はぎやまのりへいの日常

読書、映画、美術展、そしてキャリア教育。
好奇心と愛で書き綴ります。

Vol.285 バルテュス展

2014-06-21 06:09:13 | 芸術




バルテュスについて予備知識のないまま美術展に。
知っている作品はポスターに印刷された少女と猫の絵だけ。

「金魚」
「地中海の猫」
の絵があるコーナーまで来たところで、
頭の中に二人の人物が浮かんだ。

植田正治
江戸川乱歩

何が植田正治の写真や江戸川乱歩の小説をイメージさせたのか。

今回の美術展の目玉でポスターやフライヤの告知ツールに紹介された
「夢見るテレーズ」のように少女と猫がモチーフとなった作品が多いこと。
少女の未成熟な感じと危うさ、脆さ。
描かれる人間の、頭でっかちで痩せっぽちで、
手が長く、足が短い、そのバランスの悪さが、なぜか懐かしさを感じさせる。
古い写真に写る日本人を連想させるのだろう。
そしてその色調。
それで植田正治と頭に浮かんだのかも知れない。

未成熟な中にある精神的なエロ。
あるいは未発達な精神と成熟した身体のバランスの悪さにあるエロ。
バランスの取れていない体型が連想させる「奇形」。
日常でありながら茶色い画面の非日常性と、
猫の表情に顕われた無関心、あるいは残虐性。
画家の意図とは関係なく絵画上に浮かびあがるエログロの印象に、
江戸川乱歩をも思い浮かべてしまったようだ。



Vol.274 アメリカン・ポップ・アート展

2013-09-27 06:12:32 | 芸術



アメリカン・ポップ・アート展に行ってきた。

国立新美術館に行くのは初めて。
乃木坂の駅の改札を出てすぐ美術館なのでびっくりだった。
美術館の外観も見てみたかったのだけど近過ぎてよくわからなかった。

アンディ・ウォーホルとロイ・リキテンスタインはもちろん知っていたし、
トム・ウェッセルマンも絵を見れば、ああこの絵を描く人かと思うけれど、
知っているような顔をして、まだまだ知らないアーティストが多い自分だ。

入口を入るとロバート・ラウシェンバーグからはじまりジャスパー・ジョーンズと続く。
どちらも落書きのような作品。

ラウシェンバーグを観た感想メモには「編集力」と描かれている。
コラージュのようにいろんなモチーフをキャンバスに集めて作品にしている。
その素材の集め方が素晴らしい。

ジャスパー・ジョーンズの感想のメモには「対象の見方、視点」と描かれている。
アーティストの目を通すと見慣れた日常のモノでさえアートになる。
標的、旗、アルファベット、数字をモチーフとした作品が印象的だった。

オルデンバーグの作品に「ソフト・ベースボール・バット」「ジャイアント・ソフト・ドラムセット」「柔らかい消火栓、倒立」という作品たちがある。
やわらか戦車を連想した。

そしてアンディ・ウォーホル。
キャンベル・スープ缶、毛沢東、モンロー、花、いずれも有名な作品だが、枚数と大きさと色のバランスにあらためて感動する。
自分のメモには「緑とオレンジ」「シルバーとピンク」と描かれている。
相性の良さを感じた色の取り合わせだ。
キミコ・パワーズという女性をモチーフにした作品も多数展示されていて、キミコ・パワーズがアーティストを語る映像も放映されている。

