無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

寒い

2010-01-16 18:35:39 | 社会
去年の春に、何十年と使っていたホットカーペットがご臨終となり、折りたたんで物干しの所に片付けておいた。寒くなったら、新しいのが欲しくなるだろうなと思ったが、その年代物のカーペットが結構な値段だったのを記憶していて、おいそれとは買えないだろうとも思っていた。おかげで事務所は石油ストーブ+エアコン(急激に暖める時だけ)で間に合わせていた。正月の寒波も乗り切り、「無くても我慢できるものだ。」と言ったら、最近のホットカーペットは、メーカーを気にしなければ2畳用なら数千円で買えると聞いて驚いた。価格.comを眺めても、その通りで、それならと市内にある大手のY電気に行ってみた。

フワフワのホワホワの、これがカーペットなのかと驚くような物が並んでいる。確かにきちんとしたメーカーの物は数千円とは行かず、ポイント込みの一万円台になっている。フワフワの毛布に見えるような物は、メーカー名さえ書いていない。触ってみて、あまりの心許なさに首をかしげ、この上でテーブルや椅子をゴリゴリと動かすのは大丈夫だろうかと、しばらく悩んだあげく、「無くても我慢できるかも」と、出発点に戻ってしまった。

「私は元気な我慢の子」と大手を振って帰った翌日は、最高気温も零下の寒~~い一日となった。そのまた翌日も水道の水が出にくいほどの寒さだった。
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はやぶさ頑張れ!

2010-01-14 19:45:25 | 社会
1月14日、小惑星探査機「はやぶさ」が、地球引力圏を通過する軌道に帰還したと、JAXAが伝えた。「お帰り、はやぶさ、もうじきだよ。」と素直に喜びたい。100%地球に帰還するかは定かではないが、よくここまで帰ってくれたと、涙無くしては語ることが出来ない経験を、この小さな惑星探査機は行ってきたのだ。

八百万(やおよろず)の神々がいる日本で、瀬戸物の欠けらにさえ魂が宿ると育てられ、鉄腕アトムの時代に生きた私には、単なる機械でしかない「はやぶさ」が、可愛い子供のようさえに思えてならないのだ。はやぶさを知った切っ掛けは、大道寺零さんのぜろだまBlogでを読んでからで、ニコ動に行き、思いっきり笑い、そして泣き、その後JAXAを含め様々な映像を通して、満身創痍で地球を目指していることを知ったのである。

宇宙航空研究開発機構 現在のはやぶさが判るHP

ぜろだまBlog はやぶさ関連の記事

 探査機はやぶさにおける、日本技術者の変態力  お薦めのニコニコ動画。泣けます。笑えます。こんなこともあろうかと・・・。

激闘 探査衛星はやぶさ~小惑星からの帰還7年戦争「本編込」から  ニコニコ動画 長いよ、37分37秒。
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寛平ちゃん頑張れ!

2010-01-14 09:33:31 | 社会
昨日の夜、久しぶりに寛平ちゃんがどの辺を走っているかと、アースマラソンのHPを覗いてみた。位置は正月の時のアンカラから変わっていなかった。前日のブログにはイスタンブールにいると記してある。定期的なメディカルチェックを受けるために、イスタンブールへ戻ったとある。そして検査結果が直に出るのだと書いてはあるが、更新はされていなかった。

この正月には奥様がトルコ入りして、仲良く楽しそうに正月を過ごせたようだ。それにして、随分とのんびりしているなと思ったら、今朝のニュースで、前立腺ガンが見つかったと一報が入った。走っている途中でも、背中が痛んでもいたようだ。結果として、ホルモン剤の注射や薬を服用しながら、完走すると決めたようだ。何度かイスタンブールへ戻って治療をするらしいが、早く見つかって良かったと思う反面、無理はしないで欲しいなと思う。本人も心配で眠れなかったと言っているようだが、過去のブログではおくびにも出さず、楽しそうに毎日を綴っているところが、寛平ちゃんらしい。奥様もどれだけ心配したことだろう。トルコで見つかって良かったと思うのが、私のトルコ贔屓のせいだけなのだろうか。
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2010-01-13 12:26:43 | 動物・自然
風が強いなと思ったら、暴風警報に変わっていた。慣れとは恐ろしいもので、注意報ぐらいでは、ビクともしなくなった。昨日は東京でも初雪が降ったとか、今朝のTVは寒波の特集を組んでいた。自分の所に雪が降らなければ、こんな企画もないのだろうと、東京中心なのがちょっぴりと不満に思う。

