前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

五月の風に吹かれて

2018年05月04日 15時35分46秒 | 四季折々
風が強い。
五月の風と言えばさわやかじゃないですか。でも少し肌寒い。

あーちょっとコーヒー淹れて来ようっと

五月・・・このぼくがかえぇるまばゆいごがつと『五月のバラ』が歌いたくなります。
忘れないで忘れないで 時は流れ過ぎても・・・か

この連休はギフトなのかのんびりできています。
身体が悪いので無理できないこともあったし良かった、ありがたや。
体調は良くはないけれど、こころが穏やかなのでつらさは軽減。

お陰で思考は深くなって、色々なことを考え、最近できなくなっいた読書も楽しいです。
時間があるとわたしはつい昔のことを考えてしまうのが良くないことかな。
だけど少し違うのは、嫌なことを考えるのではなくて佳きことを考えていて、
自分の表情が柔らかいことに気づきます。

やはりこころが安定している時っていうのは思考も悪い方に向かないのでしょうね。

人にとって帰属する場所を持たないことは冷静に考えるととても不安なことです。
誰かを見て可哀そうだと思う瞬間、わたしはなんて自分が傲慢なのかと反省します。
何ができるわけでもないくせに、他人のことを可哀そうなどと思える立場かと・・・
誰かがわたしの不安を可哀そうだと思って見ているかもしれません。
わたしは可哀そうなんかではないと強がって見せるでしょう。

でも、今日買い物をしている時にふと落ちてきた思いがありました。
あ、生きているから可哀そうだと思うのかと。
うまく言えませんが、自然の摂理に整理がつかなかった思いが整えられた感じ。

そろそろ四十代にお別れしようというこんな年になって、
こんなことに気づくなんて。
自分のことすらこうなのに、わたしたちは他人の真実など到底たどり着けるはずないですね。

いつも笑顔で頑張っている人、楽しそうに弾んで喋っている人、
言葉にしない真実に触れたとき、いえ、触れたような気がしたとき
わたしは何だかホッとしますね。

誰もが人として生きているから感じる思いがあるのですね。
いーえ、動物だって感じているよと、猫が言ってます。
ごめんごめん、ほんとそーよねと答えるわたし。

そんなわけでこの連休は四十代を振り返っています。
五十代ってどんな?でしょうね。
この四十代後半は、もう新しい物、自分に出会う必要もないと思い生きてきましたけれど、
まだ変わることができる余力が残っているのかもしれません。
ウエストが太くなるような変化はお断り
身体を丈夫にしないと。今はストレッチすら息苦しい。

庭は五月のバラが咲いています。
出先でもおにいさんが風に吹かれるバラをたくさん売っていました。
五月の風、悪いことは全部吹き飛ばしておくれ~





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