舞う極寒、
谷底から吹く風に煽られて雪が舞い上がってくる。

投げたかわらけも吹き戻されるんじゃないかと、焦る。
戻ってきたら厄払いにならんぞ!

もう厄年とは無関係な年齢になったので
厄にも嫌われる我が輩、
厄も役立たず…


主郭の金堂の裏に多宝塔がある。

主郭の上の櫓台という位置です。

厄に関係ない我が輩は土足で、
いや登山靴で
山頂の詰城へ向かいます

なお、京都市右京区は山城国じゃなくて
丹波国に属します。

念の為に申すで、ゴザル

後編に続く


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

母の介護をしてた頃は
隙を見て城跡史跡巡りしたが、
時間制限があるため、県内近辺ばかり探索してた。

現在、日時制限が撤廃されたため
羽根を伸ばして遠方へ行くことが多くなった。
そのため、地元など県内の探訪が疎かになってきた。

先日は早朝、電車バスで片道4時間もかけて三河の足助城へ。
車なら山頂近くまで行けます



建物が復元されていて見学しやすい





お雛様が飾られてた

あまりにも遠くて
帰宅したら深夜になってた。

遠くばかり行ってると
足元すくわれるぞ!

と、戒めるべし、ですな。

馬《●▲●》助ヒヒーン♪







コメント (5)
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鑁阿寺に参拝した、の巻

2025-02-20 19:24:00 | 日記
この冬、2回目の積雪、
前回は、

30センチ積もり

松の木の枝が折れた


今回は25センチ。
雪かきは何回目?

我が家の梅は、
まだまだ蕾です

今年は梅と桜が同時に開花するかも?


一方、先週の野州遠征で訪問した
足利学校



梅かな?咲き始めてます
関東は雪も雨も長く降ってないそうで、
暴風のために砂や土が舞い上がってました。
これはこれで大変ですな。

隣に「鑁阿寺」
読めますか?
難読ですよね。


水堀が取り巻いてます



由緒ある門

現在はお寺ですが、本来は足利氏の館でした。
百名城スタンプ押した
よく見ると前回の箕輪城、鉢形城探索から10年経ってました。

10年ぶりの関東攻めでした。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
米価高騰で家計も苦しい、

そこで、一大決心!

米食を減らした。
お米は朝のみ。
昼はパン食

夜は晩酌のみ
ビールや日本酒がお米代わり

というわけで
アル中化、進行中です


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
今週は雪で出かけられないため、
断舎離を頑張る。
腐った缶詰や油、醤油などが出てきて台所は悪臭が立ち込める

いやはや、

一方、タンスは
捨てるのがもったいないようなバッグや財布がたくさん

女性は、アクセサリーや小物が多い
まぁ、仕方ないけどね。

母が大事にしてたものを捨てるのは

なんか親不孝のようで複雑です

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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おーや、まぁ、チョコですか?の、巻

2025-02-15 16:17:00 | 下野国の史跡
野州遠征に行ったでヤス
昔の群馬県は「上野(こうずけ)国」と呼ばれた。略称は「上州」(じょうしゅう)

隣の栃木県は「下野(しもつけ)国」、
略称は「野州」やす、じゃなくて「やしゅう」でヤス
どちらも難読ですよね。

県庁の宇都宮市に
有名な大谷石の産地がある。
凝灰岩で柔らかく加工しやすいために壁や土蔵なのど石材として広く利用されてます
バスを降りたらいきなりこの景色

自然景観から加工景観か、どちらでしょうねえ

手前の巨岩は間違いなく自然の造形です。
このような景観が次々にあらわれる


これは帝国ホテルの痕跡


資料館へ。

ちなみに「大谷」は
オオタニと読んではいけないで、ヤス

「おおや」と読む

資料館(800円)

大谷石の展示

採掘場の坑道が保存公開されます

入ると、
地下の宮殿?




迷宮ですか?

ドラクエなどのゲームをした人なら
地下ダンジョン?