暖冬だと言われながら、北半球は大寒波に襲われている。いつもは北極を中心に、寒波が花びらのように蛇行するのだが、今回はその面積も大きく、とても花びらには見えない。日本もヨーロッパも北米大陸も、その中にすっぽりと入っている。北海道では、幹線道路を走行中に吹雪に襲われて、何十台もの車が雪に埋まった。運転手は一人残らず救助されたが、ドイツの高速道路でも似たような事が起こったようだ。庄内の地吹雪は酷くて、地吹雪防護柵がない時分には、走っている最中にもワイパーが凍り、車を止めると雪に埋もれ、次々と車が数珠繋ぎになり前にも後ろにも進めなくなったものだった。もう少し前なら、至る所で道路は不通になり、バスの運行も止まって、長いたんぼ道を歩るかなければならなかった。暖冬の年が多くなるにつけ、除雪の費用が防護柵へと変貌し、庄内の車社会を支えることになったのである。

話は戻って、「いつもはこんな事にはならないのですが。」とアナウンサーが、イングランドの衛星写真を見ながら説明した。イングランドは全島凍っているかのような、雪に覆われた真っ白の写真だった。カリフォルニアのオレンジも、木自体が凍っていて、農家の方は「全滅かも」と嘆いていた。これでも地球温暖化は続いていると言うのだろうか。
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恐かった映画・その2

2010-01-11 16:56:33 | 映画・TV
NHKの龍馬伝の初回に、上士と下士があるのは当たり前と、一刀両断の元に切った私だが、江戸時代の士農工商やらの身分制度を知り尽くしていた訳ではない。士農工商の上にも下にも連なる身分制度を云々する訳でもない。私は侍も厳しいなと感じ、昭和のしかも戦後に生まれて、本当に有り難かったと思ったのは、この映画を観たせいである。それは「武士道残酷物語」だ。

ちょうどその頃、「世界残酷物語」が流行っていて、続編も作られていたから、この武士道残酷物語も何編かあると思っていたのに、調べてみたらオムニバス式の映画だった。傍若無人で、無理難題を吹きかける殿様に、ただただ堪え忍んで仕える侍の話なのだが、欲しいと言われれば妻をも差し出し、死ねと言われれば腹も切り、それが何代にも渡り、延々と繰り広げられるのだ。当時の中村錦之助(萬屋錦之助)が代々の主人公で、殿が「脇差しを貴様にくれてやる」と言いながら、家来の手にグサッと刺すのを、「ありがとうございます。」と言って堪える。「武士道とは、堪え忍ぶことと見つけたり」みたいな台詞が頭に残っているのだが、正確な所は覚えていない。こんなに迄、我慢をしなければならないのか、嫌だとは言えないのかが、現代まで続くと言う、腹わたが煮えくりかえるような映画だったのだ。

今になって、あれは脚本ありきの映画だったと判るが、その当時は親に聞いても格言の大好きな親だったから「昔は我慢が当たり前だった。」と言うだけだったのだ。ある意味恐ろしい。
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恐かった映画・その1

2010-01-11 16:18:08 | 映画・TV
子供の頃、酒田には5カ所の映画館があって、よく見に行ったものだ。港座が一番近かったので、ゴジラなどの怪獣映画や、美空ひばり主演の3本立て、夏になるとオドロオドロした幽霊映画も見に行った。番町皿屋敷、四谷怪談や、主人の敵を討つために娘に化ける化け猫ものなど、時代劇が多かったように思う。見ている時には恐くて、ビクビクしながらも、見終われば時代劇と自分が生きている現代では状況が違ったのか、家に帰る夜の道も割に平気だった。

