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409 仲哀天皇と神功皇后(5) ★08仲哀天皇八年(己卯199)正月壬午《四》の項の昨日の続きである。 ★08仲哀天皇八年(己卯199)正月壬午《四》◆八年春正月己卯朔壬午。 幸筑紫。時岡縣主祖熊鰐。聞天皇之車駕。豫拔取五百枝賢木。 以立九尋船之舳。而上枝掛白銅鏡。中枝掛十握釼。下枝掛八尺瓊。 參迎于周芳沙麼之浦而獻魚鹽地。因以奏言。自穴門至向津野大濟爲東門。 以名篭屋大濟爲西門限。沒利嶋。阿閇嶋爲御筥。割柴嶋爲御■。 〈御■。此云彌那陪。〉以逆見海爲鹽地。 既而導海路。自山鹿岬。廻之入崗浦。到水門御船不得進。 405話で、熊鰐の話を取り上げたとき、今日の赤字のテキストの部分をすっ飛ばして山鹿に直行していた。 もういちど、赤字の部分を取り上げる。 というのは、そのときはとてもその地名は分かるまいと思っていたのがどうやら分かってきたからだ。 因って以って奏して言う、穴戸(あなと、このばあい長府?)より向津野大濟(むかつののおおわたり)にいたるまでを東門(ひがしのと)とし、以名篭屋大濟(なごやのおおわたり、戸畑区名古屋崎)を西門(にしのと)とする。 この意味は、東門と西門の管轄権を説明しているのか?あるいは提案をしているのであろう。 向津野大濟(むかつののおおわたり)は下関市の椋野町(むくの)として残る地名が向津野としてもすこし広かったのかも知れぬ。 そうすると、関門海峡の一番狭いところ、門司の布刈(めかり)との間ということになる。 それが東門で、それから戸畑の洞海湾の入り口を西門の限りとする。名籠屋崎は埋め立てられているらしい。 向津野大濟(むかつののおおわたり)を大分県宇佐郡向野とする説も見たが、あまりに遠すぎるように思われる。 沒利嶋(下関市六連島、むつれじま)、阿閇嶋(藍島、あいじま)は御筥(みはこ、天皇の直轄領?)とする。 柴島(白島)を割いてミナベとし、逆見の海を塩地とする。 ちょっとこのあたり怪しい? まあ、しかし、六連島、藍島、柴島などそれらしき名も出ている。また藍島などからは、古墳時代の遺跡も出ているようだ。 |
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蟹島(本島。確かに蟹の甲羅に似ています、丘は高度もあります)を中心に6つの島からなっているからだそうです。花の栽培が有名です。
今でも彼岸は「お大師様」の旗菓子を各戸に飾る祭りをします、本土から多くの子孫の子供が集まり昭和の風習を続けています。
住居地区の狭い道の傍に小さな地蔵さんや祠があります。夕方は全ての祠や、各戸にロウソクが点灯されます。なんか懐かしい意風景ですよ。また浄土真宗の歴史ある寺が有ります。
関門海峡の西側全体が眺められ、出船入船の管理は一番でしょう。
となりの馬島は、北九州市の管轄ですが、下関市から水道をつないでいますよ。
六人の連が居た、、、そういう伝説もあるのですね。
連が居たとなれば、国の重要な役割を果たしていたかもしれません。
高い山があって、見張りがしやすい。
通行税、物品や、人間の移動の調査、西門としての関所の役割を果たしていたかもしれません。
神功皇后が安岡から出航して行ったといわれますが、その際も軍需物資は九州方面から集められたものは、六連島に集めて行われたかもしれませんね。
ただ、日本書紀には沒利嶋(もつりじま)とあります、これがすでに六つの連をあらわしているとはちょっと考えにくいのですが、、、。
安岡近辺は遠い歴史も始まりの部分に
関係した地域なのですね。
ロマンのある街でロマンを求め
PCの中を浮遊するのも
素敵なひとときでしょうね。
PCから出て来たら
白髪に白髯になっていた・・・
なんてことになりそうですね。
神功皇后がこの道を通ったのだと思うと、散歩も一入感慨を増します。
とはいえ、口ばかりで、一つも散歩していません。
PCの中を遊んでいる間は年を取らないようですね。
PCで遊んでいる間に年をとり
現実は厳しい
そして メロン戴き 感謝です....
只の お魚なのに.....女房大喜びでした.
そして 真ん中に 下関の地図 お気楽の釣りの場所も
乗ってます.....楽しく 読ませて戴きました..ョ.
又 遊びに 行きます.
2匹もありがとうございました。
明日のブログに載せましょう。
直ぐにguuchanが鱗を取って腸を出して冷蔵庫になおしました。
刺身と、塩焼きは家内がやってくれるでしょう。
一匹は生きていましたよ。
鱗を取り始めたら、躍ったのでビックリしました。
〆たのですが、それが急所を外れているのでしょう頭の上を深く切ったのですが、それでも生きていててこずりました。どうも延髄の位置を探し得ないようですね。
まだ研究が必要なようです。
ありがとうございます。
今夜のご馳走が楽しみです。