撮影できるが、スマホでは限界がある。
なるべくならデジカメのほうがいい。
ただし、三脚やフラッシュ禁止。

ここは是非とも訪れるべきスポットでヤンス。

受付のお嬢さんから

チョコレートをいただいた。

そうでした、そうでした!
昨日はバレンタインデーでした。

もう十数年もらったことないので、なんか嬉しかったです。

嬉しくて思わず

大谷石ラスクを買っちゃいまスク
400円です😅

というわけで、念願の大谷石の景観と採掘場を見学できて大いに満足したので、ヤンス


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
先月の静岡遠征
今月の野州遠征
に次いで
来月は岡山遠征を企んでる。

自由な時間ができて、
堰を切ったようにあちこち出かけてます
睨みを利かす重石がいないとこういう結果になる

誰か、
大谷石を背中に乗せて
暴走を止めてくれませんか?

馬《●▲●》助ヒヒーン♪












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未支払年金生活者支援給付金?

2025-02-11 09:09:00 | 日記
年金機構からハガキが来た。
母の年金に関して
また請求書かと思いきや

ご請求のありました未支払い…

いや、何も請求してないけど。

生活者支援給付金を支払ない理由は、

年金をすべて支払い済みだから。

ということは、年金未払いだったら
支援給付金をくれたのかな?

無知なな我が輩にはよくわからないお知らせ、でした。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
冬は、
峠越え、山登り、山城探索のシーズン。
期間が短いので参加を惜しんで出かけるが、

この冬一番の寒波襲来!

久しぶりに積もった



雪が積もると山へ行っても遺構を確認するのは難しい。
道路渋滞、列車運休などアクセスも大変。
そんなわけで、この時期の雪は最悪ですわ。
雪の少ない若狭や伊賀も行きにくい

いやはや…

おとなしく家の断舎離に専念しますか?



と言いつつ、

実は今夜から
雪のない地方へ遠征することにした

さてどうなりますやら…



馬《●▲●》助ヒヒーン♪



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高山寺に降参する、の巻

2025-02-06 23:50:00 | 山城国の史跡
京都市北区の鷹ヶ峯を探索した

京都市バスは、市内均一230円
運賃の支払いお釣りが出るので両替不要。
これは便利!
バスの混雑対策として導入されたそうな。

まずは国史跡へ立ち寄る
この付近、所々に御土居の遺構が残る

南の土塁は自由見学。


北の土塁は立入禁止。

「御土居」は太閤秀吉が平安京を土塁と堀で護るという壮大な土木工事の遺産。

我が輩、総構え外堀巡りが好きで丹波亀山城、小田原城、彦根城、名古屋城、姫路城など名だたる城下町の外堀を歩いて探索してきた。
次の大きな目標は江戸城、大坂城、そして京都の御土居。
いずれも、1日では回りきれない大規模なもの。
いつか制覇したいと思ってるが、余命わずかとなり、無理かな…

源光庵から登山となる。
左大文字を見て
釈迦谷山を経由する。


長坂道と合流する。
長坂古道は前回歩いたので今回はパス。
狭い道だが、生活道路として車が行き交う。
ちょっと危ない古道歩きでした。
そして、

「京見峠」
ここは京の7口の一つ。
京都市内を見渡せる峠ということで京見峠と呼ばれた。
南北朝の動乱で、後醍醐天皇の兵が京見峠に陣を張ったそうです。
長坂道は周山街道とともに京都と丹波、若狭を繋ぐ古道でした
なお、茶店は建物が残ってたが廃業されてるようでした。

ここを北へ氷室に向かうと堂ノ庭城跡がある。
現在城山と呼ばれる


二重の横堀、土塁が取り巻く城跡

これは10月に探索した。

今回は
いくつか峠を越えて

栂尾高山寺へ。

高山寺(こうざんじ、こうさんじ)は世界遺産京都の寺の一つ。

紅葉の時期は人気スポットですよね。

今の時期は無料ですが、秋は境内の入山料500円必要


石水院は有料で1000円。

見事な庭があるが、やはり紅葉の時に来るべきですな。
外人さんもいなくて閑散としてました

高山寺といえば鳥獣戯画ですよね。

今回あえて高山寺に参拝したのは
高雄城跡を探索したいから。
Googleマップには

高山寺の裏山に表示されてる


この山付近。
だが、登れそうな道がない。

ここで、気づいた!


