つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

良きライバルたち

2006-05-08 05:06:28 | 絵・まんが
きのう5/7(日)無事「はいまん彩」の個展が終了した。
来てくださった皆さん、支援してくださった皆さん、ありがとうございました。
初めてのギャラリーでの個展は、色々なハプニングやドラマがあって、やってよかったなあと、つくづく思った。
だーれも来てくれないかも…の心配をよそにたくさんの人に来てもらったのだ。
その中でやはり自分でも絵を描く人たちがよく来てくれていた。
そのうちの二人は三度も訪れてくれ、きのう初めて会うことができたのだった。最初のかたはボールペンを使って絵を描くらしいのだが、この日は作品を持ってきていず、残念ながら見ることはできなかった。
もう一人のかたは50歳を過ぎてから描き始めて2年ぐらいだという。釣り好きで魚を描くのが好きというので、あ、一緒だなあ…と思っていると、携帯を取り出し自分の描いた絵を見せてくれた。
「エエ!こっこれは…」思わずうなってしまった。描きだしてわずか2年とはとても思えないうまさなのだ。自分の得意な分野なだけにショックだった。絵のうまさにおいては負けてる、と正直思わざるをえなかったのだ。
最初に描いた作品が二科展に入選したそうで、その実力は本物だ。こりゃ天才だ…と思えるぐらいだった。よく聞いてみると、写真関係の仕事をしていたそうで、そのときイラストを描いていたという。なるほど、そういう下地はあったのだ。
それにしてもうまいもんだ。在野にはすごい才能が潜んでいるものだ、と改めて思い知らされたのだった。しかし彼らも三度来てくれたのは私の作品に刺激を受けたからである。お互いにいい刺激を受けあって切磋琢磨して、高いレベルで競い合いたいものだ。こうなると最初の人のボールペン画も見てみたいと痛切に思えてくるのだった。
我がよきライバル達よありがとう、これからもよろしく!
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冷や汗の寝たふり

2006-05-07 05:34:06 | 絵・まんが
きのうも書いたのだが作品の展示を開くとき、感想帳を置いている。たいがいは褒めてくれているのであるが、作者の手前あるいは義理など入り込んでなかなか思い切ったことは書きにくそうだ。
以前明治村で展示したとき、私は会場の中の椅子のひとつに腰掛け、帽子を目深にかぶり、耳だけダンボ状態にして寝たふりをしていた。すると作者が居るとは知らない人達は、それぞれ思ったままを述べ合っている。
「は~ん鶴太郎か」とか「子供っぽいわね」とか、そうかそういう風にも見えるのかと、頭の中にメモるのだった。中には作品に書いてある俳句を次々と写しとっていく人が居たのには驚いた。
「もっといい句のにすればよかった…」いやあ勉強になりましたデス。
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B型なんですね?

2006-05-06 07:52:18 | ちょっとした出来事
「B型なんですね、B型なんですか」と、私が個展会場に置いていた感想帳に書かれてあった。私の「はいまん彩」に「B型で障りはなきや藪蚊どの」の一句を添えた作品があるのだ。以前「明治村」で展示したときも「私もB型なんです」と書かれてあった。
告白します。私の血液型はO型なのです。
カミさんや娘には「B型の人に失礼だ。裏切り者!」と言われて、じくじたる思いと後ろめたさを感じていたのです。
実は最初O型と書いたのだが、作品の表現上B型がベストだと判断してちょっと型を拝借いたしました。O型はどんな血液型にも輸血可能だと昔言われていたのです。B型の皆さんゴメンなさい。
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「花とおじさん」迎えの声

2006-05-05 08:10:57 | ちょっとした出来事
会社から帰ってきて玄関の階段を上がろうとしたとき、なんと階段と階段の間に小っちゃくてきれいな花が咲いているではないか。よく見るとスミレである。
さらによく見ると黄と紫と白がくっきり分かれた三色スミレである。階段はコンクリートなので、よくぞこんなところにという場所である。
よくタンポポがコンクリートのひび割れの間に咲いているのは見かけるが、玄関前のわずか二段の階段にひびなどは見当たらない。
スミレは自分の立地場所を認識しているのだろうか。朝夕になると人間の足が自分をまたいでいくのである。足を上げるたび踏まれるのでは、という恐怖にさらされなければならないのだ。これはどうしたものかと考えたが、仕事から重い足取りで帰ってきたとき、このスミレの声なき声で迎えられると、ひと時の安らぎがあるのだ。
ま…スミレちゃんには申し訳ないが、これも運命とあきらめてもらって、このままがんばってもらうしかないかな…と思うのだった。
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「はうまっち?」

2006-05-04 04:30:51 | 絵・まんが
私は「はいまん彩」の作品が溜まったら、なんとか本にしたいというのが夢なのだが、そのためには原画が不可欠なのである。だから原画は売らないと、いうより売れないのだ。
たまに所望されても(御奇特なかたがいるのだ)丁重にお断りしてきた。しかし考えてみるとその事情はあるにしろ、自分の作品に値段を付けれないという心情もあって、作品の値段というものから逃げていた節がある。描き手の至福とは自分の作品を抱いて寝ることではないのではないか…と考えるようになった。所望される方もその作品が本当にほしいのだ。その手に委ねる喜びもあるはずである。
しかし描き手にとって稀に、神が降りて来たかと思える傑作ができることがある。(私はまだないのだが降りた瞬間はある)これは正直抱いて寝るとは言わないまでも、枕元に置いて毎晩寝たい程の力はあるのだ。恐らく売ることはできないと思う。(私はできない)ダ・ヴィンチのモナリザなどもしかりである。しかしその他の作品は絶対売れないとは言いきれないと思う。(私は)
それで思うのだが作品の値段というのは作者の思い入れの大きさではないかと思えるようになった。一体いくらならその作品を手離せるのか、そう考えればおのずから値段が決まるのでは…と思えた。
何しろ売るつもりはないわけだから一億だろうが十億だろうが付けれるのである。よーし勇気を持って作品の一つ一つに値段を付けてみようではないか。一体いくらならその作品を相手に委ねられるのか、一体いくらだったらその作品から手を離すことができるのか、ウ~ム「はうまっち!」。
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