そんな生意気な子供だったが、これだけは見なければ良かったと、数ヶ月も恐怖を引きづった映画がある。「美女と液体人間」である。物陰や隙間、蚊帳の下から、ヌルヌルとした液体人間が、こちらに狙いを定めてやってくるようで、恐くてたまらなかった。

物語は、核実験の放射能を浴びた1隻の船が漂流していた。救助に入ると、服が人間の形をしたまま転がっている。船内には一人の人間もいなかったのだが、救助の人達が一人二人と消えていく。この怪物は、液体になっても人間の意思を持っていて、東京へ帰ろうとし、上陸に成功する。そして次々と人が襲われていくと言うストーリーなのだ。

大抵の恐怖映画は、子供だましのような所があり、大人になって改めて見ると、鼻の先でふんふんと笑える類の物が多い。そんな中で、この映画は、単に液体人間に襲われるから恐いと言う映画ではなかった。広島長崎の原爆の記憶が新しいことと、核実験の死の灰を被った第五福龍丸の存在が、液体人間をリアルなものにしていた。カエルに放射能を浴びさせて液体にすることに成功した大学の教授や、液体人間を滅ぼそうと努力する警視庁の面々に加え、液体を操って自分の儲けの材料にしようと企む人間が入り乱れて、後味の悪い終わり方をした。昨年の暮れに、CSでチラッと流れたのを最後の方だけ見てしまったのだが、液体人間よりも本物の人間の方がより恐いことを知り、これは子供にはきつかっただろうなと、今更ながらに感じた映画だった。
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2010-01-10 11:38:46 | 建築・都市・港


プリンターに、綺麗な虹が出ていた。
おお~っと消えない内に、カメラを取り出し、急いで撮した。



虹を追って行くと・・・・。



金魚の水槽にたどり着いた。



「何か、用か?!」
「いえ、何でもありません。」
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誰のせい?

2010-01-08 20:07:46 | 動物・自然
もちろん、正月の時の暴風のせい。
公園では木の枝が折れた位の被害だったが、市内では屋根の折版が吹き飛んで、電線に引っかかり停電騒ぎもあったのだそうだ。
それに比べれば可愛いものだ。



写真を写している時に、大きな雪が降ってきた。
まるで、葛飾北斎の東海道五十三次の雨の絵のように見える。

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良いお天気でがんすの

2010-01-07 19:56:12 | 社会
日本の挨拶は面白い。天気の話をするだけで、挨拶になってしまう。100歳で亡くなった私の祖父の酒田弁での「いいお天気でがんすの~。」は、今ではなかなか話す人もいなくなった。それでも、今日の久しぶりのピッカーンの晴れの時は、誰彼かまわず話しかけてみたい言葉である。

朝方の冷え込みの為に凍った道路が緩んでくると、「よし!」と私は立ち上がって、清水屋に出かけた。清水屋の食料品売り場で買ったキャラメルが底をついたからだ。子供の頃、年末になると、サンタクロースの靴の他に、でっかいグリコも店に並んでいた。勿論オマケも通常の物とは比べものにならないくらいに大きくて、お菓子の空き缶に宝物として集めていた。それを買って貰うのも楽しみの一つだった。私が今回清水屋に買いに行くキャラメルは、グリコ製品ではなく、森永のキャラメル3種類である。



隣に、大きさが判るようにとiphoneを並べたのだが、中途半端に暗くて実態が掴めない。縦16cm幅8cm厚さ4cmの、でっかいキャラメルだ。(ちなみにお値段は350円)中味も紙で包まれたでっかいのが、ぎっしりと入っていたなら面白いが、残念ながら袋売りのキャラメルと同じ物が入っている。黒糖のキャラメルはまだ食べてはいない。小豆のが妙に美味しくて買いに行ったのだ。これ一箱で625kcalもあるのだそうだ。当分メタボは続くのだろう。

ついでに、こんな物も買ってきた。
ドレッシングだけど、食べられない。
コーヒーだけど、飲めない。
クリームと呼ぶけど、舐められない。
しかして、その実態は、靴クリームなのである。