下調べでは、城跡は神護寺の裏山にある、と。

わかってたのにまんまと
Googleマップに騙されてしまった。

腹立つので、帰宅後
すぐにGoogleマップに間違いの指摘をした。

なので、現在この表示は消去されてます。



まさに高山寺に降参でした。


馬《●▲●》助ヒヒーン♪

























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100日経った、の巻

2025-02-01 00:27:55 | 日記
先日、百ヶ日法要をしました。


鉢植えの寒菊が咲いたので、切り花にして仏花に添えました

平日ということもあり、
お坊さんと弟家族だけの少人数。


葬儀の時にいただいた胡喋蘭、
3ヶ月も咲いてくれました。
こんなに長く咲く花は珍しいですよね。
たが、もうそろそろ終わり。

鉢に植え替えたらまた来年も咲いてくれるかな?

次は骨納め。
まだ日取りは決めてない

毎日お線香をあげて母のことを忘れないようにしてるが、さていつまで続けられるだろうかな?


断舎離を初めて半年になるが、まだまだはかどらない。
一周忌までにはメドをつけたいのだが

史跡巡り、お城巡りに忙してくて後回しになってしまう。

一人になっても、相変わらず毎日が忙しくて自転車操業のような有り様

時間に追われる日々は死ぬまでか?

なんて思ってしまう今日このごろ
であります。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

雪が舞う中、3ヶ月ぶりに登城。

さすがに人が少なかったニャー


馬《●▲●》助ヒヒーン♪


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山中城の障子堀にワッフルした、の巻

2025-01-28 00:14:00 | 城跡
元日、石垣山城を堪能した後、
箱根港バス停から移動
こちらも有名な城跡なので説明は不要でしょう

本丸堀

そして、

障子堀

これ見たさに
わざわざ来たのだワッフル

二の丸は自然の傾斜地に土塁を築いた形


一旦下山して百名城スタンプget


2009年に松坂城をスタートして15年
いまだに半分しか押せてない
現在、200名城となったので全部押すのはほぼ無理…



三の丸から二の丸との間土塁交差点から西の丸へ

西の丸は障子堀に囲まれてる




日没が迫ってるので、そろそろ退却しなければならぬ


土塁囲みの見張台。
絶景かな。

小田原合戦、
北条軍は4千人の兵で守備した。
山城で4000は多い
しかし、豊臣軍は7万の大軍。
多勢に無勢でわずか半日で落城した。

とはいえ、
細い山道、大軍がイッキに進むのは無理、
もし北条氏政が本腰を入れて
倍以上の鉄砲と兵を投入して、街道に防塁と砦群を築いていれば、豊臣軍は攻めあぐね長期戦となり
最終的に講和休戦、北条家存続も可能だったかも?

山中城が陥落した時点で小田原城の運命が決まったと言って良い

かように峠を見据える城や砦は重要なのである。

以前探訪した大津山中城と違って
規模もテクニックも段違いに優れた城跡、大いに満足したワッフル!

暗くなり、下山した。






今回時間切れで
岱埼出丸探訪は断念する。

いずれ、旧東海道歩きで箱根越えをするので、その時までの楽しみとして残しておきましょう。


帰りのバス、車窓越しに見た日没後の富士山


スカイウォークから見る景色凄いだろうね。
いつか必ず!

