410-1 メジナ2尾 今朝は7時前に起きた。 見物人を従えて釣りをしているお気楽さんの写真を一遍は撮りに行こうと思っていたのだ。 ところが 、顔を洗って髭を剃って居るうちに、もうそのことは忘れてしまってパソコンをつけてブログを見た。 書き込みがあったので、はまってしまって、忘れていた。 何と! 食事の後だった、お気楽さんから今から行くという電話だ。 待っていると、立派なメジナを2尾届けて下さった。28cmと27cm。 guuchanが鱗を取り、腸を出して冷蔵庫になおした。 夕飯に一匹を刺身で食べ、アラを味噌汁にして食べた。 お気楽さんの天然生簀はパン粉で栄養がいいのだろう、刺身も味噌汁も大変美味しかった。 もう一匹は明日、塩焼きで頂こう。 お気楽さんありがとう。 | |
410-2 宅急便 お昼近くに大きな宅急便が届いた。 自分で頼んだ覚えは無いのだが、届く予定になっていた。 娘たちからの古希の祝いのプレゼントだ。 一週間ほど前、誕生日を迎えて、満で70歳になった。 | |
410-3 ワーキングチェア カグ科イス属 自分で組み立てた。 重量は28kgあった。 椅子の背中がメッシュで蒸れなくてよさそうだ。 | |
410-4 ワーキングチェア カグ科イス属 今まで使っていたのと、一番違う点は、リクライニングで後ろにもたれた時、座が傾いて後ろが沈んでくれることだ。 それが当たり前かもしれないが、今まで使っていたのは、リクライニングは出来るのだが、座が水平のままなので前に滑り出しそうになる。 それを摩擦で止めているから、暫くするとお尻が痛くなった。 航空機や新幹線のシートと同じだ。エコノミークラスでは座は傾かない。 一日中PCの前に座っているguuchanとしてはありがたい。 実はこういうイスが欲しかったのだが、わざわざ探すことまで思いつかなかった。 腰掛けているところの写真を見せろということだったが、部屋が汚くて見せるに忍びないので勘弁してもらおう。 娘たちよ、ありがとう。 |
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409 仲哀天皇と神功皇后(5) ★08仲哀天皇八年(己卯199)正月壬午《四》の項の昨日の続きである。 ★08仲哀天皇八年(己卯199)正月壬午《四》◆八年春正月己卯朔壬午。 幸筑紫。時岡縣主祖熊鰐。聞天皇之車駕。豫拔取五百枝賢木。 以立九尋船之舳。而上枝掛白銅鏡。中枝掛十握釼。下枝掛八尺瓊。 參迎于周芳沙麼之浦而獻魚鹽地。因以奏言。自穴門至向津野大濟爲東門。 以名篭屋大濟爲西門限。沒利嶋。阿閇嶋爲御筥。割柴嶋爲御■。 〈御■。此云彌那陪。〉以逆見海爲鹽地。 既而導海路。自山鹿岬。廻之入崗浦。到水門御船不得進。 405話で、熊鰐の話を取り上げたとき、今日の赤字のテキストの部分をすっ飛ばして山鹿に直行していた。 もういちど、赤字の部分を取り上げる。 というのは、そのときはとてもその地名は分かるまいと思っていたのがどうやら分かってきたからだ。 因って以って奏して言う、穴戸(あなと、このばあい長府?)より向津野大濟(むかつののおおわたり)にいたるまでを東門(ひがしのと)とし、以名篭屋大濟(なごやのおおわたり、戸畑区名古屋崎)を西門(にしのと)とする。 この意味は、東門と西門の管轄権を説明しているのか?あるいは提案をしているのであろう。 向津野大濟(むかつののおおわたり)は下関市の椋野町(むくの)として残る地名が向津野としてもすこし広かったのかも知れぬ。 そうすると、関門海峡の一番狭いところ、門司の布刈(めかり)との間ということになる。 それが東門で、それから戸畑の洞海湾の入り口を西門の限りとする。名籠屋崎は埋め立てられているらしい。 向津野大濟(むかつののおおわたり)を大分県宇佐郡向野とする説も見たが、あまりに遠すぎるように思われる。 沒利嶋(下関市六連島、むつれじま)、阿閇嶋(藍島、あいじま)は御筥(みはこ、天皇の直轄領?)とする。 柴島(白島)を割いてミナベとし、逆見の海を塩地とする。 ちょっとこのあたり怪しい? まあ、しかし、六連島、藍島、柴島などそれらしき名も出ている。また藍島などからは、古墳時代の遺跡も出ているようだ。 |