リキテンスタインの作品は期待通りだったが、作品の素材に銅板やアルミ板といった金属板にエナメルで描かれたものがあることは実物を見て気づいたことだった。

トム・ウェッセルマンの金属板をレーザーカッターで切り取った、切り絵のような作品も素晴らしいと思った。家の壁にあったら素敵だ。

Vol.271 歌舞伎 芦屋道満大内鑑

2013-07-24 21:21:32 | 芸術



http://www.ntj.jac.go.jp/oyako2013/kabuki.html

そして、レオ・レオニ展の後は、妻と長男と合流して歌舞伎鑑賞。

長男の小学校から、夏休み前に、
親子で楽しむ歌舞伎教室の案内があったので、
好奇心がむくむくむく、
じゃあ、いってみようぜということになったのだった。

僕は狂言は観たことはあったけれど、
生で歌舞伎を観るのははじめて。

歌舞伎教室ということで、
ステージの仕掛けや小道具や音楽などの基礎知識の
子ども向けの解説を事前にしてくれて、
休憩をはさんでから本番の舞台。


「芦屋道満大内鑑」。
芦屋道満と言えば、そう陰陽師の安倍晴明のライバル。
題名は芦屋道満大内鑑だけど道満はこの幕では実は登場しない。

登場人物は子ども時代の安倍晴明とその両親。

父親、安倍保名は陰陽師 加茂保憲の弟子。
そして、晴明のお母さんは葛の葉姫に化けた狐だという話。

この幕は、葛の葉狐の正体がばれて、
保名と子ども(晴明)をおいて森に帰ってしまうというあまりにも有名なシーン。

「恋しくばたづね来て見よ和泉なる信田の森のうらみ葛の葉」という
これまた有名な句が詠まれる。

荒俣宏、京極夏彦、そして夢枕獏の影響で、
陰陽師大好き、安倍晴明大好きな僕としてはうれしいお題目だった。

安倍晴明と言えば京都の晴明神社があまりにも有名であるが、
実は大阪、天王寺の近くにも安倍晴明神社という神社がある。
こっちがこの歌舞伎の舞台となっているところのようだ。
僕は京都はもちろん、大阪の安倍晴明神社にも何回か行ったことがある。

歌舞伎なんて、
何となく敷居が高かったけれど、来てみればどうってことなかった。
親子で楽しむ歌舞伎教室という趣旨なので、
気負わず観れたということかも知れないけど。

2等席なので(気づくのが遅れて2等席しか取れなかったんだけど)
お値段はお手頃で、でも全然上等の席だった。満足、満足。

たまには歌舞伎なんてのも好いもんだな。


Vol.270 レオ・レオニ展「レオ・レオニ 絵本のしごと」

2013-07-24 05:55:52 | 芸術



6月から開催しているレオ・レオニ展だが
8月4日(日)までととうとう残り2週間になってしまった。

もともと盛況なようであるが、
学校が夏休みになったのでさらにすごいことになっているかも知れない。

国立劇場に歌舞伎を観にいくために休みを取ったのだけれど、
午前中に次男だけ連れてレオ・レオニ展に行ってきた。

スイミーは小学校の教科書にのっていたけど、
レオ・レオニ展に行くにあたり、図書館で何冊か本を借りて予習をしていた。
おかげで次男はすっかり、レオ・レオニ作品にはまっている。

特に好きなのは得意のねずみが登場するいくつかの話で、
「フレデリック」「シオドアとものいうきのこ」「マックマウスさん」、
そして一番のお気に入りは「アレクサンダとぜんまいねずみ」。

Bunkamuraには10時ちょい過ぎに到着。
トイレに寄ってから会場に入ると、もうたくさんお客がいた。

やっぱり、子どもたちが多い。
お母さんと一緒に来ていて、
お父さんはほとんどいない感じ。

平日の朝にしては人が多いけれど、めちゃめちゃ混んでいるわけではない。
ゆっくり絵を観ることができるけれど、子どもがなかなか言うことをきかない。

読んだことのある絵本の絵にしか反応しないのだ。

しばらく進むと会場のまん中に絵本コーナー。
ここが一番混んでいる。

日本語版、英語版、それに大きな版の絵本があって、
子どもたちがお母さんに読んでもらっている。

そして、絵のまわりは閑散としている。

だったら、図書館でもいいのにね、なんて思いながら、
スイミーの映像のコーナーをのぞいて出口へ。

出口のところに、スタンプコーナーがあって、
ここがまた並んでいる。

↑写真のスタンプがそれ。

土日だったら1時間とか並ぶんじゃないかな、
スタンプ押すためだけに。

そしてグッズコーナーのグッズが充実。
カードや、靴下や、バッグ、マグカップ、Tシャツ、
ぬいぐるみなどなど。

レジにロープが張られていたので、
ここもきっと並ぶんでしょう。

図録のレジはグッズとは別のところに。



Vol.260 フランシス・ベーコン展

2013-05-01 21:39:15 | 芸術




たしか、初期の京極夏彦の小説に人の顔を認識できない女性が登場したと思う。

顔を覚えないと、相手が誰だか認識できないものだろうか?

声や感触や雰囲気だけでも誰なのかはわかるだろう。
だけど、最後はやはり顔で判断していることが多いと思う。
頼りの「顔」が悪夢のようにぐちゃぐちゃだったなら、
やはり不安だ。

動物の怪談で、狸や狼の化け物が人を食い殺して
その人に成りすましていると、
身内の人間、例えば夫や子どもが
「たしかに妻なのだが、明らかに妻とは違う」
というように感じて正体を見破るという話が多くある。

ベーコンの絵はそんな絵のような気がする。

静止したものではなくてスピードや時間の経過を描いているので、
犬が犬ではないし、人の顔は認識できない。

そして檻に囲まれている。

顔に穴がある絵がある。
穴は黒いことが多いが、白いものもある。

その穴から空間が歪み、身体や顔が奇妙に捩じれる。
吸い込まれようとしているようにも見える。

天才なのか、病んでいるのか。
いずれにしてもあまり気持ちの良い絵ではない。


MacのPhoto Boothの渦巻きというエフェクトで写真を撮ってみた。
忌々しい感じだ。


ベーコンは17歳の時に、道端にある犬の糞を見て、
人生はこのようなものだと悟ったんだそうだ。