以上です。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
翌々日、西国街道歩き




三ノ宮駅で焼きたてのワッフルを堪能しました。

美味しかったワッフル

馬《●▲●》助ヒヒーン♪






























コメント (2)
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2025/01/18

2025-01-18 11:04:00 | 日記
たぶん、あの時の…
頭痛患者帰宅させ後遺症 彦根市に賠償命じる 大津地裁|NHK 滋賀県のニュース

頭痛患者帰宅させ後遺症 彦根市に賠償命じる 大津地裁|NHK 滋賀県のニュース

【NHK】彦根市立病院で、2度にわたって救急受診した女性に医師が適切な対応を取らなかったために意識障害が残ったなどとして、大津地方裁判所は、17日、…

NHK NEWS WEB

↑の記事を見て、あの時のお婆さんだと思います。
以前、メルマガで述べたことがあるので、
その記事を転記します。

♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦記事♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦
母の病室は4人部屋。
入院1ヶ月過ぎて、部屋の中では古参となったが、実は最古参のおばあさんが窓際のベッドにいます。
入院日は5月1日。
大型連休の真っ只中ですな。
現在、ちょうど入院6ヶ月目となる。
この病室どころか病院全体での最古参かもしれない。
約二週間で転院・退院させるのが大原則の救急病院としては異例の長期入院となってる。
どんな病気なのだろうか?気になってたら、
毎日付き添ってる旦那さんが話しかけてきた。
事情を聞くとびっくりポンでした。
おばあさんは身体が丈夫で、80歳にもかかわらず毎日近くの山に登山するという健脚の持ち主。
我が母とはえらい違いですわ。
そんなおばあさんですが、大型連休直前に家のなかで何かの拍子に頭を打ったらしい。
心配になった旦那さんは、救急外来におばあさんを運んだ。
診察の結果、異常無し。
それから三日間、自宅で介護したがおばあさんの容態が変になってきたので、救急車で運んでもらった。
診察の結果、今度も異常なし。
再び自宅に戻ったが、どうみてもおばあさんの様子がおかしい。
そこで翌日もう一度救急外来に運んだ。
連休中だが、たまたまこの日に脳外科の医師がいて、頭のレントゲンをとった。
すると、頭のなかが血だらけ。
緊急手術となり、頭の両側に穴を空けて血を抜いた。
なんとか意識を取り戻したが、すでに手遅れ。
両腕及び下半身麻痺。
いわゆる半身不随。
目はかすかに見える、
喋りは、ウーウーと唸るのが精一杯。
耳だけが唯一正常で、話を聞き取れる。
こんな状態になってしまったのは、最初の診断ミスにある。
なので、最初の担当医師が誤りに来たが、
誤って済む話ではない。
旦那さんの気持ちとしては、訴訟したい。
しかし、医療ミスと違って診断ミスの場合は、訴訟しても勝つ見込みは薄いそうです。
一番最初に脳のレントゲンを撮ってすぐに手術していたら、ここまでひどい状態にはならなかっただろう。
連休中でたまたま未熟な内科医しかいなかったのが不幸だった。
まさに泣き寝入りです。
もうこれ以上手のほどこしようがないので、普通なら早めに転院させるが、病院としては診断ミスの負い目があり、転院先が見つかるまで預かるという形になり、半年もの長期入院になってしまったようです。
今思うに我が母も入院が数日遅れていたら、同じような状態になったかもしれない。
さらに、このおばあさんの前例があるために念のために救急医師が脳のレントゲンを撮ってくれたのかもしれない。
そういう意味ではホントに不幸中の幸いだったと言わねばならない。
半年間寝たきりの可哀想なおばあさん、
ついにようやく転院先が見つかり、本日転院されました。
行き先はリハビリ専門の病院です。
強靭な体力の持ち主のおばあさんなので、リハビリ頑張れば、
もしかしたら、もしかしたら、
奇跡的に両手両足動かせる身体に戻るかもしれない。
そう願うしかありません…
これでこの部屋の最古参は、
母となりました。
いつまでここにいられるか?
まだわかりません
記事終わり~~~~~~~~~~~~~~

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
その後、母も同じリハビリ病院に転院した。
その時に、旦那さんを何度か見かけたが、
暗い表情で、声をかけることができなかった。

ニュース記事によると、
結局のところ訴訟されたようですね。

あのお婆さん、もう亡くなられた…

勝訴しても
嬉しくはないでしょう。

お悔やみ申しあげます。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
実は母も血液をサラサラにする薬を服用してました。
狭心症の手術した後からずっと、でした。

硬膜下血腫の原因の一つだそうな。

このニュース記事で初めて知った

いろいろと後悔ばっかり、です。

馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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今年、初登りは石垣山城

2025-01-15 16:30:00 | 城跡
年末年始、これまでの親の介護のご褒美として5日間連続のお出かけを決行した。
青春18切符は儲からないので廃止の方向になってる。
おそらくこれが最後になるのでは?
大晦日は袋井市,掛川市の城跡を探索

秋葉バスは釣り銭方式。
面倒な両替式が多い中、これは嬉しい。

岡崎の城(遠州岡崎城)では、竹やぶのなかで彷徨、方角がわからなくて大晦日に討死しそうになった…

なんとか無事に抜け出して
静岡駅前に宿泊。


元日の朝食はホテルにて。
正月仕様でちらし寿司、おせち料理メニュー、三ヶ日みかん。
元日に親と過ごさず、多賀大社にも参拝せず異国のホテル、というのは珍しい

小田原市へ移動。


電車内から富士山を拝む。
まさに天晴れ!
今年は良いことがありますように!