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チョロギ

2010-01-06 13:57:25 | 食べ物
おせち料理は、30日にA-Coopで蟹を、31日にはト一屋みずほ店で、お重に入れる料理やお肉に刺身、年越し蕎麦用の天ぷらなどを仕入れに行った。ト一屋は酒田に10店舗ほどあるスーパーマーケットだ。特売セールの時には、同じ物を同じ値段で揃えるが、通常はその町の店の客層に合わせて、並ぶ品物が変わったりもする。総菜も同じで、私がいつも行く新町店では、お年寄りが多いので、量は少なめにオーソドックスな物が並んでいる。それに引き替え、みずほ店では新興住宅地に建っている為、若い家族向けの料理が多く、店内も広い。今年は若い人向けにと、みずほ店に行くことにした。売り場で、お重に入れるかまぼこや黒豆、栗きんとんなどを物色していたが、チョロギが見つからなかった。売り声を上げている男性(店長だそうだ)に尋ねてみると、売り切れだと言う。それは困ったと、新橋店に行くことにした。

新橋店は、正月の買い物にいつも訪れていた店だったが、近くにあるマルホンカウボーイに客足を取られたらしく、品揃えも何となく落ちてしまった気がする。それでここ数回、向かうのを止めていたのだが、チョロギの為なら仕方がない。みずほでは買えなかった物も補充しながら、チョロギを探したけど、やっぱり見つからない。残念なことに、ここでも売り切れだった。妹の話では、チョロギは正月前には沢山並んでいて、焦って買わなくてもイイヤと思っていたのだそうだ。「新町店へ行こう。」と、同じ店を3軒はしごして、自分のテリトリーの店に戻ったら、小さなパックが1個だけ残っていた。

チョロギは何が美味しいのかと聞かれても、おせち料理のしつこさに飽きた口を、箸休めと言うか、口直しと言うか、コリコリとしたあの味に癒されることにある。チョロギはどうしてチョロギというのか、何処で採れるのか、あの赤い色と味はどうして着けるのかは、皆目分からない。九州で採れるとばかり思っていたら、最近は東北の方が栽培量が多いらしい。それなら自分でも植えられるのかなと、ちょっとググってみた。

それで見つけた種苗販売では、チョロギに限らず、見たこともない地域特産の野菜の種苗が売られていた。(後でじっくり見てみたい。)チョロギの種芋は、(10球500円)ちょっと高かった。私は赤いチョロギしか見たことがないので、色のついていない物は、ナウシカのオームみたいに見える。オームは大きいから平気だけど、イモムシは気味が悪い。沢山採れて、ザルの上にあけて、チョロギがモコモコと動き出した・・なんて事になったら、きっと悲鳴をあげるだろう。煮て食べても良いみたいな事も書かれていたが、どうなんだろう。
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車が出せない

2010-01-05 16:42:13 | 社会
天気予報で、少し気温が上がると言った。なるほど、雨だった。雪を溶かすには、暖かい日差しよりも、雨の方が何倍も早く済む。道路の雪は瞬く間に消えていった。残るのは除雪で積み上げられた雪山だけである。郵便局へ行こうと玄関を出ると、黄色のクレーン車が何台も横付けされ、電線の工事の真っ最中だった。あ、これでは車は出せないと、歩いて行く事にした。私の車は驚くほどハンドルのキレが悪いのだ。



写真では穏やかに見える風景も、実は雨が降っていて、おまけに風もある。傘を持って出かけたが、家の陰ならなんとか差せるが、十字路を通りかかると傘がひっくり返るような強風だ。雷もバリバリ鳴っている。幾ら仕事始めとは言え、こんな天気の日に、クレーンの上は恐いだろうなと気の毒に思った。クレーン車は何台もあるのに、上で作業をしているのは一人だけ、あとは下から見上げていた。郵便局で用を足し、ト一屋で買い物をして帰ってきても、まだ作業は続いていた。上から何が降ってくるか判らないので、走って脇を通り抜けた。


