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414 仲哀天皇と神功皇后(7) ●08仲哀天皇八年(己卯199)九月己卯《五》 前回の続きである。 其祭之以天皇之御船及穴門直踐立所獻之水田名大田。是等物爲幣也。天皇聞神言。有疑之情。 便登高岳遥望之。大海曠遠而不見國。於是。天皇對神曰。朕周望之。有海無國。 豈於大虚有國乎。誰神徒誘朕。復我皇祖諸天皇等盡祭神祇。豈有遺神耶。時神亦託皇后曰。 如天津水影押伏而我所見國。何謂無國。以誹謗我言。其汝王之。如此言而遂不信者。 汝不得其國唯今皇后始之有胎。其子有獲焉。然天皇猶不信。以強撃熊襲。不得勝而還之。 其れこれを祭るに天皇之御船および穴戸の直踐立が献ずるところ大田という名の水田を以ってし、これらの物を幣(ぬさ)と為すなり。 天皇神の言葉を聞きて疑いの情(こころ)を有てり。 便(よ)って高き岳に登り遥かに之を望む。大海広遠にして国を見ず。ここに天皇神に対して曰く、朕あまねくこれを望む。海有って国なし。 あに太虚に国有らん。何れの神が朕を徒に誘う。また、我皇祖諸天皇等ことごとく神祇を祭る。あに残せる神有らん。 時に神皇后に託して曰く、天津水影押伏す如く我見る所の国何ぞ国無しと謂う。我が言の誹謗を以って其れ汝王之此の言の如くして遂に信ぜざれば、 汝其の国を得ず、唯今身篭りはじめの其の子獲る有り。然れども天皇猶信ぜず。もって熊襲を強撃せるも、勝つを得ずここに還る。 仲哀天皇が信じないのも無理はない。仲哀天皇はヤマトタケルの子で近畿育ちと思われる。 神功皇后は、瀬戸内から日本海側まで、各地に領土を有する造船をなどにも関係する海國の出身である。 神功皇后は、瀬戸内か日本海側まで、各地に領土を有する造船をなどにも関係する海の出身である。 幼い時から、海の向こうの話を聞かされたり、その産物や、あるいは新羅や百済、任那から来た人にも会ったことがあったかもしれない。 |