出発が遅いので初日の出拝めず、残念。

翌日が箱根駅伝ということをここで初めて気づいた。

元日登山開始
道中は史跡の道になっていて、見知らぬ女性2人組と抜きつ抜かれつ進んだため、

堀久太郎と言えば賤ヶ岳の合戦で秀吉軍として最前線の東野山砦を守備した。
昔、堂木山砦との間に築かれた馬防柵付近から軍道?堀底道?を這い上がって登ったのを思い出す。
無茶したなぁ…


独眼竜政宗、今NHKBSで再放送されてるので見てます。
あの頃はまだ離婚する前でした…

そして、笠懸山(石垣山)到着。

今回の遠征は百名城スタンプ押しも目的の一つ。


小田原合戦で、徳川軍は小田原城の東側に陣を敷いた。
秀吉としては北条攻めのついでに徳川も討ちたかったのでは?
小田原城本陣の戦いとしては、総構えの外側で誰も動かず静観するなかで
井伊直政だけが唯一攻め込んでます。
家康としては面目躍如。
秀吉にしてみれば、武力で家康を潰すのは無理と判断したかも?


有名な城跡なので詳細は割愛。
一番良感激したのは


秀吉の土木量には恐れ入ります。



現地縄張図

肥前名護屋城を思い出した

背後の出城との間の通路は通行止めでした。

大堀切は現在、駐車場や通路になってるので気づく人ほとんどいないと思う。

出城に登りたかったが、時間切れで急いで下山した

箱根登山電車の入生田駅


箱根湯本駅
バスで箱根港へ向かった。

箱根港

箱根駅伝の準備されてた



次はワッフル城へ


続く

馬《●▲●》助ヒヒーン♪





















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大津山中城を探索した、の巻

2025-01-09 15:01:00 | 近江の史跡
2024年12月11日
大津市から京都市への街道、「山中越」を歩いた記録を前回投稿した。

山中町で府県境まで進み今回はこれにて打止め。

京都市側には北白川城跡群があり、いくつか過去に探索したことがある。
一方、大津側はあまり城跡が見られない。見つかってないというべきか?
重要な街道なので大津側ももっとたくさんあってもよかろうに…

山中町には街道を見据える城跡として【山中城】がある。
土豪の磯谷氏が築いたとされるが、真偽不明のようです。

まずは、山中町の山中会館で昼食

会館裏には広い駐車場があるので車はここに停めるのが良い。


登山道が無いという情報なので、会館裏から適当に直登する。

尾根先端に出た。


そして、尾根を登ると

山頂です。
すると、

虎ロープがあり少し先まで降りた。
遺構は見当たらなかったが、北の麓から登山道がありそうです。


山頂には

先ほどの出丸と同じくほぼ自然地形。
看板が無ければ単なる山頂と思ってしまう。
ここから南へ向けてが曲輪です。

西側にL字状の土塁


曲輪の東側は帯曲輪というか犬走というか登城道でしょう。

ここで、東尾根へ向かう

その先に

浅いけど明瞭な堀切!
これが最大の見どころかな?
堀切を越えると大津側を見張る位置にある。


曲輪の南端にカーブする土塁


この土塁を南へ越えて比叡平団地へ下山する

微妙な堀切や竪堀があるが、
判然としない。

概略図

全体的に削平がイマイチで何も知らなければ自然地形と見てやり過ごすと思う。

素人の我が輩はこれが限界。
まだまだ修行が足りぬ


比叡平団地からバスで帰った


以上、マイナーな山中城探索でした

次回は元日に訪れた超有名なワッフル山中城を紹介します

馬《●▲●》助ヒヒーン♪













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