正月も終わり、いなほの運休にビクビクしながら、関東勢は帰って行った。今年の正月は、妙に緊張した非日常だった。母も同じ思いだったのだろう。いつもよりシャンとしていたように思える。子供達が帰った昨日になって、「疎開して来た人達に、ご飯を食べさせねば。」と騒いだようだ。今は戦争中じゃないし、疎開してきたと思った人達は、アンタの孫だし。家を揺さぶるような暴風雪も、母には戦争中の爆撃音にでも聞こえたのだろう。思えば父母の青春は、戦争のまっただ中の頃だったのだ。

そんな訳で、今日も外は風が荒れ狂っている。
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龍馬伝

2010-01-04 22:00:45 | 映画・TV
初回拡大スペシャルだそうで、イッテQと同時に、リモコンを酷使しながら視た。天地人の時のような、子供店長の2代目は生まれなかった。初回にして、さっさと大人の龍馬に変わってしまった。重要な役割の人物に、同じ役者が出ているので、「坂の上の雲」と被って見えた。双方とも舞台は幕末で、少し坂本龍馬の方が早いのだろうが、どうも脚本が大人向けではない気がする。武士に上士と下士があるのは当たり前で、「同じ人間ぜよ。」と台詞で言わせる事がどうかしてると思う。内野龍馬の天真爛漫さと豪快さとは、まったく別物の龍馬の登場だった。福山雅治のファンには申し訳ないが、期待感がまるでない。
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ハロー警報

2010-01-04 15:59:06 | 動物・自然
大晦日には暴風雪になり、夜半に益々風は強くなった。いつもは聞こえる除夜の鐘も、北前太鼓の音も、窓を打つ暴風雨には勝てなかった。タッチの差で帰郷出来た子供達は運が良かったが、TVから流れる交通情報は、JR羽越線特急いなほの全線運休が伝えられた。2005年のいなほの脱線事故は、亡くなられた方には本当に気の毒なのだが、どう考えても局部的な突風による自然災害だと思う。国交省の事故調査団はそのような回答をした。しかし被害者の家族は、人災にしたかったようだ。おかげで、少しの風が吹いても、電車は止まるようになった。いなほが止まる位だもの、飛行機は尚更だ。

2010年の元旦は雪かきから始まった。雪のある正月は、いかにも山形の正月らしい。小学生の時の教科書に、たこ揚げや羽根付きをしている挿絵を見ると、何故そんな事が出来るのか不思議だった。早くて11月から、遅くても12月には根雪になって、春になるまで溶けなかった。我が家は工務店で冬の間は早々と失業保険の申請をして、仕事を休んだものだ。毎日雪かきに追われて、本来の仕事が出来ないからだ。そんな大人達のため息は何処吹く風と、子供達は雪遊びが出来るのを心待ちにしていた。

駄菓子屋の店先には、雪の訪れとともに、竹スキーが並んでいた。孟宗竹を幅4cmに割って、熱で曲げた長さ30cmほどの簡単なスキーだ。長靴で踏んですべるが、一冬でボロボロになる。それをミカン箱の底に打ち付けてソリにした。子供達は群がって、凍えるまで遊びほうけた。遊ぶ場所は、勿論普通の道路で坂道を選ぶ。交通量の少ない昔だったからそれも出来たが、年寄り達はツルツルになった道路が危ないと、練炭の灰を滑り止めにまき散らした。灰の上に差し掛かると転ぶので、新しい雪を持ってきて敷いてさらに滑った。あの頃の元気は、今の私にはない。

2日目の朝も雪かきから始まった。ご飯の食始めをした後も雪かきが残っていた。午前中いっぱいかかって、どうやら終わったが、初売りに行く元気もない。
3日目はハロー警報がハロー注意報に変わったので、羽黒山に初詣に出かけた。スーパー農道は、所々地吹雪になった。道路の風上に並んでいる暴風柵の切れ間から、真横に吹き飛ぶ雪に、雪道初心者は声を上げた。柵にモロに突っ込んで、壊れている車もあった。道路に停まっていても、強風に押し流されて田んぼに落ちていく事もあるのだ。今年は雪に始まって、雪に終わった正月だったと思う。
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