何年ぶりになるだろうか。故あって長年ほったらかしにしていた我がホームページを
見直すべくいじり始めた。
わたしよりパソコンに精通している身内と相談しつつ、リニューアルに取り組んでいる。
そのため、改めて「はいまん彩」を最初から洗い直すことになった。
調べてみると平成4年から地元の俳句会に入り、翌年あたりから絵を入れ始めた
と思うので、現在平成23年だから、約18年になろうとしている。
初めは色紙にマジックでマンガを描き、絵具を塗った「俳句マンガ」だったのだ。
忘れもしない、最初に発表したのは、俳句会の講座が開かれる会場で、短冊に
それぞれの句を筆書きにして、展示する発表会だった。
わたしは先生に「色紙に絵を入れたものを出してもいいですか?」と許可を取って
展示したのである。わたしが当時まだ現役の漫画家だったのを承知していた
先生は、快くОKしてくれたのだが、後になって俳句仲間にあれは申し訳なかったなあ
と反省したのだった。
というのも発表の当日、地元のケーブルTVが取材に来ていて、俳句会のブースに
やってきてカメラを回し始めたのである。わたし以外の人は皆、細長い短冊に
その年の自分の代表句を2句、筆でしたためたものを並べて展示していたのだ。
そこに、マンガ入り俳句の色紙が2点一緒に並んでいるのである。大きさも違うし
こちらが目立つのは当然だったのだ。短冊を映していたケーブルTVの記者は
たちまち「あ、ここに面白い作品がありますねえ」とわたしの俳句マンガを映し始めた
のである。そして映し終わると、見ていたわたしに、「あなたがこの絵の作者ですか?」
とマイクを向けたのである。申し訳なさとバツの悪さに「い、いや…ワ、ワタシハ…」
としどろもどろになり脱兎のごとく逃げ出したのだった。
後に自宅で見たケーブルTVでは、俳句仲間の短冊は流すように映して、わたしの
色紙は一枚一枚をアップにし、ご丁寧にも一句一句声を出して読み上げたのである。
本来ならば、もろ手を挙げて喜ぶところかもしれないのだが、仲間のことを思うと
そういう気にもならず、おもはゆい思いと、申し訳なさの狭間で、複雑な感慨となった
のを覚えている。しかしながら、どうしても絵を入れたいのを止められず、その後
毎年俳句マンガの色紙を展示し続けたのだった。
兎にも角にも、18年の間に128作の「はいまん彩」を完成させているのがわかった。
年に約6作ほどになる。失敗作がその2~3倍になると思うので、少なくとも平均月
2作程は描いていることになる。
勤め人の傍らに描いていることを思えば、上出来かもしれないが、会社から帰って
へとへとになって、一杯飲んで、そのまま寝てしまったことも珍しくなく、
もうちょっと頑張れなかったかなあという悔いも多々あるのだ。
しかしまあ…過ぎ去ったことをクヨクヨしても始まらないので、心を新たに又
日々コツコツと描き溜めていきたいと思っている…。
わたしのホームページです。
まして 雪の朝けふといふ日を
歩みだす
何だか目が覚めた想いです
ただただ自分に正直には生きて来てるかなあ…
とは思ってはいます。
しかしながら、文中にもありましたように、
無為に過ごした日々も多く、悔いも多々あり、
今後の反省にしたいと思っています。
でも、根はグータラで、“わかっちゃいるけど
人間”なので、またトホホな人生を送っちゃうんだろうなあ…。(笑)